曇り
●花冠1月号の編集を少しした。巻頭言は、今年は信之先生の「私の文学」だったので、来年の巻頭言は、正子のにしようと思い、ようやくそれが今日その原稿が出来きた。それを組み込むとどうなるか見るために、早速、組み込んだ。来年の方向が決まったように思う。早め早めの用意が肝要。余裕をもったつもりでも、それで、ぎりぎりとなるのがこの頃。
●有花さんに電話。1月号の特集は有花句集『蒼き氷河』にするので、散文原稿は、来年の7月号からにしてもらうことにした。特集の焦点が散ってもいけないから。
●ゆうまくんの運動会に招待された。1歳児の運動会は、何をするんだろう? ハイハイ競争とかか。お昼はごちそうしてくれるらしい。それで、何か持って行かなくてはと、あんぱんまんグッズを買いに出かけた。あんぱんまんキャラクターのやわらかいラグビーボールを買った。横抱きができるし、持ちやすい。それとあんぱんまん絵本。やなせたかしのあんぱんまんの原作は、お話があって、1歳児には難しい。絵の中からあんぱんまんを見つける絵本にした。見付けると達成感が湧くそうだ。
●中・高の友人から2度目のピオーネが送られて来る。今年2度目。
故郷には昔は特産がなかったと話す。高校のとき農業科の生徒たちがニューベリーAを育て、それを販売し、買っていた話が出た。そして、葡萄はニューべりーAが葡萄らしいと言う話になった。ふるさとに特産と言えるものができてよかった。葡萄の収穫時には、故郷の人は親戚に葡萄をおくるのに、みんな忙しいと言う話も。
このたび、「俳壇」10月号の特集『秋の野鳥歳時記』に髙橋正子の俳句5句とエッセイが掲載されました。
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定価1000円ですが、著者割引が適用され800円になります。
送料は103円です。あわせて、800円+103円=903円となります。よろしくお願いします。
なお、出版社への発注は、みなさんの注文が出そろった時点でいたしますので、少しお待ちください。
2026年9月14日 髙橋正子
【感想】
③高橋秀之
俳壇10月ご掲載おめでとうございます。
<好きな句2句>
川石を鶺鴒つつつと水際まで
鶺鴒が軽やかに川石を伝い水際まで寄って来る。山の中の澄んだ水と尾を振りながら軽快な動きの鶺鴒が相まって、自然豊かな川の流れと晴れやかな光景が目に浮かびます。
ふと思いましたが、「水際」は「みずぎわ」と読むのか「みぎわ」と読むのか。読み方で感じる風景も変わる気がしました。
初鴨の泳ぎはじめの水ゆらぎ
泳ぎはじめた初鴨よりも、その気配を映す水のゆらぎにフォーカスしていて、静かな水面の景色が季節の到来をやわらかく伝えてくれています。動と静の対比が深みを感じさせてくれました。
<小鳥来るを読んで>
小鳥来るを一読して、直感的に感じたのが、「小鳥来る」の解釈は、人それぞれいろいろとあるけれど、生活に根差した見方がこの文章の礎なのではないだろうか。そのことがきっと先生の俳句を奥深くさせているのでしょう。鴨を見に行くのではなく会いに行くという感覚、小鳥たちとの距離感。こういった感覚を自然に感じられようになりたいものです。
②吉田晃
啄木鳥やリルケを慕い木を叩く
ちょっと視点を変えて鑑賞してみたい。たいへんユニークな、「啄木鳥とリルケ」「リルケを慕う」「木を叩く」のこれらにどんな関係か成り立つのかを自分なりに想像してみた。
花冠には、正子先生のエッセイ「リルケと俳句と私」が連載されていて、第三七五号で四回になる。その中に以下の一文がある。
▽リルケの四行詩を読むことは、俳句の根に触れ直すことでもあった。短い詩形のなかで、沈黙と光が交錯し、風景が外界ではなく内面の深みに沈んでいく。その動きを俳句の呼吸で受け止めようとする時、私は自分の言葉の源泉にもう一度手を触れていると感じる。
▽私は俳句を読むとき臥風先生から「本人(の身)になって読む」方法を教わり、それを六十年近く実践してきた。その姿勢は、リルケの詩を読むときも引き継がれている。
つまり、挙句の啄木鳥を作者自身と理解すれば、啄木鳥が叩く木はリルケの文学である。そして、啄木鳥である作者は、リルケの心を知りたいと木を叩いて隠れているリルケの心に触れようとする。リルケを深く理解したいと叩くほどに、リルケに魅かれるのである。作者は、木を叩き始めたばかりであり、リルケを読み進めるほどに、更に心酔し、木を叩く作業はこれからも続くのであろう。
▽花冠第三七二号では、「リルケの初期の詩を読み始めたことで、彼の目と自分の俳句を読む視点が全く違うものではないと気付いた」と作者は言っている。では、そのリルケはどこからきたのだろう。
信之先生は、愛媛大学でドイツ文学を教えておられ、トーマス・マンを研究しておられた。そのための資料に購入されたのだろうか、遺された蔵書の中に「リルケ作品集」があるという。
作者は、その作品を紐解き、読み進むほどに作者の俳句の心と通じ合うことを知ったのである。そのリルケ文学への思いが挙句なのだと解釈した。
①柳原美知子
俳壇10月号の特集としてクローズアップされた秋の野鳥歳時記への正子先生の作品5句とエッセイのご掲載おめでとうございます。
5句とも別の鳥を詠まれ、それぞれの特徴をよく捉えられ、秋の水の清らかな流れや秋光に包まれた鳥たちが生き生きと眼前に見えるようです。
★啄木鳥やリルケを慕い木を叩く 正子
啄木鳥と同化されたような正子先生のリルケへの真摯な熱情がうかがえる若々しいお句に感動します。
★鵙の声夕べの月を呼び出だす 正子
鵙の鋭い声と姿、静かな夕べの空に浮かんだばかりの柔らかく温かい月の対比が美しく、孤高の鵙の淋しさも感じられ、物語がはじまりそうです。
エッセイも秋に飛来する鳥たちを迎え愛しみ、日々の生活のひそかな喜びとされる俳人らしい優しい文章で感動しました。