※当季雑詠(夏)3句を〈コメント欄〉にご記入ください。
※投句は一日1回3句までといたします。
※登録のない俳号・ペンネームでの投句は削除させていただきます(例:唐辛子など)。
※★印について
「心が動いている」句を良い句として選び、★印を付けています。
(※多くの方にご覧いただき、心より感謝申し上げます。この「自由な投句箱」は花冠会員を対象としておりますので、どうぞご理解ください。)
花冠代表 髙橋正子
●「自由な投句箱・添削教室」は、下方↓ の欄にあります。
明るくて深い 現代語による俳句を。よい生活から よい俳句を。
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7月30日(2句)
★朝涼や二番電車の音がする/多田有花
朝の涼しさのなかに、生活が少し動き出す。それが二番電車の走る具体的な音として置かれている。ただそれだけで、気配が立ち上がっている。そのよさ。(髙橋正子)
★窓越しに向日葵揺るる午後の椅子/土橋みよ
窓の外の向日葵の揺れ、窓の内に静かに座っている椅子。この二つが、窓を通して重なり、午後の時間の厚みを感じさせてくれている。少し、構造が複雑に思えるが、それが時間の厚みとなっている。(髙橋正子)
7月29日(3句)
★忽然と酷暑の真昼にある真空/多田有花
この夏は、ただならぬ暑さです。「忽然」「酷暑」「真昼」「真空」と抽象語が並んでいるが、気圧の抜けた一点に気持ちが集中し、熱の極点に生じる一瞬の空白が捉えられている。それほどの酷暑なのです。(髙橋正子)
★地震の街灯りも水も無き夏夜/廣田洋一
熊本の地震で被災された方々はこの酷暑が健康が気遣われます。
災害の夜を詠むのは難しいですが、「灯りも水も無き」の二つの欠如が、夏夜の重さと不安を的確に伝えています。写生の骨格が強い句です。(髙橋正子)
妹背牛に白寿の姉を訪問
★紫陽花の角を曲がれば姉の家/土橋みよ
「角を曲がれば」が効いています。具体的な土地の様子と族の距離感が一度に立ち上がります。紫陽花の季語が、訪問のやわらかい気配を伝えています。(髙橋正子)
7月28日(1句)
★昇る陽をまっすぐに見る朝曇/多田有花
「朝曇」は夏の朝のどんよりした空で、昼には暑くなることが多い。その曇りの奥に「昇る陽をまっすぐに見る」姿勢が、これからの一日の気配を静かに受け止めている。句の芯が強く、清々しい。
(髙橋正子)
7月27日(2句)
★雲の峰心たるる日の家路かな/小口泰與
心たるる日の家路。雲の峰によってその心境がはっきりと意識され定まる。雲の峰の盛り上がる美しさと言えよう。(髙橋正子)
★糸とんぼついっついっと眼前に/多田有花
か弱く見える糸とんぼが、眼前に「つっいつっと」現れ、生命力の強さをかんじさせてくれる。眼前の景色が鮮やか。(髙橋正子)
7月26日(3句)
★トウキビの葉先の隙間雲の峰/土橋みよ
「葉先の隙間」と言う表現に、作者の立ち位置、視線がわかる。トウキビの葉先と湧きあがる白い雲の色彩の対比が晴れやかな心を思わせてくれる。夏らしい一句。「葉先」をもう少し大きく捉えてもよい。(髙橋正子)
★幼子の誕生日とや手花火す/廣田洋一
幼子の誕生日を祝う家族の温かさが伝わってくる。手花火の小さな光が幼子にふさわしいものと思える。「とや」が気になるが、なんと優しい句であろう。(髙橋正子)
★熊蝉の盛んや朝の干し物を/多田有花
熊蝉の力強く、うるさいほどの鳴き声を淡々と受け止め、朝の洗濯物を干すという、力強い生活が、そのまま力強い生活詠となっている。「干し物」が具体的であるとなおよい。(髙橋正子)
7月25日(1句)
★初蝉や高層ビルの並木道/廣田洋一
高層ビルの立ち並ぶ並木道。その並木に蝉が鳴いている。初蝉の声に都会のなかの自然の息遣いがなおある。うれしいことではないだろうか。(髙橋正子)
7月24日(3句)
道央自動車道
★森抜けてなお耳裏の蝉しぐれ/土橋みよ
