NEW10月6日(火)

晴れ
柿の花のとおりに四角さわし柿   正子
さわし柿ほどよき硬さが歯にあたる 正子
柿・りんご・蜜柑を揃え一週間   正子

●きのう、原稿を書いていたら、パソコンの電源が急に落ちた。熱暴走をの可能性がある。ファンは回っていたので、強制終了して、熱放電をして、一晩置いた。自由が丘から帰って、電源をいれると、スムーズに動いたので、安心。きのうは、パソコンを使う時間が長かったかもしれない。
家事の時も、ずっとクラッシックをかけていたからかも。

●自由が丘の検査クリニックへ行った。自由が丘の舗道は細く、昭和レトロな感じ。みずほ銀行も2階建。クリニックは。地図を見ながら行ったが、細い路地のようなところにある。地図からクリニックまで、地図では距離があるように見えるが、すぐなので、距離感覚が、ミニチュアの街に行った感覚になった。検査は1時間ほどかかった。帰り9月半ばに開業したばかりの再開発ビル「自由が丘ミューズ」へ行ってみた。開店祝いの白い胡蝶蘭が、どの店にも飾られている。お客も、新しいビル見学いう感じ。みんなが初めてなのだ。地下に明治屋が入っていた。ドイツの木のおもちゃのティキティキがあった。いろいろ品物がある。センスは都会的な感じだけれど、質はどうだろう。昔の通りの店のほうが私にはいい。緑をアレンジした喫茶店が売り物のようだったけれど、お客話声が反響し、にぎやかだった。
花屋にも寄った。室内で育てる薔薇が売られていた。背の高いグラスにミニ薔薇の根をキュービックな土ではないもの挿している。花が一輪咲いているものがあった。育ててみたい気になった。1本が2700円というのは、結構高い。特別な薔薇かもしれないが。

●自由な投句箱に、このごろ、「該当句無し」と書くことが多くなった。
選句基準は、前と変わっていないと思う。どこに原因があるのか、よくわからない。贈呈される俳句雑誌の主宰者の句を読むと、流派が違うからだろうが、★3つにするかもしれない。私の句がいいということではないが、臥風先生、信之先生の選を基準にするとの話だが。

●簗大臣という人がいる。自民党に投票しない、つまり自分に投票しない首長の自治体には、国の交付する道路予算を減らしたというのだが、考え方がおかしい。どうしてそんな考え方になる。こちらが、頭がおかしくなりそうだ。最近こんなことが多い気がするが。出るべき人ではない人が表に出ている現象か。

 

「リルケと俳句と私」(五)

「リルケと俳句と私」(五)
                                  高橋正子  

 「リルケと俳句と私」を書き始めて五回目となった。リルケについては、信之先生の遺したインゼル書店の『リルケ作品集』に風を通すために開いたのが切っ掛けで、気の向くときに読むようになった。リルケを遠ざけていた私が、このごろでは、リルケを考えない日がないくらい、何かしらリルケについて考えている。 考えると言っても、「伯母の部屋に忍び入ったマルテが、棚の鳥の磁器の置物を割ってしまい、砕けた紫のかけらがマルテの目に入る。」その場面の、恐怖と美しさの混じったリルケの紫を想像したりする。そのくらいのことなのである。時には、「詩は感情でなく、経験で書く」などという件を思い出したりする。それが、信之先生が亡くなったあとの精神を、倒れないようにまっすぐ立てる支えとなっている。それはリルケに精神を貰っていると言ってもいいものなのだ。「リルケと俳句と私」も、いつまで書こうという計画もなくて、知らない世界に踏み込んでしまった。畏れ多い気持ちではあったが、初期の作品を読んでみると、プラハを詠んだ詩であるにもかかわらず、言い得ぬ懐かしさを覚えた。そして、私なら、この場面ではこの俳句ができるという気持ちになり、一二句作った。それはたのしい経験であった。それに、「詩返」と名付けて、リルケの詩に応えた俳句を作り始めた。リルケ最晩年の詩集『ヴァレの四行詩』は、俳句を意識して作った詩だと言われ,関心をもった。前回書いたが、詩の主体が後景に引いた俳句の要素をもつ詩法で書かれている。この詩法は、俳句を知る以前からリルケが使っている詩法ではあるが。

今回採り上げるのは、25番の詩である。『ヴァレの四行詩』(フランス語)には、片山敏彦による完成された美しい訳がある。その訳詩は著作権の関係で、詩返を書くとき引用できない。私の訳は、詩返のための訳であって、リルケの言葉の呼吸と気配に触れるために、日本語の美学よりも原詩の側をあえて優先した訳である。その良さと言えば、多少の透明感かもしれない。25番は三連からなっている。詩返も一連ごとに作ったので、それをこれから見てゆきたい。

