3月20日(日)

花すもも散るや夜道の片側に   正子

○今日の俳句
楤の芽や水ほとばしる湯檜曾川/小口泰與
湯檜曾川は、利根川の支流。「湯檜曾川」という名が楤の芽の芽吹くところをよく思わせてくれる。清冽な句である。、(高橋正子)

◇生活する花たち「いぬふぐり」(横浜四季の森公園)

3月19日(土)

囀りの抜け来る空の半円球   正子
読み手に快い思いを与えてくれるのは、作り手の心が新鮮で、句を楽しんで作っているからであろうと思われます。句が生き生きとしています。(高橋信之)

○今日の俳句
如月の山懐の水清し/井上治代
山に深くしみ込んだ水は、山懐に湧き出て澄んでいる。寒さのなかにも春の兆しが見える如月の静かな明るさが読める。(高橋正子)

◇生活する花たち「辛夷(コブシ)」(横浜四季の森公園)

3月18日(金)/彼岸入り

囀りの抜け来る空の半円球   正子
読み手に快い思いを与えてくれるのは、作り手の心が新鮮で、句を楽しんで作っているからであろうと思われます。句が生き生きとしています。(高橋信之)

○今日の俳句
大空はどこまでも青く辛夷咲く/高橋秀之
真っ青な大空に、花びらをひらひらと崩して辛夷が咲いている。大空の青に対して、自然の姿をよくとどめる辛夷の花が印象的な句である。(高橋正子)

○四季の森公園の春
昨日、3月17日信之先生と四季の森公園に出かける。
10時過ぎに出かけ昼過ぎには帰る予定。グリーンラインは、時間帯による運休が三十分程度ずつ2度あるが、平常運転。空は晴れ。放射能が微量含まれる空のようだ。ベランダの黄水仙がテラコッタの鉢に咲く。

北北西の風のゆすれる黄水仙 正子

中山駅から四季の森公園へは、プロムナードを通って十五分ぐらいで着く。歩き始めると、乙女椿や藪椿。辛夷の花がびっしりと蕾を付けた並木があり、一本はかなり咲いている。薄い雲を入れて、写真に撮る。程なく公園に入る。入口からはすっかり葉を落とした雑木林の起伏がきれいに見える。すぐの蓮池には、鴨が三羽と亀。遠目に黄色い花木が見える。何か咲いているだろうと奥へと歩く。黄色い花はさんしゅ。花は満開で十本以上はあるだろう。フランス絵画に出てくるような石の橋があって、その橋を入れてさんしゅうを写真に撮ったりする。橋の反対側に三椏がこれも満開。数本はある。池沿いを菜の花畑のほうへ道を歩く。山桑が芽吹いて、池の水に触れそうに垂れている枝もある。初夏には、この山桑の実が熟れる。菜の花畑に出会う。丈短く咲いているので景色として何枚か撮る。その菜の花畑の端に山水が流れる小川あり、三椏の花がここにも咲いている。流れを入れて三椏を撮る。さらに歩くと菖蒲田があるが、今は井桁に組まれた木道が目だって、田にはようやくはさみのような芽が出ているだけ。菖蒲田の木道を歩き、横の小道に逸れると、枯木の一部が芽吹いたような木がある。クヌギかなにかだろうと近くに寄ると、まんさくの花であった。まんさくの花のよさは、ところどころに汚らしいとも思える枯葉が一二枚残っていことだ。この風情は捨てがたい。5メートルはありそうな木であるので、全体を写す。小さい花を撮りたいと思い地面に目を凝らしながら歩く。ようやく咲き始めたおおいぬのふぐりが、やはりあった。なずなの花も小さい。たんぽぽが子どもの寝起きの髪の毛のようにに花びらをほぐして咲いている。

辛夷、さんしゅう、三椏、まんさくと、早春の花がとりどり見れた。おおいぬのふぐりのあるところに休憩所があり腰を下ろす。春浅い日差しがなんとも言えない。信之先生が言う。「正子が死んだら、ここに来て、あのときは、いぬふぐりが咲いていたなあ、と思うだろう。」私は「あははは。」と笑う。戦中派の信之先生は、私より年上なので、こういうことを言うのだ。ここに言う「なので」は、「だけれど」ではない。戦中派というか、とある個人は「自分が死ぬ」と考えないか、「死んでたまるか」と考えるかであろう。ある癌患者の方が癌とわかり、医者に「それでは、これからどのように暮らしたらよいのでしょうか。」と聞いたら、医者は「癌ではないと思って暮らしてください。」と言われたそうだ。こういう考え方も面白いと思ったことである。これこそが春浅き日の自然の意思とも思えるのである。

帰宅後、写真を見ると、カメラが良くなったせいか、少し、自然の表情が出ているのでは、と思った。

◇生活する花たち「山茱萸(サンシュユ)・三椏(ミツマタ)、満作(マンサク)」(横浜四季の森公園)

3月17日(木)

わさび田の田毎に春水こぼれ落つ   正子

○今日の俳句
春鳥の飛び去り棒の揺れるのみ/祝恵子
たとえば、畑に突っ立っている棒に、鳥が飛んで来て止まり、
辺りを見たり、鳴いたりして、飛び去る。飛び去るときのはず
みで棒が揺れる。春になると特に小さな生き物がいきいきと動
き始める。春らしい景色。(高橋正子)

