9月30日(月)

曇り
栗おこわ栗がもっともつやつやと   正子
星あかり路地に虫らが生きて鳴く   正子
星明かり宙のさみしさ長しえに    正子
Essay
(九)リルケと俳句について
●『リルケ』(星野慎一・小磯仁著/清水書院)が届いたので、丸善へ取りにいく。「これでいいですか」と店員に言われ、一瞬、違うと思ったが、装丁が新しくなっていた。新しくなってからも、もう9年経ってる。中身は同じで安心した。値段も時代を反映して840円から1320円となっていた。

●「リルケは俳句の何に魅力を感じて、自らもハイカイを3編(句)残し、さらに墓碑銘の俳諧とも言われる3行詩をなぜ残したのか」を知りたいと思うのがリルケを考えるきっかけである。ただそのことだけに関心を絞っておかねばいけない。このことを自分に戒めておく。

ネットでセザンヌやジャポニスム、リルケについてブラウジングしていたら、「リルケの俳句世界」(柴田依子著/比較文学Vo.,35)の論文を見つけた。印刷したので、これからこれをよく読んでみるつもり。

●リルケはセザンヌの画に魅かれている。セザンヌの画をネット動画を見ていて、気づいたことがある。リルケがセザンヌに魅かれた理由の一つがそれではないかと思った。「サント・ヴィクトワール山」からは「見た目の風景画から存在の本質に迫る風景画へ」の文があった。わかりやすく言えば、風景画に描かれている山や木や家やが、力強い存在感、力強い線をもっていることではないかと私は解釈した。
上の文章を生成AIに貼り付けた。AIが「セザンヌとリルケ」(角 英祐著/ジャーナルフリー1965年34巻p112-120))を挙げてくれたので印刷。この論文のレジメはドイツ語。この論文はJ-STAGEでオープン公開され無料で読めるようになっている。私が大学に入学したばかりのころ書かれた論文だ。ネットで探せば、疑問に思うところを、だれかが考えてくれて、論文で読めるのはありがたい。だが、探すのが大変だ。ここまでくるのにどれだけ検索したか。今日,ダウンロードした二本の論文は、私には非常に貴重な論文である。感謝する。

9月29日(日)

曇り、のち雨
蕪剥けば包丁やわらかに当たる  正子
秋の燈に夫居しころは何せしか  正子
秋の燈に無為の瞼の眠りそう   正子
●雨が降ると思わなかったが、昼ごろから雨。晴美さんが栗おこわと作ったからと持ってきてくれる。信之先生は生前、晴美さんのおこわを喜んで食べた。なんどかいただいている。今日もお供えして、お下がりを、なにしろ季節のもの、夕方友宏さんがきたので、二人で食べるように持って帰ってもらった。
●古典芸能番組で観世流の能「三輪」を見る。里の女の面、どこか生きているようにも思える。能面にしては幽かな表情がある。こういう面を何というのだろう。衣装の白と紅の絹の感じがとてもきれい。白は白でなく、紅は紅でない色。手に持った榊の緑が印象的。

9月28日(土)

曇り
なぐさみの青き朝顔咲き残り    正子
わが頬を照らすや林檎積み売られ  正子  
林檎の点星のごとくに散らばれる  正子
●掘りたての里芋を買いに電車に乗った。昼前の電車なのに、土曜日のせいか、満員。私は背が低いので、立ってる人の胸辺りしか見えない。傍の人を見ると、手に『愛はすぐそばに』という文庫本を持っている。半分ぐらいのところに栞が挟んであるので、こんな本を読む人はどんな人だろう、と顔を見たら、初老の華奢な男性だった。女性だと思っていたので、男性だったのでそうなのか、男性でこんな本を読むんだと思い、よくよく本を見た。実は『死はすぐそばに』と書いてあった。なにか、「死」も「愛」も同じようなものに感じられた。ここまで生きてくれば、死も愛も一緒でいいじゃないかという気持ちがした。。
肝心の里芋だが、JAの店員さんに聞くと、おととい初物が入荷して、きのうも今日も入荷はないとのこと。あすは入るかもしれないと、電話番号を書いた紙切れをくれた。しかたなく、阪急に行って里芋を探したら、三個入りの袋があるにはあった。まだほんとに出始めたばかりなのだ。

9月27日(金)

