晴れ
リルケの詩からのインスピレーションによる二句
「古い家で」から
緑青のドームわが眼に霧のなか 正子
「小さい地区」から
切妻の屋根の切り取る秋深空 正子
●今日は、昨日作った餡を食べようとして、どら焼きを作った。皮の焦げ具合からいうと虎焼きといっていい。すぐ冷めるので、冷めたどら焼きをレンジで温めると餡がもっと美味しくなった。
きのうも今日も、コーヒーではなくお茶を飲んでいる。元希に買ったオランダ船とオランダ人の絵付けの湯呑を初めて使ってみた。小ぶりで、手によくなじんで、飲むとすっとお茶が喉に落ちる。この具合がいい。なかなかいい。それでお茶を何杯も飲んでいる。ちょっと値が張っていたかもしれないと、買ったときのことを思い出した。
●9月7日から10月19日まで考えてきた、リルケと俳句のことを整理し、まとめた。「リルケと俳句と私」と題をつけた。第一部「リルケと私」とし、この部分は清書できた。読みやすようにサブタイトルをつけた。自分の文章にサブタイトルをつけたのは初めてである。納得いくものになった。
第二部へ移るのには思考転換のエネルギーがいる。第二部は「リルケと俳句」。これが本題だが、1月号には第1部だけ載せようかとも考えている。ここでひと頑張りして完成させるか。延ばすと来年7月の半年先だ。
●「いずれにしても時代は乏しいーリルケの「神」」(田中謙司著/明治大学大学院紀要第24集1987)、「発見と探究の間でーリルケの講演『現代抒情詩』について」(田中謙司著/明治大学大学院紀要第25集1988)の二つをネットで見付けて、印刷し、読んだ。
二つの論文を読んで、私が知りたいのは、リルケの世界観とか、人間観とかではないのだろうと思った。それは私の関心ではない。リルケの感性、視点、見方、表現のあり方、あるいはどこまで内面を掘り下げられたか、に関心があるのだろう。自分でもよくわからないが。リルケが「格となる言葉だけで作った詩」と言っていることにも注目している。
●ヨーロッパでは『なんのための詩人か』という問いがよく問われる。これはヘルダーリンの詩句を引用してハイディガーが言及していることで、詩人の存在意義についての深い問いかけである。ヨーロッパでは、伝統的に、詩人には神と人間との仲介者としての役割がある。だから、詩人の悶絶するような苦悩の話をよく耳にする。そして、詩人の社会的な認知が高いも確かだ。日本で本当の意味で、詩人の社会的認知が高まればいいと思っている。社会的認知を、社会的人気と混同している日本の現状は憂慮される。ヨーロッパでは、文学や芸術に対して目が非常に厳しい。ローザンヌのバレエコンペティションでは一見モダンな振り付けに対して、「バーの踊り子のような真似をさせてはいけません」と手厳しかった。
雨のち晴れ
●ネット短信No425.を出す。1月号(No.372)の雑詠投句と、散文原稿の依頼。
●「リルケと俳句と私」の(一)部「リルケと私」を仕上げる。サブタイトルをつける。
●生協で今年とれた小豆が届いた。早速、クッカーであんこを作った。色が鮮やかなので驚いたが、新物は灰汁が少ないのかもしれない。
●五時前5丁目の丘へ散歩に。鯛ヶ崎公園では、暗くなりかけているのに、「まだ五時だよ」と言いながら野球や滑り台をしている。親もいるのだが、「帰ろう」とも誘わない。まだ、五時なので遊んでいるのだろう。日暮れが早くなったのを実感する。
曇り、昼から雨
水替うる黄菊のつんと匂うなり 正子
手折り来し野菊の花を灯の下へ 正子
●花冠の編集が少し進むが、遅々として。また、忙しさが重なりそう。
●リルケはトルストイからも影響を受けている。彼がモスクワでトルストイに会ったのは、リルケが24歳、トルストイが71歳のときである。何歳のトルストイに会ったのか知りたかった。そのために図書館から『トルストイ』を借りた。
