曇り
白萩のこぼるるつけ砥部の庭 正子
白萩の中の二本が紅の萩 正子
金木犀の匂いただよい木を探す 正子
●行方不明になっていた大学の卒論がでてきた。特別変なところにあったわけではなくて、自分の本を入れる棚にあった。これはよかったが、まだ大事な本が何冊か出てきていない。大事にし過ぎてわからなくなっている本がまだある。信之先生の大連時代の写真も行方不明。あまり大切でないものを大切だと思っているのかもしれないのだ。
1969年の愛媛大学の卒論で私はリルケのフランス語の短詩を紹介した。柴田依子氏によると、ヨーロッパでリルケへの俳句の影響言及されたのが、1961年ヘルマン・マイヤーによってであり、日本でリルケへの俳句の影響が論証されたのは、東大教授の富士川英郎氏によって1980年だと言う。
卒論の事で思い出したが、卒論で使ったアール・マイナーの比較文学の本が行方不明になっている。プリンストン大学から出版された本だが、都立大学の金関寿夫先生に手紙をかいて、紹介いただいた本だ。学生だった私に丁寧な手紙をくださった。大学の教師は学生には本当に丁寧に接してくれる。冬絵不明になっているのは、ハロルド・ヘンダーソンの本もなのだ。大事でないことに引っかき回されていたのだろう。暗澹たる思いだ。
グンデルさんとモニカさんからのドイツ語の手紙も出て来た。高橋ファミリー宛ても、ゲンとクミコ宛もあった。会ったときはフランクフルトのゲーテ大学の学生だった。今は六十歳近くになっているだろうが、彼女たちはゲーテ通りで画廊を経営していた。そこに信之先生の俳句の額や掛軸を展示してもらったが、掛軸はオーストリアの人がわざわざ買いに来てくれたり、展示会のことがフランクフルトの新聞に載ったり、ちょっと評判だった。フライブルグに留学中の森先生も見に来てくれた記憶がある。
●追記:12月22日のテレビの回顧放送で高階秀爾さんが本日亡くならられたことを知ったので、ここに追記する。
曇り
真夜の月流れる雲のつぎつぎと 正子
油彩のごと肩張る林檎仏前に 正子
秋なれば多めの茸グラタンに 正子
●昨日の十三夜の月は綺麗だった。もうすこし膨らんでいるイメージがあったが、細い感じがした。洋子さんの返信メールでは、松山は雲間から、栄太郎さんの俳句からは、京都では曇りらしかった。きのうは昼間すこし暑かったせいか、十三夜の月に、樋口一葉の『十三夜』を思い出すこともなかった。十三夜のころは、夜は虫が弱弱しく鳴いて、さびしい感じするのに、そんなこともなかった。
●鵯や四十雀の声がまた聞かれるようになった。鵯が朝からかまびすしい。暑い夏の間、山に行っていたのか。生協の配達で大洲の里芋が届いた。日曜日に芋炊きをすることに決め、ビニール袋から出して新聞紙に包んで保存。鮮度が良かったので安心。
Essay
(十五)リルケと俳句について
人物:①「リルケの俳句世界」の著者の柴田依子氏は、フランス語に基軸を置いた研究者と思われる。
?クーシューについて。フランスの俊秀クーシューが24歳という若さで来日し、日本の文化に接したことは、日本文化にとって幸運なことだったと思われる。
以下が『俳句のジャポニスム』(柴田依子著/角川俳句選書/絶版)の紹介記事からの俳句に該当するクーシューに関する文である。
1903(明治36)年、フランスの俊秀クーシューは24歳で来日し、約9か月間にわたって、みずみずしい感性をもって異質な文化と社会に接している。
