NEW詩集『帰還』序


春浅い日、私は少し長い手紙をいただいた。リルケの短い詩に応じて私が作った俳句が、深く心に触れたという。その言葉にふれ、私はそれを真実として受け止めた。リルケの詩に応じて生まれた俳句の言葉が、私自身の原点に通じていると、ふと気づいたのである。
その日から三週間ほどのあいだに、深く沈んでいた記憶がひとつの流れとなって立ち上がり、二十篇ほどの詩が生まれた。その中から十五篇を選び、この詩集に収めた。俳句的観照に支えられながら、私の言葉は原点へ還っていく思いがした。
この出来事を、静かにありがたく受け止めている。
二〇二六年五月十七日
髙橋正子

NEW多田有花句集「序」

多田有花句集

有花さんの生活には、つねに動きがある。
海外から国内へ、あるいは近隣の寺社を訪ね
る小さな旅まで、その動きは絶えない。その
たびに視点は新しくなり、風景の捉え方が変
わっていく。移動は、有花さんにとって生活
そのものであり、句の新鮮な把握へとつなが
っている。この歩みが続くかぎり、視点は澄
み、確かな観察が結晶して句となる。
初期の登山の句には、有花さん独自の体験
が息づいている。一見、淡々とした写生句に
見えても、その背後には、危険に備える緊張
や、自然に身を置く潔さが静かに漂う。それ
を過不足なく表現するのが、有花さんの持ち
味である。
たとえば、次のような句である。
レーニア山バックパッキング
雪渓を落ちる流れの音高し
短夜やテントの外に明けていく
ケニア山・キリマンジャロ
サングラス空と氷河を映しけり
呼び交わすガイドの声や月明り
シュバルツバルト紀行
秋薊アルプス遠くかすみおり
シャモニ・モンブラン
ブルーベリー摘みつつ高きに登りけり
ヴァレー・ブランシュ氷河トレッキング
秋天はるかマッターホルンの影
モンテローザ登山
秋オリオン仰ぎてザイル結びけり
富士山頂俳句リーディング
富士山頂風に我が句を唱えけり
花束を持ちて夏野を帰り来る
白馬岳登頂
両腕に日焼けが留む山の色
北八ヶ岳縦走
秋澄むや明日踏む峰を指させり
秋の暮窓に寄り添い日記書く
大山登山
寒晴れや真白き尾根を風が研ぐ
また、有花さんは自転車やバイクで日本各
地を旅し、その体験は多彩で豊かである。
東北自転車旅行
十和田湖の水の碧さや蕗のとう
長崎・天草自転車旅行
頬を打つみぞれのやんで海見える
西国三十三か所バイク巡礼
山若葉抜けて琵琶湖の光りけり
大塔の礎石の上を夏の蝶

南四国自転車旅行
明けてくる水平線や秋怒涛

中国地方バイクツーリング
爆心にいまふたたびの若葉風

九州一周バイクツーリング
具雑煮を食べる島原薄暑かな

普段の生活においても、自分の人生を
まっすぐに生きる明るさと力強さがあり、
自然を見る目に誇張がなく、確かさがあ
る。そのまなざしが率直に句へと結ばれ
ている。

いくつか紹介しよう。

インラインスケート春の弧を描く
光る風追い越したくてペダル踏む
畑より両手に熱き真桑瓜
家中の鏡拭きあげ冬に入る
桜湧くヘッドライトへ次々と
花菖蒲切りて高さを生みにけり
聴診器ことりと置いて冴返る

旅と日常、そのどちらにも揺るぎない
眼差しを向ける有花さんの句は、読む者
に新鮮な風を運んでくれる。本句集が、
その豊かな世界への案内となれば幸いで
ある。
2026年5月
髙橋正子