NEW10月5日(月)

曇り
秋郊に出でし車窓にはるか富士    正子
一キロの路をほのかに金木犀    正子
花野去る夫の気配をいだきつつ   正子
葦原の風のふれゆく釣舟草     正子
吾亦紅枯れて枯の紅しんと     正子

●天気はくだり坂。昨日の野あそびの服をいっさいがっさい洗う。

●昨日歩いたせいか、かなりぐっすり眠った。朝食に、フレンチトーストか、ホットケーキか、寝床でさんざん迷った挙句、フレンチトーストにした。ただし、フランスパンではなく、食パン。今朝はあまり食べないで、ミルクコーヒーとだけ。

●思うに、これからは、日記なども、書いたものはそれで完成となるよう努めることにした。いつも完成させておく。

●明日、骨密度のメディカルスキャニングを受ける準備。自由が丘に行くことになっている。数秒で終わる検査だが、他の時間がかかる。

10月4日(日)

曇りたり、晴れたり
秋の池水輪うすうす水馬       正子
蜂・とんぼ釣舟草を移りつつ     正子
網ほおずき朱の実の透け三つならび  正子
水引草澄みたる朱は山のもの     正子
花びらの全き野菊並びあい      正子
どんぐりを踏めば木の音靴底に    正子
露草の青濃きことも昼下がり     正子
紅芒ほどけし姿みな同じ       正子

●午後1時過ぎに四季の森公園へ出かけた。春の風邪ひき、夏の猛暑で、ずっと体調がよくなかった。涼しくなって、ようやく体調が落ち着いて一人で外出する不安がなくなった。四季の森公園は、日曜日で、人はほどほど。蓮池のほとりの木道から奥へ進んだ。今日は翡翠を撮る人たちは二人。雨が降り続いた後の晴れ間なので、小川の水が音を立てて池に流れ込んでいた。ガビチョウの声が公園中に響いている。咲いている花は、静かな秋の花。プロムナードには公園までずっと金木犀が匂っていた。金木犀の匂いがして来ると、秋祭りが近づいていることを知る。

今日、一番の花さかりは、ツリフネソウ。キツリフネソウもある。ユウガギク、ノギク、ミゾソバ、ミズヒキソウ、キンミズヒキ、枯れたままのワレモコウ、ススキ、アミホオズキ、カマズミの実など。小さい蜻蛉は、赤とんぼの一種のようだが名前がわからない。胴の長い蜂がツリフネソウの蜜を吸っていた。この蜂も名前がわからない。花粉は身に付けているようだ。
ツリフネソウを見ると、信之先生と来たことを思い出す。いつも葦原の奥のデッキで休んだ。ツリフネソウが咲くときによく来ていた。
ユウガギクは、柚子の香がするというので、葉をちぎって、重ねて匂うといい匂いがする。菊と柚子の間のような匂いだが、やはり菊の匂い。

池のあめんぼうが広げる輪が、1メートルぐらいにもなる。水の表面を気配のように波紋が広がる。
中山駅口のベーかリーであんぱんを買っていた。ほとんどない事なのに、水筒を忘れた。自販機で水を買う。園内の静かさは、秋の静かさというのだろう。澄んで、静かで、やわらかな光が届いている。音楽にもたとえようがない。これまでにない、地球に恵まれた静かさだと思いながら、園内を1時間ほど歩いて帰宅。今日の行程は3km。

●4時半に帰宅したので、お風呂に入ったり、夕食の支度をした。夕食後は、四行詩の25番の日本語訳に手を入れる。完成としていい。今日は、
休むことにした。夜は冷えたので、ひざ掛けを出す。暖房がいりそう。

10月3日(土)