森の蝉しぐれを抜けても耳に蝉しぐれが残っている。「耳」ではなく「耳裏」は、車で通り過ぎ、森から離れていく感覚が精密に詠まれている。「森抜けてなお耳裏に蝉しぐれ」すると、余韻がのこる。(髙橋正子)
★少しずつ日焼けてゆくや軒簾/廣田洋一
軒に掛けた簾が、日々の暮らしのなかで見ていると、「少しずつ日焼け」ている。しずかな観照が本質を言い当てている。(髙橋正子)
★のうぜん花朝日夕陽の色をして・多田有花
のうぜんの花は夏の日に、華やかに咲き続ける。その色は「朝日夕陽の色」と言いたいが、やや説明的になるので、「朝日」か「夕陽」のどちらかにするといいと思う。優しの中にも力強さがある。それを詠んでいる。(髙橋正子)
【改作】
のうぜん花沈む夕陽の色をして/多田有花
7月23日(1句)
小樽行フェリー
★夕焼や銀鱗となる日本海/土橋みよ
「銀鱗となる」で夕焼けを受けた日本海の景色があざやかに立ち上がります。「銀鱗」と言う象徴の言葉がよく効いています。(髙橋正子)
7月22日(1句)
★施餓鬼会の読経控えの間に届き/上島祥子
本堂で施餓鬼の読経が読まれて、それが、控えの間に読経の声が薄れて届いている。俗と聖をつなぐ間の読経の声の途切れがちの響きの間合いがよいです。(髙橋正子)
7月21日(2句)
★土用入り紅茶片手に海眺め/廣田洋一
「紅茶」は、生活感が軽く、土用入りの暑さの極まりの重さを薄めめ、洒落た印象を句に与えている。「海眺め」の落ち着いた動作が自然体でよく、明るくゆったりと開けた句になっている。(髙橋正子)
★梅の実の風も無き日に落ちにけり/小口泰與
梅の実が風もないのに、ぽとりと地に吸い込まれるように落ちる。
自らの成熟だけで落ちるという必然が描かれている。(髙橋正子)
7月31日(4名)
多田 有花
熊蝉の合唱始まる日の出かな★★★
昇る陽や西に土用の月沈む★★★★
路地裏の水音近く川とんぼ★★★★
小口泰與
翡翠の水面を凝視動かざる★★★
日陰して神秘な沼や青葉木菟★★★
たむろして野良犬居りし夏の朝★★★
廣田洋一
甲板の煌めく星や納涼船★★★★
屋上にむしろ拡げて三尺寝★★★
早桃や一人厨の昼餉かな★★★
土橋みよ
千古園
開拓碑欅を鳴らす夏の風★★★
「開拓碑」と「欅を鳴らす夏の風」が同じ強さで並んでいます。「開拓碑」と「夏の風」のどちらを言いたいかです。(髙橋正子)
青胡桃手に枝の香を移しけり★★★★
「移しけり」は、「移りけり」も考えられます。(髙橋正子)
豊幌
凍て割れの跡に蒲公英ひとつ咲く★★★★
7月30日(4名)
多田 有花
朝涼や二番電車の音がする★★★★
天気雨極暑の今朝は一段落★★★
部屋は闇窓より風の夜の秋★★★
廣田洋一
仄暗き庭にそよげる花卯木★★★
近づけば旧友なりしサングラス★★★
朝食の卓に一本バナナかな★★★
小口泰與
早朝の夏鶯の声さだか★★★
池中の岩に亀居り動かざる★★★
翡翠の朝日を浴びて神神し★★★
土橋みよ
新篠津公園
まっすぐに地に茎伸ばす蓴の花★★★
エアプラントの青なお深し夏の窓★★★★
窓越しに向日葵揺るる午後の椅子★★★★
7月29日(4名)
多田 有花
灼熱の天地に雷鳴轟きぬ★★★
雷神や熱暑を連れて去りにけり★★★
忽然と酷暑の真昼にある真空★★★★
小口泰與
夏の午後ちと空酒を召す坊主★★★
簗に落つ魚の種類数多なり★★★
釣人の魚籠は空っぽ夏の朝★★★★
廣田洋一
地震の街灯りも水も無き夏夜★★★★
向日葵や雨に打たれて下を向き★★★
玉ねぎや涙出る程辛くはなし★★★
土橋みよ
妹背牛に白寿の姉を訪問3句
紫陽花の角を曲がれば姉の家★★★★
夏座敷姉と笑いし言い違い★★★
妹背牛の米の重さや夏の雲★★★
「米の重さ」がわかりにくいです。石狩平野は北海道の米の産地ですが、その意味があるのでしょうか。(髙橋正子)
7月28日(5名)
小口泰與
梅の実の千五百に生りて少し落ち★★★
やっと着き夏の湖畔にパン千切る★★★
