生活する花たち・夏
7月31日(日)
★冬瓜にさくっという音のみありぬ 正子
大きく武骨でユーモラスな形の冬瓜、包丁を入れるとさくっという音がします。冬瓜そのものは無味無臭でまさしく「さくっという音のみありぬ」です。しかし、料理次第でどんな風にもなるところが冬瓜の大物たるところでしょうか。 (後藤あゆみ)
○今日の俳句
弧を描く夜汽車の灯り大夏野/後藤あゆみ
平野の果を走る夜汽車の灯が弧を描いてみえるのは、さすが「大夏野」。(高橋正子)
○向日葵
わが家から東へ数軒先に毎年決まって向日葵を咲かせる家がある。小さな用事の外出に通りすがりに見上げて楽しむ。この家には、2年ほど続けて2メートル以上になる「木立ダリア」が咲いていたが、何の花だろうと、これも見上げて楽しんだ。背丈の高い花がお好きなようだ。
最近大輪の向日葵を見ることが少なくなった。子どものころの向日葵は大輪だった。種が実ると重くて頭を垂れた。この大輪が「ロシア向日葵」だということを、はるか昔、たぶん中学生のころだろうが、知った。ロシアンケーキ、マ-マレードを入れる紅茶、ロシア民謡など、ロシアのイメージの一つとして記憶していた。それを、今日ここで思い出した。
向日葵の原産地は北アメリカ西部で、ネイティブアメリカンの食用作物だったとのこと。食用向日葵に、ノースクイーンとか、アメリカンスナックという品種があるらしいが、もっともなこととうなづける。が、私のイメージは、向日葵は東欧かロシアの花のイメージが強い。食用向日葵の種子の生産の先進国は、ロシアとのこと。理由は、ロシア正教のものいみの食品制限で、油脂食品の禁止食品に向日葵が入っていなかったので、ロシアで盛んに栽培されたとのこと。こういうこともあるのか。
丘をなす一面の向日葵畑は、ロマンティックな叙情がある。ゴッホの向日葵も有名だ。ゴッホの向日葵は、向日葵とその背景の色彩が、さすがゴッホと思わせる素敵な色だ。これは大輪ではない。花瓶に活けられた向日葵もまたよい。
向日葵の蘂を見るとき海消えし 芝 不器男
ゴッホの向日葵切りとられ切口を見せ 高橋信之
向日葵に空の青さがあり余る 高橋正子
向日葵の丘ひろびろと雲の旅 小西 宏
7月30日(土)
★熟れきってまるきトマトの冷やされし 正子
中夏から晩夏にかけてまるまると大きく熟した真っ赤なトマトが滔々と流れくる水を受けた樽の中でころころとまわりながら冷されている景は涼しそうですね。夏の素敵な景色ですね。(小口泰與)
○今日の俳句
湖へ虎杖の花咲きいそぎ/小口泰與
湖のほとりに虎杖の花が咲き急いでいる。夏が短い北国を思わせる。虎杖の花は小さく白い。散れば葉に埃がかかるように散る。夏の短さも、花のもろさも、みな移ろいやすさでえある。(高橋正子)
○小諸と上田
ホトトギスと自由律の中間派といわれた「石楠」を大正4年に創刊した臼田亜浪は、信州小諸の生まれで、私たちの「花冠」は、この師系に連なる。亜浪の軸物が古美術商でも扱われる。東京千駄木の「ふじもと」の藤本洋子さんもそういったお茶道具や軸物を扱うお一人で、信之先生にときどき電話がかかってくる。先日は、臼田亜浪筆、桃太郎画賛の俳句を読んでもらいたい、との依頼で、句は、「廣ヽの草に伸びあがる小松の穂」であった。このなかの「草」の字がなかなかユニークで判読できなくて、お困りだった。後日、お軸のお嫁入り先がきまりましたとのお知らせをいただいた。
小諸は、花冠の誌友と吟行で訪ねたこともあるが、その隣町の上田は、真田十勇士で有名であって、千駄木の藤本洋子さんは、そこのご出身である。上田の銘菓「くるみそば」を藤本洋子さんに頂いた。いかにも山国らしいお菓子で、白あんをそば粉で包み、砕いた胡桃をまぶした棒状にした饅頭。これを、1,2センチほどに切ってお茶といただくと、美味しい。蕎麦も胡桃も信之先生の好物なので、思いかけなく美味しい判読料となった。
7月29日(金)
★わが視線揚羽の青に流さるる 正子
○今日の俳句
沢蟹や水音絶えぬ作業場に/安藤智久
沢蟹は、梅雨のころからしきりに出歩く。水音の絶えずしている作業場にも赤い爪を振って沢蟹が現れ、作業場の景色が涼しく、作業にも弾みがつきそうだ。(高橋正子)
○黄昏
7月28日、バスとトイレをいつもより念入りに掃除し、床を拭き、そしてバスにお湯をため、夕飯は天婦羅を揚げることにして、黄昏どき、日吉本町5丁目あたりへ写真を撮りに出かけた。幸いに、猛暑のあとに台風6号が訪れ、去ったあとには、避暑地ほどの涼しさが舞い降りた。今日も曇りで時折気づかないほどの雨粒が落ちるが降りもしない。4時25分、正確には黄昏前、西に傾いた太陽の在り処が薄雲を透けて確かめられる。