クーシューは、まず14首の和歌をフランス語に訳し、つづいて、宗鑑・鬼貫・芭蕉・蕪村など158句の俳句の翻訳と解説をした。これほど多数の俳句がヨーロッパに紹介されたのは初めてで、これに刺激されてリルケも三行短詩を試みるなど、文化交流の上で画期的な役割を果たした。なお、1912年に日本や中国を再訪した。
晴れ
ひろびろと紺の深空の十三夜 正子
道に出て見上げる空に十三夜 正子
自転車の灯が来て止まる十三夜 正子
●いろんな林檎が出回るようになった。売り場には「お待たせしました。JA青森のりんご入荷。」とポップをついている。サンつがるが終わり,秋映、紅玉、フジ、トキなど。前に松山で水煙大会をしたとき、岩手の会員のかたが、松山城の二の丸庭園の蜜柑をめずらしそうに、しばらく眺めていたが、私なら、岩手行ったら、林檎の木をつくづく眺めるだろう。
(十四)リルケと俳句について
リルケを読むようになったいきさつは最初(一)に書いた。『ドゥイノの哀歌』の第一哀歌を読みつつ思うことだが、十代から今に至るまで俳句を60年間詠んできて、人生のほとんどを俳句に充てて(それしかできなかったのであるが)よかったのかを検証できそうな予感がしてきたのだ。肯定を期待している気持ちが働いているとも言える。しかし、よく読んでみなければわからない。
第一哀歌にある、なぞえの丘の樹、歩いてきた道、犬のように慣れまとわりつく習慣、窓辺から聞こえる提琴(バイオリン)の音色、そして夜。われわれはこれらから委託を受けていると考える。「委託」という考えは、日本人の私からは、逆の発想に思える。が、そうなれば、委託にどう応えるか。私の場合は、それが俳句を作ることなのだろうと、思えるのだ。信じるもの、恃むものからの委託ということになる。
晴れ
ほっこりと陽がさす森の木の実雨 正子
風吹けば青き木の実が降ってくる 正子
なんの実か覗けば赤ある檀(まゆみ)の実 正子
●1年ぶりに句美子たちの家にいった。1年以上になるかもしれない。駅前は道路工事を長らくしていたが、工事が済んでからは落ち着いて、街の様子は全然変わっていない。これだけ都会の中であるのに、時が止ったかと言うほどだ。丘のほうに有名な斎場があるので、いつも喪服の人に会う。今日も行きも帰りもだ。乗ったときは、葬儀の帰りかなと思うが、降りたところを見ると、これからお通夜に出かけるのだとわかる。
●句美子のところからの帰りの電車で、『神さまの話』(リルケ著/谷友幸訳)をぱらぱら読んだ。引き込まれて読む話ではないが、つくづく翻訳文のよさを感じた。言葉が少し古くて、やわらくて、品がある。もう、このような文章を書く人はいないだろうと思うと、時代の言葉というものが、貴重に思われてきた。翻訳者はどんな風貌の方だったのだろう。
●元新聞記者の政治の話にあった。「石破さんは突っ張るしかないんですよ。」と。たしかに「突っ走る生き方」がある。この生き方を忘れていた。
晴れ
甘藷蒸かす大きな蒸し器の時代物 正子
はらはらと塩をかけられ蒸かし藷 正子
紫蘇の実の天ぷら香るひとりの餉 正子
●10月月例ネット句会
投句
日にそよぎ日に染められて曼殊沙華(訂正)
星あかり地に棲む小さきものの声
うす紅葉金の御身の九品仏
浄真寺の三品堂に祀られる御仏は全て黄金色で、外のうす紅葉を引き立てる。金の御身が良い。 (廣田洋一)
●世論調査の電話があった。いつもは電話を切るが、今日は参加した。支持政党と投票は誰にするかなど。
●ガザの子どもと原爆の子を比べるのは時代が違うとイスラエルが非難。どの時代でも、どこの国でも子供は幸せであるべきなのに、なんということを。