「やっと着き」の気持ちはわかりますが、言わないのが、よいです。そこが惜しいです。(髙橋正子)
山風の千千なり夏の沼の波★★★
廣田洋一
隣人と競いておりぬ草むしり★★★
高雲の縁焼き尽くす夏の夕★★★
あと少しで★4つです。(髙橋正子)
駅出でて甘酒屋にて立ち呑みす★★★
多田 有花
週末や方角を変え遠花火★★★
ゼラニウム何か成す人どの地にも★★★
昇る陽をまっすぐに見る朝曇★★★★
土橋みよ
石狩湾新港2句
夏空や沖へ風車の列つづく
「夏空」と「沖」と、視点が二つになっています。視点は一つにします。「夏空」でなく「夏海」がいいと思います。そうすれば、夏海の沖から、沖につながる空が想像できます。(髙橋正子)
石狩の風車の列へ雲の峰★★★★
豊幌夏祭り
揚花火校庭の声遠のきぬ★★★★
上島祥子
炎風にのれんの糸の痩せるかな★★★
夕立や冷めゆく数多のビルの熱★★★
夏雲の濁りに生まるる峯真白★★★★
7月27日(3名)
小口泰與
浴衣着て帯きっちりと車より★★★
雲の峰心たるる日の家路かな★★★★
たおやかに暖簾潜りし浴衣の娘★★★
多田 有花
ひまわりの頭垂れ初めし頃よ★★★
糸とんぼついっついっと眼前に★★★★
どんと鳴り知るは山向こうの花火★★★
廣田洋一
マンションの庭木の枝を払いけり★★★
夕立や舗装道路に湯気立ちぬ★★★
土用丑鰻一匹食べにけり★★★
7月26日(3名)
土橋みよ
石狩川
夏草や足もとの水なお暗し★★★
夏浜や白樺の幹同じ向き★★★★
トウキビの葉先の隙間雲の峰★★★★
廣田洋一
風そよぐ木椅子に憩う日の盛り★★★★
昭和の遠くなりたる水中花★★★
幼子の誕生日とや手花火す★★★★
多田 有花
涼風を呼ぶ心地なり白蝶草★★★
熊蝉の盛んや朝の干し物を★★★★
昼食は三日連続素麺に★★★
※
★3つの句について
抽象語(心地なり/なお暗し/遠くなりたる)
説明的な言い回しが像を弱めています。
★4つの句は
視線の動き
具体的な一点の観察がしっかりしており、像がしっかり立ち上がっています。(髙橋正子)
7月25日(4名)
多田 有花
夏草の茂る更地となりにけり★★★★
熱帯夜明けて空気のなお重し★★★
雲照らし今日も猛暑を約束す★★★
廣田洋一
初蝉や高層ビルの並木道★★★★
蝙蝠の飛び交ひており宵の空★★★
新築の庭に飛び来る黒揚羽★★★★
土橋みよ
江別3句
風鈴やレンガの窯からパンの湯気★★★
姫向日葵風に傾き揺れ戻る★★★
北国の雨に紫陽花青深む★★★★
上島祥子
土灼ける更地のままの医院跡★★★★
柔らかく朝日を迎え簾窓★★★★
片陰や先頭を行く車椅子★★★
7月24日(4名)
土橋みよ
道央自動車道
森抜けてなお耳裏の蝉しぐれ★★★★
麦稈のロール遙かに風薫る★★★★
夏草を分けて光れる空知川★★★★
小口泰與
またぐらに手挟む櫂夏の湖★★★
巌打つてたばしる波や夏の湖★★★
鳥声につつまる森や夏の朝★★★
廣田洋一
日盛や木の葉を揺らす風のあり★★★
少しずつ日焼けてゆくや軒簾★★★★
大トマトかぶりつきたる幼き日★★★
多田 有花
朝空に三羽並んで夏燕★★★
のうぜん花朝日夕陽の色をして★★★★
早朝はいまだ開かずハイビスカス★★★
7月23日(4名)
多田 有花
もうひとつ部屋を片付け大暑来る★★★
朝涼の内に出かける髪切りに★★★
軒下に玉葱たっぷり吊るす家★★★
この3句は、素材はよいのですが、作句方法が気にかかります。いずれも、作者の心を通らずに、見たものをそのまま言葉にしています。写生のつもりでも、説明に落ちていると言えます。俳句は「見たものを書く」のではなく、見たものが心に触れた瞬間を書きます。(髙橋正子)
廣田洋一
夏霧や下より聞こゆ川の音★★★★
よい句ですが、「聞こゆ」が説明的なので、少し惜しいです。(髙橋正子)
旬となり鰻の売場広がれり★★★
虹の脚右より細くなりにけり★★★