黄昏に何をする当てがあろうか。何もしないでよいのであろう。あの人は誰かしらと顔もよくわからないが、という時間。人生の黄昏ともいう。写真を撮るのが目的で片や名目で、やるべき仕事はあっても、それは家に置いてきて、5丁目あたりを風に吹かれながらパカパカのシャツを着て歩く。団地の坂を上ると、ランタナの白い花がふんだんに垂れている。左手のグレーがかったタイルの家には、北側の部屋にオレンジ色の灯が点っている。その家の横を覗いてわかった。高いがけの上に建っている。この家は、本町駅前を走る道路から見ると、ちょうど農家の花梨の木の上のほうにある。私が一人勝手に、ユトリロの家と名づけている家だ。
ユトリロの絵に似て雨の花梨の実 正子
この家がなければ、ユトリロなど思いも着かなかったろう。この家の北側の道を通るときは、いつも部屋にオレンジ色の灯りが付いている。撮りたい花もあるが、やたらにシャッターを押すものどうかと、いつも撮らずに通り過ぎる。その家の角を曲がれば、春には満作が咲いていた家がある。白い壁が歳月が経って灰色がかって、小粋な窓がある。今日は、ななかまどの青い実が成っていた。ユトリロの家とこの家はもう秋の気配が漂っている。
黄昏はただ一人歩くだけ。団地には人ひとりいない。ミンミン蝉にまじり、つくつく法師が鳴いている。竹藪のはずれの桜かなにかの木にいるのだろう。葛が生い茂る様を写真に撮る。もしや、気づかぬところに葛の花が写っているかもと期待して。丘にある5丁目は、まだ荒地もある。月見草の原っぱがあるが、どれも凋んでいる。中学校には、マリーゴールドが元気よく咲いている。青桐に実が成っているいるので、写真に撮るとストロボがたかれた。もう、確かに黄昏がやってきた。ライオンズマンションの下に公園がある。その上に保育所があって、泣きながら母親に手を引かれて帰る女の子がいる。おかあさんは、機嫌をとらないのかしら。ただ、だまって、怒りもしないし、なにも言わないで、手を引くだけ。太ったお父さんが自転車でやってきて、保育所の門を開けて中に入っていった。お母さんが幼い子をおんぶしてあわただしく出てきた。
もう、引き返そう。坂をくだる途中の塗装屋さんの塀から白い桔梗が覗いている。金柑の白い花が咲いている。狭い歩道を若い小柄な娘さんが携帯を見ながらすたすた歩いて、追い抜きそうになる。だから道を譲ってあげる。坂を下ると日吉本町駅前の通りに出る。知り合いが向こうでにこっとするので手を降る。民家に睡蓮鉢がある。そうだ、金蔵寺にもう、蓮が咲いているかもしれない。行こうかと思ったが、あそこは、午後5時きっかり、山門を閉めてしまう。もう5時はとっくに過ぎて、6時20分。ならば、まっすぐに家に帰ろう。
たそがれ。古くは「たそかれ」。「誰(た)そ彼(かれ)は」の意味。ネットで黄昏を調べていて、面白い箇所にあたった。
<松浦寿輝著 「物質と記憶」より
(吉田健一は)
黄昏とは荒廃した衰滅の時刻ではなく、昼間の光のすべてを同時に湛えたもっとも豊かな時刻であることを強調する。黄昏の光線に「魅力があるのはこれが一日のうちで最も潤いがあるものだからである」と彼は言う。>
この吉田健一は、吉田茂の長男。外交官時代の吉田茂について英国にも暮らしている。「物質と記憶」は、フランスの哲学者ベルクソンの主著の一つだが、吉田健一の黄昏について引用した松浦寿輝著「物質と記憶」は、(読んでいないのだわからないが)日本文学論のようだ。
「黄昏」のイマージュは、ベルクソンで言えば、どうなんだろう。物質と記憶の間の表象。
7月28日(木)
7月27日(水)
7月26日(火)
7月25日(月)
7月24日(日)
7月23日(土)
★漂白されすずしき食器となりいたり 正子
こすっても落ちない茶渋や黒ずみは気になります。漂白液に浸し、しばらくすると食器はきれいに甦り、それを洗い流すのは実に気持ちが良いものです。台所を守るささやかな喜びを見逃さず、清潔感、清涼感を「すずしき」と詠まれ、共感致しました。(後藤あゆみ)
○今日の俳句
まだ青き稲穂の匂い確かなる/後藤あゆみ
早い田植えなら、八月を待たずに稲穂が出ている。まだ青い稲穂ながら、確かな匂いがする。しっかりと実りつつある稲である。「青き稲穂」のイメージが爽やか。(高橋正子)
○槿(むくげ)
白槿十年たちまち過ぎていし 正子
槿は、朝咲いて夕方にはしぼむ。お茶席の花としてよく活けらもする。先日千駄木の骨董屋の女主人が亜浪の句について信之先生に聞いて来た折に、骨董の竹籠に槿としま萱を活けた写真を送ってこられ、だれかをお茶にお招きしたい気分だと書き添えてあった。お茶の花ともなるが、どこにでも咲いている。
この句は、砥部の田舎で学生が来たり、ドイツ語の先生が来たり、子どもの友達がわっさわっさときたり、句会の人たちが出入りしたり、掃除、洗濯、庭の手入れ、などなど、雑多なことに明け暮れて、ある朝、白い槿を見て、十年なんてすぐ終わってしまうと思ったとき出来た句だ。
道のべの木槿は馬にくはれけり 芭蕉