NEW8月2日(日)

曇り
夕焼けのしずかになれば雷鳴す 正子

●息子に電話。頂いた梨を送りたいから、留守をするかどうか聞くと、先日のパソコンの処理がまだ終わっていないので続きをするからと来てくれた。私はすっかり終わったものと思っていた。

正午ごろ来たので、そうめんにした。鮎の塩焼きと、米茄子を油で焼いたおかず。息子は子供のころから鮎が好きなので、昨日買っておいた。

●花冠会員の有花さんがKindleで句集を出したことを話した。すると、自分の会社で日本語の本はすでに出版社の出版で流通していて、その英語版を出版をしたいと出版社に打診したら、よい返事ではなかったと言う。それで、英語版はKindle で出そうかと言う話になっているらしい。

私の場合も詩集『帰還』がもう手元にないので、これを電子書籍にしようと考え始めた。Unlimited で自由に読めるようにし、KDPで購入もできるようにする。英訳詩集ももうすぐ完成なので、この考えはいいのではないかと思う。

英訳詩集『RETURN』も、『帰還』同様に30部限定で出す予定。Amazon で読まれれば、すこし広く読んでもらえるだろう。絶版となったものが、電子書籍で読めるようになる。これからは、この形式が増えそうである。信之先生が亡くなって、ここが大きく変わった。スマホを持っていないと社会生活に困るようになっている。それが、ここ半年で急に進んだのではないかと思っている。

一般の生活にインターネットが普及して30年になるが、インターネット上では、本も日本語版と英語版はセットであるのが必然になって来たのではと思った。

●記録しておこうと思って忘れていたが、それは「俳句の深さ」についてである。「俳句の深さ」は、心境を深めれば俳句が深くなると思うかもしれないが、そうではない。心境が深くなっても俳句は深くならない。何がどうなれば深くなるのか。それは、「観照の深さ」であろうと思う。ここがちょっと面白いが、「セザンヌが鍵」なのだ。リルケも、メルロ=ポンテもセザンヌの画に関係している。

花冠7月号(No.375)は西村先生との往復書簡もあって、封書でお礼をいただいた。「リルケと俳句と私」(四)を読んでの感想に「精神の目」と言う言葉があった。よく考えなければ、うかつには書けない。先生の手紙はいつも問を開いている。「リルケと俳句と私」の文章を読んだ人は、何か書きたくなるようで、今回は晴美さんが少し長い手紙を、1月号では、西村先生も少し長い手紙をくださった。

●夜中、涼しい風が吹いているのに気づいて目が覚めた。『マルテの手記』の訳者大山定一の解説を読んだ。この文庫本にはモリスの柄の布のブックカバーをかけている。それが手に馴染むので、ときに手に取る。パラパラと適当なところを読む。相変わらず難しい。リルケの事が何もなわっていない。わかっていないのに言いたい気になる。しばらく、黙っていようかと思う。

 

8月1日(土)

曇り、時に晴れ
咲き始め臭木の花の白すずし    正子
空蝉のかるさ手に置きすぐに捨つ  正子
梨の実を冷蔵庫へとひとつずつ   正子

●朝3時半ごろ目が覚める。冷房をつけていても、眠りにくい。しかたなく、枕元に置いている歳時記と『マルテの手記』をところどころ読む。読むといっても頭には入らない。そうこうするうち5時を過ぎた。昨日は散歩に行かなかったので、いつもの散歩コースの5丁目の丘へ行った。
欅の葉が赤くなって、かなり道に落ちている。これは暑さのせいだろうと思った。病葉というのでもなさそうだ。蝉もよく鳴いているが、尾長が電線に三羽。いい具合の配置で止まっている。三羽の関係は、と思うが。

●みよさんが栃木の梨を送ってくださった。栃木の梨は有名だが、丁寧に育てられた雰囲気がある梨。仏壇に供えた。すぐ冷蔵庫へ。

●英訳詩集の表紙の装丁に一日かかった。やったと納得する色になった。それを記号で示すと枠線の色は#AFA7D5で、青寄りの灰色が買った藤色。線の太さは、1.0。
奥付も出来上がった。枠の大きさと余白。これは勘に頼るしかない。奥付も完成した。花冠俳句叢書・別巻②をどう表わすか。
Kakan Haiku Series—Special Volume ② とした。

15篇の詩の英訳が10日でできた。英訳にどのくらい日数がかかるか、わからなかったが、思ったより速かった。英語俳句の経験が生きたとしか言いようがない。翻訳の技術として知らぬうちに身について、我ながら驚き。気になる言葉がまだまだあるので、点検しないといけない。9月11日に入稿予定。なぜなら、集中力が途切れると、感覚が途切れ、覚えていることを忘れそうになるから、集中力が続いているうちに入稿したい。これは、散文ではおきないこと。
詩は集中力。