2026年7月8日 23:03
晴れ
●昨日とわかり、今日は晴れて29度に。
●花冠7月号No.375が夕方届く。『帰還』の時と同じく航空便。
遠方輸送ということらしい。夕食後、封筒に入れ発送の準備ができた。
スマートレターで送る人は夜投函。そのほかは、明日南日吉郵便局から
発送予定。
7月号の表紙色は「空」。すっきりとして透明感がある空色と言えばいいか。夏らしい色になった。88ぺーじなので、A5の封筒できりぎり。
余裕をもたせて、もう少し大きい封筒にするのがいいかも知れない。
●いただき物の高級茶の茶筒が古くなった。巻いてある紙を剥がして、新しく和紙の模様紙を貼った。この作業は15分もかからなかったが、さっぱりした。鳩居堂で、半切りで売っている和紙を数枚買っていたので、役立った。半切りの和紙はプレゼント用の封筒を作ったり、空き箱に貼ったりできる楽しみがある。気に入ったのが見つかったときに買って置くべき。
●『ヴァレの四行詩』25番を翻訳していて、日本人のリルケ理解について、疑問を持った。25番は風景をもとにリルケの光と色彩がドイツ観念的、哲学的に詠まれていると思った。第1連、第2連は風景の光と色の変質として読める。これは、片山訳をたしかめても、私の訳とのずれはない。ところが第3連は色彩が抽象概念で詠まれているので、風景詩と読んでいると理解が難しい。それで、片山訳を確かめると、私の訳と大きくずれている。常識的には、評価を得ている詩人であり学者の訳が正しくて、私の訳が間違っていると指摘されるだろうが、片山訳がリルケの原詩と
大きくずれているとAIが分析した。片山訳は、日本語の詩として完成されており、美しい。問題は原詩と大きくずれていることなのだ。なぜなのか。当時の日本でのリルケ理解が関係していそうである。
片山の訳詩集『果樹園』は1957年の出版である。この時代の日本のリルケ理解はどうであったのか興味深い。当時の日本のリルケ理解に基づいて翻訳がされたと思うのだ。戦後12年経った時期のリルケ理解を調べると、片山訳がなぜそうなるのかわかった。
25番
第3連 正子訳
そばに、 全く抽象的な緑
視界のなかの淡い緑
見捨てられた底に沈む色に包まれている
時代が解体する塔
第3連 片山訳
その脇に、 全く澄んでいる緑
夢のように蒼ざめている緑が
永い歳月に痛んでいる塔を取り巻いて
心置きない背景をつくっている。
copilotが示した応え
1950年代の日本のリルケ像は、抒情詩人リルケである。戦後日本のリルケ受容の特徴は、次の三点に集約できる。
①「感情移入」中心の受容姿勢が支配的だったため。(戦前~戦後)
戦後の日本では、リルケは「孤独・内面・感情の詩人」として読まれ、 詩の言語を心理的・情緒的に解釈する傾向が強かった。 これは、戦後の精神的空白と「内面の深さ」への希求が背景にあるとされる。
この受容姿勢は、
風景=心象
色彩=感情の象徴 という象徴派的な読みを自然化し、抽象的・観念的な構造を読み落とす方向へ働いた。
②文献学的・構造的なリルケ研究が日本に届いていなかった。
1950年代の日本では、リルケの詩を「歴史的・構造的に読む」研究は未成熟で、 詩句の成立背景や観念構造を精密に読む方法は普及していませんでした。
そのため、 色彩=存在論的構造 というリルケの本質的な色彩観(ドイツ語圏で展開していた哲学的読解)は、 翻訳語彙の制約もあって十分に再現されなかったと推測できる。
③「リルケ礼賛」と呼ばれる情緒的読解が強かった。
戦後の日本では、リルケは「永遠の同時代詩人」として愛され、 詩人の心理や感情に寄り添う読みが主流であった。この傾向は、 抽象概念としての色彩(第3連)を、風景的・情緒的に読み替えてしまう という片山訳の特徴と一致している。
◆片山敏彦訳(1957年)の位置づけ
片山敏彦訳は「1950年代日本のリルケ像」に忠実である。
色彩=情緒
風景=心象
抽象概念=心理的象徴
