2026年9月28日 22:44
曇り
アスファルト青松虫の声ひびき 正子
雨通す白曼殊沙華のさびつつに 正子
ビニールの袋の中の茄子の艶 正子
●You Tubeのクラッシックを聞きながら、書いたり、読んだり、手仕事をする。なかなか自分にぴったりなのがなかったが、「クラシックの森」というチャンネルを見つけた。これはちょうどいい。「朝」といえば「ペールギュント」、「静か」と言えば「月の光」、というふうではないので救える。
●みよさんが秋月という大きな梨を送ってくださる。あまり大きいので、びっくり。月のような梨。たしかに秋月(あきづき)の名にふさわしい。
●今日詩集『RETURN』を入稿する予定で、実際入稿できる段階になった。目次の余白が開きすぎて気になる。あと1行あるといい。そしてPreface を目次ページに書いてはどうかと思いついた。すると、英詩集では、その形式が多いというから、問題は解決。7回目刷りだしたが、もう一度刷りだした方が良い気がしている。明後日入稿予定。
●先日文部大臣が、東大の教育研究学科長にH教授のSNSでの発言に注意したという記事。東大は文部省の管轄下なのだと、改めて思った。政治家の言語と科学者の言語は構造的に階層が違い、齟齬が起きるている感じがした。その上、SNSでの発言は切り取られやすい。SNSで、誰でも発言できるようになっている。しかし、発話原語には、社会的言語、科学的言語、文学的言語、これらがあるが、すべて一つの人間の言語として一からげにされている。立場による使う言語が違うというころが理解されていないのではないか。
昭和時代は、その句会にはその句会の言語があったと思う。同じ層の言語を使う人たちだ。言語の深度が違う。「違う俳句の考えの人と句会ができますか」という発言も聞かれた。
テレビの俳句も、花冠の俳句も、社会では同じ俳句にされてしまう。別の結社の句友は、主宰に「あれを、俳句と思ってもらっては困る」と宣言したという。俳句は、小さい共同体の言葉である。大衆的娯楽俳句と、真面目に俳句を作っている人の俳句は言葉が違う。それがわかるかな、役所やメディアの人達よ。一緒にしているんじゃないかな。
大衆的娯楽となった俳句こそが民主主義と思うかもしれない。文学への参加は民主的であるが、文学が書く内容は民主主義とは基本的には相いれない。俳句は必ずしも文学である必要はないだろうし、大衆的娯楽である必要もないだろう。俳句にも、使われる言語の階層があるということだろう。
2026年9月28日 05:34
曇ったり、小雨になったり
雨ののち虫音路澄むなり濡れし路 正子
●明日『RETURN』を入稿したいので、一日原稿の手直しと校正。
インデントはMarching Band だけにしている。見た目を見ながら。
●俳壇十月号の『秋の野鳥歳時記』の正子の記事について、美知子さんと晃さんから感想のメールがあった。晃さんは臥風先生の「その人の身になって読む」というところを、取り上げていた。これは意外とむずかしいことなので、少し訓練が要ると思った方がいい。
●秋雨が続くので、ダニに気をつけなければいけない。どうすればいいのか。すのこベッドはダニには有効かと思うがそうではなく、敷布団の湿気が下にたまりやすいとのことで、ベッドの下に湿気がたまらないようにしないといけないというので、毎朝起きたら、敷布団を立てておき、羽毛布団は椅子に掛けておくとよいらしい。
2026年9月28日 05:20
小雨
月の夜窓辺のベッドに寝むらんと 正子
柿供う薄づく色のしずかにも 正子
●『世紀末ウィーンの知の光景』第5章からの俳句的示唆の文章を書き替え、半分に減らした。題名も「つつましき初光」から、「つつましき炎」に変えた。
力不足の領域は、長く書くか、短く書くかのどちらか。中ぐらいが一番いけないと知る。力不足の領域は、間違いなく印象に残っているところを書き、具体的に書かかない。必ず思わぬところで不整合が見つかる。
●賞に応募しようと思っている英詩3篇を検討。あまり推敲しすぎてもいけない。正子の俳句も、詩も地味なので、賞には合わない。文学館向け。賞の一次審査を通過するのは難しいと分かっている。一次審査に当たる人の質も問題なのだろうが、万一ロングリストにでも残るようなら、これは上出来で、内容が浸透していく可能性はある。運を天に任すしかない。対策は効果的ではなさそう。
2026年9月26日 10:28
曇り
中秋の月の下なり曼殊沙華 正子
中秋の月を刷きつつ雲流れ 正子
中秋の月の上がれば雨気はう 正子
虫の音のことに澄むなり菊匂い 正子
●以前には、Facebookと言っていたメータの更新情報がパソコンの右下のポップアップに届く。めったに見ないが、今朝は見た。気になったのは、今大御所と言われる俳人の句について、違和感を覚えた。それは「軽さ」についての疑問である。
これから書くことは、「俳句」を芸術と考えるか、そうでないと考えるかで、コミットは変わってくる。芭蕉を尊敬すれば、俳句を芸術と考えることになる。その立場から言えば、現代俳壇の「軽さ」俳句的には「軽み」と言われることは、それが、軽妙さではなく俗化の寄っているのではないかということを感じている。精神の軽さ・俗語の軽さ・日常会話の軽さに傾いている。
