2026年10月7日 10:12
曇り
ゆきゆきし花野の果てに水の音 正子
さ濁りて秋草くぐる山の水 正子
●午後、そごうに行った。買い物の用事を済ませたあと、ミュージアムショップに寄った。入口にスカーフのような紺の水玉のガーゼが1300円で売られている。私としてはめずらしく一桁間違えて読んでいた。13000円と。1300円なのにセンスがいい。ただ、ガーゼだからやすいのだろう。
今日は鈴木信太郎の画展があった。『白い服と黒い服の人形』『芍薬』の絵はがき二枚を買った。この画はそごう美術館の収蔵とのこと。人形の画は画集でよく見る。
ショップの本コーナーに、『北斎漫画』(1)(2)(3)が文庫で売られていた。『北斎漫画』はリルケが北欧へ旅行するときに携行しているので、買ってゆっくり見ようかなと思ったが、予算もあるので、買わなかった。それからもう一冊買いたい本があった。『西洋の伝統色』。こちらは、「リルケと俳句と私」(五)で書いている『ヴァレの四行詩』25番の色彩について考えるのに役立つと思うのだ。今日は買わなかったが、近いうちに出かけて買って来ようと思う。「フェルメール・ホワイト」という白があったし、非常に面白い。
●俳句人口が、増えているのか、減っているのか、統計的に明確な数字がないので、正確にはわからないが、結社とその俳句人口は減っている。都道府県統計によると、俳句に限らず、小説、短歌、詩をふくめての創作人口は横ばいか微増。年度は忘れたが、最近の統計で見た結果では、都道府県で創作人口割合が高いのは東京を抜いて神奈川が1位、3位は京都となっていた。順位は確定できるものではないだろうが、鎌倉文士の土地柄もある。湘南は文学を生みそうな気配があり、横浜の外国と混交した文化は、創作の自由度を広げている。
俳句の中心を担う人口は徐々に減っているが、俳句経験者、つまり、潜在俳句人口は増えている。この潜在人口が将来どうなるのか。俳句の未来予測は、悲観的でも、楽観的もない状態なのではないかと思う。将来、何かよくわからない状態で俳句があるのではないかと思う。おそらく、広い裾野は裾の野で、別世界。裾野とは関係なく、距離を置いて、精鋭が現れるかも知れない。このとき、広い裾野があるから、精鋭が現れたなんて短絡的な言い方は、決してしないようにして欲しいものだ。精鋭とはなま易しいものではない。生来のセンスと力量と孤が立つ必要がある。裾野からは出にくい人であろう。
2026年10月6日 22:26
晴れ
柿の花のとおりに四角さわし柿 正子
さわし柿ほどよき硬さが歯にあたる 正子
柿・りんご・蜜柑を揃え一週間 正子
●きのう、原稿を書いていたら、パソコンの電源が急に落ちた。熱暴走をの可能性がある。ファンは回っていたので、強制終了して、熱放電をして、一晩置いた。自由が丘から帰って、電源をいれると、スムーズに動いたので、安心。きのうは、パソコンを使う時間が長かったかもしれない。
家事の時も、ずっとクラッシックをかけていたからかも。
●自由が丘の検査クリニックへ行った。自由が丘の舗道は細く、昭和レトロな感じ。みずほ銀行も2階建。クリニックは。地図を見ながら行ったが、細い路地のようなところにある。地図からクリニックまで、地図では距離があるように見えるが、すぐなので、距離感覚が、ミニチュアの街に行った感覚になった。検査は1時間ほどかかった。帰り9月半ばに開業したばかりの再開発ビル「自由が丘ミューズ」へ行ってみた。開店祝いの白い胡蝶蘭が、どの店にも飾られている。お客も、新しいビル見学いう感じ。みんなが初めてなのだ。地下に明治屋が入っていた。ドイツの木のおもちゃのティキティキがあった。いろいろ品物がある。センスは都会的な感じだけれど、質はどうだろう。昔の通りの店のほうが私にはいい。緑をアレンジした喫茶店が売り物のようだったけれど、お客話声が反響し、にぎやかだった。
花屋にも寄った。室内で育てる薔薇が売られていた。背の高いグラスにミニ薔薇の根をキュービックな土ではないもの挿している。花が一輪咲いているものがあった。育ててみたい気になった。1本が2700円というのは、結構高い。特別な薔薇かもしれないが。
●自由な投句箱に、このごろ、「該当句無し」と書くことが多くなった。
