「リルケと俳句と私」(五)
高橋正子
「リルケと俳句と私」を書き始めて五回目となった。リルケについては、信之先生の遺したインゼル書店の『リルケ作品集』に風を通すために開いたのが切っ掛けで、気の向くときに読むようになった。リルケを遠ざけていた私が、このごろでは、リルケを考えない日がないくらい、何かしらリルケについて考えている。 考えると言っても、「マルテが部屋に忍び入り、オシドリの置物を割ってしまう。そしてオシドリの羽色の中から、紫のかけらを拾う。」その場面を思い、紫を拾わせたリルケの美的感覚に感心したり、「詩は感情ではなく、人生の経験で書くものだ」という言葉を思い出すぐらいである。
それが、信之先生が亡くなったあとの精神を、倒れないようにまっすぐ立てる支えとなっている。それはリルケに精神を貰っていると言ってもいいものなのだ。「リルケと俳句と私」も、いつまで書こうという計画もなくて、知らない世界に踏み込んでしまった。畏れ多い気持ちではあったが、初期の作品を読んでみると、プラハを詠んだ詩であるにもかかわらず、言い得ぬ懐かしさを覚えた。そして、私なら、この場面ではこの俳句ができるという気持ちになり、一二句作った。それはたのしい経験であった。それに、「詩返」と名付けて、リルケの詩に応えた俳句を作り始めた。リルケ最晩年の詩集『ヴァレの四行詩』は、俳句を意識して作った詩だと言われ,関心をもった。前回書いたが、詩の主体が後景に引いた俳句の要素をもつ詩法で書かれている。この詩法は、俳句を知る以前からリルケが使っている詩法ではあるが。
今回採り上げるのは、25番の詩である。『ヴァレの四行詩』(フランス語)には、片山敏彦による完成された美しい訳がある。その訳詩は著作権の関係で、詩返を書くとき引用できない。私の訳は、詩返のための訳であって、リルケの言葉の呼吸と気配に触れるために、日本語の美学よりも原詩の側をあえて優先した訳である。その良さと言えば、多少の透明感かもしれない。25番は三連からなっている。詩返も一連ごとに作ったので、それをこれから見てゆきたい。
詩返1 銀と青をふくみ真夏の草埃 正子
詩返2 ひるがえる柳裏葉のあかるさは 正子
詩返3 葉桜の中に石手の古き塔 正子
25
埃っぽい道に沿って
緑は灰いろへ近づく。
けれどその灰いろは、従順そうでも、
銀と青とを含んでいる。
さらに高く、ひとつの別の層に、
一本の柳が明るさを見せ、
風に翻ったその葉たちの裏側を
緑にほとんど近い黒の前に 見せている。
そのそばに、抽象そのものの緑、
まなざしのうちの淡い緑が、
見捨てられた背景の深みに、
世紀がときほぐす塔を囲んでいる。
(高橋正子訳)
25
Le long du chemin poussiéreux
le vert se rapproche du gris;
mais ce gris, quoique soumis,
contient de l’argent et du bleu.
Plus haut, sur un autre plan,
un saule montre le clair
revers de ses freuilles au vent
devant un noir presque vert.
À côté, un vert tout abstrait,
un pâle vert de vision,
entoure d’un fond d’abandon
la tour que le siècle défait.
第1連から見ていくと、「埃っぽい道に沿って」「緑は灰いろに近づく」「その灰いろは従順そうでありながら」「銀と青を含んでいる。」
具体的な風景は「埃っぽい道」が示されているだけで」その道から読者はその道の風景の暗示を受ける。そして、灰いろに近づく緑を思う。その緑は色としての緑で、具体的な木の緑、草の緑を示しているのではない。そして、その灰いろはと言えば、従順な灰いろではなく、つまり、灰いろそのままに見えるが、そうではなく意志あるように、銀と青を含んでいる。
私は、ここから、埃っぽい夏の白けた道を思い描いた。そして道脇の草に積もる粉のような埃を思った。埃の積んだ道端の草の葉は、緑が灰いろになり、その灰いろは、光を帯びて銀いろで、草の緑の生命力というのであろうか、青が目に入ってくる。
詩返1 銀と青をふくみ真夏の草埃 正子
私は60年の俳歴なかで、夏草の葉に積もる埃を詠んだことはこれまでない。それが、この詩の気配から、草埃がイメージとしてすぐに立ちあがったのだ。田舎の道でよく目にしていたからであろう。
リルケは、色がどのように変質し、どのように他の色を孕み、どのように気配として立ち上がるか、その抽象的な運動だけを提示しているのである。その抽象性から「埃っぽい道にそって」という少しの手掛かりで、私は、私の具体的な風景を呼び寄せたのである。それが、詩返1である。
次に第2連を読んでみたい。
「さらに高く、ある別の層に」「一本の柳が明るさを見せ」「風に翻ったその葉たちの裏側を」「緑にほとんど近い黒の前に見せている」
