4月15日(木)

俳句
欅若葉空をうずめて浅みどり  正子

○今日の俳句
初燕満水となる池の面を/古田敬二
満々と水を湛えた池面すれすれに、さっそうと飛ぶ燕。初燕だけに、その飛ぶ姿は目に眩しいほど。水が満々とあること、燕がやって来たこと、すべて明るい喜びである。(高橋正子)

○現代俳句一日一句鑑賞
http://blog.goo.ne.jp/kakan109/

後記(平成22年6月号)

★二〇一〇年の花冠俳句フェスティバルを四
月七日、八日、信之先生創刊の水煙発祥の地、
松山で句友の皆様と時をともにでき、感慨深
いものがありました。八日は虚子忌でありま
したが、句友の柳原美知子さんのご子息悠二
郎さんが虚子を演じるミュージカル「正岡子
規」をみなさんと観劇でき、よき日となりま
した。悠二郎さんは、小学生時代投句をして
くれていて、今もご自身のブログに毎日俳句
を書き込んでおられます。さすが若い虚子を
演じて不足はありません。信之先生と私は、
美知子さんのご尽力もあって、劇場からの招
待という幸運で特等席で観劇できました。
★「多様な俳句への新たな展開を(五)」を
信之先生より書き下ろしていただきました。
今回は、松山でのフェスティバルの前後のハ
ードなスケジュールの中、発熱を押して書い
ていただきました。松山でミュージカル「正
岡子規」を観劇し、それに触れて、俳句の「
総合性」について述べられています。俳句が
「総合的」であることは、これからの俳句へ
の新しい展望や意見と言えるでしょう。この
ことについて、嘗て俳人も学者も触れており
ません。ご味読ください。
★松山は三年半ぶりに訪ねました。四十年以
上暮らした街ですから、どの景色も脳裏に焼
きついています。写真も撮りました。写真を
見ると、しずかで美しい、ヨーロッパの街に
も匹敵する美しさがあります。松山郊外にあ
る坊っちゃん劇場への道は、昔と変わらず、
青麦の穂が色濃く続いておりました。石鎚山
も皿が嶺も、砥部の障子山も変わらぬ景色を
見せておりました。洋子さん、美知子さんは
じめ、松山句会の皆様には大変お世話になり
ました。
★それと、横浜へ帰ってからのおまけのうれ
しさ。「正岡子規」を演じたキャストの皆さ
んから、お礼の寄せ書きが送られてきました。
正岡子規の演劇キャスト全員の写真が添えて
あり、フェスの最後を飾る記念となりました。
信之先生は、若いとき労演の仕事に携わった
経験で、役者さんとの交流も熟知で、観劇の
より総合的な面白みを味わうことができまし
た。
★子規はすでに過去の人となっていますが、
近代文学を「革新した」功績は大きく、革新
された俳句を「花冠はどうするか」がわれわ
れの課題でありましょうが、それは、信之先
生の「多様な俳句への新たな展開を」にそっ
て、迷わず細く長く俳句を作ることに尽きる
と思います。          (正子)

6月号投句/4月15日

花曇
高橋正子

遠山の桜桜のほつほつと
 横浜港
港は春の朝のみどりの潮の色
吊橋の斜鋼張り詰め春の朝
白き桜それが八重なる湾岸道
春光に満ち雲海の眼のかぎり
 松山湾上空
島はしずかに島でありたり花曇
松山の楠燃え桜混じり咲く
 JALシティ松山
花の夜のショパンのピアノの音の粒
 「正岡子規」観劇
青麦を来て劇中の子規と虚子
東京の空はさびしき春茜

俳句メモ/4月15日

遠山の桜桜のほつほつと
 横浜港
港は春の朝のみどりの潮の色
吊橋の斜鋼張り詰め春の朝
白き桜それが八重なる湾岸道
春光に満ち雲海の眼のかぎり
 松山湾上空
島はしずかに島でありたり花曇
松山の楠燃え桜混じり咲く
 JALシティ松山
花の夜のショパンのピアノの音の粒
 「正岡子規」観劇
青麦を来て劇中の子規と虚子
東京に戻ればさびし春茜
煽られて花のゆるるは大いなる
ようやくの桜蕾が灯の中に
花すもも散るや夜道の片側に
春嵐夜道を戻る髪弄り
境内に水音のして黄水仙
備前の瓶にあふれ桜の満開に
一日を二日を経ても花満開
仮の世の小さき部屋の雪明り
いつ見ても雪割草のつめたかり
寝残りて春の雪降る屋根の下
にらの香のつんとしてくる夕餉の椀
春の蕗すじをすうっと引き水に