※当季雑詠(秋)3句を〈コメント欄〉にご記入ください。
※投句は一日1回3句までといたします。
※登録のない俳号・ペンネームでの投句は削除させていただきます(例:唐辛子など)。
※★印について
「心が動いている」句を良い句として選び、★印を付けています。
(※多くの方にご覧いただき、心より感謝申し上げます。この「自由な投句箱」は花冠会員を対象としておりますので、どうぞご理解ください。)
花冠代表 髙橋正子
明るくて深い 現代語による俳句を。よい生活から よい俳句を。
※当季雑詠(秋)3句を〈コメント欄〉にご記入ください。
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「心が動いている」句を良い句として選び、★印を付けています。
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花冠代表 髙橋正子
今週の秀句は、毎月曜日に先週分を発表します。
11月1日~11月8日(句)
11月2日(3名)
多田有花
日差し受け田に穭穂のみどりかな★★★
いいところを見ています。少し、惜しい。(髙橋正子)
身に入むや日々の仕事を着実に★★★
秋深し子猫としばし向かい合う★★★
廣田洋一
ひと処芒光れる川の端★★★
「川の端」が場所の説明に終わって惜しいです。(髙橋正子)
川岸の草の色付き小鳥来る★★★
「草の色」が、具体的に読者に伝わりにくいです。(髙橋正子)
海鮮丼一際赤き秋鰹★★★
土橋みよ
秋晴れや足場造りの音弾む★★★★
実の奥にまた実の見ゆる柿紅葉(原句)
柿紅葉実のまた奥に実の見ゆる(正子添削)
元の句は、柿紅葉にいたるまでの説明が長いので、添削しました。(髙橋正子)
11月1日(2名)
多田有花
霧晴れて快晴シーツを洗い干す★★★
日記として残すのならこのままでよいです。素材がよいので、表現を工夫すると★四つになります。(髙橋正子)
朝霧の去れば快晴シーツ干す★★★★(改作)
「朝霧」で時間ははっきりしたことで、空気感が伝わります。「洗い干す」の「洗い」の省略はよかったです。
巣の材を咥えし雀秋時雨★★★
そぞろ寒夕餉はポトフと決めている★★★
小口泰與
おにぎりを握る母の手冬日射す★★★★
朝日受けそそと咲きたる寒櫻★★★★
11月1日
晴れ
宵寒のガスの炎青しカレー鍋 正子
●きのうより、暖かい。
●『TRTURN』の見直しは詩は終わった。巻頭詩である「Return」のなかに「you」が登場しているが、AIの分析で、この「you」のイメージがはっきりしていないと指摘を受けていた。
自分でも、曖昧であるのは、わかっていた。どのように「you」にイメージを与えればよいか、思いつかなかった。そして、詩の本分のなかで、イメージを与えるのは難しいとわかった。献辞のところで「you」の像を立ち上げるしかない。
不思議なことに、「reader of my silence」という言葉を思いついた。科学者が長い間の研究に、或る時ふっとひらめいたり、思いついたりしてそれが発見となることが多いのに、似ている。まさに、そのような瞬間だった。長い間「you」について、考えていた。なかなかその像がつかめなかった。発見なのである。そして「reader of my silence」をRETURNの詩に当てはめると、ずべてに当てはまるのだ。何の矛盾もない。長い間考え、分析した結果の析出した結晶なのである。印刷機が故障し、1万円安く買おうとして3週間待っていた間に「Return」が完成したといっていよい。この言葉を得て詩集『RETURN』は完成することになった。今考えると、この出来事は、自分でも気づかない、考えて生まれたことばではないので。どういう巡り合わせになっているのだろうと思う。
科学者の発見に似ている。
●秀之さんの俳壇への投稿原稿の相談にのる。俳句5句と200字ほどのエッセイ。来年は未年なので、未年生まれの人に原稿依頼があったそうだ。
曇り
ベランダのすっきりとして布団干す 正子
●数日、USA発の掲示板Redditからの通知を受けている。参加はせず、回覧板のように読むだけだが、XやMetaより落ち着いている。XやMetaは情報が流れ過ぎる。面白く思わない。
●元希にハロウィンのお菓子と林檎ジュースを送る。お菓子はハロウィン用ではなく、バターケーキとフルーツチョコレート。
●『RETURN』の推敲。思い切って削る。印刷機が故障して新しいものが来るまで三週間かかった。その分、出版が後ろにずれ込んでいる。十一月四日に入稿しようと思っている。十五日には発行できるだろう。十五日からは『花冠』一月号の編集に本格的に取り掛かる。
●『花冠』も来年で四十四周年になる。五十周年まであと六年。なんとか行けそうだ。五十年続けば、はっきりしたものが出て来るだろう。昔は「人生五十年」と言ったが、芭蕉、リルケ、漱石はみな五十歳か五十一歳で生涯を終えている。
五十周年には合同句集ではなく、アンソロジーを一冊出す心づもりでいる。一人百句。そこまで持って行ければ、『花冠』も十分に役割を果たしたことになるだろう。これで一つ目標ができた。