曇り
●夕べは疲れて9時前に眠った。そのせいで、今朝は3時ごろ目が覚め、そのままお茶を飲みながら、テレビでウィンブルドンの試合を見ていた。それも疲れたので、『ヴァレの四行詩』の片山敏彦訳を書き写した25番の詩を読んだ。頭が疲れているので、想像力が働かないが、2連のこの詩はただ一つ「光の変質」を詠んでいるので、比較的景色が頭に入る。リルケの詠んだ景色を再構成してもとに戻すと、その季節は晩秋のヴァレの丘の暮れかかる柳の木という風景になる。詩返が一句できた。1月半ばに作った句は転換点の句だったが、今日の一句は完全に違った。
リルケの存在的な風景の捉え方は、俳句の観照を深めるのに、力をくれる。
●信之先生のいう、「明るくて深い俳句」の明るい方向は、捉えやすい。なぜなら、俳句はもともと風景を光として捉えている。風光明媚というように、日本にはその伝統がある。問題は「深い」だが、リルケの詩の深さは、その存在的な把握のしかたにある。景色を見る時その方法を使うとかなり本質に近づける感じがする。これには、同じ場所に留まり、かなりの凝縮の上にも凝縮した瞬間がいあるということ。凝縮した集中力が必要となるのがわかる。
●詩返をいつ思いついたかを振り返ると、片山敏彦訳のヴァレの四行詩を書き写し始めたのが去年の7月になっている。ちょうど1年である。その間どれだけ詩返ができかとえば、7句である。遅々として進まずだが、この1年の間に、断章小説(83枚?去年12月)、詩集『帰還』の出版(今年6月)があり、四月の終わりごろから風邪で39度の熱がでて2か月ぐらい長引いた。小説と詩を書いたので、その辺りの手触りは分かった。あとは『ヴァレの四行詩』に集中するしかない。7句の詩返は数がすくないが、経験値としては高い。
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