2026年9月5日 21:34
曇りときどき晴れ
戸を閉めるときにひと際虫の声 正子
●戸を閉めようと外を覗くと、窓の外は虫の声がはっきりと聞こえる。子供たち家族にも、妹たちにも何事も起こっていないようだ。俳句を作りに出かけるのによさそうな天気だが、体調に不安があるので、家で過ごすことにした。あまり、家事をしない、俳句の仕事も今日の分だけで、週末は本を読んで過ごすことにした。そして、少し気合を入れるために、甘いお菓子を買って来た。読んでいると頭が疲れるのと気分転換のためのお菓子。
●『世紀末ウィーンの知の光景』を読みかけている。序章は、先生の体験があり、感慨深い。序章のつぎに五章「平安の喜びを告げるある表現」を読んだ。「喜びを告げる表現」とは、どんな表現かまず気になったから。そして今日は、2章「芸術家たちの日本への関心」を読んだ。この章には、先生の研究の成果の新資料や新事実の発掘があると知った。それが新しいかどうかは、私にはわからないが、聞いた事がない、初めての感じが、微細な電流のように受け取れる。微細な感応にすぎないが、たしかに感じ取れることなのだ。そして、2章は文庫本『世紀末ウィーン文化評論集』を読んでいたので、理解しやすかった。
5章の「平安の喜びを告げるある表現」は標準語で言えば、「おまえには何も起こりえない」という、記念像も立てられるほどの劇作家アンツェングルーバーの『十字で書く人々』の石割り職人ハンスの言葉として、作家が言わせている。方言であるから、自分の馴染に方言になおして読むとよいと先生は書いてある。明治時代の広島弁なら、「あんたにゃ、なーんも悪りいことはおこりゃせん」とでも言うのだろう。先生は京都弁で「あんたには何(なん)も起こったりなんかせえへん」と婉曲的に言われる。当時のオーストリア人に広く理解されていた言葉のようだ。
元の方言が気になるので調べた。>Es kann dir nix g’schehn! (標準語化:Es kann dir nichts geschehen!)となっている。この言葉は、石割りハンスが人生の苦難を経て得た「悟り」のような安心感を語る場面で使われます。オーストリア方言の nix g’schehn は、 「何も悪いことは起こらない」「おまえは大丈夫だ」という、 民衆的で素朴な慰めのニュアンスを帯びています。<と説明されている。運命への静かな受容、苦難の底にある平安、神の摂理への信頼、民衆的な素朴な安心感とも説明されている。
しかし、この言葉は、民衆にはこれで足りるのだろうが、アンツェングルーバーの『十字で書く人々』では、もっと意味が深い。この言葉に関心をもったヴィトゲンシュタイン、マーラー、クリムト、バール、マウトナーの関わりが深いというより、私には、難しい。
① ヴィトゲンシュタイン
民衆の素朴な言葉が、 不安の底にある静けさを一言で言い当てる力 に強く惹かれている。彼の「語りえぬものについて沈黙する」 という思想の前段階にある、 語りうる平安の言葉となっている。
② マーラー
「不安」と「救済」の間で揺れる音楽が、マーラーを聞いた時の救いの感情をもったという先生自身で実証されている。民衆の慰めの旋律と響くということ。マーラーのところは、身につまされる。
③ クリムト、バール、マウトナー
世紀末ウィーンの「神経質な美」と「不安の美学」を体現した人々。 その中で、民衆劇の素朴な一言が まるで地中から湧き上がる静かな泉のように 彼らを魅了した。
つまり、 この言葉は「民衆の慰め」以上のものとして、 世紀末ウィーンの精神の反照になっていたと言うことが書かれている。私には、先生の深い洞察の結果の一つの新説ではないかと思える。
信之先生の提唱した「よい生活からよい俳句を」 は、静かな生活の場所であり、世紀末ウィーンの知識人たちが求めた“生活の平安”と同じ水脈にあると感じている。
2026年9月4日 21:46
曇り