選句基準は、前と変わっていないと思う。どこに原因があるのか、よくわからない。贈呈される俳句雑誌の主宰者の句を読むと、流派が違うからだろうが、★3つにするかもしれない。私の句がいいということではないが、臥風先生、信之先生の選を基準にするとの話だが。
●簗大臣という人がいる。自民党に投票しない、つまり自分に投票しない首長の自治体には、国の交付する道路予算を減らしたというのだが、考え方がおかしい。小学生のころ、学級会で、こんなことを言う子がいた気がする。どういう頭をしてるんだろう。辞任なんじゃないでしょうか。
2026年10月5日 13:47
曇り
秋郊に出でし車窓にはるか富士 正子
一キロの路をほのかに金木犀 正子
花野去る夫の気配をいだきつつ 正子
葦原の風のふれゆく釣舟草 正子
吾亦紅枯れて枯の紅しんと 正子
●天気はくだり坂。昨日の野あそびの服をいっさいがっさい洗う。
●昨日歩いたせいか、かなりぐっすり眠った。朝食に、フレンチトーストか、ホットケーキか、寝床でさんざん迷った挙句、フレンチトーストにした。ただし、フランスパンではなく、食パン。今朝はあまり食べないで、ミルクコーヒーとだけ。
●思うに、これからは、日記なども、書いたものはそれで完成となるよう努めることにした。いつも完成させておく。
●明日、骨密度のメディカルスキャニングを受ける準備。自由が丘に行くことになっている。数秒で終わる検査だが、他の時間がかかる。
2026年10月4日 22:10
曇りたり、晴れたり
秋の池水輪うすうす水馬 正子
蜂・とんぼ釣舟草を移りつつ 正子
網ほおずき朱の実の透け三つならび 正子
水引草澄みたる朱は山のもの 正子
花びらの全き野菊並びあい 正子
どんぐりを踏めば木の音靴底に 正子
露草の青濃きことも昼下がり 正子
紅芒ほどけし姿みな同じ 正子
●午後1時過ぎに四季の森公園へ出かけた。春の風邪ひき、夏の猛暑で、ずっと体調がよくなかった。涼しくなって、ようやく体調が落ち着いて一人で外出する不安がなくなった。四季の森公園は、日曜日で、人はほどほど。蓮池のほとりの木道から奥へ進んだ。今日は翡翠を撮る人たちは二人。雨が降り続いた後の晴れ間なので、小川の水が音を立てて池に流れ込んでいた。ガビチョウの声が公園中に響いている。咲いている花は、静かな秋の花。プロムナードには公園までずっと金木犀が匂っていた。金木犀の匂いがして来ると、秋祭りが近づいていることを知る。
今日、一番の花さかりは、ツリフネソウ。キツリフネソウもある。ユウガギク、ノギク、ミゾソバ、ミズヒキソウ、キンミズヒキ、枯れたままのワレモコウ、ススキ、アミホオズキ、カマズミの実など。小さい蜻蛉は、赤とんぼの一種のようだが名前がわからない。胴の長い蜂がツリフネソウの蜜を吸っていた。この蜂も名前がわからない。花粉は身に付けているようだ。
ツリフネソウを見ると、信之先生と来たことを思い出す。いつも葦原の奥のデッキで休んだ。ツリフネソウが咲くときによく来ていた。
ユウガギクは、柚子の香がするというので、葉をちぎって、重ねて匂うといい匂いがする。菊と柚子の間のような匂いだが、やはり菊の匂い。
池のあめんぼうが広げる輪が、1メートルぐらいにもなる。水の表面を気配のように波紋が広がる。
中山駅口のベーかリーであんぱんを買っていた。ほとんどない事なのに、水筒を忘れた。自販機で水を買う。園内の静かさは、秋の静かさというのだろう。澄んで、静かで、やわらかな光が届いている。音楽にもたとえようがない。これまでにない、地球に恵まれた静かさだと思いながら、園内を1時間ほど歩いて帰宅。今日の行程は3km。
●4時半に帰宅したので、お風呂に入ったり、夕食の支度をした。夕食後は、四行詩の25番の日本語訳に手を入れる。完成としていい。今日は、
休むことにした。夜は冷えたので、ひざ掛けを出す。暖房がいりそう。
2026年10月3日 21:57
晴れ
銀杏の潜むあたりの明るかり 正子
なんてもない草葉の上を秋の風 正子
松手入れなべて明るき短き葉 正子
●朝、URの団地の中を散歩。ピラカンサ、錦木が色づいている。
●ヴァレ四行詩25番を訳す。対象が消え色の抽象性だけが残っている詩。片山敏彦の少々主義的精神の訳は、これは、これとして貴重だが、
原詩の方向と違っていると思う。詩が何で成り立っているかが、もんだいだろう。風景か、抽象か。今日の俳句は、いくぶんリルケの25番の気分が移っている。