原因と思えることは、多くはない。表面的にはいろいろあるが、それは基本的には一つのことに原因があると思える。句会受け、わかりやすさへの過剰な迎合など、「軽さ」美学ではなく「浅さ」になっている。
なぜ、俗っぽくなるか。
句会中心の文化で共感、受けが優先される。俳句人口の拡大で、言語訓練がない層が多数になり、多数決の気分がある。趣味の共同体となり芸術性が後退した。評論の質が落ちている。言語の高さを評価する回路が百大家している。俗語が新しい、面白い、と評価される。このようにした、俗っぽさが軽さになっている。
60年俳句を作って見てきた世界は、こうも変わったと言う気持ち。こうなれば、私は現俳壇とは関係ありませんとなるのも仕方がない。俳句は最後は「軽み」を目指しているが、それは、深い精神性にささえられていないと、軽くならない。浅いまま。深い精神性は、物事をわざとずらして詠むことは含まない。
2026年9月24日 22:07
晴れ
秋蝶の真青な空へとは飛ばず 正子
彼岸花吹き出し咲けり道あれば 正子
秋晴れてローズマリーの小さき花 正子
●昨日の小雨と打って変わって、午前中は快晴。 病院へ行くバスが定刻より早く来て乗り遅れ、歩いて行く。帰りも歩いて帰る。道脇にローズマリーがよく育ち、花が咲いていた。道脇にある保育所のビオトープも覗く。
医師は「どこも悪くない」と言いながら、小さな不具合を指摘。体もここまで来れば、摩耗している。薬を増やすので、その前に検査が必要。自由が丘のメディカルスキャニングを紹介された。ほかの検査は来月クリニックでするとのこと。自由が丘と聞いて、ちょっと億劫。看護師に話を聞きながら、しぶりつつ、検査に行くことに決めた。自由が丘なので、新しくできたビルの見物と、お菓子道具の店、砥部焼の店を覗き、ついでに、ダロワイヨの本店に寄ってみようかと、物見遊山の気持ちが浮かんできた。
●友人二人と入れ替わり電話。ふたりとも「俳壇」10月号を送ったので、それについて。晴美さんの手紙が今日届いた。「リルケと俳句と私」より、文章が柔らかいと言う。今回はエッセイ。同じエッセイでも違うという。エッセイと言う日本語が正確に使われていないから、こんな感想になるのだろうと思った。
Mさんとは、彼女の俳句先生と、中高時代の先生の話。俳句の話はほとんどしない。
2026年9月23日 18:14
曇り
熟れる前の稲田きみどり広々と 正子
●夜半
昨夜は早く床に就いたわけではないのに、今朝、二時半ごろ目が覚めた。すぐには眠れないので詩集の編集をする。昨日は Preface と “Return” の一篇が済んだので、今日は二篇目から。
詩によって言葉の種類を選ぶ必要がある。今選んでいる語は、やや抒情が入っている。英詩はもっと硬質で、硬質な語を選ぶとネイティブらしくなることに気づいた。たとえば shining leaves ではなく glossy leaves にするなど。カンマ、ダッシュ、ピリオドも慎重に検討する。六時前には疲れて朝食にした。
●墓参。雨の様子をネットで確かめ、もっとも安全と思われる午後一時に家を出る。バスは比較的順調で、いらいらすることもなく道着いた。
電車の窓から見ると雨は降っていないようだが、傘をさしている人がいる。田んぼは黄緑色で、まだ熟れていない。信之先生の葬式の日、六月四日には植田だったから、目の前の田も六月初めに田植えをした田なのだろう。
雨は上がらず、ずっと小雨だった。お彼岸なので花が多く手向けられ、墓参の人もまばらにいた。道脇には名残りの紫陽花と、ていかかずらが咲いていた。往復四時間かかるので、墓参も一仕事になった。
バスの中で『RETURN』の序の文言を思い浮かべていた。書かなければならないのに気づいていなかった。日本語の序とはまったく違い、海外向けなので思わぬミスが出る。
●留守の間にコープの配達。墓から帰ったのは夕方5時。青々とした青蜜柑が届いた。一つ食べる。甘いのに驚く。青蜜柑の酸っぱさがない。期待外れというか、これでいいものか、どうか。それに黒砂糖の水ようかんも届いた。冷えていたのですぐ食べる。黒砂糖がマイルドで、美味しい。仏壇のおさがりの黒糖饅頭も玄米茶でいただく。黒糖ずくし。とらやの「おもかげ」も好きなので、われながら、よほど黒砂糖がすきなのである。わらび餅も黒砂糖を入れて作るし。
2026年9月23日 06:49
晴れ
台風一過つくつく法師鳴き出だす 正子
●台風は東の海上に抜け、朝からすっきり晴れた。鎌倉はひどい冠水。この冠水のレベルは、わたしも句美子の家を訪ねた日に経験した。雨が止めば一気に水が引く。
●『RETURN』の編集。主にPrefaceの部分の手直し。言葉から沈黙への道を感じるかもしれないの一行を加える。
Perhaps some feel that this collection traces a path from language to silence.
