NEW9月3日(木)

曇り

●花冠創刊記念日。句美子の誕生日。
●句美子から頼まれた電気毛布の洗濯。3枚ある。風があったので、よく乾いた。
●お返しの品を2件、デパートから送る予定だったが、疲れた感じがするので、明日に回した。代わりに西村先生の『世紀末ウィーンの知の光景』の第5章「平安の喜びを告げる在る表現」を読む。西村先生は「リルケと俳句と私」(四)を今号も興味深く読んだという手紙をくださった。とにかく、本気で読んでくださっている。それ比べ、私は先生の書物を読んでもなかなか理解できない。アンバランスな関係が生まれている。先生はそれを気にされる方ではないにしろ、少しでも先生への理解を深めようと読んだ。しかし、なかなか先生のことは、感覚的にはわかるのだが、事実としてはわかりにくい。

ウィーン文化と言えば、日本では音楽があまりにも強く伝えられ、文化としての文学は、その影ににある。作家をあまり知らない。フロイト、ヴィトゲンシュタイン、ホーフマンシュタール、ブロッホの名前がせいぜい思いつくぐらい。パプスブルグ家のその後がどうなっているのかも、よくわからない。ウィーンは、私が思うより東にある。いつも西から東へ位置を引き移して考えている。

先生は京都生まれで、文化全体に洗練されたおられる。その洗練された先生がなぜ、私の「リルケと俳句と私」、そして髙橋正子の俳句日記を読まれるのか、全く不思議なのだ。素朴がよいわけでもないだろうし。

今日の第五章の「平安を告げるある表現」は、「なにごとも起こりはしない(なーにもおこりゃせん。)という言葉なのだ。なんだか、これに関係しているように思う。華やかなウィーン文化のなかにある、静かな素朴な光のような「なーにもおこりゃせん」と言う言葉。先生は、こういうのを見つけてほっとされているのかもしれないのだ。今日はそんなことを思った。

そして、「あとがき」の謝辞に中島義道と言うお名前があった。たしか『ウィーン愛憎』と言う本の著者ではないかと思う。この本は、一度買って読み、すっかり忘れて二度同じ本を買っている。ウィーンについて書いた本はありそうでない。そういえば、ウィーン大学から京都大学に留学されていたヴィレ先生と言う方おられた。愛媛大学に集中講義にこられた。昭和44年だったと思う。松山の市民会館でN響のコンサートがあって、信之先生と私、ヴィレ先生と聞いた。ヴィレ先生は、私にコートを着せてくれて、この時の信之先生の慌てようは、今思い出しても傑作だった。


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