●リルケについて少し知るうちに親しみがもてるようになったが、ここが危ないところなのだろう。一応、リルケの読み方というものがある。それを教えてもらったわけでもなく、もちろん自分の「リルケの読み方」が確立しているわけでもない。一つの本を読み、前の考えを訂正し、また別の本を読み、また訂正し、となって、結局何を知り、何がわかったというのだろう。はじめは、「リルケと俳句」についてだけ知りたかっただけ。だけれど、すべてが過程。落ち込んだのか、迷っているのか、自分ではわからないが、あまり、いい気分ではない。昨日、今日、『神さまの話』(リルケ著/谷友幸訳)を読んでいるせいかも知れない。それでどうしようもないので、ベートーベンの「皇帝」を聞く
晴れ
宵宮の御輿据えられよく光り 正子
宵宮の杜の木立に燈が灯り 正子
祭り来とわが家の花に野の花を 正子
●夕方、駒林神社の宵宮に行った。五時前だったので、ちょど御輿を据え、準備ができて、町内会の役員たちが一服しながら何か飲んでいるところだった。売店の準備もできていた。やきとり、綿菓子、ポップコーンを試しに作っているところだった。水ふうせん、おおきなボールにカラオケの舞台などがあった。祭りのお囃子を小さく流している。東にある小さい本殿と西にある小さい稲荷社に賽銭をあげて、見るものもないので帰った。賑やかではないが、里祭りのなつかしさがいっぱいだった。
●『神さまの話』(リルケ著・谷友幸訳/新潮社)は初版が昭和28年。平成23年51刷とある。一話だけ読む。それは「闇にきかせた話」で、幼いころ、幼友達のふたりは遠い親戚のお金持ちの人が来るのを待つが、ついに来なかった。大人になって二人の幼なじみは、また会うことになって神を待つが。とうとう神は来なかった。この『神さまの話』は25歳のときの2か月のロシア旅行の成果だそうだ。
●「花」と言えば、
何の花を思い浮かべるだろうか。AIに5つ挙げてもらった。ぱっと思いうかぶのは3つ目ぐらいまでだろうが、4つ5つ目も「らしさ」がある。
クーシューが「咲くからに見るからに花の散るからに 鬼貫」を注釈するのに、「一瞬の閃きのうちに、万象の途切れることのない流れと、」と言っている花を感じさせるのはどの花か。AIのあげた花を見ても桜以外に考えられない。桜はきわだって特別な花と思える。木の花であること。いっせいに咲くこと。いっせいに散ること。花期が短いこと。ボリュームがあること。日本中にあること、そして重要なの大勢の人が翌年の開花を信じて楽しみに待つこと。
フランス:バラ・リラ・チューリップ・ヒマワリ・スミレ
ドイツ:バラ・ヒナギク・ヒマワリ・バンジー・ゼラニウム
スイス:エーデルワイス・アルペンローズ・リンドウ・アネモネ・カランサス
オーストリア:エーデルワイス・アルペンローズ・リンドウ・マグノリア・ペンステモン
イタリア:ヒマワリ・ポピー・ラベンダー・アイリス・カモミール
イギリス:バラ・ブルーベル・ヒナギク・ポピー・ラベンダー
日本:桜・梅。菊・藤・つつじ
晴れ
快晴の空へ鵯飛び出し 正子
貴船菊紫あれば白もあり 正子
新聞に挟みし紅葉のこと忘れ 正子
●気持ちよく晴れた。図書館へ本を返却。新しく借りた『「日本の伝統」の正体』(藤井青銅著/新潮文庫)を読んだ。面白いような退屈なような、本だった。古い伝統のあるものが、実は新しいものだったり、伝統の正体は本当のところどうなんだ、と言う話が46項目について考察されている。
「東洋」についてが目新しかった。「桜」も時代による種類の違いを考えなければいけないと気づかされた。西の芭蕉の鬼貫の詠んだ桜はどの種類の桜か、早速、調べる。
