2月19日(日)

★さきがけて咲く菜の花が風のまま   正子

○今日の俳句
海苔掻や潮目沖へと流れおり/桑本栄太郎
沖へと流れる潮目を見ながらの海苔掻きに、春の磯の伸びやかな風景が見えて、素晴らしい。(高橋正子)

○満作
★まんさくに水激しくて村しづか/飯田龍太
★空澄みてまんさく咲くや雪の上/相馬遷子

まんさく(満作、万作、金縷梅)は、マンサク科マンサク属の落葉小高木。本州の太平洋側から九州に分布し、日本各地の山林に多く自生するほか、花木として栽培もされる。3月ごろ葉に先駆けて花が咲く。花にはがく、花弁と雄蕊および仮雄蕊が4個ずつあり、雌蕊は2本の花柱を持つ。がくは赤褐色または緑色で円い。花弁は黄色で長さ1.5cmほどの細長いひも状になる。葉は互生し、楕円形で波状の鋸歯がある。果実はさく果で、2個の大きい種子を含む。
まんさくは、豊年万作の「まんさく」で、縁起のよい名前だが、早春の花展でよく見た。よい花を活けようとすると、やはり木ものがいるのであるが、庭や山にあるものは、花が咲くときに枯葉がところどころに付いている。さんしゅゆは葉を落としてしまい、純粋に花だけであるのに、まんさくにこげ茶色の枯葉がしがみついてはなれないのも面白い風情だ。日吉本町の5丁目の丘の住宅に一本万作がある。この家の木はどれも窓とよく似合ってしゃれていると通りすがりにいつも思う。万作もその一つ。

★まんさくの咲いて遠きが思わるる/高橋正子

◇生活する花たち「河津桜」(伊豆河津2011)

2月18日(土)

 横浜港
★港湾の動きに満ちて春浅し   正子
♪春は名のみの風の寒さや♪の季節です。ときには雪の交じる季節ですが確実に春は近付いてきています。港では船の動き、岸壁では人が忙しげに動いています。海のきらめきにも春を感じ、春への期待に胸膨らむ作者です。(古田敬二)

○今日の俳句
耕しに土の中なる根のさみどり/古田敬二
「耕し」は、春の季語。春になると、種まきの準備など、田畑を耕す。耕していると、土の中に白い根ではなく、さみどりの根があることに驚く。土の中にもすでに春の息吹がある。(高橋正子)

○黄水仙
★突風や算を乱して黄水仙/中村汀女
★横濱の方にある日や黄水仙/三橋敏雄
★石崖に黄水仙咲く午後も通る/加倉井秋を

南ヨーロッパ原産の多年草で、江戸末期に渡来した。観賞用として庭園等に植えられる。葉は剣状。春、濃黄色の花を横向きに開く。白い花の水仙は、冬の花であるが、黄水仙は春の花である。小学生のころは、この黄水仙が咲くのをいつも待っていた。白い水仙のあと、いぬふぐりの咲き始め、それから黄水仙となる。らっぱ水仙とも呼んでいたが、黄水仙が咲くと春が来て、遊ぶ時も、上着を脱いで遊べるようになった。そのころは農家では、ジャガイモを植えつける。食べ物では、あおやぎや蛸の「ぬた和え」が美味しい。桜が咲く前である。イギリスの湖水地方の詩人ワーズワースの「ダッファディル」としても知られる花で、春が来れば湖水地方一面に咲く。「ブルーベル」とともにイギリスの春の花である。下記の句は、キーツとワーズワースの詩を少し意識している、というか、二人の詩が浮かんで作ったもの。

黄水仙北北西の風に揺れ/高橋正子

◇生活する花たち「梅①・梅②・蝋梅」(横浜日吉本町)

2月17日(金)

★青空の果てしなきこと二月なる   正子

○今日の俳句
水音して箕面連山春浅し/河野啓一
「水音して・・春浅し」の感覚がいい。箕面連山を行くと、ころころと水音が絶えずしている。自然に身を入れると、確かに春が来ている。(高橋正子)

