俳句的観照による 詩集『帰還』(髙橋正子著)紹介

この度、花冠俳句叢書・別巻①として俳句的観照による詩集『帰還』を、30部限定で出版いたしました。句集ではなく、詩集です。
【内容】
花冠俳句叢書・別巻①
全15詩篇、74ページ。用紙はアラベール紙スノーホワイト
目次は以下の通りです。
①帰還 ②チェロ ③三月の雨 ④十四歳 ⑤粉雪 ⑥サフラン
⑦千光寺山 ⑧小景1 ⑨小景2 ⑩楽隊 ⑪マリエンベルク
⑫ゲーテの家 ⑬ガーデンパーティ ⑭夜の航 ⑮藤棚の下
詩篇「帰還」より
  私は 今
  私の言葉の生まれる
  木陰の泉に
  帰還できた

【価格】
税込2,200円+送料(実費)です。
【発行日】2026年6月10日

★詩集『帰還』をお求めくださった皆さまに、心より御礼申し上げます。 寄せられた感想の言葉にも、深く励まされました。
おかげさまで、限定部数はすべて行き渡り、手元に残部はなくなりました。 ご希望に添えない方がおられましたら、どうそお許しください。

★お知らせ
このたび、詩集『帰還』は、日本現代詩歌句文学館にて永久保存の蔵書として迎えられることになりました(7月1日付)。
登録番号 443710 著者名/髙橋正子 書名/帰還

以上のほか、東京大学文学部図書室、神奈川近代文学館、日本ドイツ文化研究センター、国際日本文化研究センター、コロンビア大学など、いくつかの研究機関・文学館に寄贈いたしました。

詩集を寄贈したのは、自分のためではなく、両親から受け継いだ感受性と、長い年月そばで支えてくれた人々への静かな感謝の気持ちからでした。感受性だけでも、努力だけでも作品は生まれません。その二つが重なったとき、言葉は形になります。

その源を示してくださった西村先生、そして、私の歩みを見守ってくれた亡き夫にも、お礼を込めて、詩集を未来へ手渡すつもりで寄贈いたしました。
2026年7月7日
髙橋正子

★詩集『帰還』を読んで★
③吉田晃
(2026年7月25日)
「帰還」を拝読して
私は詩を知らない。知らない者がコメントをする。素人には素人の感覚があって、却って言葉足らずの感覚が的を射ることもある
かと、逃げ道を作りながらの鑑賞。
最初に感じたことは、表向き軽い言葉で書かれた裏に深い意味があるということだった。それを感じたのは詩の流れにある空白の
一行だった。前の一節から後の一節の間のこの一行が、読み手に考える楽しさを与えてくれる。
作者の見た風景や浮かんだ思考の一節が、この一行で軽くジャンプする。読み手はこのジャンプした一行に何が隠れているのだろ
うかと、読み進むのを停止して考える。僅かな時間だが、その考える時間が楽しいのである。
信之先生は、省略の大切さを教えてくださった。具体的には「捨てなさい」であった。俳句と同じで、無駄なものが省略され簡素
になればなるほど奥深さが増し鑑賞が楽しくなる。そう思っていたら、髙橋信之著「芭蕉とネットの時代」を読み直してみたくなっ
た。
本書の最初の「虚と実」について、『俳句は、いくら写生が重視されても、結局人間の心をうたうものなので、現実の世界を取り扱
いながらも、その現実的な表面ではない、物の本質を見失ってはならないのである』と述べておられる。
正子先生の詩からは、その「物事の本質」が感じられ、読み手に、優しく味わい深く、時には懐かしさを味わわせてくれる。
信之先生は書の中で芭蕉の句を以下のように評価しておられる。
閑さや岩にしみいる蝉の声      芭蕉