●ヴァレ4行詩25番の訳が完了。かなり難しい訳だった。訳が片山敏彦訳と、第2連から少しずつずれた。文意脈から言えば、私の訳も間違っていないと思う。それが、難しさとなったのだ。原詩は、色を抽象的に扱って居、景色を消している。ところが、片山訳は、景色を消すのではなく、呼び戻している。逆方向なのだ。これは翻訳の時代背景が影響している。美学的、詩学的に完成された訳に揃えることもできない。かといって、自分の読んだ文脈で訳を発表するのも、ためらいがある。自分の訳がまちがっていると思えないからだ。片山訳に敬意をあらわし、否定しない書き方で、なんとか花冠に発表したいと思っている。とにかく、一遍の詩の訳に疲れた。
7月に25番を訳したものがあった。こちらの訳の方がすっきりしている。おそらく、迷いがなかったのだろう。今日の訳は没にするか。
詩返1 青と銀を含み真夏の草埃 正子
詩返2 ひるがえる向こうの柳は陰翳を 正子
詩返3 葉桜の中の石手の塔古りぬ 正子
2026年10月2日 09:54
曇り
餃子屋に熟れて栴檀の実の丸し 正子
刈られたる葛の蔓よりまた新芽 正子
足元に響いて朝の虫の声 正子
●昨日の天気はどこかへ。朝から曇り。URの団地の周囲を歩く。芝が刈られ、木は剪定されてきれいになっている。生い茂っていた葛の葉も刈り取られ、根元から新しい蔓が伸びはじめている。保育園のビオトープを覗く。ガマの穂とカンガレイが目立つ。小さい向日葵が種になったのや、咲残った花がそのまま。サツマイモ畑は、まだ掘り上げていない。もう少し太らせるのか。稲刈りのころ、さつま芋を収穫した記憶がある。昔は稲刈りはもう少し遅かったようなきがする。歩いたのは1kmほど。
●ゆうまくんに、お絵かき用の色鉛筆を書く。ドイツのステッドラーの6色。2歳からとなっている。円安のせいもあるのか、値段もいい。水で消せるし、滑りもいいようなので、大丈夫だろう。
ゆうまくん、この前自分のなまえを「ゆうま」と言っていた気がしたが、考えてみれば「ゆうちゃん」とか「ゆうくん」でもいいんだけれど、「ゆうまくん」になっている。
ついでに自分用に20枚のファイルを買う。本の編集記録や、印刷費、贈呈先、読者からの返事などをまとめておく。次の本を作る参照資料。箱に入れて整理したつもりだったが、分類した方法を自分が忘れていたりする。一目瞭然にする必要がある。
●午後、ヴァレの四行詩25番を訳す。片山敏彦訳とは、違って原詩に近い表現にしようと思っている。夏に西村先生から、翻訳についてのお考えをいただいている。先生の考えは、翻訳は日本語として自然か、社会に受け入れられるかなどが、考慮される。翻訳の昔からの問題だと言われる。それはそうなのです。私が今思うのに、現代の日本では抽象表現が受け入れられるようになっているのではないかと。抽象絵画など、抽象表現にも慣れている。それにコンピューター。これこそ抽象概念ではないか。
ヴァレの四行詩は原詩がフランス語。ドイツ語訳も併記されているので、比べてみると、ドイツ語ではリルケのフランス語をそのままドイツ語にしている。日本語があまりに違い過ぎることも問題なのだ。ドイツ語の訳を見ると、私の抽象的な訳が間違っているとは言えないと思った。途中で休憩してそのまま夜になって全然進まなかった。
2026年10月1日 16:36
晴れ
●36日ぶりに晴れたことになる。どの窓も開け放し、風を入れる。窓を開けているので、どこにも行かずに、ひたすら、家に風を通す。活けている小菊がよく咲いている。花はもっばら、小菊ばかり。
●プリンターを新調することにした。2024年の型落ちをアマゾンで見つけた。5年保証をつけても1万円安いが、配達が遅いのが難。10月10日から22日の配達となる。11日の句会に間に合わないかもしれないし、ぎりぎりかも知れない。プリンターの故障は想定外。
『RETURN』 は10月10日発行予定だったので、2週間ぐらい遅れそうだ。遅すぎるわけでもないから、まあ、よしとして。最後は刷り出して確認しないと、思わぬミスがある。
●The Mothが12月31日締め切り。Kenyon Reviewは11月から12月が受付。ものはためし。11月15日からの編集を始めるまでに、済ませる予定。こうなると忙しい。