RETURNの詩の多くに言えることなので、これを加えて、読みの方向を示す。
2026年9月21日 21:27
雨
金木犀の匂い空より降り来る 正子
●台風25号が、近づいている。鎌倉の道路は冠水している。スマホに警報が数度鳴る。
●ゆうまくんのアクリル写真が届いたので、組み立てて仏壇の上に飾った。信之先生の写真と、元希君、侑真君の孫二人の写真と一緒飾った。信之先生も男の孫二人と一緒で、喜んでいるでしょう。
●詩集『RETURN』の編集。
先ず、フォントのやり直し。Palatino Linotype が詩集に向いているのこのフォントと使ったが、黒々した感じで、力強すぎる。次にBook Antique のフォントにするが、現代的な感じがない。もっと軽い方がいい。Cambriaにした。これが一番現代的に思えるので、このフォントにした。
今日の仕事としてContentsの仕上げがある。終わりが揃わないので、揃え方を調べ、タブ設定を使うことを知った。昨日はWord 文書の統合の仕方を知った。また、今日は、洋書の書式スタイルをかなり知った。Contensts が済んだので、Prefaceを見直し、少し書き直した。書き洩らしていることがあった。危機一髪のところだった。日本語の詩集の『帰還』の序とは、全く違うもので、海外向けに書いた。英語ではあるが、考えていることは、基本的に日本語。日本語の考えがはっきりしていると英語に直すのに困ることは少ない。知らない英語はほとんど使わない。結果、Preface はうまくいった。AIに見せると、C1~C2ぐらいの出来で、英詩人の詩集のPreface としても通用するというので安心。英語俳句を作っていたので、意外と英語の構造に強くなった感じがしている。文学の英語は鍛えられたかもしれない。英語全般ではないが、それでも用は足りている。
●先日某総合俳誌の編集長さんからのメールを頂いたが、そのメールから
ひとつ窺えたことは、私がプロの編集長さんの気持ちが理解できるようになったと言うこと。編集現場を理解した人と見なされているように感じた。
2026年9月20日 20:21
雨
●日曜美術館を見る。ホックニーの画。鑑賞者のひとりは、作家の小田正嗣。彼がときどき挿入する話は文学者であるせいか、私には面白い。ホックニーがタブレット端末で描いた画が展示されていた。カンバスは光らないけれど、タブレット端末は液晶画面のバックライトが発光している。色があざやかになると言う。
●昨日から連休に入って、しかも台風が来ている。雨がだんだんひどくなっているが、集中するのにちょうどいい。
英詩集『RETURN』の編集。Word で別々に作っている原稿を統合しなくてはいけない。その方法を知らなかったが、やり方を見つけた。コピペの必要はない。詩集『帰還』と同じ体裁にする。表紙アラベール200kg、本文90kgを使用する。本文は48ページになる。日本語は78ページだったが、英語なら、48ページになる。値段は日本語と同じ2200円に。25日に入稿できるかもしれない。
●夜の9時を過ぎたのでパソコンの仕事を止めた。目が疲れれ出した。液晶がいけないかもしれない。これからは、9時以降はパソコンをなるべく使わないことにした。
『マルテの手記』と取りだしてある箇所を探す。探している箇所は、マルテが部屋にこっそり入ってテーブルの上の置物を割ってしまう場面。割ったのはオシドリの置物ではなかったかと思う。割れたかけらの中から、紫の色のかけらを拾い上げる。その場面を探している。
●バイオリンとピアノの知らない演奏家の演奏でうまいと思う人がいるとネットで調べる。ほどんどが、大した人なのだ。耳が肥えたのかと思うがそうではないらしく、俳句と同じで、私は「精神の耳」で聞いているのだとAIが言う。西村先生も私の「リルケと俳句と私」を読んで、「精神の目」と言われたが、「精神の耳」もあるのかしらん。初めて聞いた。
2026年9月20日 09:25
曇り
老眼に露草ふたつの青溶かし 正子
●きょうは、ゆうまくんの保育園の運動会に行くため、朝早くから支度。ゆうまくんに、ラグビーボールとあんぱんまんの絵本、ジェリーとジュース。大人には、梨を剥いて、横浜ハーバーのお菓子を持って行く。
ゆうまくんはダンスを披露することになっていたが、立ったまま、皆の様子を観察して、ときどき手を叩いている。ところが、大きい子がトンネルを潜たたり、跳び箱を越えたりするとその中へ行きたがってむずかる。演技が終わったら小さい子は帰っていいらしいので、すぐに帰っって家で遊んだ。家ではかなりふざけてずっこける。疲れたのか昼寝は2時間以上になっている。昼寝の途中抜けて帰った。