●2024年ノーベル平和賞が「日本被団協」に与えられた。この賞に対して、はじめNHKは戸惑いを見せていたし、複雑な心境なのだろうと言う印象をもった。ノーベル文学賞も韓国の女性作家に与えられたが、世界情勢を反映している。核兵器がいますぐにも使われそうな戦争の雰囲気だし、北朝鮮の問題もある。ノーベル賞の姿勢がよく見えたように思えた。
曇り、ときどき晴れ
にんじんケーキが焼けたので
友訪ぬ葛と穂草の道を踏み 正子
バッハを聞いて
身に入むに「人の望みのよろこびよ」 正子
夜寒さの床(ゆか)にリルケの本三冊 正子
●寒露がすぎて、すっかり晩秋らしくなった。人参ケーキを焼いた。新しいオーブンでケーキを焼くのは初めてなので、焦げ過ぎないようにするのに苦労したが、何とか、しっかり焼けた。人参ケーキはこれまで何本焼いたか数知れないのに、オーブンの機嫌をとるのは難しい。冷めたところで半分を晴美さんに持って行った。
●ここ寒暖差がひどくて、11月ではないか、と思うこともある。そろそろ花冠の編集に入らなければいけないかと思ったり。いや、もう少しあとでもいいのではと、思ったり。季節を読みとる感覚がどうにかなっている。
●「俳壇」11月号が届く。俳人の大井恒行さんが「俳壇時評」で「現代俳句協会は、俳句ユネスコ無形文化遺産登録推進協議会から離脱せよ」の文を書いていた。推進協議会ができた時の会長は有馬朗人先生だった。私などが言うのもどうかと承知しているが、「なんと馬鹿なことを」を思っていたので、大井恒行さんのような意見があることを嬉しく思った。俳句はゲーテが言うような「世界文学」になっている。一応、われわれは俳句を文学と考えている。こんなことを考えると、細部の意見はそれぞれ異なると思うが、世界遺産への登録は止めておくのがいい。
●『世紀末ウィーン文化評論集』(ヘルマン・バール著/西村雅樹編訳/岩波文庫)の「日本展」のところを何気なく読んでいた。これはヘルマン・バールと言う評論家が「日本展」について書いたものを西村雅樹先生が訳されたもの。パリやウィーンでの万国博覧会に出展された日本の絵画や工芸品、果ては民具などを通して、19世紀末ヨーロッパで日本流のものが芸術家たちに大変関心を持たれ、根本的なところで影響を与えたたことを述べている。前にも読んでいたので、知識としてそうなのだと知っていた。しかし、どのくらい?どんな感じで?というのが実感としてわからなかった。それが久しぶりに本を開いてリアルにわかった気がした。
「日本展」にバールが書いてあることが実感でき、これはこの事を言っている、あれは、あのことだろうと繋がってきた。日本流のものの流行りはジャポニスムと呼ばれる。
なぜ実感できるようになったのかは、ここ涼しくなってからの、私の事を振り返ってみるとわかる。第一に。ネット上に公開された大学の論文のお陰と言えるのだ。ジャポニスムについて疑問に思ったことは、ネット上でそれに関して大学や国会図書館、情報研究所が公開している論文が読めたことが大きい。だれかが、考えてくれている。論文は7本読んだだけだが、ジャポニスムについてはゲルマにストの先生方の功績が大きいと思えた。同時に「リルケと俳句」についての論文もネットから印刷して読むうちに繋がるものもあった。多層的に理解できたと言える。
またヴァーチャル・ツアーのお陰もある。「モネのジヴェルニーの家」などが論文の実際を見せてくれた。「セザンヌとリルケ」の論文で、セザンヌの画が見たいと思えば、ネットを探せば、解説付きで見れた。クリムトの画も、北斎漫画も、富岳三十六景も見れた。
また、図書館の本は二、三十年前の本がほとんど。この古さが深いところで関連性を気づかせてくれるので役立った。「日本展」がよく読めるようになったのが、この秋のみのり。