○山茱萸(さんしゅゆ)
山茱萸の黄や町古く人親し/大野林火

山ぐみとは違う。中国原産の薬用植物だが、最近は観賞用に植えられる。早春黄色の小繖状花を開く。和名を春黄金花(はるこがねばな)という。秋の赤熟した果実が珊瑚ににているので、秋珊瑚ともいう。以上は角川歳時記の説明。
山茱萸(さんしゅゆ)の花は、早春の花展には必ずといっていいほど用いられていた。四国砥部の我が家の庭にも鑑賞用に植えていた。黄色い小繖状花は色が澄んでいて、日ごと明るくなっていく庭の象徴的な花だった。秋にはクコによく似た赤い実が熟れた。クコの実をご存じないかたは、グミの小さい実と思っていただいてもよい。薬用にされるだけあって、いかにもそのような実だ。横浜では、四季の森公園に山茱萸が十本近くあるが、1月に訪れたときは、一見、山茱萸とは見えないほど赤い実が鈴なりに生っていた。料峭の空気感を象徴するような花である。

◇生活する花たち「クリスマスローズ・椿・へくそかずら」(横浜日吉本町)

2月16日(木)

 慶大日吉キャンパス
★煙る銀杏芽吹く気配を一心に   正子
葉を落とし休眠していたような銀杏の、寒い季節より巡ってくる健気な芽吹きの気配を感じ取られています。(祝恵子)

○今日の俳句
もてなさる一つに椀のあさり汁/祝恵子
もてなしの料理が並ぶなかの一つの椀があさり汁である。春らしい一椀に、ほっと気持ちが解きほぐされ、主客ともに春を
いただく気持ちが湧く。

○臼田亜浪ー俳句の「まこと」を求めてー
臼田亜浪は、私の俳句の師である川本臥風先生の先生である。臼田亜浪は、俳句では中間派と呼ばれている。「まこと」を求められたので、臥風先生からも「まこと」を求める精神を教わった。「まこと」を求める精神は、句作をはじめてから47年ほどになるが、ある意味「まこと」を求めて「自由」であることを許された気がする。亜浪先生も臥風先生も句風は清新であると思う。
小諸を訪ねて、亜浪先生の書をはじめ、羽織や火鉢など遺品を見たが、俳句から受けた印象と違うところがほとんどなかった。小諸の地形と浅間山が目に残っている。

★郭公や何処までゆかば人に逢はむ/臼田亜浪
この句を口ずさむと、漂白の日々を送る旅人の心がひしひしと胸に迫ってくる。おそらく 山道をひとり歩いていたのであろう。郭公が 背に鋭く鳴き続ける。その声は、切れ目があって、はかない一瞬を強く印象付ける。瞬間 の印象が強ければ強いほど、旅人の長い道は 、さらに長く果てしないものに思えてくる。この句はまた、「真」を求めた亜浪の人生の 旅を思い起こし、深い感動を与える。大正十三年、亜浪四十五歳のときの句だが、大正三年夏の体験が十年後の大正十三年に句となった。句集「亜浪句鈔」に収録。(高橋信之) 

★鵯のそれきり鳴かず雪の暮/臼田亜浪
神奈川県中津での嘱目吟で、句の成ったその場にはかなりの句作者がいたというが、この句の鑑賞には、亜浪ひとりきりとしたい。鵯(ひよどり)の鳴く雪の景と真っ直ぐに向き合うのは、亜浪ひとりで、作者自身の内面に向けられた思いが深く、静かだ。それきり鳴かず」と言わしめた「雪の暮」は、しんとしての静かである。単なる写生でない本質を詠んだ。前書「中津行き」とある大正九年の作。亜浪四十歳のときで、その年、大須賀乙字が「石楠」を去った。(高橋信之)

  亜浪先生逝去
★この冬空の下のどこにも先生亡し/川本臥風
亜浪の没年は、昭和二十六年である。

★雲雀落つ谷底の草平らかな/臼田亜浪
空の高みで鳴いていた雲雀は、急に鳴き止んで畑などに降りる、降りるというより、落ちる感じだ。この句では、谷底の平らな草の上に落ちたという。谷底のそれでも平らな草地は、雲雀が降りるのに相応しく明るく萌えている。山国の雲雀の雲雀らしさが詠まれた句。(高橋正子)