俗を離れた静寂の境地。これほど物の本源深くを詠んだ句は芭蕉以前にも以後にもないであろう。

正子先生のどの詩を読んでも、とんがったところ、硬いところ、奇をてらったところが感じられない。私の心の内を聞かせてやろう、読ませてやろうというところがない。

心に浮かんだことを日常の磨かれた言葉で表現しておられる。正子先生の作品は、ご自身の心の呟きである。だから、読み手にとってこの詩が身近に感じられ、これらの詩の中に自然に引き込まれていく感覚にとらわれて、手を休めることなく読み進められるのだと思う。

話を信之先生の書にもどすが、「俗談平話を正す」では、

「はいかいは何のためにする事ぞや」の問いに対して、芭蕉は「俗談平話をたださむがためなり」と答えている。「平話」とは日常的な言葉のことである。芭蕉は俗な言葉をただし、俗な言葉を使用したのである。それは、詩語といったものではないが、決して低俗な日常語ではなく、磨き正され、鍛え上げた日常の俗語なのである。

正子先生の詩には、難しい単語やフレーズがない。納得しながら、理解しながら読み進むことができる。そして、先ほど述べたように空白の一行に差し掛かった時、正子先生の思いや描かれている風景を想像し、読み手はそれを解釈する時間を楽しめるのである。

それは、「磨き正され、鍛え上げた日常の俗語」を使っておられるからだと思う。作品は作者のものだが、作者の想いや風景、行為・行動などを読み手なりに解釈した時、それは読み手の体験と重なり、この詩は読み手のものになる。その感覚が「帰還」にはある。だから、同じところを読み返せば、また読み手の心に蓄積されている別の体験が浮かんで来るのである。。
正子先生の作品の素晴らしさは、言いたいことの全てを時系列に羅列したものでなく、私はこう考えているのですよ、ここはこう解釈してくださいと押し付け、読み手の気持ちを無視して読み手の心に無理やり入り込んでくる作品との大きな違いが感じられるからだろう。

正子先生ご自身の世界を大切にし、他を意識せずに書かれているところに魅かれるのである。「俳句は作者の手を離れた時、読み手のものになるのですよ」という信之先生の教えを思い浮かべるが、解釈の全てを読み手に委ねている「帰還」からは、俳句と全く同じものを感じ取ることができるから、体の力を抜いて自由に観賞でき、もう一度読み返したい気持ちになるのであろう。

そしてこの題である「帰還」そのものから、作者が積み重ねてきた人生を感じることができる。

②上島祥子(2026年7月3日)
「帰還」を拝読して最初に気づいたのは、平仮名表現の多さです。
漢字表記と比べて、言葉がゆっくりと読み手の中に入っていきます。さらに、改行や行間の空きによって言葉のスピードはより落ちていき、読み手の意識の中に言葉が沈み、作者の意識と読み手の意識が共鳴する効果が生まれています。読み手の言葉の受け取りスピードを調整することで、詩の中の「あなた」の姿が立ち上がり、主題である「言葉の生まれる源に帰還できた」ことが瑞々しく伝わってきます。

「帰還」は、表現の細やかな工夫によって「あなた」との出会いを丁寧に読み手に伝えています。そしてそれが、作者の詩の世界に招かれ、詩の世界への旅の始まりとなっています。続く詩篇を読んでいくと、詩集『帰還』におさめられた詩のどれにも、人物がいることに気づきます。「チェロ」「十四歳」「千光寺山」のように直接登場するものもあれば、「小景Ⅰ」「小景2」のように、人の気配を感じさせるものもあります。作者は、記憶の中で他者と静かに繋がりそれこそが言葉を生み出す源であると考えました。そして最後に置かれた「藤棚の下」では、「帰還」と同じようにゆっくりとした語りが続き、読み手の詩の旅は静かに終わり、現実世界へと丁寧に送り返される感覚を持ちました。
大変勉強になる一冊で、繰り返し読みたいと思います。
上島祥子

①川名ますみ(2026年6月25日)
本日、御著書『俳句的観照による 詩集 帰還』を拝受しました。貴重な一冊をありがとうございます。先ほど、お振り込みいたしました。