トルストイの最期が気の毒。トルストイは82歳の10月27日に、モスクワは寒いであろうに、医者と女性秘書を連れて家出をし、数日後に駅で倒れ、そして11月7日に亡くなっている。家出の原因は妻が自分の部屋を夜中に家探ししたことによるらしいが、この妻はいろんな不安から、よく日記を盗み見していたようだ。不信というものは怖い。やりきれない感じがする。
●スイートピーの種を蒔いた。朝顔を植えていたプランターに、苦土石灰が主な成分の「土をよみがえらせる土」というのを混ぜ、三粒ずつ蒔いた。種袋を振った時には、あまり入っていない感じだったが、30粒ほど入っていた。スイートピーはひ弱そうで、茎は強い。切り花にできる。そこがいい。
●散歩に出た。二丁目の丘を歩くつもりで、金蔵寺の西側から坂道を上り、無患子(むくろじ=追羽根の羽についている黒い実は無患子の実)の木があるのを確かめ、普通部のテニスコートに出た。テニスコートは人工芝なのだが、すっかり土が混じり、本当の芝生のようになっている。となりが普通部のグランド。グランドには草が生え、踏みしだかれて荒れている。グランドの端には銀杏が立ち並んでいるので、のぞき込むとたくさん銀杏が落ちている。良く太った銀杏だが、誰も拾わないだろう。先へ行こうとすると、雨がぱらぱらした。傘を持ってでなかったので、すぐに引き返し、金蔵寺の西側の登り口に戻った。金蔵寺に行こうと道を曲がると山裾に野菊がへばりつくように咲いていた。指を差しいれると、茎が細い。数本摘み取って持ち帰って活けた。仏壇と、玄関と、食卓。
雨のち曇り
りりと虫音風の間に間に鈴かとも 正子
秋の夜切手に草を飛ぶうさぎ 正子
一灯に足りてひとりの秋の宿 正子
●今日から、花冠の編集に本腰を入れなければいけない。
●晃さんからの手紙、首を長くして待ったが、今日届いた。松山から5日かかっている。不器男記念館の館長さんからの手紙は、心打つものだった。さすが不器男の俳句を守る人たちだと思った。晃さんが指導する教職員の俳句交換会の冊子が8月号から小型で可愛くなっている。どこにでも持ち運べる良さがある。
信之先生の句と、それに私の句も取り上げてくださっている。気恥ずかしいが、皆さんのお役に立てればいいと思う。
●子どもころ読んだ「イワンの馬鹿」は強く印象に残っている。そしてのちに、この作者がトルストイだと知り、文豪がなぜ童話を書いたか不思議だった。ロシア民話の本もある。今日、『トルストイ』(八島雅彦著/清水書院)を読むと、彼は領主として農奴の教育のために学校を開いたり、『アーズブカ(あいうえお)』などの教科書を作り、自分でも教えている。領主として農奴のためにと考えてすることが、ちぐはぐしてしまう。ここにトルストイの悩みが生じている。農奴制度からの解放の歴史が昔、私が読んだロシア文学の主なところだった感じがする。チェーホフなどは日本の農村の場面を思い起こさせたが、20世紀のロシア文学に、ほどんと触れてこなかったことを思った。
曇り、夕方雨
小鳥来る二羽より三羽に増えて鳴き 正子
●衆議院総選挙。
●いつも散歩で通る保育園のフェンスに「めだか池図鑑」というA4ぐらいの写真が貼ってあった。フェンスの内側にビオトープがあって、めずらしい水草やめだかがいる。それを通りすがりに見て楽しんでいるのだが、初めて見る水草もある。貼り付けられて図鑑によると、水草は、とちかがみ、あさざ、おもだか、ふさも、がま、いぐさなど。今は花の大きい琉球朝顔がフェンスにからんで咲いている。
夏だったか、フェンスの内側で作業している保母さんに、水草の名前を聞いたことがあった。そのとき、「好きな人がいるので、名前を貼り付けるようにしてもらいましょう。」と言ってくれた。こんな風になるとは思わなかったが、今朝、思いがけず、水草の名前がわかった。
●今日は巻きずしを作る約束をしていたので、作って句美子のところへ持った行った。ごぼう入りの田舎巻きずしが食べたいので、作ってみたが、美味しいのは海苔だけの感じだった。自分で作ると味がよくわからなくなる。句美子はおいしいよ、と言ってくれたが。
