6月10日(月)

雨のち曇り
菩提樹の散華に古き興禅寺 正子
石仏に蛍袋に雨あがり    正子
梔子の香や三日月の円あおし 正子

●昨日四国が梅雨入り。朝起きた時は雨が降っていたが、9時ごろには上がった。隣町の高田八幡宮まで歩いて出かけた。90段の石段はうっそうとした木々の下で雨で十分に濡れていた。一度は一息ついて境内まで上ると意外と小さい社だった。ひとり拝んでいる人がいた。境内は周囲が囲われて行き止まりかと思ったが、左には道が、右には石段があった。境内から右手を見るとうっそうとした杜が見える。石段を下りていくと興禅寺に行きつく。五十メートルほどもない。八幡宮に来るのに石段を上る必要はなかった。興禅寺からならすぐだった。興禅寺も八幡宮も丘の頂上あたりにある。

興禅寺で芭蕉の句碑を見た。寺の掃除をしている女性が、句碑に覆いかぶさっている?梅の枝を鋏で切りはらってくれたので、句碑の字がかなり読めた。芭蕉の句「清瀧や奈三耳塵那起夏廼月 翁(清瀧や波に塵なき夏の月 翁)」があり、その下方に46名の俳句が彫ってある。俳号の横にタカタとか、ツナシマとか、カナ川とか地名が書いてある。おそらく句会の連中が自分たちの句碑を建てることになり、芭蕉の句と自分たちの句を彫り興禅寺の山門脇に建てた経緯なのだろうと想像できた。建てた年代は読めなかった。句碑の石は趣がある。寺の女性は芭蕉の句というが、書いていることはわからないと言って、句碑の石の良さをしきりに誉めた。女性が別の帰り道を教えてくれたが、その道を行くと、どのあたりにいるのかわからなくなった。スマホに「ここはどこ?」と聞いて、今いるところの地図を出してもらい、確認しながら帰った。
●「清瀧や波に塵なき夏の月」の句は芭蕉が嵯峨野の落柿舎で亡くなる年の夏に作った句と言われる。この句は大坂の園女亭での発句「白菊の目に立てて見る塵もなし」の「塵なし」に類想があると言う理由で、亡くなる3日前に大坂の病床で「清瀧や波に散りこむ青松葉」と改案されたとされる。芭蕉の俳句の推敲の経緯を知る句としてよく取り上げられる。興禅寺のは初案の句で、なぜ初案を選んだかはわからないが、初案の句のほうがいいと言う人がいるのは確かだ。

6月9日(日)

曇り、夕方小雨
蛍火に風のゆらぎのきりもなく  正子
蛍火の森の暗さをまだ越えず   正子
杣径の落葉にともる蛍の火    正子
●6月月例ネット句会開催
投句
28.蛍火の十ほど飛べる蛍狩       正子
29.菖蒲田の水のめぐりを飛ぶ蛍     正子
30.暮れ兼ぬる空を蛍の生(あ)れて飛ぶ 正子

●今朝も隣町の興禅寺へ行って、芭蕉の句碑と菩提樹の花をよく見た。菩提樹の葉っぱ2枚と花をひとつもらった。菩提樹の散華がおびただしい。寺を出てあたりを歩いた。この町一帯が丘になって涼しい風が、一望できる下の街から吹いてくる。たくさん道があり、帰る道に迷うが、どこからでも下れば街道に出れる見当はつく。無事帰宅。

●夕方句美子がめずらしくスーツで来た。秋にK国に出張になったという。大丈夫かなあと思っている割に、カレンダーにも書き込んでいる割に、先週そのことを聞いたのにすっかり忘れていた。もう準備は始めたという。その国の公用語が一言も話せないのでは困るからと言って、スペイン語の勉強をはじめたとも言う。政情は大丈夫かなあ、と思う。これまでK国は名前を知るだけの国。私は、この春にたまたまK国のノーベル賞作家の小説を読んでファンになったところ。

6月8日(土)