ここに読まれた景色は、ある別の層に、一本の柳が明るく立って、風に葉の裏側を見せている。その裏葉は、緑に触れそうなくらい近い黒の前に見えているのだ。この解釈から詩返2を作った。
詩返2 ひるがえる柳裏葉のあかるさは 正子
詩返で言語化されていない部分は、「緑にほとんど近い黒の前に示している」である。これは、俳句の余白、沈黙の部分から読み手に読みとってもらうことになる。「あかるさは」の「は」の言い淀んだ後の省略を読んでもらいたい。この「は」に、原詩の「黒の前に示している」をすべて引き受けさせている。
第2連で問題となるのは、直訳すれば、「もっと高く」「ひとつの別の層に」の部分である。これは、具体的な景色ではない。目を瞑って見る、「さらに高い位置にある別の層」である。これを、どのように受けとるかで、詩の方向が変わってくる。片山敏彦訳では、「層」は具体的な「丘」となっている。当時の象徴主義の解釈と日本語の詩の美学で「丘」の訳となったのであろう。片山敏彦訳は完成された訳であるが、私は詩返のために、リルケの気配に触れるために、直訳に近い方を選んだ。つまり情緒が薄くなり、詩の厚みが少し減ってくる。その代わり、言葉が軽くなる。軽さは必ずしも内容が薄いというわけではなく、抽象化による変質と私は思っている。「さらに高く、ひとつの別の層に」によって、詩はさらに抽象化されたのである。
視線がわずかに持ち上がると、世界はひとつ上の層へずれる。視線の位置が変わることによって、世界の層がひとつ上にずれるという、リルケ特有の抽象的な空間の移動である。ドイツ語の訳で確認すると、私が「層」と訳したところを「Ebene」という語を使っている。この言葉は、基本的には「平らな面」「層」「レベル」という意味である。
では、第3連を読んでみたい。
「そのそばに」は、第2連の情景のそばにである。そのそばに「抽象そのものの緑」がある。これは直訳すれば、「抽象的な緑」である。何ら具体的な、木々や草の葉、芝の緑、緑の丘、緑の絵の具などは指さない。抽象的な緑をどのようにして思えばよいのか。思いつかないが。「まなざしのうちの淡い緑が」は、「視界に入った目のなかの淡い緑が」である。これは具体物から入った目の中の淡い緑である。具体物ではない。「見捨てられた背景のもとに」は、「見捨てられた」、つまり人の手がもはや触れない、背景のをもとにして、という意味になる。この「背景」はフランス語では「fond」であるが、多層的な意味を持っていて、日本語、英語、ドイツ語のどの一語に置き換えるもの難しい。リルケの詩には、他の言語に置き換えるのが難しい単語が、詩の要として使われている。ここがリルケの詩の訳の難しいところだと思える。
「世紀がほどいてゆく塔を囲んでいる」は、現実の古い塔が、世紀の時にしずかに壊れていくということで、実景として読めるだろう。が、それを囲むのは、抽象の緑や、視界の中に生まれた淡い緑である。抽象画の世界に、一つ具体的に見えるものがある。その具体物は、何世紀もの時代によってしずかに崩壊されているものの象徴である塔である。
今回の私の訳は、抽象を抽象のまま保持して訳そうとしたため、困難を極めたと言ってよい。七月に、「花冠」七月号を西村雅樹先生にお送りするなかに、翻訳についての先生のお考えを暗にお聞きする手紙を入れた。先生はそれを見落とされず、翻訳についてのご返事をくださった。それから、三か月の間、猛暑のせいもあるが、いっこうに翻訳が進まずにいた。七月には一旦、翻訳はできていた。それから九月の終わりに訳詩を手直した。その訳と七月の訳を比べると、問題はあるが、七月の訳の方がすっきりしている。なぜ、九月の訳がすっきりしないのか。自分の迷いが見て取れた。訳をあきらめようとも思ったが、少し思い直し、一旦25番の翻訳から離れようと思った。
十月四日、四季の森に散策にでかけた。長雨が三十数日ぶりにあがり、晴れた日の翌日だった。秋の野の風や光の静けさ、釣舟草やそこに寄る蜂や蜻蛉のかがやきがあった。音楽にも、絵にも例えることのできない静かさに浸ることができた。信之先生と来たときよりさらに静かな眩しさがあった。小川の水は草を潜って音を立てて、しずかに池に流れ込んでいた。池のあめんぼうは、水輪をうすうすと一メートルくらいも広げていた。
その夜、早い夕飯を終えて、25番の詩を訳した。自分には自分の訳しかできないが、もう、迷わないで、それでいいと思ったのだ。それが、今回の訳詩である。
『ヴァレの四行詩』のなかでも25番は、他の詩と比べ特異である。色が抽象的に詠まれている。これは色が存在論的な意味を持っているからだと考えられる。色を深く見つめた結果の色の存在であろう。『マルテの手記』は散文であるが、リルケの「色」は随所に出て来る。色が光を含み澄み透った命のあるような色として私には読める。それがリルケの色の感覚であろうと思う。
吾亦紅枯れて枯の紅しんと 正子
この句は、翻訳の途中に、里山の「四季の森公園」に散策に出かけた時の句である。吾亦紅の咲く季節は過ぎていた。吾亦紅は茎を倒し、奥ゆかしい沈んだ紅色の楕円珠の花はすでに枯れていたが、わずかに紅の気配が山の翳りに残っていた。その色を詠んだ句である。どんな印象をおもちになるだろうか。
(2026年10月5日)