●ブログのヘッダーのキャッチ画像を新しくしてもらう。そのお知らせのため、ネット短信No.468を発信。新しい画像は、水彩画風の淡い画像。基調の色はこれまで通り。これで一年間通す。
【トップページ】桜←(桜)
【花冠発行所】ガクアジサイ←(ネモフィラ)
【月例句会】若草とクローバー ←(コマユミ)
【自由な投句箱】ポピー ←(向日葵)
【エッセイと論文】クレマチス←(ラベンダー)
【俳句日記】紅葉←(彼岸花)
●横浜のそごうでお返しの品を送る予定だったが、体調があまりよくないので、東急アベニューにで済ませた。手紙を書いたが来週になるので、品物の方が早く届く予定。仕方がない。
●『世紀末ウィーンの知の光景』の第5章の続きを読む。書かれていることの事実内容よりも、それをどう受け取ったかという著者の精神の動きを読む感じに次第になってしまっている。学術書なので、網の目の様に事実と理論を積み重ねている中の隙を縫って著者の精神を追っている。そうすると、先生が、なぜ、髙橋正子の俳句日記や、「リルケと俳句と私」の拙文を読まれるのか、という疑問が解ける感じがする。とは言っても、それは、正解がわからない性質のものと思える。
2026年9月3日 22:36
曇り
●花冠創刊記念日。句美子の誕生日。
●句美子から頼まれた電気毛布の洗濯。3枚ある。風があったので、よく乾いた。
●お返しの品を2件、デパートから送る予定だったが、疲れた感じがするので、明日に回した。
●デパートへ行く代わりに西村先生の『世紀末ウィーンの知の光景』の第5章「平安の喜びを告げる在る表現」を読む。西村先生は「リルケと俳句と私」(四)を今号も興味深く読んだという手紙をくださった。とにかく、本気で読んでくださっている。それ比べ、私は先生の書物を読んでもなかなか理解できない。私と先生との間にあるアンバランスは、もとよりのことではあるが、それでも、本ではなく個人的な手紙となれば、意味が少し違ってくる。少しでも先生への理解を深めようと言う気持ちが働く。感覚的に理解できても事実を理解するのは複雑なので難しい。それももとよりと言えば、やむを得ないのであるが。
第5章「平安の喜びを告げる在る表現」とは、「おまえには何も起こりえない」と言う言葉のこと。
これは、オーストリアでよく使わる諺のようなものか調べると、オーストリア文学、民衆劇の文脈で、「Es wird nichts geschehen」(何事も起こりはしない)は、「平安」「静けさ」「運命の受容」の意味でよく使われると言う。さらに、この未来形の言い方、そして「えない」の可能性。ちょっと不思議に思えたのでもうすこし調べた。
| Es wird nichts geschehen. |
Futur I(werden + 不定形) |
未来への安心・平安 |
| Es geschieht nichts. |
現在形 |
事実として今は何も起こっていない |
| Nichts wird geschehen. |
語順強調 |
「絶対に何も起こらない」と強い否定 |
アンツェングルーバーと言う民衆劇の作家の『十字で署名する人々』という作品で使われているとのこと。この作家の記念像がウィーン市内に立っている。先生の著書では、「おまえには何事も起こりえない」とより個人的な表現になっている。これは、方言で書かれているので、自分の馴染む方言に変えてよいと書かれている。言ってみれば、「なーんにもおこりゃせん」というような、安心を与えるまじないの言葉のようでもあるが、単にそうとも言えないようなのだ。 華やかで神経質なウィーン文化とは対照的なアンツェングルーバーの農村劇からの「ひと筋の平安をもたらす言葉」であるが、不安の底にある静けさ、神の摂理への信頼、日常の小さな安堵 を象徴する表現と言えるようなのだ。