小雨
秋霖に婚礼の鐘鳴りわたる    正子
配達の梨の新鮮仏前に      正子
秋雨に濡れればシャツに雨匂う  正子

●今日は夕方から雨がひどくなりそうなので、早めに本を返しに出かけた。図書館のすぐ近くにある結婚式場の鐘が鳴り始めた。12時の鐘かな、と思ったが、11時44分。たぶん、結婚を祝う鐘なのだろう。本当の教会の鐘ならもっと大きく傍にいればうるさいほどなのだが、それほどでもなかった。秋雨のなかに鐘の音を聞くのは初めてだった。


●図書返却。あたらしく『近代美術の巨匠たち』(高階秀爾著/岩波現代文庫)、『やっぱり京都人だけがしっている』(入江敦彦/洋泉社)を借りる。『マルテの手記』『ドイツの詩を読む』を延長で借りる。

ゴッホのことは比較的知っているが、セザンヌのことは、ほとんど知らない。『近代美術の巨匠たち』は画業に通じるたのしいエピソードがあって、面白く読めそう。電車でセザンヌのはじめを少し読む。


●『やっぱり京都人だけが知っている』は、「本屋」の章を読むと京都は本屋だらけの印象を受ける。名前が個性的な本屋がいろいろ。「甲鳥書林」についてもあったが、虚子や吉井勇などの歌集や句集で見たことがある。
そして、「京都人は黙して語らず、自らの意志で行動(出版)する。背馳的で諦念の底に住んでいる。」と評するのには頷いて、ひとり笑った。

●自民党の総裁選挙があって、石破さんが勝つ。まあ、良かったと思う。

9月26日(木)

晴れ
耳よりも心そばだつ虫の声   正子
秋草をなべて見てゆく夕散歩  正子
萩苗の花を咲かせて売られける 正子

●午前、パソコン4台をノジマに持って行って処分してもらった。Lavie3台、Vaio1台。ノートパソコンとは言え重いので、2台ずつ運んでノジマへ2往復したのだ。この前FMV2台、Asus1台を処分してもらたので、7台処分したことになる。まだ銀行の払い下げの1台が残っている。
Essay
(八)リルケと俳句について
●『リルケ』(星野慎一・小磯仁著/清水書院)は、図書館で借りているが明日が返却日。238ページの本の一言一句に意味があるので、自分に買うことにし、丸善に注文した。

ついでに丸善で、岩波文庫の星野慎一訳の『リルケ詩集』を探したがない。今はそれに代わり高安國世訳の『リルケ詩集』がある。それの「ドゥイノの哀歌」の第1哀歌の訳を見ると「nichts」の訳が「nicht」に近い訳になっていたので、それでいいのかなと、そんなことが一瞬頭をよぎった。それで、星野慎一ならどう訳しているのだろうと探したが、星野訳は絶版のようなのだ。

リルケのnichtsとdas Gantzは俳句を作る私からすれば、関心のあること。星野訳の『リルケ詩集』が絶版らしいと知って、本屋でつくづく思った。翻訳を読む前に原詩で「ドゥイノの哀歌」を無謀にも読もうとしたことは、第一哀歌の4行目で、はや意味があることだと思えた。この月面着陸を願うような企ては、間違いとは言い切れないと思えた。帰宅してオンラインで岩波文庫の星野訳リルケ詩集を探した。かなり古そうだがあった。ほかにも、大山定一、富士川英郎、手塚富雄、高安國世、神品芳夫、小林榮三郎の名前に出会った。

「ドゥイノの哀歌」を読む月面着陸的企ての契機はこうなのだ。
本棚に信之先生の遺したインゼル書店のリルケ作品集がある。私が読む以外は子供たちは読まないだろうと思って開いて見た。読めるかなと思いながら、最初のリルケの詩2編を辞書とAIを頼りにして読むことができた。最初の詩はプラハの街を読んだ詩。

同時に、『リルケ』(星野慎一・小磯仁著)を読んでいる。そこに、リルケのハイカイの星野の解釈があって、これが私の考えと同じだっとことが非常にうれしく、私にもリルケが読めるかも知れないという思いが湧いた。

ドイツ語を知らない私が辞書とAIを使って読む時間は、初期の詩も「ドゥイノの哀歌」も大して変わらないだろうと思った。実際は、「ドゥイノの哀歌」の8行を読むのにレポート用紙3枚のメモが必要だったので、時間は数倍はかかっている。が、例えば他の本でその内容を読もうとすれば、そのくらいの時間はかかるので、むしろ、数行にある濃度に沈潜できるので苦ではない。そんないきさつで、「ドゥイノの哀歌」を読むことになったのだ。

