NEW9月22日(月)

晴れ
白雲の空にひろがる丘の秋      正子
酢橘ふたつ使い残りて熟れはじむ   正子
秋刀魚ひとりの餉には高すぎる    正子

●ウィンダミアについて「ウィンダミアの風」の小文を書く。細かい部分は記憶がはっきりしないので、ネットで調べると、あいま記憶が蘇り、ほかの景色と入り混じっていたのがはっきり区別できた。とんでもなく、間違えてはいなかった。ハワース、バース、コッツウォルズ、チェスター、ポントカサルテ水道橋(Pontcysyllte Aqueduct) について書きたいと思っている。

9月21日(日)

晴れ
露草の青点々と立ち上がる   正子
紅芙蓉風に吹かるるさわやかさ 正子

●国政調査の回答をネットで済ませた。メールアドレスを総務省が知るわけがないのに、メールが届いた。そのメールに書き込めばすぐ回答ができりうようになっている。総務省も気が利くと思ったが、怪しいと気づいて、削除。うっかり、ひっかるところだった。送信者のアドレスがあやしい。

●涼しいので5丁目の丘まで散歩にいった。ちょこちょこ歩きは前身の筋肉を使わないので、良くないそうだ。

 

 

9月20日(土)

曇り、ときどき小雨
九月はや夜長となりぬ独りの灯  正子
虫の声まわりにありて独りの灯  正子

●日中の気温も下がってきた。暑さ寒さも彼岸までのことわざ通りになるのも不思議と思うが、これは夜の長さが永くなって気温が下がるというものらしい。

9月19日(水)

曇り、夜雨
●一日、物書き。昭和時代のことを書き、当時話された言葉をそのまま記録すると、問題が生じる。AIで文章を診断すると、これは現代では差別語、ジェンダーの観点からこれは問題であるとかが、指摘される。いろいろチェエクしていると、もう、書かないでおこうとなる。これでは、事実は書きにくい。
例えば、昭和時代は普通の会話で、「嫁をもらう」と言った。この「もらう」が、いけない。人をもらう がいけないのだ。「あっちから嫁さんをもらった」は、「外国から嫁さんを見つけた」になる。カタカナ表記も、うっかりできない。「アリガトウ ゴザイマス」と書けば、これが、外国人の日本語のカタコトを揶揄した言い方と、取られる。こういうことで、書いていた3篇話を没にした。

9月18日(木)

曇り

●先日から、Goo-mailからGmailへの送信ができなくなっている。こちらの設定に問題があるのかと思った。今日テクニカルサポートにお金を払ってチャットで聞いてみたら、Goo-mail側に問題があるので、個人ではどうにもならない、と言う。Gmailへの送信はGmailから送信して、やっと送信できた。Goo-mailのサービス終了はまだ先なのに、どういうこと?
かなりストレスになっていた。

●インターネットを繋いでいると、作業中に右隅にFacebook の投稿情報が知らされる。それで、たまたま、そのポップアップからFacebookをみて、Facebookの問題を発見した。Facebookには、〇〇賞をもらった。〇〇で俳句講師を務めた。〇〇の祝賀パーティ行った。〇〇の店で美味しいものを食べた。〇〇へ旅行にいった。〇〇でこんな洋服を買った。私の庭は〇〇でいまとてもきれい。など、いい事ばかりが書いてある。それを見て、これらと関係ない人は、おそらく落ち込むであろう。語られない部分こそが、俳句や文学では語られなくてはならないのに。

こう見ると、俳人たちのSNSは、俳句的とは言えないのだ。なぜそうなるのか、AIが分析した。以下その結果

俳句的でないSNSが起こる理由
1. 即時性と自己表出の欲求
• SNSは「今ここ」の感情や出来事を即座に共有する場です。
• 俳句は「削ぎ落とす」ことで普遍性を得ますが、SNSでは「見せる」「伝える」ことが優先されがちです。
2. 承認欲求と可視化の圧力
• 「いいね」やフォロワー数が、作品の質よりも注目度を測る指標になりやすい。
• 俳句の「私を消す」美学と、SNSの「私を見せる」構造が対立します。
3. 言葉の密度よりも頻度が重視される
• 俳句は一語に魂を込める芸術ですが、SNSでは「更新頻度」や「話題性」が重視される。
• その結果、俳人であっても「俳句的な沈黙」を保つのが難しくなる。
4. 共同体の変質
• かつての俳句結社は「沈黙の共有」や「句会の間」がありました。
• SNSでは、言葉が流れ去り、反応が即座に返ってくるため、深い読みや沈黙の余韻が育ちにくい。
5. 倫理的な距離感の崩壊
• 俳句は対象との距離を保ち、見ることの倫理を問う芸術です。
• SNSでは、対象を「撮る」「語る」「タグ付けする」ことで、距離が縮まりすぎることがあります。