「なりにけり」は、結果ですが、だんだん細くなる、虹が消えていく感じなら、「なりゆけり」がいいのではと思いますが、いかがでしょうか。(髙橋正子)
小口泰與
三山も夕立に遭いて泣きにけり★★★
たおやかに朝霧を脱ぐ榛名富士★★★
向日葵や笑顔はじける友と遇う★★★★
土橋みよ
小樽行フェリー
夕焼や銀鱗となる日本海★★★★
黒々と波立ち上がる秋田沖
季語を入れるといいと思います。(髙橋正子)
夏朝日水平線をおしひらく★★★★
7月22日(3名)
多田 有花
自販機に飲料補充夏の朝★★★
陽を映し青田は日ごと育ちけり★★★
「陽を映し」がイメージとして伝わりにくいのが惜しいです。(髙橋正子)
蛍袋かろやかな音聞こえくる★★★
小口泰與
撓撓の長きすそ野や雲の峰★★★
誰かれも長竿持ちて鮎釣師★★★
杏子の実たわわに生りて鳥集う★★★
上島祥子
施餓鬼会の読経控えの間に届き★★★★
空調の程よく効いて施餓鬼法★★★
代替わり盆の供物を簡単に★★★
7月21日(4名)
上島祥子
炎昼の定刻守る配達夫★★★
炎昼のサドルにひび伸ぶ補習の子★★★
ジーパンの日差しに灼ける痛みかな★★★
「痛み」より「傷み」がいいのではないでしょうか。「傷み」なら、★4つです。(髙橋正子)
廣田洋一
土用入り紅茶片手に海眺め★★★★
松落葉重なりており手水鉢★★★★
すれ違う香水かすか老婦人★★★
小口泰與
のんびりと身体休めし夏の雨★★★★
梅の実の風も無き日に落ちにけり★★★★
垂れこめて犬と戯むる夏日かな★★★
多田 有花
夏未明二車線道路はよく空いて★★★
夏の朝油圧ショベルのまだ静か★★★
初蝉や朝の静けさのなかに★★★
7月28日
●土橋みよ
「夏休みブランコ揺れず山鳩啼く」を作り直してみました。
夏休みのブランコ揺れぬ鳩の声
「の」を入れたことで句がまとまりました。「揺れぬ」がやや説明的ですので、「しずか」にしてはどうでしょうか。「山鳩」は詩情があるので生かしたいですが、今回は「鳩の声」で収めておくとよいと思います。
夏休みのブランコしずか鳩の声(正子添削1)
夏休みのブランコしずか鳩啼くよ(正子添削2)
添削2は、動詞を一つにした場合です。
7月26日
●土橋みよ
石狩平野
青田過ぎ麦畑を行く雲の影
実景を詠んだものです。夏の季語が二つ入っていますが、問題ないでしょうか。
季語が二つある場合、それらが、ばらばらに置かれ、句がまとまっていない場合が問題となります。この句は「雲の影」の一点二句が収束していますので、問題ありません。むしろ、石狩平野の広さ、青田と麦畑が同時にある季節が、美しく詠まれるのに役立っています。したがって、問題はありません。
夏休みブランコ揺れず山鳩啼く
「夏休み」は夏の季語、「ブランコ・鞦韆」は春の季語です。この句は「夏休み」が主題で、ブランコは景物として置かれているので、問題はありません。
それよりも、この句はもう少し、まとめる必要があります。一句に動詞を二つ使うのはなるべくさけます。理由は、動詞は一句で句の方向を決める重要な働きをするからです。
(髙橋正子)
7月23日
●土橋みよ
新日本海フェリー
①フェリーの湯夏潮の香をまといけり
②船床の背を押し返す夏の潮
新日本海フェリーと言う大きなフェリーでは夏旅の魅力がたくさんあることでしょう。
①の句は夏潮の香をまといながら、フェリーにある浴場に入ったということ。その時の気持ちや感情をあらわしたいのであれば、このままで問題ないとおもいます。フェリーでの入浴は、潮の香りも大きな魅力の一つと言えますね。
②は船床は、船のなかで人が眠るための場所でしが、現代なら、ベッドとかでしょうか。仰向けに寝ていると背を潮が押し上げるように感じられたのですね。そのことを述べようとされたのでしたら、こちらの句も問題ありません。体が感じ取った力学的なおもしろさのあるよい句と思います。(髙橋正子)
7月22日
●川名ますみ
①土つかむ蝉を避けつつ車椅子(原句)
