曇り、夕方、雨と雷
青葦をひたし流るる川みどり 正子
はやばやと寝しに雷雨の真上より 正子
雷の空駆く音の空巡り 正子
●鶴見川へ行く。家からずっと歩いて、河口から7,8キロのこれまで何回か来た土手に着いた。たくさんの椋鳥が葦と葛の生い茂るところを塒にしていた。椋鳥の塒はこんなところにあるのだと驚く。川の水はみどり色で湖水のようで、満々と流れるともなく流れていた。向こう岸の木と葦の作る茂みで鴬が鳴いている。白蝶が葦の繁りをひらひら飛んでいるのが幾箇所もある。矢上川と鶴見川の出合の小さい広場に胡桃の木が一本低く葉を広げて茂っている。もし、自分の家に広い芝生があればこの胡桃の木を植えたいと思うほど形がいい。この冬、この木にそばで私に吟詠をして、「夏に来なさい。胡桃の木が茂って涼しい木陰になるから。」と言った老人のことを思いだした。そのとおりに胡桃の木は茂っていたが、近くまでは行かなかった。曇り空で川を見るにはいい天気だったので、木陰を求める必要はなかったから。魚を釣る人が一人川に立ったままいた。20センチくらいの魚がたびたび川から飛び上がる。5mほどくぐっては、また飛び上がる。それが一匹ではない。かなり、ジャンプするのだ。何をしているのだろう。飛び魚ほど飛び上がる。
鶴見川からの帰りは川から近い「南日吉住宅」バス停から日吉駅東口行に乗った。ここまでで歩数計は11000歩。帰ってすぐ図書館の本の返却日だったことを思い出し、3時ごろ図書館へ返却に。借りたヘッセの本を読んでいると眠くなる。少し読んでは眠っている。つまらないと言うことではないのに、眠くなるので、『わが心の故郷アルプス南麓の村』を読み切れていない。それで再度借りた。花冠の編集があるので、たくさんは借りれないが、新しく『人は成熟するにつれて若くなる』(ヘッセ著/岡田朝雄訳)を借りた。
●墓地を管理しているお寺からお盆の案内状が届いた。7月14日(日)、午後3時からわが家の宗旨のお盆供養があるということだった。カレンダーに書き込む。
■6月月例ネット句会ご案内■
①投句:当季雑詠
6月3日(月)午前6時~6月9日(日)午後5時
②投句は、下の<コメント欄>にお書き込みください。
※どなたでも投句が許されます。
▼互選・入賞・伝言
①互選期間:6月9日(日)午後6時~午後10時
②入賞発表:6月10日(月)正午
③伝言・お礼等の投稿は、6月10日(月)正午~6月13日(木)午後6時
○句会主宰:高橋正子
○句会管理:髙橋句美子・西村友宏
雨
青葉雨しとどに降りて雨匂う 正子
ガラス戸を開けて青紫蘇摘み取りぬ 正子
青紫蘇の下葉は暗し暮れてなお 正子
●小雨の中を歩く。次第に雨が強くなったが、知らない急な坂道を下ると国道の綱島街道に出た。。大きな傘をさしていたのでほとんど濡れなかった。鳩と雀が変わらず鳴いている。鳩のくぐもった声はテレビのアンテナから、雀の声はは電線からこぼれていた。
●その日の気分に合わせて音楽を聞くのがほとんどの日である。しばらく、読むほうがよくて、音楽を聞かないでもよかった日が続いた。また聞き始めるとき、何から聞こうかと迷った。バッハ、モーツアルト、ベートーベン、シューベルトに決まっているが、どれかにするか迷う。いま自分はどの気分なのだろうと思ってみたりしたが、もやっとしてどの気分かよくわからない。迷いつつモーツアルトにした。聞くと気分がほぐされる。聞きながらモーツアルトは多様なのだとよくよく実感した。多様性があいまいな気分を救ってくれる。
ご挨拶
信之先生が亡くなられてこの度5月24日に一周忌を迎えました。信之先生を忍んで芍薬忌ネット句会を開催させていただきました。平日にも拘わらず、多くの方にご参加いただき、ありがとうございました。またお心のこもった献句をいただき、感謝申し上げます。献句は、色紙に寄せ書きにして仏前に供えております。信之先生の忌日を「芍薬忌・信之忌」と名付けましたが、皆様に受け入れていただき、ありがたく思います。
信之先生の誕生日は5月28日で、この頃ちょうど庭に芍薬が咲くので、芍薬が咲けば、誕生日が来るという思いで、毎年芍薬が咲くのを楽しみにしておりました。命日も誕生日の4日前という芍薬の咲く時期になりました。こう言ったことで、芍薬忌と名付けさせていただきました。今後ともよろしくお願いします。
