NEW6月30日(水)

曇り
●花冠No.375(7月号)の編集が終わったので、入稿しようと居たら、圧縮ファイルが使用不可になっていて、どうすればよいか困った。
7-zip形式を使って入稿したが、初めてのことで、簡単な操作なのに手間取った。5月18日に入稿した時は圧縮ファイルは正常だった。
30日になり、深夜ではあるが、やりかけたので作業を続けた。

●「リルケと俳句と私」(四)には、フュレボルン氏の解説にメーリケの「春に」があり、それを印象したので、日本語訳には、森孝明先生の訳を『メーリケ詩集』から引用した。はからずも、7月号には、愛媛大学のドイツ語の先生だった西村先生、森先生の二人が同じ号に載ることになった。西村先生には7月号をお贈りするが、森先生にも礼儀で贈る方がいいのだろうかと、考えている。二人の先生が7月号を見たら、お互いに驚かれるかもしれない。信之先生の縁が働いている気がするが、出来過ぎた感じだ。ふたりの先生の間で、今も交流があるのかどうかわからないけれど。

NEW6月29日(月)

曇り
●『ヴァレの四行詩』21番の、docileに手こずる。難語だ。一般には、従順な、おとなしいのだが、詩の文脈になると違ってくる。柔軟な状態になっていることをいう。「・・になる」「変化する」の意味は含まれないので、注意。ここがリルケの詩の難しいところで、リルケの詩にはこういった難語が含まれる。この一語で詩が出来ていると言ってよいくらいだ。

●7月号の校正。今月号は、余白の設定を変えた。下側の余白を散文で取り過ぎているので、ミリ単位で狭める。

●日文研と三田メディアセンターに詩集『帰還』を夕方送付。ここが肝心なのかもしれない。

6月28日(日)

雨、時々曇り
冷蔵庫を開ければトマトのみ赤き  正子

●花冠7月号、一通り編集が終わり、初校のためのゲラを刷りだす。その時は、夜が白みかけた。
7月号は88ページ。記事が多かった割にはコンパクトになった感じがする。「リルケと俳句と私」(四)には、精神力が要った。考えながら書いているので、どこかで論が破綻しているかもしれない。(三)で書いたことを忘れているところもある。自分の言った「詩返」の定義を、自分でメモに書きだして覚える始末。「詩返」は自分の造語なので、その定義は自分ですればいい自由度がある。それだけに、一度定義したことは覚えて置かなければいけないのだ。考えているうちに定義が変わっていくかもしれないのだ。

6月27日(土)


おがたまの花よ朴の花に似る      正子
台風来農夫の手よりトマト買う     正子

●ゆうまくん、風邪で食事が難しいらしいので、ユーハイムのバウムクーヘンとフルーツジェリーをゆうバックで送った。もうすぐ15か月目に入るので、こうしたものも食べさせて良いと思うのだが、句美子がどう判断するか。土曜日なので、綱島郵便局から発送。帰り、野菜の直売所に寄る。

●「リルケと俳句と私」(四)を書きかけたが、途中で中断。

●都会の整った教育環境で育った人は、その読書量と抽象概念の扱い、論理性、精神史とが自然に結びついた構築的な文章が書けるようになっていることに気づいた。都会育ちの人には、精神の方向が似て同質感を感じる。これは生活の具体と痛みの芯だけが残る田舎育ちの人には身につかないことと認識した。私のは、別方向の文章なのだということらしい。

6月26日(金)


ゆうすげに雨降りふりて傾ける  正子

●メールを見落とすところであったが、俳壇の編集長さんから、「俳壇」10月号の特集への原稿依頼があった。受諾のメールを夜出した。締め切りは8月7日。俳句5句とエッセイ600字。

●花冠7月号に、臥風先生、信之先生、正子の「三句の比較」の文を半ページのコラムに載せようとしたが、元の文章を8割以上削っているので、三句の評のバランスをとるのがむずかしく、何度も書き直した。

●『帰還』を日文研と、三田メディアセンターに追加で送ることにした。

●詩集『帰還』の感想をますみさんが、書いてくださる。洋子さんのところにも届いたとのこと。祥子さんから詩集の注文があり、夜投函。
『帰還』が一冊宛先不明で返送された。宛先住所は間違っていないが、建物名がなかったたためと思われる。今夜、建物名を調べて、再送した。

●今夜10時30分ごろ地震。横揺れがかなり長く続いた。パソコンを使っていたので、すぐ立ったが、たったまま様子を見ていた。震度4弱ぐらい。富士五湖あたりが震源。どおりで、揺れがかなりひどかった。麦茶を沸かし終えたところで、ガスを止めていたのでよかった。

 

6月25日(木)