★ふるさとは山路がかりに秋の暮/臼田亜浪
亜浪のふるさとは、信州小諸である。山路がかる道を行けば、秋の暮れが迫っている。そうでなくても早い秋の日暮れに、山路がかりの道の秋の暮は早い。ふるさとの地を踏んだ懐かしさが、思いを深いものにしている。(高橋正子)

◇生活する花たち「黄水仙・梅・枝垂れ梅の花芽」(横浜日吉本町・金蔵寺)

2月15日(水)

★梅の香を息に吸い込みあるきけり   正子
咲き始めた梅はかすかな香りを放ちます。ちょうど背の高さにある香りの膜の中を歩く。肺の中に梅の香りが満たされるようである。ゆっくりと香りを楽しみながら歩く作者の姿が浮かびます。(古田敬二)

○今日の俳句
クロッカス陽の一色を受けており/古田敬二
早春の地面近くに花開くクロッカスは、春をさきがけた明るさがある。「陽の一色を受けており」に、太陽のぬくもりと光りを受けたクロッカスの愛らしさがよく表現されている。(高橋正子)

○ネットテレビ
昨日午後、月刊俳句界を出版する株式会社文學の森の<ネットテレビ事業部>から電話があった。インタビュー等の撮影申し入れである。「俳句界ニュース」企画書もファクスで送られてきた。放送日時は、4月上旬放送開始(インターネットでの公開)予定とあった。仮タイトルに<俳句におけるインターネット活用術>とあった。
http://haikukai.tv/

花冠発行所がテレビに紹介されるのは、久しぶりのことだが、新聞雑誌では、以下のように花冠のネット句会が紹介されている。

①「俳句四季」2006年3月号(東京四季出版)に高橋信之「現代俳句への提言/ブログ句会について」が掲載、
②「俳句四季」2006年4月号(東京四季出版)に高橋信之「現代俳句への提言/俳句のIT革命について」が掲載。
③朝日新聞(2006.4.23日曜版be)水煙のブログ句会が紹介されました。その他では、ライブドアとKDDIの俳句のブログが紹介されています。
<ぶらりネット>
「手軽なブログで五・七・五革命」
前文略
俳句雑誌「水煙」を発行する高橋信之さん、正子さん夫妻は、96年に俳句のウェブサイトを開設。昨年秋からはブログ句会(blog.goo.ne.jp/npo_suien102/)も始めた。約30人の会員が毎日、自分のブログを使って投句し、高橋夫妻が定期的に入賞句を選んで発表する。「ネットで俳句をするなら、操作も手軽なブログをお薦めします」と信之さん。「IT化が進む社会で、俳句はどのように新しい創造ができるのか。これは俳句のIT革命なんですよ」(冨岡史穂)
④毎日新聞の「俳句α」に私達のブログが紹介されました。10・11月号(2006年10月1日発行)の119ページです。その中に、高橋信之、高橋正子、竹内よよぎ、臼井虹玉、碇英一、黒谷光子、祝恵子諸氏の俳句が掲載されています。
⑤朝日新聞(2007年1月4日愛媛版)
「子規山脈・・IT化」という見出しで、高橋真紀子記者の取材。
⑥日本経済新聞夕刊(2007年7月6日)