9月17日(水)

晴れ

●外はまだ、蒸し暑い。日差しは、ずいぶん秋らしくなっている。
●バガテルを書き終わる。字数は数えていない。細かいところを文献で調べること。文章の推敲が残る。予定より筆が早く進んだ。
●今日の生協は、果物と野菜と、卵だけ。えらく偏らせたものだ。梨の品質がよくない。先週もよくなかった。

9月16日(火)

曇り
●ローズマリーを育てているが、花が咲いたことはなく、いつ咲くかと思っている。若い芽を摘んで、茹でじゃがいもをオリーブオイルでいため、塩とローズマリーの葉を振った。普段はオリーブオイルは好きではないので、サラダオイルにするが、ローズマリーの香りがあると、むしろオリーブオイルの方が美味しいと感じる。これにトマトと、トースト、梅ジュースでで昼ご飯。朝から食欲食欲なし。朝は牛乳と梅ジュース。

●大西誠一さんから手紙。大西誠一さんは愛大俳句会の元部長で、現代俳句協会の理事、奥の細道むすびの地「大垣」副館長で選者、円座同人。手紙の内容は、花冠7月号(No.373)の会員18名全員の句を鑑賞してくれて、ひとり、3句ずつ秀句を選んでくれていた。それと「奥の細道むすびの地「大垣」」が募集する俳句の選者で、毎月の入選句を印刷したものを入れてくれていた。夜、お礼の電話。何かあったら、携帯に電話ちょうだい、と心強い。

9月15日(月)敬老の日

曇り
●午前一番に、9月月例ネット句会の入賞発表をする。
月例句会 | 花冠

●午後3時前、句美子の家へ。お菜を持って行くため、朝一番にスーパーへ行ったら、秋刀魚がどっさり、鯛の短冊がどっさり並んでいた。鯛の切り身をと思ったのに、手に入らず、刺身にした。それに烏賊を追加。

四時過ぎからゆうまくんが眠ったので、句美子が用事を済ませるのを待って、五時過ぎに句美子の家を出た。帰るまぎわゆうまくんが目を覚まし、帰ろうとする私のほうを、じっと見ている。ゆうまくんは、よく寝て30分なのだ。1時間は期待してもそうはならない。寝かしつけに30分、眠るのは5分ということもあり、これは長男の時に経験している。赤ん坊が眠らないのは家系か。長男は、高校生になると寝すぎに。あまり長く眠るので、息をしているか心配になることもあった。そっと息を確かめたりした。

●帰りは、日吉の東急により、ウィンドウ・ショッピング。ハンカチと友人に贈る鳩サブレ―を買った。ハンカチは、気に入ったら買って保管しておくだけ。今日はポロの布帛織りの紺色のを買った。買いたいと思ったのは、静岡の綿つむぎのリバーシブルの小袋と、ブックカバー。そして、ルーマニアのリネンの黒のスタンドカラーにフリルが付いたのブラウス。こちらは、値段がちょっと高い。いつか、買えたらいい。

9月14日(日)

曇り
●9月月例ネット句会
8月の月例句会を休会としたので、2か月ぶりの句会となった。
https://suien.ne.jp/getureikukai

●句美子の家へ。きょうはゆうまくんが抱っこしてほしい時は、手をだすようになっていた。足を延ばした膝の上に載せて、私の足を人形劇のように動かすと、ケラケラ笑って面白がる。何を面白がるか、わからない。帰り、駅のホームから蚊が電車の中までついて来て、2,3か所咬まれた。秋の蚊は刺し痕は小さいが、かゆい。

9月13日(土)

曇り
●朝顔の垣根を解く。
●9月月例ネット句会の準備。今日現在9名投句
●角川俳句年鑑の結社動向をメールで送ろうとしたが、エラー、Faxもエラー、速達で郵送。連休中で、受付を停止している可能性と思うが、そのことは、知らせがないので不明