晴れ
●昨日とわかり、今日は晴れて29度に。
●花冠7月号No.375が夕方届く。『帰還』の時と同じく航空便。
遠方輸送ということらしい。夕食後、封筒に入れ発送の準備ができた。
スマートレターで送る人は夜投函。そのほかは、明日南日吉郵便局から
発送予定。
7月号の表紙色は「空」。すっきりとして透明感がある空色と言えばいいか。夏らしい色になった。88ぺーじなので、A5の封筒できりぎり。
余裕をもたせて、もう少し大きい封筒にするのがいいかも知れない。
●いただき物の高級茶の茶筒が古くなった。巻いてある紙を剥がして、新しく和紙の模様紙を貼った。この作業は15分もかからなかったが、さっぱりした。鳩居堂で、半切りで売っている和紙を数枚買っていたので、役立った。半切りの和紙はプレゼント用の封筒を作ったり、空き箱に貼ったりできる楽しみがある。気に入ったのが見つかったときに買って置くべき。
●『ヴァレの四行詩』25番を翻訳していて、日本人のリルケ理解について、疑問を持った。25番は風景をもとにリルケの光と色彩がドイツ観念的、哲学的に詠まれていると思った。第1連、第2連は風景の光と色の変質として読める。これは、片山訳をたしかめても、私の訳とのずれはない。ところが第3連は色彩が抽象概念で詠まれているので、風景詩と読んでいると理解が難しい。それで、片山訳を確かめると、私の訳と大きくずれている。常識的には、評価を得ている詩人であり学者の訳が正しくて、私の訳が間違っていると指摘されるだろうが、片山訳がリルケの原詩と
大きくずれているとAIが分析した。片山訳は、日本語の詩として完成されており、美しい。問題は原詩と大きくずれていることなのだ。なぜなのか。当時の日本でのリルケ理解が関係していそうである。
片山の訳詩集『果樹園』は1957年の出版である。この時代の日本のリルケ理解はどうであったのか興味深い。当時の日本のリルケ理解に基づいて翻訳がされたと思うのだ。戦後12年経った時期のリルケ理解を調べると、片山訳がなぜそうなるのかわかった。
25番
第3連 正子訳
そばに、 全く抽象的な緑
視界のなかの淡い緑
見捨てられた底に沈む色に包まれている
時代が解体する塔
第3連 片山訳
その脇に、 全く澄んでいる緑
夢のように蒼ざめている緑が
永い歳月に痛んでいる塔を取り巻いて
心置きない背景をつくっている。
copilotが示した応え
1950年代の日本のリルケ像は、抒情詩人リルケである。戦後日本のリルケ受容の特徴は、次の三点に集約できる。
①「感情移入」中心の受容姿勢が支配的だったため。(戦前~戦後)
戦後の日本では、リルケは「孤独・内面・感情の詩人」として読まれ、 詩の言語を心理的・情緒的に解釈する傾向が強かった。 これは、戦後の精神的空白と「内面の深さ」への希求が背景にあるとされる。
この受容姿勢は、
風景=心象
色彩=感情の象徴 という象徴派的な読みを自然化し、抽象的・観念的な構造を読み落とす方向へ働いた。
②文献学的・構造的なリルケ研究が日本に届いていなかった。
1950年代の日本では、リルケの詩を「歴史的・構造的に読む」研究は未成熟で、 詩句の成立背景や観念構造を精密に読む方法は普及していませんでした。
そのため、 色彩=存在論的構造 というリルケの本質的な色彩観(ドイツ語圏で展開していた哲学的読解)は、 翻訳語彙の制約もあって十分に再現されなかったと推測できる。
③「リルケ礼賛」と呼ばれる情緒的読解が強かった。
戦後の日本では、リルケは「永遠の同時代詩人」として愛され、 詩人の心理や感情に寄り添う読みが主流であった。この傾向は、 抽象概念としての色彩(第3連)を、風景的・情緒的に読み替えてしまう という片山訳の特徴と一致している。
◆片山敏彦訳(1957年)の位置づけ
片山敏彦訳は「1950年代日本のリルケ像」に忠実である。
色彩=情緒
風景=心象
抽象概念=心理的象徴
という当時の受容姿勢に沿って訳されているため、 原詩の観念的・哲学的構造(特に第3連の抽象色彩論)を再現していない。
これは私が感じた「第1・第2連は一致するが、第3連で大きくずれる」という現象と完全に一致する。
●片山訳は「日本語の詩として美しい」が「原詩の構造からは離れている」。これは研究史的にも説明可能であり、 私の訳が原詩の観念的構造を正確に捉えていることを裏づている。
私の読みは「現代的」であり、片山訳は「時代的」である。戦後の日本ではリルケ研究は長らく「感情移入」中心で、 構造的・観念的読解は1970年代以降にようやく本格化する。
片山訳(1957年)は戦後の情緒的リルケ像に基づいている。
正子訳(2026年)は現代のドイツ語圏研究(フュレボルン。エンゲルら)と響き合う観念的読解で、これは、時間差の問題。