リルケに気持ちが行ったのは、残りの人生が少ないことなのだ。読書について、おそらく意識的かもしれないのだが、ある時の、二回の時の「読むということ」で傷ついたトラウマから、リルケとファウストは柄でもないないからと避けてきた。それなのにか、それだからか、ここに来て、読まずに死ぬのは悔やまれる気がするのだ。それと、信之先生の一周忌を修めて、世の中から離れて「ひとり」になったことも関係している。「孤独」が手に入った。これは私の性にあっている。こんなことから、リルケを読み始めた。おそらく、これは自分の俳句のためなのだ。

9月25日(水)彼岸明け

曇り、夕方小雨
  ウイーン留学記を読み
一章へこころ落ちゆく秋の夜      正子
秋冷にきりなくつづく喜遊曲      正子
飛び立って飛蝗はすぐに黒き影     正子
●一日曇り空で、夕方には雨になり、どの部屋も寒々してきた。外のオリヅルランを部屋に入れて飾る。寒々とした部屋に、やりかけの英訳に戻らねばの気持ちが湧く。まえがきと、あとがきの見直し、イラストを探すことが残っている。それに、そろそろ次号の花冠の編集に入らねば。思い立てばいろいろある。
●晃さんから俳句甲子園関係の愛媛新聞記事の切り抜きが届く。『俳句の杜2024』の自身あての感想のコピーも。それについてお礼の電話。長電話になる。
Essay
(七)リルケと俳句
●ジャポニスムスの文学への影響はどうだったのか気になるので、ネットを探していたら、「フェデリコ・ガルシア・ロルカと俳句」(井尻香代子著)と言う論文が見つかったので印刷した。スペイン語の俳句。1920年代のジャポニスムスの影響を受けた俳句のような短詩の分析。
初めて聞く名前のロルカだがスペインのグラナダ地方の農場主の長男に生まれ、2歳で小児麻痺に罹患。亡くなったのはスペイン内戦のときフランコ政権に逮捕され銃殺され、1975年フランコが亡くなるまで、スペインでロルカを語ることは禁止されていたとのこと。三島由紀夫も関心をもっていたようだ。生きていたらノーベル賞とも。
『組曲集 フェデリコ・ガルシア・ロルカ未刊詩集』(小海詠二訳/1994年)の詩が俳句のようだと言うことなのだが、アメリカ、イギリス、ドイツ、フランスの俳句とは直観的に違う感じがした。
スペイン内戦のときドイツとイタリアは、ヒットラーとムッソリーニがフランコを応援している。ドイツ空軍の爆撃で多くの市民が犠牲になりピカソ『ゲルニカ』を描いたときなのだから、大変な時代の人だ。マドリードに鳩をもった銅像がある。悲劇的な人生だったロルカの俳句に魅力があるに違いない。

9月24日(火)

曇り、ときどき晴れ
秋草に稲の香りや空が暮れ      正子
秋蝶の斜めの不安薔薇に来て     正子
秋の蚊の黒き一点われに来る     正子

●今朝も涼しい。秋服の人もちらほら。今日は信之先生の月命日。菊の花の形の香を焚く。吾亦紅の暗い赤い色を仏壇に参るたびに見る。
●リルケがハイカイを知ったのはルイ・クーシューから。

9月23日(月)

晴れ、のち曇り
朝顔をさ揺らす風はさびしくも 正子
夕暮れは秋風草を靡かせる   正子
飯を炊くガス炎青し月を待つ  正子

●今朝は急に涼しくなった。朝9時半の室温26℃。夕方散歩に出たが、長袖を羽織っても風が吹くので肌寒い。晩秋のような感じだ。
 
Essay
(六)リルケと俳句について
●リルケは「ハイカイ」と題した三行の短い詩を作っている。リルケが「ハイカイ」を作るようになったのは、ジャポニスムの影響と言われる。今日は、この事を知りたくて、マイペースではあるが、ネットや本を探して一日を費やした。

ジャポニスムは19世紀に西洋で広がった「日本趣味」の流行と、浮世絵をはじめとする日本美術の技法やアイディアを西洋芸術に取り入れた芸術家たちの運動を指す言葉 とされる。
ジャポニスムは1867年(慶應2年)のパリの万国博覧会、遅れて1873年(明治4年)のウィーン万国博覧会が契機となってブームとなっている。ウィーンの方は、『世紀末ウィーン文化評論集』(ヘルマン・バール著/西村雅樹編訳・岩波文庫2019年刊)や『世紀末ウィーン文化探究』(西村雅樹著.晃洋書房2009年刊)で読むことができて、クリムトに代表される分離派など絵画への影響や蕪村の俳句紹介のことなどについて教えてもらった。

