夏休みのお知らせ
2026年8月16日(日)~8月31日(月)を花冠発行所の夏休みといたします。その間、「自由な投句箱」をお休みといたしますので、ご投句はご遠慮ください。
その間の発行所、会員各位へのご連絡などありましたら、下方↓の、「夏休み臨時伝言板」をご利用ください。
なお、再開は9月1日(火)となります。どうぞよろしくお願いします。
2026年8月15日
花冠代表 髙橋正子
夏休みのお知らせ
2026年8月16日(日)~8月31日(月)を花冠発行所の夏休みといたします。その間、「自由な投句箱」をお休みといたしますので、ご投句はご遠慮ください。
その間の発行所、会員各位へのご連絡などありましたら、下方↓の、「夏休み臨時伝言板」をご利用ください。
なお、再開は9月1日(火)となります。どうぞよろしくお願いします。
2026年8月15日
花冠代表 髙橋正子
◆花冠夏休み臨時伝言板(8月16日~8月31日)◆
花冠発行所は、8月16日から8月31日まで夏休みとなります。 この期間中、臨時伝言板を設けました。発行所、あるいは会員への連絡・伝言などがありましたら、下の<コメント欄>にご記入ください。 どうぞ有意義にご利用ください。
8月15日 花冠代表 髙橋正子
●多田有花句集『蒼き氷河』が、花冠俳句叢書・電子版1 として出版されました。有花さん、おめでとうございます。
花冠会員の皆さまには、有花さんからメールの添付ファイルで句集が届いていることと思います。読み方は、有花さんがメールで説明されていますので、お読みになって、その通りにしてください。
わからない時は、有花さんに直接、または発行所にお尋ねください。
『蒼き氷河』
https://amzn.to/4f3jpNv
有花さんの電子書籍での句集発行は花冠では初めてで、画期的なことです。句集を読まれましたら、有花さん、または発行所に感想をお寄せください。
【感想】
②高橋秀之
多田有花句集『蒼き氷河』ご出版、おめでとうございます。
Amazon KDPの電子書籍、新たな手法ですね。
きれいなお写真と合わせて拝見しております。普段は文字から情景を想像しておりますが、写真がセットになっていることで、同じ句であっても、感じ方が違ってくるから不思議です。
①土橋みよ
句集「蒼き氷河」のご出版おめでとうございます。歴史的背景や社会的意味を持つ素晴らしい句が多く含まれており感嘆いたしましたが、私には大きな歴史や理念を背負う句は書けないので、私自身がお手本にしたい句をいくつか選び、感想を書きました。
1.柚子ひとつ置かれて卓の広さかな
小さな柚子一つによって、卓全体の広さが見えてきました。柚子の色や香りや丸みには何も触れていないのに、目に見えるようです。生活の場を詠みながら、清潔で品のあるこのような句を詠んでみたいと思いました。
2.花吹雪櫂のしずくに重なりぬ
最初、「櫂のしずく」から滝廉太郎の「花」を連想しましたが、この俳句はたった17文字で一曲のすべてを表しているように感じました。櫂から落ちる水滴と空から散る花びらの一瞬の重なりが美しいです。花吹雪が単なる美しい景色でなく、身近で起きた出来事になるのが素敵だと感じました。
3.桐の花その高さより風が吹く
桐の花の高さを目には見えない風の出どころと感じられるような感性を私も持ちたいと思いました。高いところに咲く桐の花が揺れ、その動きや葉音によって、風の来る位置が感じられたのですね。
4.薄氷や深山に戻る滝の音
滝の音が実際に山奥へ戻るわけではないと思いますが、薄氷の張る寒さと静けさの中で、滝音が遠ざかり、深山の奥深くへ吸い込まれていくように聞こえたということでしょうか。目の前の冬景色と耳に聞こえる滝の音の響き合いが素晴らしいと思いました。
5.青鷺は水の色して立ちにけり
青鷺が水辺に立ち、その羽色が周囲の水と溶け合ってどんなに美しかったことでしょう。「水の色して」という表現は是非真似したいですが、私には難しいです。青鷺が立った瞬間の静かな緊張感を感じました。
6.雨降れば雨の色して冬紅葉
前作に続いて、「雨の色」と捉えられた冬紅葉が、いろいろ想像させてくれており、色や形の具体的なことを言っていないのにとても美しく感じられました。
