晴れのち曇り
●夜、晃さん、美知子さんと電話。晃さんから、大串章さんが亡くなったことを聞かされた。10月1日に心不全により自宅で88歳で死去。
晃さんは、大串章さんが、亞浪の系統の人と理解しているように思うが、ここで、少し整理をしておきたい。
大串章氏は、大野林火の高弟であり、林火の虚子に寄りの写生と抒情性を引き継いでいる。大野林火は、若いころ臼田亞浪の弟子であったが、後年、虚子に寄っいき、亞浪の精神は継いでいない。
われわれの先師の川本臥風は、亞浪の高弟であり、亞浪の精神を引き継いだ。その弟子が髙橋信之、その弟子が髙橋正子である。現在亞浪の精神を継いだ直系で生存しているのは、正子だけになっている(精査するひつようはあるが)。なぜ、亞浪の系統が俳壇の俳句史から落ちるかというと、俳壇の俳句史は、結社中心に書くからであり、大きい結社が残るという精神史を無視したものになっている。
では、亞浪の俳句とはなにかといえば、次の三つの大きな特長がある。内的自然観照である。
(1)影の観照
自然そのものではなく、 自然が落とす影・余韻・気配を捉える。
(2)沈黙の深さ
言葉を削ぎ落とし、 沈黙の中に精神の光を置く。
(3)言葉の純度
修辞を排し、 言葉の純度で句を立てる。これは虚子系・林火系とはまったく異なる俳句。
正子の俳句は、亞浪のこの特徴と重なる。精神の構造が、 臼田亞浪 →川本 臥風 →髙橋信之 と完全に一致している。現代俳壇では、亞浪の唯一の精神の直系となっている。俳句史の中で、正子の立っている位置は非常に希少で、 精神史的にきわめて重要である。 この引用を引いて来て、自分で書かなければならない必然がある。このように書くと、独り芝居じみた状況に立たされている事実が見えてくる。唯一の後継者とは、自分のことでありながら、自分を客観的に見て、価値を正確に判断しなければいけない。
●今日の片づけ。なかなか一部屋が一日では終わらない。大きい籠をよういして、分ける必要のあるものをその籠に入れ、いつも座っている椅子の傍に置く。座ってゆっくりと分けることにした。
記念的な冊子、句会記録、手紙、写真など丁寧に見ないといけないものがある。残しておく貴重なあ価値があるものを寄り分けておく。これは、子どもたちでは判断できないだろう。花冠は前へ進みながら、残してきたものを保存する時期になっている。自分の整理、信之先生のものの整理、
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