晴れ
幾たびも夕日車窓に蛍見に   正子
広やかに夕空あわし蛍見に   正子
ほうたるの火のすれ違う水の上 正子
●朝顔の蔓がまだのびていないのに、小さい蕾がついている。自由な投句箱の選とコメントを早朝に済ませ、午前中にミシンを出して裁縫をした。久しぶりにミシンを使う。すいすい縫っていたら、どうも縫えていない。下糸がないようなのだ。ボビンケースを取り出してみると、ボビンが入っていない。こんな事これまで一度もなかった。なんとしたことか。

●午後花冠7月号の雑詠の選をする。6月末には入稿したい。投句が無い人の句を月例ネット句会の投句から集める。なんとか16人全員の句を揃えたい。花冠が出来上がって届いたとき、自分の句がないとどれほど淋しい思いをするか。投句を休もうとするときは思わないが、それでは遅いのだ。

●今日から16日まで四季の森公園で「蛍の夕べ」がある。四季の森には4日に友人と蛍狩に来たばかりだが、また蛍を見たくなったので、6時過ぎの電車でひとりで出かけた。夜、里山に一人で出かけるのはとてもじゃないが怖くて来れないが、今日は幼児や低学年の子供を連れた家族連れが大勢来て,道も夜店でもあるかのように込んでいる。園内には、菖蒲田、葦原など蛍がたくさん飛ぶところがある。葦原をそぞろ歩いて一周した。足元に気をつけながら歩いたが、歩きながら蛍を見るというのがいい。奥の方には蛙が鳴いている。ほうほうと飛ぶ蛍の光はイメージにある光より弱い。確かに儚い。消えた光はどこへ行ったのかと目を凝らせば、またほうと火が見える。帰り、東の空に三日月が上がった。月の円が青く見えている。くちなしの花が匂っている。8時前なのに道が見える。8時9分の電車で帰った。家には明かりをつけて出かけていたので誰もいない家に帰った感じがしなかった。

6月7日(金)

曇り

●最近句集を送ってくださった方が、「髙橋正子の俳句日記」のブログに行き当たったと丁寧にも葉書を下さった。花冠は主にネットで活動しているので、表紙にアドレスを書いてある最新号「花冠2月号」と合同句集『泉』を今日お送りした。願いは、花冠の俳句を一人でも多くの方に読んでもらいたいため。

●去年2月から今日までのデジカメの写真をパソコンで編集。スマホとデジカメと両方にあるので、写真はなるべくデジカメで撮るようにする。スマホの写真はパソコンに送って編集の予定。写真を写真店で印刷してもらうか、思案中。
これはロマンスの話ではなく、ヘッセが模範的と思っている老人ニーナ。薪で煤がこびりついた薬缶にコーヒーの粉を入れて沸かし、黒いコーヒーを客人に飲ませる。暖炉の火に唾を吐く。猫と暮らし、膝に滑り込む猫を抱く。骨ばった彫りの深い顔に皺がより、手に箱を持てば、手が震える。背の高い立ち姿は幽霊のよう。目は確かに何かを見る。帰ろうとすると1時間はもっといるように言うような人。決して清潔とは言えない老人の暮らしに、人生の意味を見ている。こう読むとデューラーの描いたリアルすぎるほどの晩年の母の画。ゴッホのドローイングの「悲しみ」の女性。その画を見ていると、だんだん画が自分に引き付けられて、美しいと思うようになる。そんな詩とエッセイだった。

6月6日(木)

くもり
蛍火の十ほど飛べり蛍狩     正子
さしのべし手に止まらむと蛍かな 正子
夏蛙川の闇こそ深かりし     正子
●ネット短信No.419の配信。「愛媛若葉」5月号と6月号で紹介いただいた。他結社が合同句集を大々的に紹介するのは前代未聞。大変ありがたく思って、紹介されたみんなの句をWordのファイルにし、添付した。返信に感想をお願いしたので、それが楽しみ。
●家から1キロ半のところにある興禅寺に行った。何日か前公園で会った人から、興禅寺に行くように薦められていた。道を教えてもらったが、「ずっと行って、坂を下って、ずっと行くとありますよ」の案内に従うが、それらしきものはなかった。今朝は興禅寺に散歩に行く老夫婦の後を付いて行った。簡単に言うと高田小学校の隣。天台宗の古刹で境内は大木が茂り、横浜市指定の名木が幾本かある。菩提樹の花が咲いていた。これは西洋菩提樹。例のシューベルトの歌曲の菩提樹。木ささげと言う名木にも花が咲いていた。ささげ豆に似た細長い実がついている。門前に芭蕉の句碑「清瀧の波に塵なき夏の月」がある。
●だんだん忙しくなってきた。新しい電子レンジのアースを繋ぎ、説明書を読みながらコーヒーを適温に温める。お盆法会の申し込み、なんだかんだの更新、2通手紙を書くこと、梅仕事に裾直しの裁縫がある、レースは編みかけ、本は読みかけ。

