※当季雑詠(春)3句を〈コメント欄〉にご記入ください。
※投句は一日1回3句までといたします。
※登録のない俳号・ペンネームでの投句は削除させていただきます(例:唐辛子など)。
※★印について
「心が動いている」句を良い句として選び、★印を付けています。
(※多くの方にご覧いただき、心より感謝申し上げます。この「自由な投句箱」は花冠会員を対象としておりますので、どうぞご理解ください。)
花冠代表 髙橋正子
明るくて深い 現代語による俳句を。よい生活から よい俳句を。
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花冠代表 髙橋正子
3月12日(1句)
★ものの芽の出る土の香日毎濃く/川名ますみ
冬の間固まっていた、あるいは凍てていた土が、春の訪れとともに緩んで、いろんな草の芽が出始める。その時期には土の匂いが匂い立つ。それが「日毎濃く」なのであるから、作者は敏感に感じ取っているのである。芽が出て、その土”の香りが日ごとに濃くなる自然の連鎖がよく捉えられている。(髙橋正子)
3月11日(1句)
★庭帚置けば広がる春夕焼/土橋みよ
「庭帚置けば」で一瞬に世界が開けます。読み手は、その場に立つことができます。庭を掃き終えて、ほっとして帚を置いたとたんに、静かでありながら、華やぎのある春の夕焼けが目に入ります。その間が実感を伴って感じられる、生活を詠んだ完成度の高い一句です。(髙橋正子)
3月13日(名)
作業中
多田有花
病棟を背後に藪つばき数多
たんぽぽの地に低く咲く強さかな
青空よりなだれて高し花ミモザ
小口泰與
春星を散りばめ吐きし浅間山
かはたれの雨に梅の蕾のほほえみし
大岩に瀬の音変わり鳥帰る
土橋みよ
数の子醤油漬け2句
三月の水や数の子に櫛目入る
数の子を梳く竹串や春の朝
寺のみかんほろ酸っぱくて春寒し
3月12日(4名)
小口泰與
大岩のかなずる流れ風光る(原句)
大岩の水のかなずり風光る(正子添削)
「大岩のかなずる」は大岩が流れを奏でる意味になっています。「大岩のかなずる」だと、主語=大岩、動作=奏でる(かなずる)となり、意味が逆転してしまいます。本来奏でているのは「水の流れ」です。俳句では、
主語と動作の関係が一瞬で誤読される構造は避けるべきです。(髙橋正子)
固まりて蝌蚪の居りけり沼の隅(原句)
固まりて蝌蚪のしずまる沼の隅(正子添削)
「居りけり」は、情景の説明だけになっています。ここに、自分の見方、感じ方を表現するとよいでしょう。俳句は「存在の説明」ではなく、現象の立ち上がりを描く詩型です。(髙橋正子)
かの谷の残雪溶けて鳥の声(原句)
わが谷の残雪溶けて鳥の声(正子添削)
「かの谷」は遠い谷で、抽象的で、具体的な景が浮かばない。すると、作者の実感が希薄になります。俳句は「私的な場所」を書くと、逆に読者の想像が広がる詩型です。例えば「わが谷」とすれば、情景は全く違ってきます。いつも作者が暮らす谷が想像でします。それは、読者に任されてよいのです。(髙橋正子)
多田有花
その位置を我に知らせる沈丁花★★★
「その位置を我に知らせる」は説明です。どちらも具体的でなく、抽象的です。どのように位置を知ったのかを述べるとよいです。匂いの方向などを示すとよいでしょう。(髙橋正子)
準備万端はくれん蕾咲くを待つ
「準備万端」は抽象的で、読み手に具体的な景色が想像できまさえん。これをどのようなところで感じ取ったのでしょうか。蕾の膨らみ具合などを述べるといいと思います。俳句は現象の提示で、意味の説明ではないことを心に留めておいてください。(髙橋正子)
マリア像に今日供えあり花ミモザ(原句)
マリア像に今日供えられ花ミモザ(正子添削)
「供えあり」の「あり」は、存在を言う言葉で説明になります。現象、景色の提示、これが大事です。(髙橋正子)
川名ますみ
花壇よりほの甘き香や木の芽雨★★★★
隣人と茶菓子交わせる木の芽冷★★★
ものの芽の土の香日毎濃くありぬ(原句)
ものの芽の出る土の香日毎濃く(正子添削)
「ものの芽の土の香」は、もう少し丁寧な表現が必要です。発想の飛躍は大切ですが、表現の飛躍とは意味が違います。 「ものの芽」 「土の香」は本来別のものです。「ものの芽の土の香」とすると、“芽そのものの香り”のように読めてしまいます。つまり、
発想の飛躍ではなく、表現の飛躍(=論理の崩れ)になっています。(髙橋正子)
土橋みよ
鰊の子櫛に広ぐや春の水
「鰊の子櫛に広ぐ」と「春の水」の関係がよくわからないのが、問題です。どんな、あるいは、何の春の水なのでしょう。料理の情景と、自然の景色のスケールが違い過ぎて、意味的にも象徴的にも接続できないのです。
「櫛」は「串」ではないでしょうか。語源的にも違う言葉です。櫛(くし)は「梳(く)す」が語源で 横に広がるものを細かく分けて整える意味があります。
串(くし)は「貫(くし)」が語源で、一本の軸で縦に刺し通す意味です。(髙橋正子)
風光る赤城の山肌近くあり(原句)
風光る赤城の山肌近くして(正子添削)
俳句の技術的な面からいうと、「風光る」で、切れています。「近くあり」は終止形で言い終えています。二つの文ができているわけです。俳句
は一つの文として成り立っていますので、「近くして」と言い切らない、連用形で終えています。見かけは倒置の技法で、内容的には不即不離の関係がなりたっています。(髙橋正子)
春光や椎の葉空を覆いけり★★★★
ものの芽の出る土の香日毎濃く
3月11日(3名)
多田有花
料峭やセルフスタンドに立ち寄りぬ★★★
春の空映し流れる春の川(原句)
季語が重なっています。(髙橋正子)
花ミモザ鮮やかなるを仰ぎ見る★★★★
土橋みよ
北の空遠し足利花曇(原句)
この句の場合、「足利」が説明になっています。説明は詩にならないので、省きます。(髙橋正子)
ふるさとの北空遠し花曇(正子添削)
泥畑雀跳ねいる日永かな★★★
庭帚置けば広がる春夕焼★★★★
廣田洋一
映画みつつ居眠りしたる春の昼(原句)
「居眠りしたる」の「居眠り」が少し硬く、春の昼のとろっとした感じが出にくいです。また、「居眠りしたる」は連体形で、春の昼につながっていますが、ここを終止形にして、切れを入れるとよいです。(髙橋正子)
映画見つつまどろみいたり春の昼(正子添削)
野遊びや隣近所に声かけて(原句)
「隣近所」は複数を一括りにした集合名詞で、像が立ちにくく、一句の焦点が定まりません。「わが隣人」とすると、象徴的な一人の像が立ち上がり、その一点を通して周囲の人々の気配も自然に感じられます。季語「野遊び」の明るさと、声をかける主体の親しみがより鮮明に響き合います(髙橋正子)
野遊びやわが隣人に声をかけ(正子添削)
味付けは穂先次第やアスパラガス★★★