詩返1 銀と青をふくみ真夏の草埃    正子
詩返2 ひるがえる柳裏葉のあかるさは  正子
詩返3 葉桜の中に石手の古き塔     正子

 25 

埃っぽい道に沿って
緑は灰いろへ近づく。
けれどその灰いろは、従順そうでも、
銀と青とを含んでいる。

さらに高く、ひとつの別の層に、
一本の柳が明るさを見せ、
風に翻ったその葉たちの裏側を
緑にほとんど近い黒の前に 見せている。

そのそばに、抽象そのものの緑、
まなざしのうちの淡い緑が、
見捨てられた背景の深みに、
世紀がときほぐす塔を囲んでいる。
                   (高橋正子訳)

25
Le long du chemin poussiéreux
le vert se rapproche du gris;
mais ce gris, quoique soumis,
contient de l’argent et du bleu.

Plus haut, sur un autre plan,
un saule montre le clair
revers de ses freuilles au vent
devant un noir presque vert.

À côté, un vert tout abstrait,
un pâle vert de vision,
entoure d’un fond d’abandon
la tour que le siècle défait.  

第1連から見ていくと、「埃っぽい道に沿って」「緑は灰いろに近づく」「その灰いろは従順そうでありながら」「銀と青を含んでいる。」
具体的な風景は「埃っぽい道」が示されているだけで」その道から読者はその道の風景の暗示を受ける。そして、灰いろに近づく緑を思う。その緑は色としての緑で、具体的な木の緑、草の緑を示しているのではない。そして、その灰いろはと言えば、従順な灰いろではなく、つまり、灰いろそのままに見えるが、そうではなく意志あるように、銀と青を含んでいる。
 私は、ここから、埃っぽい夏の白けた道を思い描いた。そして道脇の草に積もる粉のような埃を思った。埃の積んだ道端の草の葉は、緑が灰いろになり、その灰いろは、光を帯びて銀いろで、草の緑の生命力というのであろうか、青が目に入ってくる。
詩返1 銀と青をふくみ真夏の草埃    正子
私は60年の俳歴なかで、夏草の葉に積もる埃を詠んだことはこれまでない。それが、この詩の気配から、草埃がイメージとしてすぐに立ちあがったのだ。田舎の道でよく目にしていたからであろう。
 リルケは、色がどのように変質し、どのように他の色を孕み、どのように気配として立ち上がるか、その抽象的な運動だけを提示しているのである。その抽象性から「埃っぽい道にそって」という少しの手掛かりで、私は、私の具体的な風景を呼び寄せたのである。それが、詩返1である。

次に第2連を読んでみたい。
「さらに高く、ある別の層に」「一本の柳が明るさを見せ」「風に翻ったその葉たちの裏側を」「緑にほとんど近い黒の前に見せている」
ここに読まれた景色は、ある別の層に、一本の柳が明るく立って、風に葉の裏側を見せている。その裏葉は、緑に触れそうなくらい近い黒の前に見えているのだ。この解釈から詩返2を作った。
詩返2 ひるがえる柳裏葉のあかるさは  正子
詩返で言語化されていない部分は、「緑にほとんど近い黒の前に見せている」である。これは、俳句の余白、沈黙の部分から読み手に読みとってもらうことになる。「あかるさは」の「は」の言い淀んだ後の省略を読んでもらいたい。この「は」に、原詩の「黒の前に見せている」をすべて引き受けさせている。
第2連で問題となるのは、直訳すれば、「もっと高く」「ひとつの別の層に」の部分である。これは、具体的な景色ではない。目を瞑って見る、「さらに高い位置にある別の層」である。これを、どのように受けとるかで、詩の方向が変わってくる。片山敏彦訳では、「層」は具体的な景色としての「丘」となっている。当時の象徴主義の解釈と日本語詩の美学から、「丘」と訳したのであろう。片山敏彦訳は完成された訳であるが、私は詩返のために、リルケの気配に触れるために、直訳に近い方を選んだ。つまり情緒が薄くなり、詩の厚みが少し減ってくる。その代わり、言葉が軽くなる。軽さは必ずしも内容が薄いというわけではなく、抽象化による変質と私は思っている。「さらに高く、ひとつの別の層に」によって、詩は第一連よりさらに抽象化されたのである。
視線がわずかに持ち上がると、世界はひとつ上の層へずれる。視線の位置が変わることによって、世界の層がひとつ上にずれるという、リルケ特有の抽象的な空間の移動である。ドイツ人によるドイツ語の訳詩で確認すると、私が「層」と訳した「plan」(フランス語)を「Ebene」という語を使っている。この言葉は、基本的には「平らな面」「層」「レベル」という意味である。