万国博覧会について知るために、国立国会図書館のHPを見てみると「展覧会」のページに「ウィーンのジャポニスム(前編)1873年ウィーン万国博覧会」(西川智之著/言語文化評論集 第XXVII巻第2号)という論文があった。印刷して読んでみると、知りたいところは後編にあるようなので、後編の論文を探すと名古屋大学の論文にあった。「ウィーンのジャポニスム(後編)パリとの比較を中心に」(西川智之著)。これにもヘルマン・バールの事が言及されていた。丁寧に事例が上げられ、疑問に思うこともないと思えたので、理解が深まった気がするし、面白いことも書いてあった。

『リルケ』(星野慎一・小磯仁著/清水書院)に戻って、一度は読んでいるのだが、この本の「序論 リルケと星野慎一」の章に、リルケがハイカイを知った経緯が書かれているので、丹念に読もうと思う。、「序論」とあるが、重要な章である。今日は、二つの論文を読んで面白かったけれど、もう疲れたので、明日の楽しみとする。

●『ドゥイノの哀歌』の第一哀歌に「美は無である、美はなんでもない(das Schoene ist nichts als・・・)」が4行目にあった。(nichtsを「無、なんでもない」と言っていいのかわからないが、ただ理解のために「無、なんでもない」とするが。)なぜか納得してしまう。

das Schoene is nichtsに出会ったあとのこと。お墓に持って行くのに買ってきた花束に竜胆が入っていた。その竜胆を俳句にしたいと思い眺めるが、何を詠んでいいのかさえも思いつかない。そんなときに、das Schoene ist nichts が思い浮かんで、nichts がつよく感じられて、
「りんどうの青濃きことを胸に留め 正子」
の句が浮かんだ。なんとなく、言いたいことが言えたと思えた。”Das Schoene ist nichts.”
これ、今一番気に入っているかもしれない。

9月22日(日)彼岸

曇り、ときどき小雨
りんどうを抱え第三京浜を   正子
祭壇の秋花いろいろ華やげり  正子
墓前灯に小雨のかかる秋彼岸  正子

●お寺の彼岸法会に息子の元と出席。法会は午後3時から。ときどき小雨が降っていたが、本降りにならずに済んだ。法会のあと祭壇からろうそくの火を分けてもらい墓前灯に移してお墓に灯した。夕方友宏さんが来ることになっていたので、灯したまま帰った。お寺の人が燭台は回収してくれるとのこと。

帰りは家まで元が送ってくれた。第三京浜を90㎞で走るので怖い感じ。私自身は運転免許を返納しているので、車のスピードの感覚がもう無くなっている。急にドイツのアウトバーンを130kmで走った時のことを思い出した。運転手は平気なのだけれど、翌日の新聞に事故で載るんじゃないかと思ったくらい怖かった。

●帰ってから元が自分が送ってきたガスコンロを設置してくれた。「これでコンロは死ぬまで大丈夫。」とお礼を言った。自動でご飯が炊ける機能があるのがミソだといっている。ご飯の粒立ちが違うのだと。初めて使う緊張感で味噌汁をあたためるだけなのに気を使った。

9月21日(土)

晴れ
花束に竜胆のもの吾亦紅のもの  正子
りんどうの青濃きことを胸に留め 正子
秋彼岸小さき仏に小さき供華    正子

●ヘッセに劣らず、リルケに雲の詩がある。
「かの雲よ ともしきかな/空たかくただよひゆくは」(星野慎一訳)

●明日の彼岸法会とお墓参りの支度。持っていくものをメモに書き出す。このごろ手渡すものを一つ二つ忘れることが多くなった。

●ディアマンクッキー(プレーン、ココア)とスコーン(プレーン、クランベリー)、いなりずしを作る。

クッキーを箱に詰めたら、買ったみたいに。ココア多めにしたので、チョコレート感があって、一枚で十分。中に入れたスライスアーモンドもアクセントになって、ココアだけより良いみたい。オーブンにもかなり慣れた。けど焼きむら。この前から結構よつ葉バターを使っている。

いなりずしは評判の出来合いのあげを使ったのだけれど、自分で味付けすればよかったと後悔。3合炊いたので、ちょうど20個できた。すぐ冷凍。

スコーンは牛乳を使わなくて、ヨーグルト、砂糖はきび糖。腹割れができなかったけれど、味と食感は悪くない。前、生クリームを入れたときは、絶品だったが、そのレシピを紛失。クランベリーは干し葡萄よりすっぱくて、さっぱり感がある。クランベリーの赤色がかわいい。