優しい手触りの紙に、原点への「帰還」に相応しい白、無駄のない、きりりとした装丁がすてきですね。

これらの詩は、正子先生のリルケへの詩返に寄せられた、西村先生のお手紙を契機に生まれたとのこと。西村先生の価値判断の確かさと、それを受け止める正子先生の姿勢が、胸に響きました。私も、西村先生から頂戴したお言葉を、深く受け止めたく存じます。

詩集は、まだ一読したばかりですが、正子先生の俳句と同じく、ややこしい言い回しや象徴、暗喩のための言葉がなく、呼吸をするリズムで読み進むことができました。
詩人、リルケに誘われ、信之先生に迎えられ、ご自身の言葉が生まれた場所に帰還されたのでしょう。これまでの人生の記憶、お祖母さまやご両親のお姿、故郷やヨーロッパの景色、そして信之先生とのお別れまで、それらすべての経験が「言葉の泉」であったと振り返る、一冊の旅のような詩集と感じました。

また、ほぼ全ての詩には、季節と自然が描かれ、俳句のように、その季節でなければ完成しない出来事が綴られています。
けれど、私の読んだ限りでは、『チェロ』だけに、自然の描写が見当たらなかったように思います。
「チェロが背負われていく」という出だしから、ロマンティックな内容も想像しますが、最後は「私は / ただ 都会に置かれている」と締めくくられます。「都会に置かれている」孤独のために、ここには自然も季節も書かれなかったのかもしれません。

特に共感した作品は、『サフラン』です。サフランは、母が父の釣果でブイヤベースを作るため、わが家に常備していましたが、こんなふうに大切に作られている様子は、存じませんでした。
「いとおしみ」と呼ぶほど、サフランを愛し、育て、くすりとしたお祖母さまは、きっと「土とサフランの匂い」がしたことでしょう。「くすのきのふくろうを知っていた」のも宜なるかな。
「くすのきのふくろう」には、童話のような奥行きを感じますが、そのために作られた言葉でなく、自然を描写する中で選ばれた言葉が、象徴や暗喩を想わせるのでしょう。これも、俳句らしさかと感じます。

『楽隊』にも、共鳴いたしました。身体に溢れるほど音楽を詰め込んだ学生は、楽器を抱え、佇むだけで、音楽を立ち湧かせます。
2歳からヴァイオリンを抱えている友人は、楽器を背負っているのに気づかれないことがある、と話していました。体と一体化するほど、馴染んでいるのでしょう。
そんな楽隊の学生達が「沈黙の音楽」を奏でることに、不思議はありません。その気付きの過程が、夏のライン川の岸辺に無駄なく紡がれた、美しい詩。詩の静かさからも、音楽が聴こえるようです。

まだ、ぱらぱらと捲ったばかりですので、これから折に触れて何度も拝読したいと存じます。新たな詩の楽しみを授けていただき、ありがとうございました。再読が楽しみでなりません。

このような「帰還」と創作を成し遂げられた後ですから、お疲れもおありのことと存じます。どうぞしばらくはご無理なさらず、お体をおいといくださいませ。
川名ますみ

 

 

●花冠7月号(No.375)雑詠投句依頼 NEW!

●花冠7月号(No.375)雑詠投句依頼 NEW!
今年も梅雨入りがまじかとなりました。最近の気温の急な変化に、体調をこわされておられませんか。
花冠7月号(No.375)の発行準備を進めております。つきましては、
下記の要領で雑詠投句をよろしくお願いします。
  記
期日:本日より6月15日(月)まで。
投句場所:下のコメント欄
内容:雑詠15句(以前俳誌「花冠」に投句された句はご遠慮ください。

2026年6月6日
花冠代表 髙橋正子

花冠7月号(No.375)の散文原稿

散文原稿は、下のコメント欄に投稿してください。よろしくお願いします。今月の散文は、以下を予定しています。

①信之先生の俳句鑑賞(吉田晃)
②「港に働く」(二)(高橋秀之)
③ひとり吟行記(上島祥子)
④往復書簡(髙橋正子)
⑤リルケと俳句と私(髙橋正子)