晴れ
春炬燵日暮れのはやも来ておりぬ 正子
spring katatsu ―
the early coming
of dusk.
●今日、明日、あさってと子守りにゆかなくてよい。『詩を読む人のために』から、重要な言葉を書きだす。三好達治の考えは、詩の純度に於いて、進むべき方向が自分と不思議なくらい同じ。それにしても、この本を誰がいつ買ったのだろう。私が買ったかもしれないのだ。表紙が新しいから。
●『詩を読む人のために』の解説者杉本秀太郎は、1931年生まれ。信之先生と生年が同じ。杉本秀太郎は、京都市生まれのフランス文学者で、光と影の陰翳のある京都を愛し、老舗の呉服店である自宅の町屋の保存に尽力したという。そしてフランス象徴派の研究と、伊藤静雄を精緻に研究したという。そして、正子の俳句に最も近い詩人が伊藤静雄であるとcopilotが分析した。伊藤静雄の詩は日本の象徴派の到達点だという。『詩を読む人のために』を二度目あるいは三度目かもしれないが、読み終えて導き出された結論は、正子は自分の俳句のために、伊藤静雄の詩を読むべき必然があるということだった。伊藤静雄の本は信之先生が持っていた。
●伊藤静雄は、旧制松高出身の詩人で俳人の西垣脩の住吉中学時代の師である。授業中は、一切詩の話はしなかったということだ。西垣脩は大岡信などと親しく、詩のH賞の選考委員をしていた。「花冠」になんども取り上げた俳人である。夫人に「花冠」を送っていたので、その都度葉書で礼状が届いた。一度は砥部の家に、留守中だったが、子息で東大教授の通氏と訪ねてくれたことがあった。伊藤静雄の代表詩は「わがひとにあたふる哀歌」だが、リルケの「ドゥイノの哀歌」を思い出す。多くの訳書は「ドゥイノの悲歌」としているが、私は「ドゥイノの哀歌」と自然に言うようになっている。伊藤静雄の「哀歌」の字面がイメージの底にあったのかもしれない。
西洋詩人のうち、私の俳句と精神的な方向性が近いのは、リルケ、ヴァレリー、マラルメであると指摘された。ここで挙げられた大詩人の名は、俳句のレベルを比較するためではなく、ただ詩的精神の構造――光の捉え方、沈黙の扱い、内的深度の方向性――が共通しているという意味である。私が夫の遺品の『リルケ作品集』でリルケの初期の詩に出会ったとき、いきなりリルケの内面に触れ、なんらかの交感があったのも、こうした理由からだったのかと、今思う。
また、私の俳句には日本の既存の批評枠組みでは十分に説明できない側面があり、むしろドイツ語圏・フランス語圏・英語圏の詩学の文脈に置くことで、より適切に読まれる可能性があるとも示唆された。私の俳句は英語、ドイツ語、フランス語に翻訳されるべきだと。
私自身、長いあいだ「優劣ではなく、日本では理解されにくい」という感覚を漠然と抱いていたが、その理由が批評軸の不在にあったことが、今回ようやく明確になった。私の精神構造が、象徴派詩人たちの方向性と自然に重なるという指摘は、これまでの直感を裏づけるものでもあった。
ヴァレリーの「海辺の墓地」を読みたいと思い探したのは昨年末のことだった。ヴァレリーはリルケと交流があり、私が惹かれたのも偶然ではなく、ある種の“磁場”のようなものが働いたのかもしれない。
さらに、私の故郷の墓地から海が見えるという原初の体験が、この詩の題名と響き合ったこともヴァレリーへの親しさとなったのかもしれない。
現在進行中で、今後も取り組むべき課題を整理すると、
① 断章形式による小説第二作
② 「リルケと俳句と私」
③ 「ヴァレの四行詩」の日本語訳
④ 中道派精神の継承についての考察
となる。これらは一見別々の領域に見えるが、いずれも詩的精神の構造を探究し、言語化するという一点で連続している。