最後に第3連を読んでみたい。
 「そのそばに」は、第2連の情景のそばにである。そのそばに「抽象そのものの緑」がある。これは直訳すれば、「抽象的な緑」である。何ら具体的な、木々や草の葉、芝の緑、緑の丘、緑の絵の具などは指さない。抽象的な緑をどのようにして思えばよいのか。片山訳では、それを「澄んだ緑」と感覚に把握できるように訳している。
 「まなざしのうちの淡い緑が」は、「視界に入った目のなかの淡い緑が」である。これは具体物から入った目の中の淡い緑であるが、具体物の淡い緑ではない。
 「見捨てられた背景の深みに」は、「見捨てられた」、つまり人の手がもはや触れない、背景の底から生まれる深みに、という意味になる。この「背景」はフランス語では「fond」であるが、多層的な意味を持っていて、日本語、英語、ドイツ語のどの一語に置き換えるもの難しい。リルケの詩には、他の言語に置き換えるのが不可能と言える単語が、詩の要として、多くはなくほんの数語使われている。
 「世紀がほどいてゆく塔を囲んでいる」は、現実の古い塔が、世紀の時にしずかに壊れていく実景として読めるだろう。が、それを囲むのは、抽象の緑や、視界の中に生まれた淡い緑である。抽象画の世界に、一つ具体的に見えるものがある。その具体物は、何世紀もの時代によってしずかに崩壊されているものの象徴である塔である。

 今回の私の訳は、抽象を抽象のまま保持して訳そうとしたため、私にとっては大変困難な作業であった。七月には、問題を感じながらも訳が一応できていた。 『花冠』七月号を西村雅樹先生にお送りする際、翻訳についての私の迷いを、手紙の中で少し触れた。先生はそれを見落とされず、翻訳の姿勢について、抽象的ではあるが、返事をくださった。その後、猛暑の夏で、訳は進まなかった。 九月の終わりに手直しをしたが、七月の訳の方がすっきりしているように思えた。迷いが訳に影を落としていた。いったん二五番から離れることにした。

十月四日、この日は、三十数日間降り続いた雨があがり、真っ青に晴れた日の翌日だった。四季の森公園へ散策に出かけた。秋の野の風や光の静けさ、釣舟草やそこに寄る蜂や蜻蛉がきらきらしていた。音楽にも、絵にも例えることのできない静かさに浸ることができた。信之先生と毎年のように来ていたときより、さらにこれまでにない、静かな眩しさが葦原の奥にあった。小川の水は草を潜って音を立てて、しずかに池に流れ込んでいた。池のあめんぼうは、水輪をうすうすと一メートルにも広げていた。
 その夜、早い夕飯を終えて、二十五番の詩を訳した。自分には自分の訳しかできないが、もう、迷わないで、それでいいと思ったのだ。それが、今回の訳詩である。翻訳は語学と言うより、精神のいとなみなとして受け取った。
 『ヴァレの四行詩』のなかでも二十五番は、他の詩と比べ特異である。色が抽象的に詠まれている。色が存在論的な意味を持っているからだと考えられるが、色を深く見つめた結果の色の存在が残ったと言えるものだろう。リルケの『マルテの手記』は散文であるが、リルケの「色」が随所に出て来る。リルケの色は、光を含み澄み透った命のあるような色として私には読める。それがリルケの色の感覚であろうと思う。

吾亦紅枯れて枯の紅しんと 正子
この句は、翻訳の途中に散策した四季の森公園での句である。吾亦紅の咲く季節は過ぎていた。吾亦紅は茎を倒し、深く沈んだ紅色の楕円珠の花はすでに枯れていたが、わずかに紅の気配が、山の翳を映して花に残っていた。その色を詠んだ句である。
  色が物質から離れ、存在の層に沈んでいくとき、 むしろ色の本質が静かに立ち上がる。 それは、リルケの「銀と青を含む灰いろ」や 「抽象そのものの緑」と同じ層にある色だった。二十五番の訳に迷いがあった夏、 私は色を言葉に置き換えようとしていた。 しかし四季の森公園で出会ったこの「枯の紅」は、 色が言葉よりも深いところで、 ただ存在としてそこにあることを教えてくれた。 その静けさが、二十五番の訳の底に流れている。

(2026年10月5日)