芍薬忌ネット句会の入賞の皆様おめでとうございます。また、お忙しい中、選とコメントをありがとうございました。お陰様でよい供養になりました。
これで芍薬忌ネット句会を終わります。
2024年5月31日
髙橋正子
晴れ
●今朝散歩に出て、いつもの崖っぷちの公園から出て知らぬ道路を歩いた。URの団地へ通じる尾根道でバス通りだった。この道のどこからでも下りるとわが家に近い道に出る。ちょうど下りたところに小鳥小屋があり、餌をやるのに小屋の金網を開けてあった。コザクラインコの番、セキセイインコ、カナリア、文鳥がいた。散歩のとき偶然ここを通ることがあるが、小屋の中が暗くて小鳥は見えなかった。小屋の上にはメダカの餌など雑多に置かれて、温度計、湿度計が貼り付けてある。ここに来るのはイレギュラーな道を選んだときだけ。小鳥たちの羽の色合いが、帰りながらも目に残った。
●朝顔の支柱を組む。物干し竿の三分の一ぐらいを支柱をくくるのに充てる。朝顔が咲いている間は、「朝顔に釣瓶とられてもらい水 千代女」ではなく、「朝顔に竿をとられて老ひとり 正子」となった。垣根のように支柱を組んだ。どんな色の花が咲くか楽しみ。
●きのう。夜も更けて、食器棚の整理。食器棚のガラス戸から見えるようにカップと並べて小さいドイツの絵本を長年飾っている。ドイツへの家族旅行のとき、まだ1年生だった句美子が、欲しがって手に握りしめていた10センチ四方ぐらいの絵本。私は読みもしないで、満開の林檎の花の下のピクニックの写真のところを開いて飾っていた。実は今日初めてそれをよく読んだ。老齢の今にいたるまで開いて読む余裕がなかった。『小さい光線』と題されて名言や詩の数行が書かれている。
「不幸に出会うたびに木を植えなさい。それはやがて木陰を作ってくれてあなたを喜ばせるだろう。」と言うアラビアの格言がはじめにあった。ゲーテやシラーの詩、キルケゴール言葉などが続いている。シューマンが曲をつけたリュッケルトの「Die Rose im Tau」(露の薔薇)の短い詩がある。こう見ると、ここにある言葉はドイツ人に親しまれている言葉なのだろう。この小さい本は、シュヴァルツヴァルトの出版社の本ながら、子供の本どころではなかった。また元に戻して飾った。
雨、のち曇り
●今朝起きるや、きのう早朝に崖っぷちの公園で会った人をふと思いだした。初めて出会う人だったが、少し遠くから散歩に来たようだった。ご主人が91歳で老衰で入院中とのことで、いつ何があるかわからないから、外出がままならないと話してくれた。
一緒に帰ることになった道で、「ご主人のことを思い出しますか。」と聞かれた。信之先生が91歳で亡くなったのは、1年と1週間前。「思い出す」ほど遠い話ではない。記憶にもまだなっていない気がする。「思い出すってほどのことはないですけど。」と答えると、その人は「今朝は話して、気持ちがすっとした。」「またお会いできるといいですね。」と言って坂道を下って行ったのだった。
●花冠371号の雑詠の選をはじめる。
晴れ
●『星辰』(五島高資著/角川書店2024年5月27日刊)から、好きな句20句。〇は著者の自選十二句に重なる。
水を送るのみの橋あり春の雨
先師・兜太を悼む
片目にて笑む師のなみだ風光る
ウクライナ戦争
〇人を撃つ人を撃つ人春うつつ
花に寝て天に近づく瀬音かな
〇春星へかよふ寝息となりにけり
まづ星をうつして代田しづまれり
おほよそは海に雨降る鑑真忌
海坂やひとり泳いで泡立てる
益子なる甕に箒と金魚かな
舟虫を散らせてはまた一人なり
十薬の花や電車に間に合へる
手を洗ひ空を瞠るや長崎忌
〇かなかなや魂のずれととのへる
目交に星の走れる室戸かな
銀漢や腕を回して歩みゆく
坂を下り坂に出でたる漱石忌
冬日入れて雑木林のあらかなる
あららぎに時の谷まる深雪かな
狐火や列車は遅れつつ走る
たまゆらに天を支へて霜柱
●夜、お礼の手紙をパソコンで書く。署名は手書き。思ったことを書こうとすると、どうしてもパソコンになる。思考が手に直接伝わる気がするので、そうなる。お礼を書き終えて、なにかしらほっとした。
晴れ