晴れ
銀杏の潜むあたりの明るかり     正子
なんてもない草葉の上を秋の風    正子
松手入れなべて明るき短き葉     正子

●朝、URの団地の中を散歩。ピラカンサ、錦木が色づいている。
●ヴァレ四行詩25番を訳す。対象が消え色の抽象性だけが残っている詩。片山敏彦の少々主義的精神の訳は、これは、これとして貴重だが、
原詩の方向と違っていると思う。詩が何で成り立っているかが、もんだいだろう。風景か、抽象か。今日の俳句は、いくぶんリルケの25番の気分が移っている。

●ヴァレ4行詩25番の訳が完了。かなり難しい訳だった。訳が片山敏彦訳と、第2連から少しずつずれた。文意脈から言えば、私の訳も間違っていないと思う。それが、難しさとなったのだ。原詩は、色を抽象的に扱って居、景色を消している。ところが、片山訳は、景色を消すのではなく、呼び戻している。逆方向なのだ。これは翻訳の時代背景が影響している。美学的、詩学的に完成された訳に揃えることもできない。かといって、自分の読んだ文脈で訳を発表するのも、ためらいがある。自分の訳がまちがっていると思えないからだ。片山訳に敬意をあらわし、否定しない書き方で、なんとか花冠に発表したいと思っている。とにかく、一遍の詩の訳に疲れた。

7月に25番を訳したものがあった。こちらの訳の方がすっきりしている。おそらく、迷いがなかったのだろう。今日の訳は没にするか。
詩返1 青と銀を含み真夏の草埃  正子
詩返2 ひるがえる向こうの柳は陰翳を 正子
詩返3 葉桜の中の石手の塔古りぬ   正子

10月2日(金)

曇り
餃子屋に熟れて栴檀の実の丸し  正子
刈られたる葛の蔓よりまた新芽  正子
足元に響いて朝の虫の声     正子

●昨日の天気はどこかへ。朝から曇り。URの団地の周囲を歩く。芝が刈られ、木は剪定されてきれいになっている。生い茂っていた葛の葉も刈り取られ、根元から新しい蔓が伸びはじめている。保育園のビオトープを覗く。ガマの穂とカンガレイが目立つ。小さい向日葵が種になったのや、咲残った花がそのまま。サツマイモ畑は、まだ掘り上げていない。もう少し太らせるのか。稲刈りのころ、さつま芋を収穫した記憶がある。昔は稲刈りはもう少し遅かったようなきがする。歩いたのは1kmほど。

●ゆうまくんに、お絵かき用の色鉛筆を書く。ドイツのステッドラーの6色。2歳からとなっている。円安のせいもあるのか、値段もいい。水で消せるし、滑りもいいようなので、大丈夫だろう。
ゆうまくん、この前自分のなまえを「ゆうま」と言っていた気がしたが、考えてみれば「ゆうちゃん」とか「ゆうくん」でもいいんだけれど、「ゆうまくん」になっている。

ついでに自分用に20枚のファイルを買う。本の編集記録や、印刷費、贈呈先、読者からの返事などをまとめておく。次の本を作る参照資料。箱に入れて整理したつもりだったが、分類した方法を自分が忘れていたりする。一目瞭然にする必要がある。

●午後、ヴァレの四行詩25番を訳す。片山敏彦訳とは、違って原詩に近い表現にしようと思っている。夏に西村先生から、翻訳についてのお考えをいただいている。先生の考えは、翻訳は日本語として自然か、社会に受け入れられるかなどが、考慮される。翻訳の昔からの問題だと言われる。それはそうなのです。私が今思うのに、現代の日本では抽象表現が受け入れられるようになっているのではないかと。抽象絵画など、抽象表現にも慣れている。それにコンピューター。これこそ抽象概念ではないか。
ヴァレの四行詩は原詩がフランス語。ドイツ語訳も併記されているので、比べてみると、ドイツ語ではリルケのフランス語をそのままドイツ語にしている。日本語があまりに違い過ぎることも問題なのだ。ドイツ語の訳を見ると、私の抽象的な訳が間違っているとは言えないと思った。途中で休憩してそのまま夜になって全然進まなかった。