7.春雪が鏡の中を降りしきる
春雪を窓外の景色として直接詠みたくなるところですが、鏡に映った雪として捉えたことに驚きました。鏡の中に降る雪は現実の雪でありながら、どこか別の空間の出来事にも見えそうです。
どの句も奇抜な言葉を一つも使わず、日常の景色の注意深い観察から、具体的な物によって余情を残すところを是非見習いたいと思いました。
多田有花句集『蒼き氷河』は花冠俳句叢書・電子版1 としてKindle で出版されています。総句数は292句あります。
簡単な冊子ですが、
【表紙・扉・序・本文(俳句)・あとがき・奥付】
があり、本の体裁として整っています。本としての要件はそろっていますので、句集として十分手に取っていただけるものです。
有花さんからメールで電子版がお手もとに届いていると思います。
発行所からは、会員の皆さまに、簡易な冊子に印刷してお送りしました。こちらもご覧ください。
冊子はペーパーファスナーで留めています。そのままでもいいですが、これはすぐ外せますので、ホッチキスで留めめたり、お好きな紐やリボンを通してもよいです。読みやすいようににして、ご鑑賞ください。
●多田有花句集『蒼き氷河』について、ご感想をコメント欄にお書きいただければ、うれしいです。
感想は長くなくてもよいです。好きな句を挙げていただくだけでも結構です。感想は、2027年1月号(No.376)に掲載予定です。暑い折ですが、どうぞよろしくお願いします。
花冠代表 髙橋正子
2026年8月15日
●本阿弥書店発行の「俳壇」8月号に上島祥子さんの新作6句「虎渓山」が掲載されました。祥子さん、おめでとうございます。
下のコメント欄に感想をお書きください。よろしくお願いします。
虎渓山については、花冠7月号(No.375)の祥子さんの「ひとり吟行記」の散文に掲載していますので、あわせて、お読みください。
虎渓山
上島祥子
一息に坂登り来て青紅葉
土岐川に若葉の潤む風の朝
青鷺の松に身を寄す水鏡
本堂の余香に拝し山の涼
滝音や巌に還る石仏
山涼し落石知らす手書き文字
(「俳壇」8月号「現代俳句の窓」に掲載。)
————————————————-
【感想】
④吉田晃(2026年7月25日)
どの句も清らかで静かですね。作者の落ち着いた姿が見えるようです。言葉の遣い方が綺麗ですから、読み手にすんなり伝わってきます。
〔一息に坂登り来て青紅葉〕
季語青紅葉がいいですね。登り切ってかいた汗、息切れが季語によってす~っと消えていくようです。
土岐川に若葉の潤む風の朝
青鷺の松に身を寄す水鏡
〔本堂の余香に拝し山の涼〕
お寺独特の匂いの中に手を合わせる。大樹に囲まれたお寺の冷気の中に手を合わせている作者を思います。
滝音や巌に還る石仏
山涼し落石知らす手書き文字
③土橋みよ(2026年7月25日)
『俳壇』8月号掲載おめでとうございます。
『花冠』375号の「ひとり吟行記」を拝読した上で、以前、詩情豊かに、「ワイシャツの干されて自由春の風」と投句された祥子様が、名刹を歩き、その風景をどのように俳句として捉えられたのか、六句を興味深く読み進めました。
一句目の「一息に坂登り来て青紅葉」から、禅院へ向かう坂道における作者の息づかいと、登り切った先に広がる青紅葉の鮮やかさが伝わってきました。「一息に」という言葉で、寺院を包む清新で荘厳な世界へ一気に引き込まれました。
続く「土岐川に若葉の潤む風の朝」と「青鷺の松に身を寄す水鏡」には、朝の光や水、風の気配が静かに響き合う様子が感じられました。「若葉の潤む」という表現は特に素敵で、川辺の若葉が朝の湿気を含み、柔らかく輝いている様子が思われました。また、水鏡に臨む青鷺の句では、青鷺が「松に身を寄す」という慎ましい姿に、周囲の静寂へ溶け込んでいるように感じられた鳥を思いました。
「本堂の余香に拝し山の涼」では、「余香」という目には見えないものに導かれるように手を合わせ、再び山道へ歩み出していくお姿に、私自身も心が澄んでいくようで、とても高貴なものに思われました。