●四季の森公園へ行く。おにぎり二つ、卵焼きと少々のお菜を詰めた弁当と冷たいお茶の水筒、それに句集『星辰』を持って12時を回って出かけた。2時ごろにお昼にすればいいかという予定。花を期待したわけではなく、今日は行くべきと思った。日差しは強いが、からっとしていて、並木の日陰があるので助かる。入口の森ではガビチョウが全山を響かせて啼くせいか、烏も恐れをなして、おとなしく木に潜んでいる。
入ってすぐの蓮池は泥色ながら水は澄んで亀があちこちに浮いている。例の翡翠のいるところに今日もカメラマンがいる。棒杭に黒い鳥が止まっているので、翡翠だろうと思うが聞いてみた。翡翠の雛だという。羽が黒いのは雛は大体黒いが、光が強いと羽が黒くなり、いつもきれいな羽ではないという。めずらしく今日は親子で来ているとのこと。それに番が二組いる。親鳥四羽一緒にいるところをこれまで見たことがない。誰もそうらしい。
小さい橋を渡り、林縁の道に沿うと、山百合に支柱が立てられている。奥へ行くと、一目見て明るい世界が目の前に開けた。花菖蒲が咲き始めている。思っても見なかった。今日来るべきと思ったのは正しかった。花菖蒲園の続きの藤棚の下でお昼にした。おにぎりは一個でよかった。それで十分だったのだ。まだ歩くから身は軽い方がいい。
お昼のあと持ってきた句集『星辰』を読み、今日はこれが仕事なので、好きな句に付箋を貼った。句が内省的になればなるほど、著者は孤独になっている。この十年間は厳しかったのだろうと思った。藤棚の下に座って読んでいるとこの天気なのに山の冷気のせいか体が冷えきた。それでも最後の新年まで付箋をつけた。この中からさらに選ばないといけない。
句集を読んだあと公園をぶらぶら回った。睡蓮が野生化したように、葉がびっしり育ち、その隙間にピンクの花が開き始めているのがなんとかわかる。沼は青葦が風に鳴っているが、まだ丈が伸びそう。そう、入口のところの草苺も熟れていた。四季の森の池沿いの畑は、今年は菜の花ではなく、矢車菊が植えられている。矢車菊は花を残して枯れはじめ、斜めに倒れている。どの畑もピンクとブルーの二色。
矢車菊の青い色が好きで、いつも熟れ麦の景色と一緒に思いだす。私には矢車菊は麦秋の花なのだ。矢車菊の青い色は帝国のブルー(Reichsblau)とか、矢車菊の青(Kornblumenblau)、言ってみれば「麦秋の青」なのだ。矢車菊(Kornblume)はドイツの国花なのだ。もともと麦畑の雑草として咲いてたのが改良されてきたとのこと。どおりで、昭和の昔、麦刈のころ、わが家に矢車菊が咲いていた。おそらく父が植えたものだろう。父と麦秋と矢車菊は合わせて思い出す。
曇りのち雨
夏鶯ほろほろほろと啼きはじめ 正子
朴の花わが眼差しの掴まれし 正子
いつくしみ与えし乳房朴の花 正子
●台風が来ている。朝5時ごろ5丁目の丘に登ると鴬が木から木へ飛び移って、移った木でホロホロホロホロと助走をつけ、ホーホケキョと鳴く。崖っぷちの公園は紫陽花が水彩を溶かしたようなきれいな青色になり、枯れかけた枇杷の枝に小さい枇杷がうれている。欅の枝が台風の気配にざわついて風が涼しい。その下のベンチで持ってきたコーヒーを二口三口飲んだ。熱すぎて味わうことにならなかった。願わくば、木陰で沸かして飲みたいものだ。
●今日は信之先生の誕生日。忌日とは4日違い。チーズケーキを供える。
曇り、一時小雨
●センター北へ出かける。ユザワヤで紐に使うためのサテンのベージュのテープひと巻、ダイソーでカッターや紙ひもなど買う。スマホに付けるマクロレンズを探したが見つからず。JAでペチュニアの白とポーチュラカ一鉢ずつ買って、小雨のなかを帰宅。
●『星辰』(五島高資著/角川書店2024年5月27日刊)を贈呈頂く。五島さんは信之先生の関係の俳人で血液内科のお医者さん。もっと著名になるはずだった方。これからなるかもしれないが。私宛なので恐縮。読み始めたが、言葉が難しい。祝詞から古事記、神話、古語、難しい季語などがあるので、ネットで調べながら読む。
俳句を作る人は探究する方向がいろいろあるので、長く作っている人は、こちら方向に行ったのかと、思うときがある。今晩一晩では読めそうにない。好きな句は明日書き込む。
信之先生の関係の人の中には、信之先生が亡くなった後も私宛に書籍やはがきや手紙を下さる方が多くはないが、何人かおられる。義理がたいというのか、高潔でいらっしゃるのか、そういう方々がおられる。