◇生活する花たち「馬酔木・ノースポールデージー・アリッサム」(横浜日吉本町)

3月16日(水)


★つばき落ちる音の一会に朝厨   正子
椿は楚々として趣きの有る花ですが、咲いているままの容での落椿もまた違った風情を醸し出しています。御句にはその椿の落ちる音にまで鑑賞が及んで居る事に深く感銘致しました。朝食の準備の時間帯でしょうか、椿がぽとりと落ちた。どんな音なのか想像の域を脱しませんが、日常の朝厨のなかでその音は神聖な一会の一瞬だったことでしょう。 (佃 康水)

○今日の俳句
チェロの夕果てて仰げば春の月/佃 康水
チェロの演奏会が果て、余韻を引いて外に出れば春の月が出ている。「秋の月はさやけさを賞で、春の月は朧なるを賞づ」と言われるが、「澄んであたたかい感じ」の春月もよい。チェロの余韻が広がる。(高橋正子)

◇生活する花たち「パンジー1・パンジー2・雪割草」(横浜日吉本町)

▼花冠4月号2011年
http://blog.goo.ne.jp/kakan12/
▼正子の俳句紀行/電子書籍
http://kakan.info/01/c/haiku_kikou/
▼高橋正子五十句鑑賞/電子書籍
http://kakan.info/01/c/masako50/
▼高橋正子第2句集「花冠」/電子書籍
http://kakan.info/01/b/kakan/

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3月15日(火)

★日当たって山の椿の花であり   正子
山を歩いていますと、少し前からヤブツバキが咲き始めているのを見るようになりました。まだ少し寒さが残るころから咲き出し、このまま春が終わるまで咲いては散り、咲いては散りでいて咲き続けて行きます。そこに日が当たっている、日差しの明るさが思われます。(多田有花)

○今日の俳句
春の雪正午の鐘の音をつつむ/多田有花
もとの句は、主語と目的語の関係において、読みづらいので、添削。春の雪はやわらかいものであるが、それが「物」を包むのではなく、「(鐘の)音」を包むところに、この句のユニークさがある。春の雪の降るなかでは、正午の鐘の音も詩情をもって聞き届けられる。(高橋正子)

◇生活する花たち「紅梅・白梅・沈丁花」(横浜日吉本町)

3月14日(月)

★流れ寄りまた離れゆき春の鴨   正子
鴨は渡り鳥で、春になると北方へ帰ってゆきますが、晩春になっても渡らずに残っている鴨を春の鴨、残る鴨といいます。小さくなった鴨の群れ、すーっと寄ってきてまたすーっと離れる。水面を滑るような鴨たちの動きを上手く詠まれたと思います。 (古田敬二)

○今日の俳句
芍薬の芽は紅(くれない)を今年また/古田敬二
芍薬は牡丹とちがって、土よりやわらかに紅の芽ば出る。「今年また」に、喜びが大きい。(高橋正子)

◇生活する花たち「馬酔木・玉かんざし・アリッサム」(横浜日吉本町)

3月13日(日)

★身を固く春雪吹くを帰り来る   正子

○今日の俳句
白色が全てを結び雛あられ/迫田和代
雛あられのいろんな色を白色のあられが結んで、やわらかく、かわいらしい纏まりとなっている。ユニークな視点。(高橋正子)

◇生活する花たち「菜の花」(伊豆南部河津町)

3月12日(土)

★どの家にも影あり残る春の雪   正子
春雪のあと、やわらかな春日の降り注ぐ明るい家々。家々の淡き影を置く雪には、少しも寒々しさはなく、温かな明るい季節を呼ぶ春の雪です。 (藤田洋子)

○今日の俳句①
三月の風に乾きしものたたむ/藤田洋子
春三月の風に心地よく乾いたものに清潔さと、「たたむ」という日本人の慎ましい行為がある。(高橋正子)

○今日の俳句②
 長男元結婚
風なくてふたりの婚は弥生かな  正子
御社へ坂をのぼるも春の婚
白砂に椿は一花さえ落ちず

○今日は、長男の結婚式。昨日の地震で句美子も大手町の銀行から今朝方5時前に動き出した私鉄を乗り継いで帰宅。元も内幸町の会社から三時間かけて歩いて葛飾区の社宅にたどり着いた。結婚式の前日の巨大地震。長男も信之先生も原発が爆発するのではと大変気にしている。
今日は晴天に恵まれ、結婚式は無事に終わった。

◇生活する花たち「三椏の花」(伊豆修善寺梅林)

3月11日(金)

★蕎麦に摺る山葵のみどり春浅し   正子
山葵は日本原産の植物で、学名も植物の学名はWasabia japonicaというそうです。蕎麦や寿司にはかかせない香辛料です。鮫の皮で摺り下ろす蕎麦屋もありました。摩り下ろした時の花をつく香もいいですが、その緑もいいものです。清流にしか育たない山葵。その色にまだ浅い春の清流を想像されたのでしょうか。(古田敬二)

○今日の俳句
耕しに土の中なる根のさみどり/古田敬二
「耕し」は、春の季語。春になると、種まきの準備など、田畑を耕す。耕していると、土の中に白い根ではなく、さみどりの根があることに驚く。土の中にもすでに春の息吹がある。(高橋正子)

◇生活する花たち「梅・寒ざくら・菜の花」(横浜日吉本町)