●ハート内科の定期受診。帰りはバスの便が良くないので、バイパス沿いを歩いて帰る。バイパスの並木の下に、近所の人がいろんな花を植えているのでゆっくり見ながら歩く。夕すげが咲いている。雨に濡れているので生き生きしている。

●台風7号と8号が来ている。淀川や鴨川も氾濫しそうなぐらいの水嵩である。

●7月号の編集。半ページの穴が2カ所あるので、何で埋めるか。一つは「自由な投句箱より」から、これぞ俳句の真髄と言う句を探し載せた。
もう一つは臥風先生、信之先生、正子の三句を比較した私の文章があるのを、かなり削って、「三つの風景」としてコラムにした。
「往復書簡」のレイアウトを見直す。内容が読者にどのように受けとられるか、AIで確認。誤解はなさそうだ。たとえ誤解があったとしてもよい方に誤解されるだろう、ということ。

●レイアウトのページ設定、段落設定は言葉の意味がつかみ切れていないので、試行錯誤で言葉を理解する段階。

6月24日(水)

曇り
★みずみすしき紅色もちて新甘藷   正子
★青紫蘇を摘みきてすぐに冷奴    正子
★夏風邪に薬幾錠色いろいろ     正子

●しばらくベランダの花の世話をしなかったので、きょうはベチュニアやベゴニアの花がらつみ。

●生協の配達があり、新さつま芋が届いた。紅色ばみずみずしく、新さつま芋らしい。

●『ヴァレの四行詩』の解説を翻訳をして、プリントして読む。リルケのほかの詩とは読み方が異なると言う。早くいってしまえば、句集を読むように読めばいいと言うことなのだ。一句一句は独立していて、句集全体ではその人の人生なり、生活や、精神が立ち上がると言うもの。それをなんでこのように難しく言うのかと思う。メーリケやヘルダーリンまで出してきて説を立てている。

6月23日(火)

曇り
●洋子んさんへ『帰還』を発送。
●夜、美知子さんに詩集を買ってくれたお礼の電話。
詩集で気づいたことがある。すっかり忘れていた感情だが、私は日本の湿潤な情緒があまり好きではない。疵をなめ合うような、共感を得ようするような涙もろさは苦手なのだ。詩集が乾いた感じがすると言うのも、そういうことが基本にあるからなのだろう。これは日本人らしくない。おそらく、子どものころ、人が涙をこぼす状況を見ていて、みっともないと思ったことがある。その美意識が根底にあるような気がする。これでは、私の書くものは、日本人には共感されにくいだろうと思う。

●きのうは午後四時頃急に睡魔に襲われ、夜中すぎまで眠ってしまった。それから起きて、玄米茶を淹れ、花冠のブログを一通り変化がないか見た。
変な時間帯に眠ってしまったので、編集ぐじゃぐじゃになっり、「髙橋正子のの俳句日記」を選り出したのはいいが、記事がバラバラになって、訳が分からなくなった夢を見た。はっと目が覚めたが、頭が編集でいっぱいな様子。いまが山場なのだが。

●俳句日記の編集。日記の中に入れるより、別に記事として書く方がいいものを分けた。そういった小論になりそうな記事が5つある。これをどうまとめるかが、悩むところ。一日編集。集中力あるのみ。
「リルケと俳句と私」(四)が残った。何をどう書くか。

6月22日(月)

曇り
●介護保険の認定の調査を受ける。11時半から20分ほど。信之先生の時を知っているので、質問への応えは、なんとも言えない。認定が決まるのは40日後だそうだ。要支援1というのは、使う人がほとんどいないそうだ。

●洋子さんから詩集『帰還』の注文。これは、大変うれしいこと。
美知子さん、みよさんから詩集が届いたとメール。美知子さんの共感は、実妹とほどんど同じであったので、これも少し驚いた。みよさんは、ライン下りの小景2に共感くださった。

●花冠No.375の編集。今回往復書簡として載せた西村先生のお手紙の
ひと言ひと言が正子の俳句の鏡になっていて、その一言から考えられることは、一つの小論が書けると思った。先生の洞察の深さが、小論がかけるほどの意味を含んでいるということ。先生もここまで私の文章に誠実に向き合ってくださって、それは、どういうことなのだろう。西村先生のお陰が大きい。

 

6月21日(日)夏至

曇り
●台風7号発生。今日は夏至。東京で 日の出 4:25/日の入り 19:00(昼約14時間35分)。

●一日、No.375編集。今日は、俳句日記を選り出す。俳句日記に何でも書いているので、別の原稿として独立させることを考える。
★三句、臥風先生、信之先生、正子の俳句の比較。
★ヴァレの四行詩の詩返の5句についてのAIの分析。