などである。

2005年1月15日には、「MELLOW/シニア情報生活アドバイザーマガジン」第6号に「インターネット俳句の活動」について、下記のように書きました。
 四国松山に事務所を置くNPO法人水煙ネットは、シニア情報生活アドバイザー養成講座実施団体としての活動をしており、「俳句のNPO」をキャッチフレーズに、インターネット上の様々な俳句の活動を行っております。年末年始は、カウントダウン句会(チャット句会)、正月7日(オフ句会)には、横浜三渓園で、首都圏在住の十三名の仲間と松山からは私が参加し、初句会を開きました。(十五日には、月刊俳句雑誌「水煙」二月号・通巻二五七号も発行されます。)
 私たちのネット句会の中心の活動は、月例のオンライン句会です。今月は、九日(日)にオンライン正月句会をいたしました。六十名が集まってのネット上の月例句会は、他に例がないと思います。金賞は、「水満たし七種の色浮かしおり 祝恵子」でしたが、この句の作者は、お孫さんもおられる六十代の主婦です。私たちNPOのインターネット上での活動の特徴は、伝統的な俳句という文化を、現代的なITの力によって、新しく生きいきとしたものにすることにあります。特に、高齢者、主婦、障害者等の活発な活動が目立ちます。毎日の投句箱もあり、「よい生活からよい俳句が生まれる」「細く長く」をモットーに、俳句が日々の生きがいにもなっています。
 この活動は、自分の俳句を楽しむだけではなく、小中学校の授業にも参加して、学校教育のお役にも立っています。授業中にインターネット上の掲示板に書き込まれた生徒の俳句にコメントや添削をして、生徒の学習指導のお役に立っています。私たちのNPO法人の会員は、南は沖縄から北は北海道の網走まで、全国に散らばっていますので、様々な地域の風物を知ることができます。教科書の上だけではなく、生きた学習ができるというわけで、生徒たちにとっては、いい勉強になります。
 私たちのシニア情報生活アドバイザー(えひめ地域ITリーダー)活動の最大の特徴は、経歴や職業、環境や年齢も様々である多様な人たちが集まって、多様な活動をしているということにあります。これらの活動が、日本の将来を明るいものとしてくれのではないかと思います。俳句をITによって活性化することは、時代の要請でもあり、「明るくて深いもの」という日本独自の文化が育っていくことを確信して、日々休むことのない活動を続けています。私たちのホームページを是非、一度お訪ねください。
(メルマガ「MELLOW」は、財団法人ニューメディア開発協会シニア情報生活アドバイザー事務局が発行しています。)

日本経済新聞夕刊(2007年7月6日)では、<ブログで投句 新時代の座>のタイトルで、<インターネットと俳句の相性のよさということで、高齢者や身体障害者もいる。また、多忙な人の貴重な研鑚の場になっている。>など、と紹介されました。

◇生活する花たち「梅・菜の花・河津桜」(伊豆2011)

2月14日(火)

 東海道53次川崎宿
★下萌えの六郷川の水青し   正子
嘗て江戸時代、多摩川の「六郷の渡し」として栄えた所であり、大変重要な場所であった。その六郷川に下萌えの草がみどりを為し、水はあくまで青いと言う・・。浅春の情景が見事に詠われ、素敵な一句である。(桑本栄太郎)

○今日の俳句
★自転車の籠に紅梅つぼみもち/桑本栄太郎
停めてある自転車の籠につぼみをもっている紅梅を見た。どこかでもらった紅梅か、ここにもつぼみがついた花がある驚きと喜びがあって、句が生きいきしている。(高橋正子)

○新聞を読む
日経朝刊(2月14日付け)の1月19日に開催された<新春日経マネジメントフォーラム>特集を読む。その<クロージング講演>は、早稲田大学大学院教授の小尾敏夫氏の「情報化社会と超高齢化社会が融合 CIOの責任はより広範囲に」であった。その中に「無資源国家日本が誇れるのは人財と教育である。特に日本の人財活用には、力を活かしきれていない女性、外国人、高齢者の能力を最大限に活用するのが急務。」それには、CIO(最高情報責任者)のリーダーシップの発揮が重要である、としている。このCIOの人材に欠けているか、活かしきれていないという日本社会の構造が問題ではないかと思う。「情報化社会と超高齢化社会が融合」は、花冠が早くから取り組んできた課題で、それなりの成果を上げたと自負している。

ITの活用で(インターネット俳句センターを中心とした活動)、花冠(水煙)はユニスコの詩の部門に日本でまず初めてサイトを設けて紹介してもらった。多言語による活動に注目れてきた。今、現実的には、高齢者である信之先生の活躍と、女性である私の活動は、(ちょっと笑ってしまうのだが)日経フォーラムの講演の内容を実践しているように思える。高齢者も女性も、いろんな意味でがんばっているし、力をもっているが、ただ、若いだの、高齢者だの、女性だの、といってもひとくくりにはできない、完全な個人差があることは間違いない。個人の総合能力格差を平等を持ち出して均してしまう変な日本の民主主義にも困る。