そして、一連の句も最高潮を迎え、「滝音や巌に還る石仏」と詠まれます。この寺の滝の音は仏の声にも例えられるそうですね。絶え間なく響く滝の音の中で、石仏が長い年月を経て、やがて巌そのものに還っていく時間の流れを作者と一緒に感じ取らせて頂きました。
そして最後の「山涼し落石知らす手書き文字」では、それまでの幽玄な世界から、急に現実の山道へ戻されました。「手書き文字」には、単なる注意書きにはとどまらない人の気配と温かさがありました。”落石への注意”という緊張を含みながらも、ほっとする余韻が残り、一連の句を静かに現実の世界に着地させている心地がしました。
六句を通して、実際に私自身が巡礼の道を辿ったような読後感がありました。自然、信仰、歴史、そしてこの世の人の営みがつながった、私にとって新たに記憶に残る一連の俳句となりました。
②多田有花(2026年7月日24日)
「俳壇」8月号への掲載おめでとうございます。
花冠7月号の『ひとり吟行記』も拝読しました。
YouTubeで「虎渓山永保寺」の動画を探してみました。
とても立派な庭園で観音堂に通じる無際橋の形が印象的です。
これだけのお寺と庭園が無料で拝観できるというのに驚きました。
土岐川に若葉の潤む風の朝
虎渓山永保寺の東を流れる土岐川。
愛知県に入ると庄内川になりますが、多治見市あたりでは
豊かな自然が残っていることでしょう。
滝音や巌に還る石仏
こちらは梵音岩から飛瀑泉へと流れ落ちる滝の音と
その反対側の斜面にある石仏の様を詠まれたものですね。
静かに移り行く時の流れを感じさせます。
①高橋秀之(2026年7月21日)
「俳壇」8月号「虎渓山」掲載おめでとうございます。
一息に坂登り来て青紅葉
最後の急な坂道を一息で登る切る。その先に広がる青紅葉。
やり切った充実感と相まって素晴らしい光景をそこに感じます。
滝音や巌に還る石仏
滝の音には不思議な落ち着きを感じさせてくれます。
その落ち着いた雰囲気が石仏さまをより厳かに見せてくれます。
●暑さの続くこのごろ、お変わりなくお過ごしでしょうか
本日7月9日(木)に花冠7月号(No.375)を南日吉郵便局
から発送しました。
皆様のお手元に届くのは、ノ7月13日(月)以降となります。
ごゆっくり、お読みください。
なお、受け取られましたら、下のコメント欄に、その旨お書きください。よろしくお願いいたします。
暑さの折、ご自愛くださいまして、ご健吟ください。
2026年7月9日
花冠代表 髙橋正子
【七月号の訂正】
月例ネット句会報告のページ
誤 読後に、口中が洗
↓
正 読後に、口中が洗われるような爽やかさが残る。
大変失礼しました。 (髙橋正子)
この度、花冠俳句叢書・別巻①として俳句的観照による詩集『帰還』を、30部限定で出版いたしました。句集ではなく、詩集です。
【内容】
花冠俳句叢書・別巻①
全15詩篇、74ページ。用紙はアラベール紙スノーホワイト
目次は以下の通りです。
①帰還 ②チェロ ③三月の雨 ④十四歳 ⑤粉雪 ⑥サフラン
⑦千光寺山 ⑧小景1 ⑨小景2 ⑩楽隊 ⑪マリエンベルク
⑫ゲーテの家 ⑬ガーデンパーティ ⑭夜の航 ⑮藤棚の下
詩篇「帰還」より
私は 今
私の言葉の生まれる
木陰の泉に
帰還できた
【価格】
税込2,200円+送料(実費)です。
【発行日】2026年6月10日
★詩集『帰還』をお求めくださった皆さまに、心より御礼申し上げます。 寄せられた感想の言葉にも、深く励まされました。
おかげさまで、限定部数はすべて行き渡り、手元に残部はなくなりました。 ご希望に添えない方がおられましたら、どうそお許しください。
★お知らせ
このたび、詩集『帰還』は、日本現代詩歌句文学館にて永久保存の蔵書として迎えられることになりました(7月1日付)。
登録番号 443710 著者名/髙橋正子 書名/帰還
以上のほか、東京大学文学部図書室、神奈川近代文学館、日本ドイツ文化研究センター、国際日本文化研究センター、コロンビア大学など、いくつかの研究機関・文学館に寄贈いたしました。
詩集を寄贈したのは、自分のためではなく、両親から受け継いだ感受性と、長い年月そばで支えてくれた人々への静かな感謝の気持ちからでした。感受性だけでも、努力だけでも作品は生まれません。その二つが重なったとき、言葉は形になります。