私は、初め、この言葉の本意が読み取れなかった。だから、繰り返し読んだ。二度目は、ずっとすっきり読めた。先生の緻密に積み上げられた事実を読むのに追われていたので、繰り返し読む必要があった。こういう文章を読むうちに、私は学者にはやっぱり向かない人間だと思ったりした。事実に 倦んで、途中から想像したり、夢を見たりするに違いないのだ。ここまでの根気と忍耐がない。
つづきには、ヴィトゲンシュタインや、マーラーの事が書かれている。それは、明日に。
2026年9月3日 00:05
曇り
●湿度が高く、蒸し暑い。今朝「俳壇」の切り抜き作業の続き。やっと終わった。ファイルが何冊いるだろうか。B5が40ポケット1冊、A5は40ポケット3冊ぐらい必要になりそうだ。こういった作業が疲れるようになった。ファイリングは、しばらく休んでからゆっくりすることにした。急に体調が悪くなった感じがしたのだ。体調が崩れやすくなっている。要注意。
●N先生から祇園祭の最中にいただいた手紙の返事に十分なお礼を
申し上げていないのが、ずっと気になっていた。先生が「精神の目」と言う言葉を使われたので、テレビに映った東大教授の書斎の書物の題名メルロ=ポンティ『眼と精神』が目に入って、そのことに心が捉われていたので、十分お礼の手紙になっていない。
今日、『世紀末ウィーンの知の光景』を読み、その研究方法に触れて、
「リルケと俳句と私」に私の精神の動きを深く読みとっておられたことに気が付いた。文化の研究は文学の研究より深く、文学の背景の研究になる。「リルケと俳句と私」は本来エッセイが意味する文章になっている。
その意味で、詩の背景、俳句の背景、私の精神の背景を書くことになっているので、その点で響きあるのだろうと思っている。
そして、夜遅くになって、夏の先生の手紙への返事を改めて書いた。今回も十分なお礼になっているかどうかは分からないが。
2026年9月1日 22:35
曇り
●総合俳誌に掲載された記事や俳句をきのうから切り取る作業をしている。今朝からは、「俳壇」の作業をしている。午後からは句美子の家に行く用事。帰宅して、残りの作業をし、切り取り作業の予定だったが、疲れて中止。
●眠る前に2002年ウィーンフィル・ニューイヤーコンサートが放送された。何で今と思いつつ見ていると、この時の指揮者は小澤征爾だった。そして、それに納得しながら聞いた。ウィーンフィルはベームの指揮も上品な柔らかさが耳に残っているが、小澤征爾は、ちょっとシャープで瑞々しいところが、現実の場から高みへ連れて行ってくれるようでいいと感じた。
最近ようやく指揮者によって音楽がずいぶん違ってくるのがわかるようになった。遅まきながらでは済まされない、これまでの人生の痛みや悲しみとして感じられる。分からないままでもよかったのだ。
●葡萄が届いたので、句美子たちに持って行く。なんと、ゆうまくんが葡萄を食べている。まるごとではないが、粒を切ってもらって、おいしそうに食べる。消化は大丈夫かと思うが、先日から食べさせているという。
それに、きょうは、たまご豆腐を初めて食べる。気に入ったようで、器をのぞき込みながら、はやく、はやくと食べる。トマト、ブロッコリーも手づかみ。鯛を食べる時に、「タイよ」というと「痛い」と同じに聞こえたのか、面白がって、「イタイタイタイ」と言う。
句美子と眼と口をくりぬいた幼児椅子の話をしていると、話の内容がわかったのが、戸と開けてその椅子を指さす。1歳5か月なのに、言葉の理解が早い。立つのはまだあぶなかっしいが、かなりしっかり立てるようになっている。
あしたは、同じ月齢の子と水族館に初めて行くと言っていた。今日は病気がなおったのだろう、上機嫌だった。このところよく家に行っているので、「ばあば」と言って呼ぶ。私が、「おばあちゃん」と言うと、目をぱちくりさせて考える顔をしていた。もう一人の孫の元希くんは小さいときから「おばあちゃん」と呼んでいた。
正直にいうと、「ばあば、じいじ」は、一番耳障り。だから、一人こっそり訂正している。