◇生活する花たち「河津桜」(伊豆河津2011)

2月13日(月)

★日当たって山の椿の花であり   正子
早春の穏やかな日差しを受けて、里山に咲く椿は花弁と黄色いしべのコントラストが美しく、素晴らしい春の景ですね。 (小口泰與)

○今日の俳句
榛名富士むらさきに明けクロッカス/小口泰與
榛名山が紫色に明ける。雄大な山にも、小さなクロッカスが咲いて足元にも春が来ている。クロッカスも紫色であろうか。(高橋正子)

○菜の花
★菜の花や月は東に日は西に/与謝蕪村
★菜の花や小学校の昼げ時/正岡子規
★菜の花の遙かに黄なり筑後川/夏目漱石
★菜の花や旅路に古りし紺絣/沢木欣一

春、一面に広がる菜の花畑は壮観で、代表的な春の風物詩である。菜種油採取用のアブラナ畑はあまり見られなくなったが、その他のアブラナ属の野菜も黄色い「菜の花」を咲かせ、その種子採取用の畑が菜の花畑として親しまれている。早春のアブラナのほかに野菜類(カブやハクサイ)が、油用のセイヨウアブラナ、ノザワナがそれぞれ5月に開花する。切り花用として利用されるものは、チリメンハクサイや改良品種で、葉が白っぽく縮れている。セイヨウカラシナは、丈夫で川原や荒れた土地にも繁茂するため、河川敷や堤防、空き地に播種し、菜の花畑を作るケースがある。
★山の斜面切り開き菜の花満開/高橋信之

★群青の湖までの土手花菜風/黒谷光子
土手伝いに菜の花の風を受けながら湖まで歩くと、湖は群青の色に。その色への驚きがある。菜の花の黄色をイメージさせる花菜風と、湖の群青のコントラストが美しい。(高橋正子)

★まんまるい蕾もろとも花菜漬け/藤田裕子
まんまるい、黄色も少し見える蕾もろとも漬物に付け込むには、心意気がいる。日常生活が身の丈で表現された句。(高橋正子)

◇生活する花たち「梅・水仙・三椏の花」(伊豆修善寺梅林2011)

2月12日(日)

★梅の花いつもきれいな青空に   正子
寒さの中に、仄かな香をまとい凜と咲く可憐な梅の花。見上げるといつも澄みきった青空が花とともにあります。早春のみずみずしい空気と春を迎える静かな喜びが感じられます。(柳原美知子)

○今日の俳句
とりどりの遊具整い風二月/柳原美知子
遊具のペンキを塗りかえられたり、整備されて、子供たちが遊びに来るのを待つばかりとなっている。「風二月」がよく効いている。(高橋正子)

○第5回句会入賞発表

ご挨拶
一日寒い日でした。インフルエンザも流行っているようです。第5回のきがるに句会にご参加いただき、ありがとうございました。入賞の皆さまおめでとうございます。毎日、力のこもった俳句をご投句いただいて圧倒されています。切磋琢磨という言葉がぴったりの状況と思います。次回は第6回句会となります。ご投句をお待ちしています。これで、第5回きがるに句会を終わります。

【最優秀/2句】
★福の豆受けて明るき音鳴らす/佃 康水
福の豆をいただくことは、福をいただいたようでうれしい。「明るき音」は、作者の明るく気持ちが出て、句がかろやかなのがいい。(高橋正子)
★雪晴れの空へ明るき鳥の声/井上治代
学生俳句のよさが出た句で、率直でこだわりのない明るさがよい。(高橋正子)

▼その他の入賞句
http://blog.goo.ne.jp/kakan02c/

◇生活する花たち「梅・ミモザの花蕾・桃花芽」(横浜日吉本町・金蔵寺)

2月11日(土)

★下萌えは大樹の太る根もとより   正子
大きな素晴らしい樹のもとから、早春、地中から草の芽が萌えて出て、春が来た事を知らせてくれますね。素敵な句ですね。(小口泰與)