その源を示してくださった西村先生、そして、私の歩みを見守ってくれた亡き夫にも、お礼を込めて、詩集を未来へ手渡すつもりで寄贈いたしました。
2026年7月7日
髙橋正子
★詩集『帰還』を読んで★
④高橋秀之(2026年8月16日)
高橋正子先生の詩集『帰還』を拝読いたしました。
普段「詩」というものに接していないので、感性的なものでしかないのですが、俳句的「観照」による詩というものは、静かなまなざしで観る日々の中でふと立ち現れる気配や、言葉になる前の俳句的な鑑賞がベースとなる詩が、ひとつひとつに落ち着いた深みを与えているのではないかと思いながら読ませいもらいました。
15編全てにおいて行間を明らかにしているのがいい。新聞の投稿欄でたまに見かける詩は数行ごとに区切るのではなく、前後編ぐらいのイメージがありますが、この、数行ごとの区切りが俳句的鑑賞に近いものかなと、感じます。
帰還
全文を通して、目の前の光景を形にしているようで、幻想的な佇まい、感傷を抱かせてくれました。最後の「青すじ揚羽が 暗黙のうちに あなたと私の前を ひらひらと よぎった ひとつの祝福」が一つ一つの情景、思いを明確に紡ぎ、幸せな空間、時間を表現されていると感じます
千光寺山
千光寺はこれまで何度も行きました。アニメの聖地巡礼、妻との旅行、時間合わせのぶらり一人旅。いろんな目的で行きましたがその度に異なる風情、景観を感じさせてくれる不思議なところです。そんな千光寺。詩集からは花見を楽しむ家族連れ、お仕事なのかタイトスカートで歩く女性、公園の管理人、ビールの売り子さんなど日常の折り重なる空間、時間。そんな錆びたドックの静けさが終戦後の間もない時期を思い起こさせてくれます。晴れた空が、戦後の平和を感じさせてくれるのでしょう。俳句だと区切りごとに5つの情景があるのが、一連の流れで紡いでくれる。これもも俳句的観照のいいところなのだろうと思い名が読んでました。
③吉田晃(2026年7月25日)
「帰還」を拝読して
私は詩を知らない。知らない者がコメントをする。素人には素人の感覚があって、却って言葉足らずの感覚が的を射ることもある
かと、逃げ道を作りながらの鑑賞。
最初に感じたことは、表向き軽い言葉で書かれた裏に深い意味があるということだった。それを感じたのは詩の流れにある空白の
一行だった。前の一節から後の一節の間のこの一行が、読み手に考える楽しさを与えてくれる。
作者の見た風景や浮かんだ思考の一節が、この一行で軽くジャンプする。読み手はこのジャンプした一行に何が隠れているのだろ
うかと、読み進むのを停止して考える。僅かな時間だが、その考える時間が楽しいのである。
信之先生は、省略の大切さを教えてくださった。具体的には「捨てなさい」であった。俳句と同じで、無駄なものが省略され簡素
になればなるほど奥深さが増し鑑賞が楽しくなる。そう思っていたら、髙橋信之著「芭蕉とネットの時代」を読み直してみたくなっ
た。
本書の最初の「虚と実」について、『俳句は、いくら写生が重視されても、結局人間の心をうたうものなので、現実の世界を取り扱
いながらも、その現実的な表面ではない、物の本質を見失ってはならないのである』と述べておられる。
正子先生の詩からは、その「物事の本質」が感じられ、読み手に、優しく味わい深く、時には懐かしさを味わわせてくれる。
信之先生は書の中で芭蕉の句を以下のように評価しておられる。
閑さや岩にしみいる蝉の声 芭蕉
俗を離れた静寂の境地。
正子先生のどの詩を読んでも、とんがったところ、硬いところ、
心に浮かんだことを日常の磨かれた言葉で表現しておられる。
話を信之先生の書にもどすが、「俗談平話を正す」では、
「はいかいは何のためにする事ぞや」の問いに対して、芭蕉は「
正子先生の詩には、難しい単語やフレーズがない。納得しながら、
それは、「磨き正され、鍛え上げた日常の俗語」
正子先生の作品の素晴らしさは、
正子先生ご自身の世界を大切にし、
そしてこの題である「帰還」そのものから、