 

10月1日(木)

晴れ
●36日ぶりに晴れたことになる。どの窓も開け放し、風を入れる。窓を開けているので、どこにも行かずに、ひたすら、家に風を通す。活けている小菊がよく咲いている。花はもっばら、小菊ばかり。

●プリンターを新調することにした。2024年の型落ちをアマゾンで見つけた。5年保証をつけても1万円安いが、配達が遅いのが難。10月10日から22日の配達となる。11日の句会に間に合わないかもしれないし、ぎりぎりかも知れない。プリンターの故障は想定外。
『RETURN』 は10月10日発行予定だったので、2週間ぐらい遅れそうだ。遅すぎるわけでもないから、まあ、よしとして。最後は刷り出して確認しないと、思わぬミスがある。

●The Mothが12月31日締め切り。Kenyon Reviewは11月から12月が受付。ものはためし。11月15日からの編集を始めるまでに、済ませる予定。こうなると忙しい。

9月30日(水)

雨
●RETURN の編集が終わり、最後印刷して最終確認の段階になって、プリンターの故障。給紙ローラ―が摩耗しているようだ。取り換えなければいけないだろうが。ずいぶん刷り出したので、使いすぎなのは、確かだろう。残念ながら、入稿を遅らせるしかない。

午後は、プリンターの故障に向き合う。自力で原因を突き止めたのはいいが、給紙クリーナーを5回ほど試すが、改善無し。肩こりがひどくなる。買い替えなくてはならないだろうと思う。

 

9月29日(火)

雨
●今日で東京は、34日連続雨という。東京は、であるが、横浜もであろう。
●頂いた梨を朝は、元希君に送った。句美子の家には、夕方、梨と夕飯をもって夕方出かける。

ゆうまくんはちょうど1歳6か月。10日会わないうちに、言葉が増えて、奥歯が上下一本ずつ生えている。それは大泣きした結果、母親が発見といういきさつらしい。
『100のことば』の絵本と、あんぱんまんの仕掛け絵本が気に入っている。言葉絵本では、「ちょう」を「これ」と指すので「ちょう」と言うと、両腕をひらひら動かして蝶の飛ぶ真似をする。「ちょうちょ」の歌を歌うと、ますます調子に乗る。「さかな」を「これ」と指すので、「さかな」と言うと、両手をあわせてすいすいと言いながら、魚がうねって泳ぐ格好をする。この二つが特に気に入っているようで、何度も聞いてくる。

「ちょうちょ」の歌も知っているようだ。「かえる」のシールをもってきた、「くわっくわっ」と聞こえるが、かたことでいう。「かえるの歌」も知っているようだ。

あんぱんまんのキャラクターの名前も憶えているようで、「ホラーマンは?」というと、「これ」と指さす。

保育園でお絵描きとシール貼りをした作品を持ち帰っていた。シールをはがそうとしてなかなかはがれないので、「おっ!」と言いながら剥す。

「だっこ」をせがむ。抱っこで天井を触りたいのだが、私の背では度にもならない。これは、パパだけの役目。

これが10日間の変化なのだ。私が帰ると言うと泣いて、「だっこ」と言う。かなり情緒が発達している。

●帰宅したのは、10時前。それから『RETURN』の微妙な表現について、再検討。英詩らしくし過ぎると、俳句的観照が崩れるのでむずかしい。英詩らしいというのは、比喩を多く使い、無生物を主語にして、情景を表わすこと。

9月28日(月)

曇り
アスファルト青松虫の声ひびき  正子
雨通す白曼殊沙華のさびつつに  正子
ビニールの袋の中の茄子の艶   正子

●You Tubeのクラッシックを聞きながら、書いたり、読んだり、手仕事をする。なかなか自分にぴったりなのがなかったが、「クラシックの森」というチャンネルを見つけた。これはちょうどいい。「朝」といえば「ペールギュント」、「静か」と言えば「月の光」、というふうではないので救える。

