9月28日(月)

曇り
アスファルト青松虫の声ひびき  正子
雨通す白曼殊沙華のさびつつに  正子
ビニールの袋の中の茄子の艶   正子

●You Tubeのクラッシックを聞きながら、書いたり、読んだり、手仕事をする。なかなか自分にぴったりなのがなかったが、「クラシックの森」というチャンネルを見つけた。これはちょうどいい。「朝」といえば「ペールギュント」、「静か」と言えば「月の光」、というふうではないので救える。

●みよさんが秋月という大きな梨を送ってくださる。あまり大きいので、びっくり。月のような梨。たしかに秋月(あきづき)の名にふさわしい。

●今日詩集『RETURN』を入稿する予定で、実際入稿できる段階になった。目次の余白が開きすぎて気になる。あと1行あるといい。そしてPreface を目次ページに書いてはどうかと思いついた。すると、英詩集では、その形式が多いというから、問題は解決。7回目刷りだしたが、もう一度刷りだした方が良い気がしている。明後日入稿予定。

●先日文部大臣が、東大の教育研究学科長にH教授のSNSでの発言に注意したという記事。東大は文部省の管轄下なのだと、改めて思った。政治家の言語と科学者の言語は構造的に階層が違い、齟齬が起きるている感じがした。その上、SNSでの発言は切り取られやすい。SNSで、誰でも発言できるようになっている。しかし、発話原語には、社会的言語、科学的言語、文学的言語、これらがあるが、すべて一つの人間の言語として一からげにされている。立場による使う言語が違うというころが理解されていないのではないか。

昭和時代は、その句会にはその句会の言語があったと思う。同じ層の言語を使う人たちだ。言語の深度が違う。「違う俳句の考えの人と句会ができますか」という発言も聞かれた。

テレビの俳句も、花冠の俳句も、社会では同じ俳句にされてしまう。別の結社の句友は、主宰に「あれを、俳句と思ってもらっては困る」と宣言したという。俳句は、小さい共同体の言葉である。大衆的娯楽俳句と、真面目に俳句を作っている人の俳句は言葉が違う。それがわかるかな、役所やメディアの人達よ。一緒にしているんじゃないかな。

大衆的娯楽となった俳句こそが民主主義と思うかもしれない。文学への参加は民主的であるが、文学が書く内容は民主主義とは基本的には相いれない。俳句は必ずしも文学である必要はないだろうし、大衆的娯楽である必要もないだろう。俳句にも、使われる言語の階層があるということだろう。

9月27日(日)

曇ったり、小雨になったり
雨ののち虫音路澄むなり濡れし路 正子

●明日『RETURN』を入稿したいので、一日原稿の手直しと校正。
インデントはMarching Band だけにしている。見た目を見ながら。

●俳壇十月号の『秋の野鳥歳時記』の正子の記事について、美知子さんと晃さんから感想のメールがあった。晃さんは臥風先生の「その人の身になって読む」というところを、取り上げていた。これは意外とむずかしいことなので、少し訓練が要ると思った方がいい。

●秋雨が続くので、ダニに気をつけなければいけない。どうすればいいのか。すのこベッドはダニには有効かと思うがそうではなく、敷布団の湿気が下にたまりやすいとのことで、ベッドの下に湿気がたまらないようにしないといけないというので、毎朝起きたら、敷布団を立てておき、羽毛布団は椅子に掛けておくとよいらしい。

9月26日(土)

小雨
月の夜窓辺のベッドに寝むらんと  正子
柿供う薄づく色のしずかにも    正子

●『世紀末ウィーンの知の光景』第5章からの俳句的示唆の文章を書き替え、半分に減らした。題名も「つつましき初光」から、「つつましき炎」に変えた。
力不足の領域は、長く書くか、短く書くかのどちらか。中ぐらいが一番いけないと知る。力不足の領域は、間違いなく印象に残っているところを書き、具体的に書かかない。必ず思わぬところで不整合が見つかる。

●賞に応募しようと思っている英詩3篇を検討。あまり推敲しすぎてもいけない。正子の俳句も、詩も地味なので、賞には合わない。文学館向け。賞の一次審査を通過するのは難しいと分かっている。一次審査に当たる人の質も問題なのだろうが、万一ロングリストにでも残るようなら、これは上出来で、内容が浸透していく可能性はある。運を天に任すしかない。対策は効果的ではなさそう。