○今日の俳句
利根川に道真っすぐや蓬摘む/小口泰與
利根川は関東平野を延々と流れる大河であるのは言うまでもないが、利根川に沿う道がまっすぐであること、それほどの川であることに意外性がある。真っ直ぐな土手道に蓬を摘む楽しさは、どんなであろうか。(高橋正子)

○辛夷
風摶つや辛夷もろとも雑木山/石田波郷

高さ6-9メートルに達する落葉喬木。新葉の出ぬ前白色の花を、梢頭樹間に開く。雨に濡れたり、土埃をかむったりすると、退色して、紙屑のようにきたなくなる。古名をヤマアララギ、コブシハジカミという。

辛夷は、私にとっては、堀辰夫の小説のイメージが強い。横浜に転居するまでは、辛夷は、希に、もしくはほとんどと言っていいほど見たことがなかった。どんな花だろう、この目で見てみたいと思っていたものだ。似ている花の白木蓮は、庭木などで、家々によく咲いていた。新しい住宅が建つなどすれば植木にも流行があるのか、どの家にも同じ木が植えられる。白木蓮もその一つではなかったかと思う。横浜に転居してからは、近所に始まり、至るところに辛夷を見かける。旅をすれば、雑木山に辛夷が咲いているのが目撃できる。辛夷の花が咲くころは風がたしかによく吹く。風に雑木山ごとなぶられるようなこともある。白木蓮のように明らかな形で咲かないで、くしゃくしゃと咲く。この決まりなさがいい。スケッチするなら、白木蓮より辛夷がいい。風に打たれやすく、雨に傷みやすくて、儚く美しい文人好みの花であろう。シデコブシというのがあって、いい花だと思う。

◇生活する花たち「黄水仙・椿・桃花芽」(横浜日吉本町・金蔵寺)

2月10日(金)

★おしばなの紅梅円形にて匂う   正子
おしばなとなりながらも、「円形にて匂う」紅梅。丸い五弁の花びらの可憐さも、馥郁とした香りもとどめた美しさです。紅梅の何ともいえない愛らしさが、そこはかとなく漂う香りとともに伝わります。(藤田洋子)

○今日の俳句
街筋の昼月ほっと梅開く/藤田洋子
街筋の空を見上げれば、白く透明感のある昼の月が浮かんでいる。昼月を遠く梅が開いて、昼月と梅との美しい出会いがある。(高橋正子)

○蓬 蓬摘む
★蓬萌ゆ憶良・旅人に亦吾に/竹下しづの女

春になると、祖母が「墓原(はかわら)へ蓬を摘みにいこう」と、竹かごと鋏と用意して連れて行ってくれた。墓原は、墓地ではなくて、裏山の裾の村の墓地の隣りにある柿の木がある畑である。夜は怖くて決して行けないが、昼間は、丘になっているので瀬戸内海が見渡せ、汽笛を鳴らしてゆく船が遠くかすんで見えるうららかなところである。竹かごは「ほぼろ」と呼んでいた。鋏はじゃんけんのチョキに似た握り鋏と呼ばれる鋏で、これで萌え出た蓬をちょきちょきと摘みとる。蓬は爪でたくさん摘みとると爪が真黒になって、痛くなる。摘んだ蓬は、雛祭の菱餅になったし、蓬餅、蓬団子となって、春が来たら食べられる嬉しいものであった。

これまで住んだところには、摘もうと思えば摘める蓬がいつでもあった。埃を冠っていない山裾などで、子供たちと遊びながら蓬を摘んで持ち帰って蓬団子にした。ただ摘むだけのこともあった。夏草となり埃っぽくなった蓬は、もういやだけれど。(しかし、梅雨の季節、水に倒れた蓬を牛車が轢くと芳しい香をあげるという枕草子にもあるような場合は別にして。)若草を摘む喜びは、万葉の時代から、日本人の心のどこかにあるのではと思う。

★利根川に道真っすぐや蓬摘む/小口泰與
利根川は関東平野を延々と流れる大河であるのは言うまでもないが、利根川に沿う道がまっすぐであること、それほどの川であることに意外性がある。真っ直ぐな土手道に蓬を摘む楽しさは、どんなであろうか。(高橋正子)

◇生活する花たち「梅①・梅②・蝋梅」(横浜日吉本町・金蔵寺)