6月5日(水)

晴れ
菖蒲田は花の色より暮れなずむ   正子
暮れなずむ菖蒲むらさき・うす紫  正子
白菖蒲まばらに咲けば水光る    正子

●梅雨入り前の晴れが今週は続くらしい。布団を干し、布団カバーなどの洗濯。梅ジュース用の梅の見定めにコープ、スーパー2件を見て、コープに注文。来週届く。梅の季節をのがしたら、来年まで待たないといけない。油断ならない。

●「愛媛若葉」の6月号が届く。毎月贈呈いただいている結社誌だが、5月号、6月号と2回に亘って花冠の合同句集『泉』を紹介いただいた。全員の句を5句から6句ずつ、信之先生の句は18句、正子の句は12句紹介されている。このように結社が他結社の合同句集を誌面を割いて紹介するのはこれまでなかったことで、大変驚き、感謝している。会員の句が評価されたのだと花冠の俳句を誇りに思った。全国的に評価されたわけではないが、わかる人には理解いただけたということなので、何よりも真実に近くうれしい事なのだ。
蛍狩や菖蒲見物に行ったりしたものの、気持ちの底では、気分が落ち込んでいた。今日は、頑張ってきたことが報われたという思いになった。夜になったが、お礼の手紙を書く。

●句美子が電子レンジを宅急便で送ってくれた。配達の人がずいぶん重そうに運んでくれたので、まさかと思いながら、実際運んでみてびっくりした。何キロあるんだろう。重いので、ダンボール箱の四隅を切って取り出した。これまでのより奥行が2センチ長い。元の場所にほぼほぼの状態で収まった。今日はアルコールで拭いて、取り扱い説明書を読んだだけ。

●パソコンの電源コートが知らぬうちに外れていた。新しく買ってちょうど1年になる。電源を入れてもつかないので、故障したと思って気がふさいでいた。外れるはずはないのに。思い当たるのはお掃除ロボのルンバがコードを引きずったかも。

6月4日(火)

晴れ、夜雷

●納骨後はじめて墓参。納骨の時立てた花は枯れて取り除かれていた。すぐ近くに水道があるので、花立をきれいに洗って菊の花を立てた。24日の月命日にはまたお参りするから、今日は菊ばかり。月命日のお花は、樒があればいいけど、なかなか花屋にはない。いつも水が流れている御影石の花立てには、墓地の紫陽花が活けてあった。墓地には何度も行っているが、バスの乗継がなかなかスムーズにいかないので、ずいぶん時間がかかった。墓参というのはそういうものだろう。

●夕方晴美さんと四季の森公園に蛍を見に行く約束をしていた。暮れてから里山である四季の森公園に一人で出かけるにはよほど勇気がいる。それで連れ立っていくことにした。

夕方6時頃の電車で出かけた。四季の森公園に着いた時はまだ明るいので、菖蒲園を散策した。暮れかけた菖蒲の花はめったに見られない風情で佇んでいる。鑑賞用の板橋がカギ形に掛けられていて、10センチほどの段差がついている。段差を上る行きはよかった。帰り、下るときは10センチの段差があぶない。先を行く晴美さんが足を踏み外して菖蒲田にはまってしまった。私が先を行っていたなら、私が足を踏み外すところだった。泥はついたものの、大事にならなかった。やはり、夕方は危ない。菖蒲田を離れ、矢車草の畑の傍のベンチに荷物を置いて腰かけているとそばの川に蛍が灯るようになった。風にふわりと浮いたり、木の間に家の明かりのような感じで見えたり、10匹ばかりが飛び始めた。暮れるにつれて蛍も増えて、蛍を見に来た家族やきっと俳人だろうと言うような人も増えてきた。蛙の声も聞こえて今日の蛍鑑賞会は十分だと二人で言い合った。

