1月6日(水)

俳句

晴れ
○信之先生早稲田まで外出。旧友の元フジテレビの尾崎さんと会う。梅の絵の俳画に俳句を書いたものと、花冠1月号を持参。

○あすは七草。買えば揃う七草だが、買うべきか、足らずとも自分で揃えるべきか。

○今日のブログ句会、5日の句の入賞は女性ばかりになった。

1月5日(火)

俳句

晴れ
○ブログ句会の年間賞1席藤田洋子さん、2席小口泰与さん、3席黒谷光子さんに。12月月間賞を藤田洋子さん、祝恵子さんに、新年ネット句会の金賞を友田修さんに、銀賞を井上治代さんに、銅賞を佃康水さんにそれぞれメール便で送る。
今回は、信之先生の俳句葉書と正子の俳句葉書を賞品とする。

○大阪の秀之さんによれば、大阪では4日ににらみ鯛をくずすというか食べる習慣がまだ残っているそうだ。お子さんたちの句にその句がある。我が家は今日になって崩した。

1月4日(月)

俳句
追悼宮本和美さん
新年の月に発ちゆくさびしさよ

○本年度橘俳句賞の宮本和美さんが、元旦に逝去。本日葬式。葬儀の前に、気丈にも奥様から電話がある。橘賞の賞状と副賞の扇子は28日に届き、ご本人が見て、玄関にかざるように言われたとのこと。奥様は特に喜んでくださり、我が家の家宝とまで。
泰次さんにつづき、和美さんと、気骨のある俳句を作る方が相次いで亡くなられる。

○和美さんの訃報を聞く前に、ブログ句会年間賞、12月月間賞、新年ネット句会の金銀銅賞の賞品を信之先生と準備。送るのは、明日とする。今回は信之先生の俳句はがきと正子の俳句はがきをそろえて送る。

1月3日(日)

<ネット句会投句>
元旦の空へ欅が芽を張れる
雲遠し全く蒼き二日の空
水仙の花さ揺るるを持ち運ぶ

晴のち曇り
○新年ネット句会。26名投句。78句。

○昼過ぎ、長男が寮に帰る。今年は寒いので、電気コタツを持たせて帰す。

○夜、正子の誕生日を祝う。句美子がケーキとプレゼントをくれる。
すき焼きをしたが、いまひとつ不人気。おせちのほうがおいしいらしい。奮発した牛肉も影がうすい。来年からは、肉やハムは見直しということに。

1月2日(土)

俳句

晴れ
○新年句会に投句のための句を拾いに鯛ヶ崎公園へ。

○夕方長男が来て、御節で新年を祝う。午後5時到着の予定が午後7時。関越道の渋滞のため、所沢から日吉まで4時間かかったとのこと。
数の子は、やはり、限定品の北海道産のものが当たりでした。
黒豆は今年はとくにふっくら煮えました。
田作りは、もとの魚がよかったようです。
海老は、ミソが一品でした。

○元旦のラジオ深夜便。高村薫氏への新春インタビューの終わりあたりから聞く。
経済も、社会も、政治も行き詰まった感じがあります。では、今年の希望は?の質問に「言葉の深みでしょうか。」の意味のことを話された。やはり、そうでしょう。同感です。

○新春インタビューに引き続き、石川啄木の『一握の砂』が朗読され、合間に唱歌が流れる。唱歌は「灯台守」など、美しいもの。そして「青葉の笛」も。なぜ、『一握の砂』を今日正月に、と思いつつ聞く。派遣の切捨てなど社会問題のある世のせいか、とも思いつつ。最後にきて、『一握の砂』出版100年に当たりますとの紹介。

唱歌は、深夜便を聴く人の年齢に合わせたものだろう。唱歌を聞きながら、今、美しいもの、善なるものは、否定されていると思う。日本人の感じ方の特徴であった「もののあはれ」。それにしても、やはり驚くのは、笛の名手と和歌の名手二人の平家の公達を歌った「青葉の笛」が流れるとは。平家の話をすれば、夜中、私の祖先は清和源氏と聞かされていることを思い出だし、日本人は、文学好きの民族ではないかと言う考えも浮かぶ。平家物語があればこそ、「青葉の笛」がしみじみと聞かれる。首をはねた武将もあわれ公達の弔いのために、寺を建て祀る。戦が物語として、言葉になる。それこそ、高村薫氏のいう、言葉の深み、重みであろう。世の中の行き詰まりのとき、言葉は深む。

12月31日(木)

俳句
大晦日の月を見上げつつ帰る
大晦日の月のくまなき明るさに
ヒアシンスしんと冷えたる玄関に

○晴れ。
昼間は比較的暖かい日和でしたが、夕方から急に冷え込む。23時には2度。
無事今年も終わり。

正子の俳句日記をお読みいただき、ありがとうございました。来年もどうぞよろしくお願いいたします。よい年をお迎えください。

12月30日(水)

俳句
はぐくまれ蕾ふくらむヒアシンス
松の枝に沿わせ水仙すっくと活け
水仙の香がうっすらと朝の玄関

晴れ
○今年もあと一日。ブログ句会の12月月間賞と、年間賞の句を信之先生と検討する。

○オンライン新年句会は3日。

○2月号発送のとき、俳誌協会主催の俳句コンクールの応募用紙を同封する。このコンクールの締め切りは、1月31日。