曇り
夕焼けのしずかになれば雷鳴す 正子
●息子に電話。頂いた梨を送りたいから、留守をするかどうか聞くと、先日のパソコンの処理がまだ終わっていないので続きをするからと来てくれた。私はすっかり終わったものと思っていた。
正午ごろ来たので、そうめんにした。鮎の塩焼きと、米茄子を油で焼いたおかず。息子は子供のころから鮎が好きなので、昨日買っておいた。
●花冠会員の有花さんがKindleで句集を出したことを話した。すると、自分の会社で日本語の本はすでに出版社の出版で流通していて、その英語版を出版をしたいと出版社に打診したら、よい返事ではなかったと言う。それで、英語版はKindle で出そうかと言う話になっているらしい。
私の場合も詩集『帰還』がもう手元にないので、これを電子書籍にしようと考え始めた。Unlimited で自由に読めるようにし、KDPで購入もできるようにする。英訳詩集ももうすぐ完成なので、この考えはいいのではないかと思う。
英訳詩集『RETURN』も、『帰還』同様に30部限定で出す予定。Amazon で読まれれば、すこし広く読んでもらえるだろう。絶版となったものが、電子書籍で読めるようになる。これからは、この形式が増えそうである。信之先生が亡くなって、ここが大きく変わった。スマホを持っていないと社会生活に困るようになっている。それが、ここ半年で急に進んだのではないかと思っている。
一般の生活にインターネットが普及して30年になるが、インターネット上では、本も日本語版と英語版はセットであるのが必然になって来たのではと思った。
●記録しておこうと思って忘れていたが、それは「俳句の深さ」についてである。「俳句の深さ」は、心境を深めれば俳句が深くなると思うかもしれないが、そうではない。心境が深くなっても俳句は深くならない。何がどうなれば深くなるのか。それは、「観照の深さ」であろうと思う。ここがちょっと面白いが、「セザンヌが鍵」なのだ。リルケも、メルロ=ポンテもセザンヌの画に関係している。
花冠7月号(No.375)は西村先生との往復書簡もあって、封書でお礼をいただいた。「リルケと俳句と私」(四)を読んでの感想に「精神の目」と言う言葉があった。よく考えなければ、うかつには書けない。先生の手紙はいつも問を開いている。「リルケと俳句と私」の文章を読んだ人は、何か書きたくなるようで、今回は晴美さんが少し長い手紙を、1月号では、西村先生も少し長い手紙をくださった。
●夜中、涼しい風が吹いているのに気づいて目が覚めた。『マルテの手記』の訳者大山定一の解説を読んだ。この文庫本にはモリスの柄の布のブックカバーをかけている。それが手に馴染むので、ときに手に取る。パラパラと適当なところを読む。相変わらず難しい。リルケの事が何もなわっていない。わかっていないのに言いたい気になる。しばらく、黙っていようかと思う。