雨のち曇り
●自由な投句箱の投句者が、一人とか二人になったので、どこを直せば、よいのかを具体的に書いた。どのくらい読みとってもらえるかはわからないが、やはり、一言は申し上げておくほうがいいと思った。
●筑摩書房からメールがあった。昨年12月10日締め切りの新人賞に応募していたので、第一次予選通過作の知らせだった。1890篇の応募があったらしい。私のは落選でした。落選者にもメールがあるとは、それなりに作者に敬意を払っていると思えた。
私の作品は断章小説という形式だったので、通過は難しいかもしれないと思っていた。ただ、出来上がった時期と応募締め切りが近かったこと、審査員の顔ぶれを見て、そのまま応募することにした。新しい形式を望む?と書いてあった思うが、やはり普通の形式の小説が通過したようだ。ヨーロッパには断章小説があるが、読むのは難しいと言われている。私は、初めての小説だし、書くなら断章小説が書きやすい。どの俳句の賞にも、ほかのジャンルの賞にも応募した経験がないので手さぐりだった。それでも一生懸命書いたのは事実。結果、文壇の雰囲気に少し触れることができ、大変面白かった。
なぜ、急に小説をと思う人もいるかもしれないが、これは、信之先生が、生前言ったことで、よくわからないことが一つあって、書けばわかるかと思い、その必然から書いたのだ。書き終わっても、何もわからなかった。が、1か月後、ちょうど年賀状が届くときに、その年賀状に添えられた、当り障りのない言葉でヒラッとわかったのだ。当り障りのない言葉は、推理小説よろしく、心理が見える。それで、わからなかったことの7割がわかった。あと3割については、自分の側ではどうにもできない。
自分の文章のレベルが賞の基準に対して低かったと思わないが、一次予選通過作の題名を見て、私とは、真逆の傾向を感じた。賞名の作家の影をどこか、引きずっていると感じた。応募作は、落選したからと言って、それをほかの賞には応募できない。逆に言えば、これが手もとに残ったということで、それがだれにも取られなかったということで、幸いだ。これに懲りず、どうせ落選なのだから、今度は本丸へ。今度は、まもとな賞に応募しようかと思っている。理由は、ちょっと面白いから。2作目は「リルケと俳句と私」が完成してから。それまでに死ぬかもしれないが。