曇りときどき晴れ
戸を閉めるときにひと際虫の声 正子
●戸を閉めようと外を覗くと、窓の外は虫の声がはっきりと聞こえる。子供たち家族にも、妹たちにも何事も起こっていないようだ。俳句を作りに出かけるのによさそうな天気だが、体調に不安があるので、家で過ごすことにした。あまり、家事をしない、俳句の仕事も今日の分だけで、週末は本を読んで過ごすことにした。そして、少し気合を入れるために、甘いお菓子を買って来た。読んでいると頭が疲れるのと気分転換に食べる。
『世紀末ウィーンの知の光景』を読みかけている。序章は、感慨深い。五章「平安の喜びを告げるある表現」を読んだ。どんな表現か気になったから。そして今日は、2章「芸術家たちの日本への関心」を読んだ。この章には、新資料や新事実の発掘があるようだ。ここは、文庫本『世紀末ウィーン文化評論集』を読んでいたので、理解しやすい。
5章の「平安の喜びを告げるある表現」は標準語で言えば、「おまえには何も起こりえない」という、記念像も立てられるほどの劇作家アンツェングルーバーの『十字で書く人々』の石割り職人ハンスの言葉として、作家が言わせている。方言であるから、自分の馴染に方言になおして読むとよいと先生は書いてある。明治時代の広島弁なら、「あんたにゃ、なーんも悪りいことはおこりゃせん」とでも言うのだろう。先生は京都弁で「あんたには何(なん)も起こったりなんかせえへん」と言われる。当時のオーストリア人に広く理解されていた言葉のようだ。
元の方言が気になるので調べた。>Es kann dir nix g’schehn! (標準語化:Es kann dir nichts geschehen!)となっている。この言葉は、石割りハンスが人生の苦難を経て得た「悟り」のような安心感を語る場面で使われます。オーストリア方言の nix g’schehn は、 「何も悪いことは起こらない」「おまえは大丈夫だ」という、 民衆的で素朴な慰めのニュアンスを帯びています。<と説明されている。運命への静かな受容、苦難の底にある平安、神の摂理への信頼、民衆的な素朴な安心感とも説明されている。
しかし、この言葉は、民衆にはこれで足りるのだろうが、アンツェングルーバーの『十字で書く人々』では、もっと意味が深い。この言葉に関心をもったヴィトゲンシュタイン、マーラー、クリムト、バール、マウトナーの関わりが深い。私には、難しい。
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