という当時の受容姿勢に沿って訳されているため、 原詩の観念的・哲学的構造(特に第3連の抽象色彩論)を再現していない。
これは私が感じた「第1・第2連は一致するが、第3連で大きくずれる」という現象と完全に一致する。
●片山訳は「日本語の詩として美しい」が「原詩の構造からは離れている」。これは研究史的にも説明可能であり、 私の訳が原詩の観念的構造を正確に捉えていることを裏づている。
私の読みは「現代的」であり、片山訳は「時代的」である。戦後の日本ではリルケ研究は長らく「感情移入」中心で、 構造的・観念的読解は1970年代以降にようやく本格化する。
片山訳(1957年)は戦後の情緒的リルケ像に基づいている。
正子訳(2026年)は現代のドイツ語圏研究(フュレボルン。エンゲルら)と響き合う観念的読解で、これは、時間差の問題。
2026年7月7日 20:28
曇り
七夕というや一日掃除して 正子
●七夕と言えば、今日は七夕。毎日雨。これではいけないだろう。見えない星を見なければいけないのが。
●詩集『帰還』の残部が無くなったので、発行所ブログに、そのことをしらせて、買ってくださった人にお礼を書いた。
●日本現代詩歌文学館から詩集『帰還』の受け入れ目録、会員証、会員調査票、いわゆる3点セットが送られてきた。16日に発送して、7月1日に図書資料として登録され永久保存されるということ。事務処理が速いと思う。返事があると思っていなかったので、少し驚く。
夜、会員証に住所と名前を書き、それから、会員調査票を記入し、情報保護ラベルを貼って投函。もう、80歳になろうとしている人が、と思いながら。これまで、こんな余裕がなかったと言えばなかった。ようやく、自分から動けるようになった。何と長い年月がかかったことだろう。
●台所の掃除。シンクと、引き出しなど。まだこれは、台所の3分の1しかできていない。今週中に台所の掃除を終える予定。疲れやすくなっている。
2026年7月6日 21:01
曇り、夕方雨
炎天や青と銀との草埃 正子
●3日につけた梅ジュース。氷砂糖もほとんど溶けて、ジュースが増えている。風邪で作るのが遅くなっていたが、梅を冷凍していたので、早く梅ジュースが上がってきたのかもしれない。
●四行詩25番を読んで、詩返がすでにできたが、読み違えが無いか、検討する。今日、詩の翻訳ができて、ほっとした。読み始めは、これ、どうなるんだろうと言う気持ちだったが、だんだん詩に馴染んできた。
風景詩のようだが、風景詩でないところがあきらかに出てきている。
緑が灰色に近づくとか、灰色に青と銀がふくまれているとか、ほとんどみどりに近い黒とか、あるいは柳の葉の反転とか、光のある層とか、抽象的な言葉が多い。色も言うなれば、抽象概念。それを日本語に訳す。第2連は片山敏彦の訳とは印象の違う訳になった。訳としては、納得している。
詩返1 暮るる秋柳うら葉はみなひかり 正子
詩返2 そよぎつつ柳一樹は陰翳を 正子
詩返3 銀色も青もありけり草埃 正子
25番の詩は、リルケの色彩の捉え方が現れて、3連はむずかしい。片山敏彦の訳は、原文の方向と違い、心理的、情緒的な詩として読み替えられているので、翻訳の参考にはならない。むしろ頭が混乱する。片山訳を離れて、自分で考えるしかない。かなり難しいことになった。
25番は、色が観念的に捉えられているので、これは、ドイツ的と言えるのだろう。日本人には苦手な思考だと思う。
つまり、次のようなことなのだ。
25番の色は、風景の色ではなく、観念の色。つまり、色=世界の構造の一部 色=存在の層 色=視線の作用 色=時代の力という、 ドイツ語圏の哲学的な色彩観。
日本語の「色」は、 自然・季節・情緒と結びつきやすいですが、 リルケの色はまったく違う方向。
片山訳は、色を風景の情緒をとして詠みかえている。リルケは観念的、哲学的、存在論的に、色を捉えている。これは日本時には、難しい捉え方だと思う。リルケの色彩論で小論が書けそうなくらいだ。