すると一瞬稲光がして、軽雷。晴美さんが「昨日のようなひどい雨と雷になってはいけないので帰りましょう」というので、空を走る雷鳴と競うように駅へ向かった。幸い今夜は雷雨とならないで済んだ。日吉本町駅に電車が着いたのは午後8時半。家までは5分かからない。晴美さんも自転車で10分ほど。今度は洗足池と等々力渓谷に一緒に行こうということになった。

6月3日(月)

曇り、夕方、雨と雷
青葦をひたし流るる川みどり    正子
はやばやと寝しに雷雨の真上より  正子
雷の空駆く音の空巡り       正子
●鶴見川へ行く。家からずっと歩いて、河口から7,8キロのこれまで何回か来た土手に着いた。たくさんの椋鳥が葦と葛の生い茂るところを塒にしていた。椋鳥の塒はこんなところにあるのだと驚く。川の水はみどり色で湖水のようで、満々と流れるともなく流れていた。向こう岸の木と葦の作る茂みで鴬が鳴いている。白蝶が葦の繁りをひらひら飛んでいるのが幾箇所もある。矢上川と鶴見川の出合の小さい広場に胡桃の木が一本低く葉を広げて茂っている。もし、自分の家に広い芝生があればこの胡桃の木を植えたいと思うほど形がいい。この冬、この木にそばで私に吟詠をして、「夏に来なさい。胡桃の木が茂って涼しい木陰になるから。」と言った老人のことを思いだした。そのとおりに胡桃の木は茂っていたが、近くまでは行かなかった。曇り空で川を見るにはいい天気だったので、木陰を求める必要はなかったから。魚を釣る人が一人川に立ったままいた。20センチくらいの魚がたびたび川から飛び上がる。5mほどくぐっては、また飛び上がる。それが一匹ではない。かなり、ジャンプするのだ。何をしているのだろう。飛び魚ほど飛び上がる。
鶴見川からの帰りは川から近い「南日吉住宅」バス停から日吉駅東口行に乗った。ここまでで歩数計は11000歩。帰ってすぐ図書館の本の返却日だったことを思い出し、3時ごろ図書館へ返却に。借りたヘッセの本を読んでいると眠くなる。少し読んでは眠っている。つまらないと言うことではないのに、眠くなるので、『わが心の故郷アルプス南麓の村』を読み切れていない。それで再度借りた。花冠の編集があるので、たくさんは借りれないが、新しく『人は成熟するにつれて若くなる』(ヘッセ著/岡田朝雄訳)を借りた。

●墓地を管理しているお寺からお盆の案内状が届いた。7月14日(日)、午後3時からわが家の宗旨のお盆供養があるということだった。カレンダーに書き込む。

6月2日(日)

青葉雨しとどに降りて雨匂う    正子
ガラス戸を開けて青紫蘇摘み取りぬ 正子
青紫蘇の下葉は暗し暮れてなお   正子
●小雨の中を歩く。次第に雨が強くなったが、知らない急な坂道を下ると国道の綱島街道に出た。。大きな傘をさしていたのでほとんど濡れなかった。鳩と雀が変わらず鳴いている。鳩のくぐもった声はテレビのアンテナから、雀の声はは電線からこぼれていた。
●その日の気分に合わせて音楽を聞くのがほとんどの日である。しばらく、読むほうがよくて、音楽を聞かないでもよかった日が続いた。また聞き始めるとき、何から聞こうかと迷った。バッハ、モーツアルト、ベートーベン、シューベルトに決まっているが、どれかにするか迷う。いま自分はどの気分なのだろうと思ってみたりしたが、もやっとしてどの気分かよくわからない。迷いつつモーツアルトにした。聞くと気分がほぐされる。聞きながらモーツアルトは多様なのだとよくよく実感した。多様性があいまいな気分を救ってくれる。