雨のち曇り
りんご噛みりんごに混じる味のなく 正子
どんぐりの供物にまじり供えあり 正子
秋冷の野に食ぶたまごサンドウィッチ 正子
●今日も雨で最高気温17℃。すっかり晩秋の気配。生協の配達でおでん材料が届く。ミニ大根を間違えて二本注文していたが、多分使い切れるだろう。
●『近代絵画の巨匠たち』(高階秀爾/岩波現代文庫)を読み終える。ボナールは晩年とくに身辺の物や景色や人物を描いているので、親密派とも呼ばれている。ナビ派にも参加していたが、本気ではなかったようだ。浮世絵版画の影響を受け、日本美術に大変関心を寄せていた。モネ、セザンヌ、ゴッホのほかにボナールまでとは驚きだった。(もちろん彼らの前にクリムトも浮世絵や日本美術の影響は受けているが。)庭に自ら好む植物を植え、植木屋には手を入れさせなかったという。葬儀の日の朝、ミモザやあんずの木にめずらしくうっすら雪が積んでボナールを悼むかのようだったという。最後に描いた「花咲くあんずの木」(1947年)のあんずはボナールのもっとも愛した木と言われて、見ていると懐かしいような画である。あんずは人によってはアーモンドとも呼んでいるけれど。彼が住んだ家は霧に透けた屋根がばら色に見えるので「小さなバラ色の家」と呼ばれ、幸福な画家とされている。亡くなるときは、「逆光の裸婦」などに描かれた妻(愛称マルト)も亡くなっており、孤独に暮らしたということだ。あんずの木は昔生家にもあって、この花のやさしさは子どもの心を癒したと思う。
「ボナールとマルト」のフランス映画が今年9月24日日本で公開されたということだが、見たかったな。最近ボナールの人気が高まっているようだ。
雨
あかあかと照れる林檎が目を奪う 正子
燈明のほのかに灯り寒露なり 正子
朝顔の支柱ほどきて雨つづく 正子
●今日は寒露らしく、気温が朝から上がらず、20度から次第に下がっていった。雨はしっとり降り続いて、長く歩けばずぶぬれになりそうだ。用事で日吉に出たついでに丸善に寄る。『リルケ詩集』(リルケ作・富士川英郎訳/新潮文庫)を買った。『リルケ詩集』(リルケ作・高安國世訳/岩波文庫)とどちらにするか「形象集」の「秋」のところを比べ、富士川訳のほうが意味がすっと落ち込んでくるので、こちらにした。面白いことに「木の葉が落ちる(富士川)」と「木の葉が散る(高安)」、「地球(富士川)」と「土地(高安)」の違いがあった。星野訳は、古本でいつか買うことにしている。
Essay
(十三)リルケと俳句について
●立ち読みだが、「新詩集」の「老女」を読んだとき、思わずわが身を振り返った。やさしく、懐かしく、箪笥のナフタリンの匂いと共に思い出される少女時代。この心持は自分を顧みながら俳句を作るときの心境みたいだと。
リルケについて読むうちに、だんだん引きずられていくようになっている。沼にはまってはいけないのに。『ふぃれんちぇだより(フィレンチェ日記)』(リルケ著)を訳し、リルケ作品を愛読したと言われる哲学者の森有正の言葉がネット上にあった。
「リルケの名は私の中の隠れた部分にレゾナンス(共鳴)を惹き起こし、自分が本当に望んでいるものが何であるか、また自分がどんなに遠くそれから離れているかを同時に、感得させてくれる」 この言葉はほんとうによく言い当てている。祈りにも似た言葉だ。
そして、ネットサーフィンをしていて、リルケを立ち読み中に魅かれた「新詩集」について
「リルケの<事物詩>成立ーー詩と事物のアナロジー」(小高康正著/関西大学学術リポジトリ/国立情報研究所)があったので、印刷した。「新詩集」についての論文。