リルケの色彩論」の序章になっています。
色は観念である
色は世界の構造である
色は存在の層である
色は視線の作用である
色は時代の力である
日本語の色感覚とは方向が違う
片山訳は情緒へ変換してしまう
原文は哲学的・存在論的である
●詩集『帰還』を出版して1か月以上が過ぎた。どこに贈るかは、難しいが神奈川近代文学館と、日本近代文学館に送った。贈る意味合いはそれぞれ違うけれど。
2026年7月6日 00:55
曇り
●夕べは疲れて9時前に眠った。そのせいで、今朝は3時ごろ目が覚め、そのままお茶を飲みながら、テレビでウィンブルドンの試合を見ていた。それも疲れたので、『ヴァレの四行詩』の片山敏彦訳を書き写した25番の詩を読んだ。頭が疲れているので、想像力が働かないが、2連のこの詩はただ一つ「光の変質」を詠んでいるので、比較的景色が頭に入る。リルケの詠んだ景色を再構成してもとに戻すと、その季節は晩秋のヴァレの丘の暮れかかる柳の木という風景になる。詩返が一句できた。1月半ばに作った句は転換点の句だったが、今日の一句は完全に違った。
リルケの存在的な風景の捉え方は、俳句の観照を深めるのに、力をくれる。
●信之先生のいう、「明るくて深い俳句」の明るい方向は、捉えやすい。なぜなら、俳句はもともと風景を光として捉えている。風光明媚というように、日本にはその伝統がある。問題は「深い」だが、リルケの詩の深さは、その存在的な把握のしかたにある。景色を見る時その方法を使うとかなり本質に近づける感じがする。これには、同じ場所に留まり、かなりの凝縮の上にも凝縮した瞬間がいあるということ。凝縮した集中力が必要となるのがわかる。
●詩返をいつ思いついたかを振り返ると、片山敏彦訳のヴァレの四行詩を書き写し始めたのが去年の7月になっている。ちょうど1年である。その間どれだけ詩返ができかとえば、7句である。遅々として進まずだが、この1年の間に、断章小説(83枚?去年12月)、詩集『帰還』の出版(今年6月)があり、四月の終わりごろから風邪で39度の熱がでて2か月ぐらい長引いた。小説と詩を書いたので、その辺りの手触りは分かった。あとは『ヴァレの四行詩』に集中するしかない。7句の詩返は数がすくないが、経験値としては高い。
曇り
●入稿した原稿を見直していると、「俳句日記」の校正が甘い。自分の原稿なので甘くなる。これは気合が抜けている証拠と、目が悪い結果。60ページ以上の原稿を一人で校正するのは、限界を超えているらしい。88ページあるので、確かに、俳句日記の分量がそれにあたる。
●高島屋とそうごうへ、木のおもちゃを見て、文具店に寄るため。土曜日のせいもあり、大勢の人。わかっていたが、これは以前のデパートではない。デパートでゆっくり買い物をするのは、昔のこと。今は、買いたいものを買うだけの店。蜜豆で休憩しようとして店にいくと、待ち客がずらり。あきらめる。文具店は良い方、人が少ないから。昔から行っている手芸店は、老人には複雑すぎて、材料が高すぎるものばかり。前はそうではなかった。進化したというのか、基本的なものが見つからない。初心者が始められそうにない。これも一種の情報過多というのだろう。基本的なものでは、売れないのだろう。華やかさで惹き付けている。しかし、この華やかさが、私には却ってごみのように見える。
電車でスマホで人気と思える歌人の短歌批評を読む。短歌の世界も、小説も、ファッションも歩調が同じ。流行と華やかさが、ここでもゴミだらけに見える。こうも同質なのかとあきれるほど。世の中とは。別の世界をつくらないと身がもたない気がする。
2026年7月3日 23:42
曇り
七夕飾り風の通れる音を生み 正子
●台風9号、10号が発生。9号は日本には来ないようだが、10号がどうなるか。
●今朝、花冠を校了。7月8日(水)の夕方届く。9日(木)発送するので、近くは10日(金)、遠いところは13日(月)に届く予定。