★土つかむ蝉を避けゆく車椅子(添削)
「つつ」は状態の継続で、動きとしては弱いので「避けゆく」とはっきりとした動作にしました。句の骨格がしっかりします。(髙橋正子)
②車椅子土の上の蝉避けすすむ(原句)
リズムを整えるために添削しました。
★土の上の蝉避けすすむ車椅子(添削)
三句のなかで、この句がいちばんよいと思います。(髙橋正子)
主体(車椅子)
対象(蝉)
動作(避けすすむ)
の三要素の配置が重要で、添削後は視線の流れが自然になったと思います。
③土の上の蝉を避けたり車椅子
「避けたり」は、状態の説明になり、動きが固定されますので、平板な句になります。(髙橋正子)
●本阿弥書店発行の「俳壇」8月号に上島祥子さんの新作6句「虎渓山」が掲載されました。祥子さん、おめでとうございます。
下のコメント欄に感想をお書きください。よろしくお願いします。
虎渓山については、花冠7月号(No.375)の祥子さんの「ひとり吟行記」の散文に掲載していますので、あわせて、お読みください。
虎渓山
上島祥子
一息に坂登り来て青紅葉
土岐川に若葉の潤む風の朝
青鷺の松に身を寄す水鏡
本堂の余香に拝し山の涼
滝音や巌に還る石仏
山涼し落石知らす手書き文字
(「俳壇」8月号「現代俳句の窓」に掲載。)
————————————————-
【感想】
④吉田晃(2026年7月25日)
どの句も清らかで静かですね。作者の落ち着いた姿が見えるようです。言葉の遣い方が綺麗ですから、読み手にすんなり伝わってきます。
〔一息に坂登り来て青紅葉〕
季語青紅葉がいいですね。登り切ってかいた汗、息切れが季語によってす~っと消えていくようです。
土岐川に若葉の潤む風の朝
青鷺の松に身を寄す水鏡
〔本堂の余香に拝し山の涼〕
お寺独特の匂いの中に手を合わせる。大樹に囲まれたお寺の冷気の中に手を合わせている作者を思います。
滝音や巌に還る石仏
山涼し落石知らす手書き文字
③土橋みよ(2026年7月25日)
『俳壇』8月号掲載おめでとうございます。
『花冠』375号の「ひとり吟行記」を拝読した上で、以前、詩情豊かに、「ワイシャツの干されて自由春の風」と投句された祥子様が、名刹を歩き、その風景をどのように俳句として捉えられたのか、六句を興味深く読み進めました。
一句目の「一息に坂登り来て青紅葉」から、禅院へ向かう坂道における作者の息づかいと、登り切った先に広がる青紅葉の鮮やかさが伝わってきました。「一息に」という言葉で、寺院を包む清新で荘厳な世界へ一気に引き込まれました。
続く「土岐川に若葉の潤む風の朝」と「青鷺の松に身を寄す水鏡」には、朝の光や水、風の気配が静かに響き合う様子が感じられました。「若葉の潤む」という表現は特に素敵で、川辺の若葉が朝の湿気を含み、柔らかく輝いている様子が思われました。また、水鏡に臨む青鷺の句では、青鷺が「松に身を寄す」という慎ましい姿に、周囲の静寂へ溶け込んでいるように感じられた鳥を思いました。
「本堂の余香に拝し山の涼」では、「余香」という目には見えないものに導かれるように手を合わせ、再び山道へ歩み出していくお姿に、私自身も心が澄んでいくようで、とても高貴なものに思われました。
そして、一連の句も最高潮を迎え、「滝音や巌に還る石仏」と詠まれます。この寺の滝の音は仏の声にも例えられるそうですね。絶え間なく響く滝の音の中で、石仏が長い年月を経て、やがて巌そのものに還っていく時間の流れを作者と一緒に感じ取らせて頂きました。
そして最後の「山涼し落石知らす手書き文字」では、それまでの幽玄な世界から、急に現実の山道へ戻されました。「手書き文字」には、単なる注意書きにはとどまらない人の気配と温かさがありました。”落石への注意”という緊張を含みながらも、ほっとする余韻が残り、一連の句を静かに現実の世界に着地させている心地がしました。
六句を通して、実際に私自身が巡礼の道を辿ったような読後感がありました。自然、信仰、歴史、そしてこの世の人の営みがつながった、私にとって新たに記憶に残る一連の俳句となりました。
