7月12日(日)

晴れ
●7月月例ネット句会。
https://suien.ne.jp/getsureikukai

投句
夕顔のあおき実を売る盆の寺 正子
身内の人たちと面会できる大切な日。人出はあるが、誰もが静かに行き交う。境内にある小さな店には、暑気払いの食材として夕顔の実を売っている。ふと足を止め大きな実を手に取る。酢の物にして仏様に供え、家族も一緒に味わうのだろう。逝きし人を思い浮かべている静かな雰囲気に魅かれる。(吉田晃)

風鈴の短冊夫の名の書かれ  正子
まっすぐに青田の見える車窓なり 正子

●今朝、5時半ごろ近所を散歩。ここ2か月ほど、風邪で近所を歩くこともなかったが、古い家が壊され、新しい家が建ったり、スーパーがこの時間に開いていたり、様変わりしている。広い敷地の家が何件の無住のまま。

●散歩から帰りNHK短歌を見ていた。若い人の短歌を作者自身が説明していたが、俳句に限らず、短歌も表現が独りよがりに感じられた。最近の俳句や短歌に違和感を感じた板が、なぜか、はっきりした。

個人の尊重、その表現の尊重と言う意味合いが含まれているが、良い傾向とは思えない。個人の感情や思い、思想の尊重とは、別問題。個人の説明する権利の尊重ではないはずが。自分の表現を読み手に委ねない。自分の考えをぜひとも受け取ってほしい、というのは、少し未成熟と思える。
これを許したのは誰か。ここが問題。いくつかの層が重なっている。

メディア 作者本人が語る「解説」を番組の構成として重視する。
教育現場 作品より「作者の意図」を読み取ることが評価される。
俳壇・歌壇の共同体 作者の“語り”を作品の一部として扱う傾向。
SNS文化 誤読を恐れ、作者が「意図」を先に提示する習慣。
つまり、 「作者が説明すること」が自然な流れとして受け入れられ、 誰もそれを止めなかった。その結果、 短詩型の本質である 沈黙・余白・観照・言葉の自立 が弱まってしまった。

声明して初めてわかる俳句や短歌。難しいと言う意味ではない。この傾向は、言葉の最小限による世界の立ち上がり」 とは別方向にある。俳句や短歌は、 作者が「声明」しなくても、 作品そのものが世界を提示できる形式のはず。 むしろ、説明して初めて分かる作品は、 短詩型の強みを手放してしまっている。


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