多田有花句集
序
有花さんの生活には、つねに動きがある。
海外から国内へ、あるいは近隣の寺社を訪
ねる小さな旅まで、その動きは絶えない。
そのたびに視点は新しくなり、風景の捉え
方が変わっていく。移動は、有花さんにと
って生活そのものであり、句の新鮮な把握
へとつながっている。この歩みが続くかぎ
り、視点は澄み、確かな観察が結晶して句
となる。
その動きの中でも、とりわけ初期の登山の
句には、有花さん独自の体験が息づいてい
る。一見、淡々とした写生句に見えても、
その背後には、危険に備える緊張や、自然
に身を置く潔さが静かに漂う。これらの句
は、山岳という厳しい環境を背景にしなが
ら、過不足なくその瞬間を掬い上げており、
俳句史的に見ても貴重な作品であることに
違いないだろう。また、それらを過不足な
く表現するのが、有花さんの持ち味である。
たとえば、次のような句である。
レーニア山バックパッキング
雪渓を落ちる流れの音高し
短夜やテントの外に明けていく
ケニア山・キリマンジャロ
サングラス空と氷河を映しけり
呼び交わすガイドの声や月明り
シュバルツバルト紀行
秋薊アルプス遠くかすみおり
シャモニ・モンブラン
ブルーベリー摘みつつ高きに登りけり
ヴァレー・ブランシュ氷河トレッキング
秋天はるかマッターホルンの影
モンテローザ登山
秋オリオン仰ぎてザイル結びけり
富士山頂俳句リーディング
富士山頂風に我が句を唱えけり
花束を持ちて夏野を帰り来る
白馬岳登頂
両腕に日焼けが留む山の色
北八ヶ岳縦走
秋澄むや明日踏む峰を指させり
秋の暮窓に寄り添い日記書く
大山登山
寒晴れや真白き尾根を風が研ぐ
登山の句に見られる確かな観察は、旅の広
がりの中でも変わらない。有花さんは自転車
やバイクで日本各地を旅し、その体験は多彩
で豊かである。
東北自転車旅行
十和田湖の水の碧さや蕗のとう
長崎・天草自転車旅行
頬を打つみぞれのやんで海見える
西国三十三か所バイク巡礼
山若葉抜けて琵琶湖の光りけり
大塔の礎石の上を夏の蝶
南四国自転車旅行
明けてくる水平線や秋怒涛
中国地方バイクツーリング
爆心にいまふたたびの若葉風
九州一周バイクツーリング
具雑煮を食べる島原薄暑かな
こうした旅の句と同じ眼差しは、日々の生活
にも静かに息づいている。普段の生活において
も、自分の人生をまっすぐに生きる明るさと力
強さがあり、自然を見る目に誇張がなく、確か
さがある。そのまなざしが率直に句へと結ばれ
ている。
いくつか紹介しよう。
インラインスケート春の弧を描く
光る風追い越したくてペダル踏む
畑より両手に熱き真桑瓜
家中の鏡拭きあげ冬に入る
桜湧くヘッドライトへ次々と
花菖蒲切りて高さを生みにけり
聴診器ことりと置いて冴返る
旅と日常、そのどちらにも揺るぎない眼差し
を向ける有花さんの句は、読む者に新鮮な風を
運んでくれる。本句集が、その豊かな世界への
案内となれば幸いである。
2026年6月
髙橋正子