②上島祥子(2026年7月3日)
「帰還」を拝読して最初に気づいたのは、平仮名表現の多さです。
漢字表記と比べて、言葉がゆっくりと読み手の中に入っていきます。さらに、改行や行間の空きによって言葉のスピードはより落ちていき、読み手の意識の中に言葉が沈み、作者の意識と読み手の意識が共鳴する効果が生まれています。読み手の言葉の受け取りスピードを調整することで、詩の中の「あなた」の姿が立ち上がり、主題である「言葉の生まれる源に帰還できた」ことが瑞々しく伝わってきます。
「帰還」は、表現の細やかな工夫によって「あなた」との出会いを丁寧に読み手に伝えています。そしてそれが、作者の詩の世界に招かれ、詩の世界への旅の始まりとなっています。続く詩篇を読んでいくと、詩集『帰還』におさめられた詩のどれにも、人物がいることに気づきます。「チェロ」「十四歳」「千光寺山」のように直接登場するものもあれば、「小景Ⅰ」「小景2」のように、人の気配を感じさせるものもあります。作者は、記憶の中で他者と静かに繋がりそれこそが言葉を生み出す源であると考えました。そして最後に置かれた「藤棚の下」では、「帰還」と同じようにゆっくりとした語りが続き、読み手の詩の旅は静かに終わり、現実世界へと丁寧に送り返される感覚を持ちました。
大変勉強になる一冊で、繰り返し読みたいと思います。
上島祥子
①川名ますみ(2026年6月25日)
本日、御著書『俳句的観照による 詩集 帰還』を拝受しました。貴重な一冊をありがとうございます。先ほど、お振り込みいたしました。
優しい手触りの紙に、原点への「帰還」に相応しい白、無駄のない、きりりとした装丁がすてきですね。
これらの詩は、正子先生のリルケへの詩返に寄せられた、西村先生のお手紙を契機に生まれたとのこと。西村先生の価値判断の確かさと、それを受け止める正子先生の姿勢が、胸に響きました。私も、西村先生から頂戴したお言葉を、深く受け止めたく存じます。
詩集は、まだ一読したばかりですが、正子先生の俳句と同じく、ややこしい言い回しや象徴、暗喩のための言葉がなく、呼吸をするリズムで読み進むことができました。
詩人、リルケに誘われ、信之先生に迎えられ、ご自身の言葉が生まれた場所に帰還されたのでしょう。これまでの人生の記憶、お祖母さまやご両親のお姿、故郷やヨーロッパの景色、そして信之先生とのお別れまで、それらすべての経験が「言葉の泉」であったと振り返る、一冊の旅のような詩集と感じました。
また、ほぼ全ての詩には、季節と自然が描かれ、俳句のように、その季節でなければ完成しない出来事が綴られています。
けれど、私の読んだ限りでは、『チェロ』だけに、自然の描写が見当たらなかったように思います。
「チェロが背負われていく」という出だしから、ロマンティックな内容も想像しますが、最後は「私は / ただ 都会に置かれている」と締めくくられます。「都会に置かれている」孤独のために、ここには自然も季節も書かれなかったのかもしれません。
特に共感した作品は、『サフラン』です。サフランは、母が父の釣果でブイヤベースを作るため、わが家に常備していましたが、こんなふうに大切に作られている様子は、存じませんでした。
「いとおしみ」と呼ぶほど、サフランを愛し、育て、くすりとしたお祖母さまは、きっと「土とサフランの匂い」がしたことでしょう。「くすのきのふくろうを知っていた」のも宜なるかな。
「くすのきのふくろう」には、童話のような奥行きを感じますが、そのために作られた言葉でなく、自然を描写する中で選ばれた言葉が、象徴や暗喩を想わせるのでしょう。これも、俳句らしさかと感じます。
『楽隊』にも、共鳴いたしました。身体に溢れるほど音楽を詰め込んだ学生は、楽器を抱え、佇むだけで、音楽を立ち湧かせます。
2歳からヴァイオリンを抱えている友人は、楽器を背負っているのに気づかれないことがある、と話していました。体と一体化するほど、馴染んでいるのでしょう。
そんな楽隊の学生達が「沈黙の音楽」を奏でることに、不思議はありません。その気付きの過程が、夏のライン川の岸辺に無駄なく紡がれた、美しい詩。詩の静かさからも、音楽が聴こえるようです。