●みよさんが秋月という大きな梨を送ってくださる。あまり大きいので、びっくり。月のような梨。たしかに秋月(あきづき)の名にふさわしい。

●今日詩集『RETURN』を入稿する予定で、実際入稿できる段階になった。目次の余白が開きすぎて気になる。あと1行あるといい。そしてPreface を目次ページに書いてはどうかと思いついた。すると、英詩集では、その形式が多いというから、問題は解決。7回目刷りだしたが、もう一度刷りだした方が良い気がしている。明後日入稿予定。

●先日文部大臣が、東大の教育研究学科長にH教授のSNSでの発言に注意したという記事。東大は文部省の管轄下なのだと、改めて思った。政治家の言語と科学者の言語は構造的に階層が違い、齟齬が起きるている感じがした。その上、SNSでの発言は切り取られやすい。SNSで、誰でも発言できるようになっている。しかし、発話原語には、社会的言語、科学的言語、文学的言語、これらがあるが、すべて一つの人間の言語として一からげにされている。立場による使う言語が違うというころが理解されていないのではないか。

昭和時代は、その句会にはその句会の言語があったと思う。同じ層の言語を使う人たちだ。言語の深度が違う。「違う俳句の考えの人と句会ができますか」という発言も聞かれた。

テレビの俳句も、花冠の俳句も、社会では同じ俳句にされてしまう。別の結社の句友は、主宰に「あれを、俳句と思ってもらっては困る」と宣言したという。俳句は、小さい共同体の言葉である。大衆的娯楽俳句と、真面目に俳句を作っている人の俳句は言葉が違う。それがわかるかな、役所やメディアの人達よ。一緒にしているんじゃないかな。

大衆的娯楽となった俳句こそが民主主義と思うかもしれない。文学への参加は民主的であるが、文学が書く内容は民主主義とは基本的には相いれない。俳句は必ずしも文学である必要はないだろうし、大衆的娯楽である必要もないだろう。俳句にも、使われる言語の階層があるということだろう。

9月27日(日)

曇ったり、小雨になったり
雨ののち虫音路澄むなり濡れし路 正子

●明日『RETURN』を入稿したいので、一日原稿の手直しと校正。
インデントはMarching Band だけにしている。見た目を見ながら。

●俳壇十月号の『秋の野鳥歳時記』の正子の記事について、美知子さんと晃さんから感想のメールがあった。晃さんは臥風先生の「その人の身になって読む」というところを、取り上げていた。これは意外とむずかしいことなので、少し訓練が要ると思った方がいい。

●秋雨が続くので、ダニに気をつけなければいけない。どうすればいいのか。すのこベッドはダニには有効かと思うがそうではなく、敷布団の湿気が下にたまりやすいとのことで、ベッドの下に湿気がたまらないようにしないといけないというので、毎朝起きたら、敷布団を立てておき、羽毛布団は椅子に掛けておくとよいらしい。

9月26日(土)

小雨
月の夜窓辺のベッドに寝むらんと  正子
柿供う薄づく色のしずかにも    正子

●『世紀末ウィーンの知の光景』第5章からの俳句的示唆の文章を書き替え、半分に減らした。題名も「つつましき初光」から、「つつましき炎」に変えた。
力不足の領域は、長く書くか、短く書くかのどちらか。中ぐらいが一番いけないと知る。力不足の領域は、間違いなく印象に残っているところを書き、具体的に書かかない。必ず思わぬところで不整合が見つかる。

●賞に応募しようと思っている英詩3篇を検討。あまり推敲しすぎてもいけない。正子の俳句も、詩も地味なので、賞には合わない。文学館向け。賞の一次審査を通過するのは難しいと分かっている。一次審査に当たる人の質も問題なのだろうが、万一ロングリストにでも残るようなら、これは上出来で、内容が浸透していく可能性はある。運を天に任すしかない。対策は効果的ではなさそう。