②多田有花(2026年7月日24日)
「俳壇」8月号への掲載おめでとうございます。
花冠7月号の『ひとり吟行記』も拝読しました。
YouTubeで「虎渓山永保寺」の動画を探してみました。
とても立派な庭園で観音堂に通じる無際橋の形が印象的です。
これだけのお寺と庭園が無料で拝観できるというのに驚きました。
土岐川に若葉の潤む風の朝
虎渓山永保寺の東を流れる土岐川。
愛知県に入ると庄内川になりますが、多治見市あたりでは
豊かな自然が残っていることでしょう。
滝音や巌に還る石仏
こちらは梵音岩から飛瀑泉へと流れ落ちる滝の音と
その反対側の斜面にある石仏の様を詠まれたものですね。
静かに移り行く時の流れを感じさせます。
①高橋秀之(2026年7月21日)
「俳壇」8月号「虎渓山」掲載おめでとうございます。
一息に坂登り来て青紅葉
最後の急な坂道を一息で登る切る。その先に広がる青紅葉。
やり切った充実感と相まって素晴らしい光景をそこに感じます。
滝音や巌に還る石仏
滝の音には不思議な落ち着きを感じさせてくれます。
その落ち着いた雰囲気が石仏さまをより厳かに見せてくれます。
●随想「俳句の中心が痩せるとき」
総合俳誌「俳句界」(文學の森)に送った花冠七月号(No.375)が、宛先不明で返送されてきたのは、発送して八日目のことである。前号までは届いていたので不審に思い調べると、会社の倒産により四月で廃刊となっていた。「俳壇」の倒産理由の一つに俳句人口の減少が挙げられている。これは一誌の廃刊という事実にとどまらず、俳句界全体の構造変化を示す出来事でもあると思える。
これで総合俳誌は「角川俳句」「俳壇」「俳句四季」の三誌となった。ここまで数が減ると、俳句界の構造が歴史的転換点に来ていると判断してよいだろう。角川『俳句年鑑』に記録される俳誌数は二十年で三百誌減少している。二〇〇六年には八三五誌あったものが、二〇二五年には五三九誌である。主宰の高齢化と後継者不在、会員数の減少が主な理由とされる。
私自身、信之先生から「水煙」を引き継ぎ、誌名を「花冠」に変更した。会員数は創刊当初や最盛期に比べると、かなり減少している。現在活動している会員は、二十年から三十年以上在籍している人がほとんどである。編集作業はすべて私が担い、経営的にはぎりぎりの線で持ちこたえている。それでも廃刊にはせず、誌面の充実を優先してきた。創刊時の月刊から、今では年二回の発行となったが、ページ数は増え、会員からは「俳誌とは思えない充実と高さがある」と言われている。多くの結社誌が会員作品の発表や添削、吟行や大会の報告を中心とする中で、花冠は作品発表や句会報告、随想や俳句日記を掲載しているが、誌面の中心には常に俳句そのものの精神性が据えられている。その違いが、こうした感想につながっているのだろう。
総合俳誌は、俳句界全体を俯瞰し、作品・批評・ニュース・新人育成を一冊に統合する「俳句界の公共インフラ」としての役割を担ってきた。作品の現在性の提示、批評・時評による俳句界の思考形成、公共性と記録の維持――その三つが総合誌の核である。弱体化は、とりもなおさず、これらの弱体化である。
では、総合俳誌や結社誌の減少は俳句の衰退なのか。 そう単純には言えない。いま俳句は、SNS俳句、アプリ俳句、オンライン句会、ライブ形式の一日俳句教室、自治体や企業が行う俳句大会、あるいは俳句を「若年層の競技文化」としての教育への利用があり、俳句人口はむしろ広がっている。しかし、「俳壇」の倒産理由の一つに俳句人口の減少が挙げられている。一方で俳句人口の減少が言われ、もう一方で俳句人口の広がりが言われる。この矛盾は、俳句の中心が充実していないことを示している。その一端には、SNS俳句や俳句甲子園のように、俳句を即時性や競技性で評価する社会のまなざしがある。ここでその詳細に立ち入る必要はない。問題は、個々の現象ではなく、俳句の評価軸そのものが変質しつつある点にある。