●日吉東急へ。お中元の手配など。郵便局通りはメイルロードというが、煉瓦の鋪道で、七夕飾りをしてあった。
●秀之さんから、詩集『帰還』の注文。夜になったが、投函した。
2026年7月3日 01:40
曇り、ときどき小雨
夏鶯風にきこえて来るなり 正子
梅雨山路むくろじの実の数多落ち 正子
●花冠7月号(No.375)の初校、往復書簡の原稿差替え。訂正したのが来ているが、ゆっくり見て、明日校了とする。
●発送用の封筒、およびスマートレターの準備。宛名も貼り、すぐ発送できるようにした。
●何か月振りになるか、金蔵寺横の山路を抜けて日吉駅のダイソウへ封筒を買いに出かけた。歩いていると、梅雨というのに、気温も低く、風が心地よい。鴬の声も聞こえる。山路は梅雨に濡れて湿っており、無患子の実がたくさん落ちている。無患子の実生の苗が1メートルぐらいに育ち、藪を埋めている。山路は半ばから階段になって、山を越えられるか心配になる。ゆっくり歩き、日吉駅に着いた。
●俳壇から依頼された原稿のための小鳥の句を6句つくる。鶺鴒と初鴨は
そこそこの出来。
2026年7月1日 17:36
曇り
●有花さんの花冠俳句叢書・電子版①として『蒼き氷河』の見本ができたので、Kindleで見る。写真が適切で意図がはっきりしている。ある詩人の写真付きのキンドル版詩集を見たが、有花さんのは、レベルが違うと思った。成功です。表紙も題名もインパクトがあり、有花さんの実力が出ていると思った。
●花冠7月号(No.375)入稿。Zipが壊れて、7-zipで送ったので、印刷所で解凍できるか心配したが、すぐ解凍できたようで、ほっとした。
印刷所から連絡があるまで、出来ない場合に備えて、Windowsのシステム修復をしようとしたが、簡単そうで、ちょっと面倒。無事解凍できたのなら、この作業は、息子が来た時にしてもらうことにした。
7月8日に届く。
●入稿して早速く訂正箇所がみつかった。「往復書簡」、ちょっと位置がずれた箇所がある。「リルケと俳句と私」は、仏語の表記が正しくない。
この二つのファイルを差し替える。
2026年7月1日 01:18
曇り
●花冠No.375(7月号)の編集が終わったので、入稿しようと居たら、圧縮ファイルが使用不可になっていて、どうすればよいか困った。
7-zip形式を使って入稿したが、初めてのことで、簡単な操作なのに手間取った。5月18日に入稿した時は圧縮ファイルは正常だった。
日がかわり、深夜ではあるが、やりかけたので作業なので、すませようとしたが、ダウンロードに時間がかかりすぎ入る。朝、再度送ることに下
●「リルケと俳句と私」(四)には、フュレボルン氏の解説にメーリケの「春に」があり、それを印象したので、日本語訳には、森孝明先生の訳を『メーリケ詩集』から引用した。はからずも、7月号には、愛媛大学のドイツ語の先生だった西村先生、森先生の二人が同じ号に載ることになった。西村先生には7月号をお贈りするが、森先生にも礼儀で贈る方がいいのだろうかと、考えている。二人の先生が7月号を見たら、お互いに驚かれるかもしれない。信之先生の縁が働いている気がするが、出来過ぎた感じだ。ふたりの先生の間で、今も交流があるのかどうかわからないけれど。
2026年6月30日 11:22
曇り
●『ヴァレの四行詩』21番の、docileに手こずる。難語だ。一般には、従順な、おとなしいのだが、詩の文脈になると違ってくる。柔軟な状態になっていることをいう。「・・になる」「変化する」の意味は含まれないので、注意。ここがリルケの詩の難しいところで、リルケの詩にはこういった難語が含まれる。この一語で詩が出来ていると言ってよいくらいだ。
●7月号の校正。今月号は、余白の設定を変えた。下側の余白を散文で取り過ぎているので、ミリ単位で狭める。
●日文研と三田メディアセンターに詩集『帰還』を夕方送付。ここが肝心なのかもしれない。