まだ、ぱらぱらと捲ったばかりですので、これから折に触れて何度も拝読したいと存じます。新たな詩の楽しみを授けていただき、ありがとうございました。再読が楽しみでなりません。
このような「帰還」と創作を成し遂げられた後ですから、お疲れもおありのことと存じます。どうぞしばらくはご無理なさらず、お体をおいといくださいませ。
川名ますみ
●花冠7月号(No.375)雑詠投句依頼 NEW!
今年も梅雨入りがまじかとなりました。最近の気温の急な変化に、体調をこわされておられませんか。
花冠7月号(No.375)の発行準備を進めております。つきましては、下記の要領で雑詠投句をよろしくお願いします。
記
期日:本日より6月15日(月)まで。
投句場所:下のコメント欄
内容:雑詠15句(以前俳誌「花冠」に投句された句はご遠慮ください。
2026年6月6日
花冠代表 髙橋正子
散文原稿は、下のコメント欄に投稿してください。よろしくお願いします。今月の散文は、以下を予定しています。
①信之先生の俳句鑑賞(吉田晃)
②「港に働く」(二)(高橋秀之)
③ひとり吟行記(上島祥子)
④往復書簡(髙橋正子)
⑤リルケと俳句と私(髙橋正子)
花冠同人の多田有花さんが、以下の電子書籍を出版されました。有花さん、出版おめでとうございます。ぜひ、お読みくださいますよう、お薦めします。
⑥『風鈴―優嵐歳時記抄2009』NEW
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⑤『夏木立―優嵐歳時記抄2008』NEW
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①『光の春ー優嵐歳時記抄2004』
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④『若草–優嵐歳時記抄2007』
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VIII『三千万人の日本へ』NEW
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VII『縮小日本のダンケルク』
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Ⅰ『特定保健指導の闇:健康情報は守られているか』
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Ⅱ『長呪社会—すべての人に緩和ケアを』
https://amzn.to/4oWC9kh
2001年から2005年の5年間。この時代がどんな時代であったかにも思いを寄せつつ、「好きな句」というより「直感的に気に入った句」をいくつかあげさせていただき、感想に代えさせていただきます。(ちなみに、デスクトップに貼り付いてので、いつでも見れる状況にあります)
陽光をひらりかわして初燕
燕の巣は軒下の太陽の光を避けたところにあります。そんな巣に戻ってくる親燕の様子が、ひらりかわして(躱している)と感じられたのでしょう。このころは大阪市内でもまだ見かけていたと記憶していますが、今は全くといっていいほど都市部では見かけなくなりました。
夏富士の空の青さへ日の丸を
この時期は、まだ水煙入会前でしたので、みなさまのお話でしたか存じ上げませんが、素晴らしいリーディングの会であったということは想像に難くありません。その素晴らしい句会がひとつのページになって、素敵な写真と対をなす。いいページだと思います。
秋風に水輝きて流れけり
水の輝きは、水の流れと同じで、同じ輝きはなく、その一コマ一コマが唯一無比の輝きです。流れゆく輝きは、20年のときを過ぎても悠久の輝きとして連綿と続いていることでしょう。
追記
たまたまこの時期は、長男、次男が産まれた時期に当たります。直接は関係ないことではありますが、そういった自分の歴史?も思い出させていただきました。
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