曇り
ひよどりの小鳥来たるをよろこべり 正子
青煙をもうもう立たせ秋刀魚祭 正子
欅落葉踏むともなしに踏み歩く 正子
●図書館へ。図書館は区庁舎のなかにあるのだが、入口をはみ出て長蛇の列。期日前投票をする人たちとわかった。もう一つ長蛇の列があった。駅を出てすぐ左手。青い煙がもうもうと立って「さんま祭」の幟が立っている。山安」の名前も見える。おいしい干物で知られる山安の店が駅前にあるので、その店が秋刀魚を焼いてみんなに食べさせているようだ。
●本は7冊借りた。『トルストイ』(八島雅彦著/清水書院)と『ロシア文学への扉』(金田一真澄編著/慶應義塾大学出版会)、『葛飾北斎伝』(飯島虚心著/岩波文庫)、他にリルケに関する本とパッフィンブック1冊。全部読むわけではないが、少し見るところがあるから7冊になった。北斎伝は古文で、注釈付き。「画工北斎は畸人なり。年九十にして居を移すこと九十三所」の知られた文からはじまっている。
曇り
紫蘇の実を夕寒きまで育て 正子
蓮根に辛子が辛く効く夕餉 正子
食卓の昼のお暗さ柿照りぬ 正子
●整形外科へ。整形外科へ行くようになったのは、4年ほど前のこと。急に右足が上がらなくなって、階段が上れなくなった。これはなんだと思い整形外科へいくと、股関節が固くなっているからのこと。すぐ近くまでも歩けなくなっていた。理学療法士のお陰と、自分でも坂道を歩いたり、ストレッチを工夫して9割ぐらいは直っている感じだ。今日、道で出会った知人は、私の顔を見るとだしぬけに、「歩けることは大事だよ。」「歩けるからありがたいのよ。」と言う。「歩くのが不自由な人が結構多いのよ。」とも。
快晴、午後曇り
墓地よりの眺めの中に薄紅葉 正子
薄もみじ鶏鳴墓地にまでとどき 正子
墓に汲む秋水蛇口よりあふれ 正子
●墓参。9時半に出かけ、帰宅は1時過ぎ。花筒を洗ったり、線香を点けたりしていると、雄鶏の鳴き声が聞こえた。墓地の下の方の家で飼っているのだろう。いつも聞こえてくる。快晴の良い天気だったが、少し暑い。信之先生のお墓の反対側の列に台湾椿の白い花が咲いている。思ってもみなかった花だが、椿とそっくりで、おなじような花の落ちかた。今日は、電車もバスも接続は良かったが往復3時間半かかった。いつもこのくらいになる。
●電車の移動中『神さまの話』(リルケ著・谷友幸訳)の「正義のうた」を読んだ。『神さまの話』はリルケの2か月に渡るロシアへの旅のあと、7日間で13話を一気に書いたという。これらの話は「神さま」と言うテーマで貫かれ、子ども向けの話を足の萎えた大人のエヴァルトにするスタイルをとっている。
六話目の「正義のうた」は充実している。25歳のころのリルケの死に対する考えが知れる。「死人とは、おそらく、生について沈黙思考するために、身を引いてしまったひとたちだと思います。」などが見られる。また、キエフについてもおもしろい。「聖都の名をもって聞こえ、四百を算する教会の円頂をうちに擁して、ロシアが第一の誇りを常に謳歌していた都でしたが、今はもう、ひとり物思いに沈むほかはなく、幾たびか火災に見舞われて、つぎつぎに烏有に帰してゆきました。」など書いてある。あくまでも話のなかでのことだが。キエフ(キーウ)が戦火に晒される前兆を感じる。
曇り、雨降ったり、止んだり
みずいろを草に点じて蜆蝶 正子
(蜆蝶の季語は歳時記により春又は秋)
灯火親し夫亡きあとの夜々の灯は 正子
●明日、信之先生の月命日なので、墓参りの準備。お花とお菓子、果物を揃える。あすは昼までに帰れるように出かける。少し暑くなりそうだが雨は降らないようだ。
●今日は生協の配達日だったが、注文を忘れて、届いたのは卵だけだった。今日は霜降なのに暑い。またまた赤旗が自民党の非公認候補者にも2000万円を渡したとスクープ。選挙、何やってんねん!
