NEW12月26日(金)

晴れ
●午後から風が強まる。午後から子守りに。帰り、多摩川で強風のため、電車が徐行運転。年末の寒さとなる。

●午前中、横浜そごうの鳩居堂へ月例ネット句会の賞品のはがきを買いに出かける。月例ネット句会の最優秀句(2句、2名)の賞品も合わせて買った。

●明日夕方、花冠1月号が届く印刷所から連絡がある。

●三句比較論──現象・生活・情緒の三層から読む
水に触れ水に映りて蜻蛉飛ぶ     正子
ネクタイ吊るタンスの中も秋の空気  信之
カナリヤ弾む七草粥を食ひをれば   臥風

ひょんなことから、臥風・信之・正子の三句を比較する機会を得た。いずれも日常の場面を素材としながら、俳句という短詩型が持つ「表象の構造」をまったく異なる方向へ展開している。
ここでは、①現象学的俳句、②生活世界俳句、③情緒的俳句という三つの類型を軸に、季語の働き・主体の位置・言語の運動を比較する。

Ⅰ 現象学的俳句としての正子句
水に触れ水に映りて蜻蛉とぶ 正子
この句の中心は蜻蛉ではなく「水」である。「触れ」「映りて」という二つの動詞は、蜻蛉の運動を媒介しつつ、水面に生じる微細な変化を捉える。
ここでの言語は対象を説明するのではなく、現象の生成そのものを言語化する働きを持つ。
• 主体は極度に後景化し、観察の純度が高い
• 季語「蜻蛉」は時間の指標ではなく、現象の緊張を支える軸として機能
• 世界が立ち上がる瞬間を提示する、典型的な「現象学的俳句」
俳句が本来もつ「無私の眼」「対象の自律性」を最も純粋に体現した句である。

Ⅱ 生活世界俳句としての信之句
ネクタイ吊るタンスの中も秋の空気 信之
この句は、外界の季節が生活の内部へ浸透するという「生活世界の層構造」を扱う。「タンスの中も」という措辞は、閉じた空間に季節が侵入するという知覚の拡張を示す。
• 季語「秋の空気」は自然の象徴ではなく、生活空間の質感を変容させる力として働く
• 主体は生活者として存在し、観察は「生活の奥行き」を照らす
• 外界と内界の境界が揺らぐ瞬間を捉えた、生活世界俳句
俳句が「自然詠」から「生活詠」へと移行した近代以降の流れが明確に反映されている。

Ⅲ 情緒的俳句としての臥風句
カナリヤ弾む七草粥を食ひをれば 臥風
七草粥という静的な季語に対し、「カナリヤ弾む」という情緒的な動きを重ねることで、生活の明るさを前景化する句である。
• 季語「七草粥」は静謐・祈り・節目の時間を象徴
• 「弾む」という強い動詞が情緒の振幅を生み、句の中心となる
• 主体は「食ひをれば」と自己の行為を明示し、主体の感情が句の駆動力となる
現象の純度よりも、生活の情緒を重視する方向にあり、俳句の抒情性の側面を代表する。

Ⅳ 三句の比較──俳句における「世界の捉え方」の差異
三句は、俳句が「自然」「生活」「情緒」という三つの領域をどのように扱うかを示す好例である。
十七音という極度に短い形式でありながら、世界の捉え方の差異がそのまま句の構造の差異となって現れる。
三句を並べることで、俳句がどの方向へ開かれうるか、その射程が鮮やかに見えてくる。

Ⅴ 正子俳句の理念と位置
正子俳句の理念は、現象を受けとめ、精神の直立で言葉を立たせるという一点に集約される。
この理念は、
• 芭蕉の精神の直立
• 三好達治の詩的リアリズム
• 吉野弘の言葉の倫理
を基盤としつつ、さらに西洋詩の
• リルケの存在論
• ヴァレリーの精神論
• ポンジュの物の詩学
とも自然に響き合う。
その結果、正子俳句は、東西の詩学が交差する地点に立つ、きわめて稀な「現象の詩」として成立している。

●今後なにをすればよいか。
1. 現象の精度をさらに高め、言葉を極限まで節度化する
2. 東西の詩学を内側で統合する“現象の詩”を深める
3. 理念を明確に掲げ、俳句観として提示する