衰退しているのは俳句の本質となる中心部分であり、広がりは俳句の変化として受け止めるべきである。私は、俳句は本来、観照、静けさ、精神性、季語の本義、内的風景といった精神の文学であると思っている。俳句は多様であっていいが、核となるべきところは守られるべきと考えている。
SNS俳句は五七五の形式を保ちながら、生活の即時性を重視する傾向があるが、花冠はオンライン句会という方法を取りながら、俳句の精神性を守っている。創刊者で、インターネット俳句を先駆けた髙橋信之の『インターネットと俳句』の論文に、すでに、俳句とインターネットの関係が論じられている。
そして、花冠は、四十三年の俳句活動の持続がある。「明るくて深い現代語による俳句、よい生活からよい俳句を」という信之の高さと、臥風の「細く長く」という精神の持続性を同時に抱えた結社精神がある。その結社精神を守ることが、俳句本来の精神性を守ることにつながっていると思っている。
花冠は大きな結社ではないが、歴史と精神の高さがある。そして、俳句の本質を守ろうとする志は、臥風、信之へと細く長く受け継がれてきた。俳句界の中心が痩せつつある今、その小さな営みもまた、未来へ受け渡すべき一つの仕事であると信じている。世の中の俳句の趨勢におされ、俳句の本質と精神を守り育てることは、容易な道ではない。静かな困難を抱えている。しかし、その困難こそが、花冠俳句の精神を磨き続けている。
2026年7月20日
晴れ
●今朝、早く目がさめた。ちょうど、サッカーのワールとカップ、スペインとアルゼンチンの決勝戦が始まるところだった。パソコンで仕事をしながら見た。延長戦となった肝心のところで、眠ってしまったが、あとでスペインが優勝と知る。スペインのネマル選手(19歳)とアルゼンチンのメッシ選手の19年前の出合いが報じられ、今日の二国の試合となったのは、奇跡的と言えそう。
●パソコンが更新中にフリーズし、回復キーが見つからなかった。いつパソコンが回復するかわからないので、しめきり2週間前となる16日、俳壇の依頼原稿「特集・秋の野鳥歳時記」を郵送した。息子が来てパソコンをなおしてくれたため、念のために、今日メールでも原稿を送った。
●随想「俳句の中心が痩せるとき」を書いた。総合俳誌「俳句界」の廃刊を知り、俳句の世界が危うい感じがしたので、思うところを書いた。あまり書きたくない内容なので、この推敲に3時間ほどかかった。ブログ「エッセイと論文」に貼り付けた。
晴れ
●かなり暑い。なんとなく、体調が万全でない気がするので、用心して過ごす。
●1か月半ぶりにゆうまくんの子守りに行く。ゆうまくんは、ずいぶん歩けるようになっていて、顔つきも男の子らしくなっている。保育園が好きになって、朝起きると保育園に行きたがるとのこと。保育園では皆に可愛がられていると句美子が話している。句美子は、育児休暇をとれることになって、私も一安心。
ゆうまくん、一か月半ぶりだったせいか、初め、句美子の傍に静かに座って、もじもじしている感じだった。持って行った風船を見せると、興味津々。風船を並べて、どの色を選ぶか見ていると、黄色の一番大きい風船を選んだ。それを膨らませると不思議そうに見る。三個膨らませて残りが四個あったが、しばらくすると、もう一つ膨らませるように言う。またもう一つ、またもう一つと全部膨らませた。黄色い風船は手を離さない。風船に体を乗せるが風船は破れない。風船を一本のリボンに五個結びつけた。振ってあそび、片付ける時も楽なようにした。
しばらくすると、小さい本箱ごと取りだす近くに持ってくるように言う。本が好きらしく、本のあつかいに慣れている感じがする。それぞれの本の好きなところがあるようで、なんどもそこを開いている。中身も覚えているようだ。1か月半の間、高熱が出たり、手足口病になったり、心配したが、ずいぶん成長している。