●横浜赤レンガ倉庫のクリスマスマーケットが今日から始まるのだと1か月勘違いしていた。始まるのは来月22日夕方から。どんなものかと、You TubeやVlogにあがっていた去年のマーケットの様子を見た。1時間ぐらい並ぶようだが、若い人ばかり。60店舗の出店がある。ドイツの食べ物やクリスマス雑貨が売られて、手ごろな値段。入場料は500円だが、クーポンがあれば300円。手首に巻くバンドをくれるようだ。船できたり、ロープウェイ出来たりしているが、電車なら、みなとみらい線の馬車道で降りて6分。
やっぱり、赤レンガ倉庫は止めにして、センター北のドイツ学園の人たちが開いてくれるクリスマスマーケットだけにしようと思う。今年は12月7日(土)8日(日)になっている。例年、センター北駅で降りるとマーケットが賑わって、ホットワインなども飲ませてくれる。ここの方が小さいけれど、本場の感じ。たぶん望郷の思い出開いているクリスマスマーケットなのだろう。
曇り
かわせみの青き背を向け秋の暮 正子
野菊咲く小川の音の高かりき 正子
コスモスと穂草が絡む山の辺よ 正子
小綬鶏の子連れらしくて秋の沢 正子
鴨来るはやも浮き寝の三羽なり 正子
●午後、四季の森公園へ行った。弁当をもって出かけるつもりで卵焼きも焼いたが、お昼をすぎたので、家で食べてから出かけた。
一番の期待は、鴨が来ているかどうかだった。初め杭かどうかよくわからなかったが、はす池に三羽いる。これが、眠ったように水に浮いて、ほんの少し動いているだけなので、遠目には杭に思える。入口の自販機で買ったセブンティーンアイスを食べながら鴨を見ていた。座っている大きな御影石のベンチが、日に温もってほんのりあたたかい。
今日は四季の森には目立ったものはないだろう。そう思いながら、はす池の木道を奥へと歩いた。途中から小川の流れに沿うと、水が落ちる音が快い。チカラシバさえも水際ですずやかな印象だ。穂草のなかに終わりかけのコスモスがまだ咲いており、シロヨメナが一番きれいに咲いている。広場の大きなコナラの枝がほとんど切り落とされている。林の中に、新しいナラの切株があちこちにある。途中出会った老人によると、楢枯れで伐採されたのだという。ここ数年は楢枯れが広がっているそうだ。葦原を一周すると、ツリフネソウ、、キツリフネソウ、アキノウナギツカミ、ミゾハギがある。葦の中に鳥がいるような音がするのだが、出てこない。径の縁に水引草があちこちにあって、赤い色が見事に濃い。
葦原を一周し終わるところで、小綬鶏を見た。沢の草や笹に入り込んで、なかなか姿を見せなかった。草は揺れている。すると一羽が頭と胴を見せ、もう一羽が首を伸ばして顔を出した。オレンジロがくっきりとし、たしかに小綬鶏だった。鳴きはしない。三、四羽いるらしい。小綬鶏のいる少し上にがまずみの実が真っ赤に熟れている。
広場の入口に、ユウガギクガたくさん咲いていた。ユウガギクは柚子の香りがするので「柚香菊」と書くが、嗅いでみても、柚子の香りはない。池には翡翠が一羽、青い背をこちらに向けて枝に止まっていつもよりどっしりしている。カメラマンたちは引き払ってだれもいなかった。池の縁をのぞくとトリカブトらしい青紫の花が目に入った。林には鵯がよく鳴き、森の入口には四十雀の地鳴きが聞こえた。森に居れば居るほど、いろんなものが見えてくる。帰るまぎわ、里山花壇でウワミズザクラを見付けた。これは桜とは似ても似つかぬ白い房状の花。暮れるといけないので、3時半ごろ公園を出た。