★天草の乾いた軽さを腕が抱く 正子
○今日の俳句
郭公や頂上まではあとわずか/多田有花
登ってきて、あとわずかとなったところで、郭公の声を聞いた。山の緑にこだまする郭公の声に励まされ、自然を満喫する作者の姿が涼しげだ。(高橋正子)
○雛罌粟(ひなげし)・ポピー

[ひなげし/横浜日吉本町]
★我心或時軽し罌粟の花/高浜虚子
★咲きやんで雛罌粟雨に打たれ居り/前田普羅
★ひなげしの花びらを吹きかむりたる/高野素十
★ひなげしや妻ともつかで美しき/日野草城
★遅れ苗もうひなげしの花となる/阿波野青畝
★陽に倦みて雛罌粟いよよくれなゐに/木下夕爾
★ひなげしの揺れて風あることを知る/高橋信之
雛芥子(ヒナゲシ、学名:Papaver rhoeas)は、ヨーロッパ原産のケシ科の一年草。グビジンソウ(虞美人草)、シャーレイポピー (Shirley poppy) とも呼ばれる。耐寒性の一年草で、草丈50cm~1m位になる。葉は根生葉で、羽状の切れ込みがあり無毛である。初夏に花茎を出し、上の方でよく分枝し、茎の先に直径5~10cmの赤・白・ピンクなどの4弁花を開く。現在タネとして売られているものには、八重咲きの品種が多い。ケシやオニゲシに比べるとずっと華奢で、薄い紙で作った造花のようにも見える。移植を嫌うので、9月下旬から10月中旬頃に、花壇に直まきする。覆土はタネが見え隠れする程度でよい。かなり細かいタネなので、重ならないように丁寧に蒔き、発芽してきたら間引いて、株間が30cmくらいになるようにする。
「ひなげし」と言えば、ずいぶん昔から付き合ってきた。呼び方も自分でも「ひなげし」から「ポピー」に変わった。漱石にも『虞美人草』という小説があるが、この呼び方もいい。紙のように薄い花びらと、少し湾曲した茎と愛らしい花の形が絵になる。ひなげしを始めて育てたのは、愛媛の砥部に住んでいたとき。土地が100坪少しあったので、花は種から蒔いて、野菜は西瓜やトマトじゃが芋まで育てたころだ。二人の子供が小学生と幼稚園のときに花壇を作って、ポピーの種を蒔いた。土がよくなかったのか、苗はひ弱だったが、葉が育ち茎が伸び、いろんな色の花をつけた。八重より一重が好みだが、切り花にしてガラスの細口の花瓶に生けると絵のように様になる。ひなげしで思い出すのは、テレビで見た映画「ラストエンペラー」。なぜがひなげしの花と重なる。
★ラストエンペラーポピーの花は紙みたい/高橋正子
◇生活する花たち「蛍袋・時計草・紫陽花」(横浜日吉本町)

鎌倉街道
★昼顔を眸に映し旅ひとり 正子
昼顔というのは(私の印象では、朝顔に比べ)弱々しい花の姿です。その昼顔を「眸に映し」ての「旅ひとり」とは、しかし意外に力強い意思をもっての旅行だったのかもしれません。いずれにせよ、雑念のない清らかな決意が感じられます。 (小西 宏)
○今日の俳句
草原を母さんと行く藁帽子/小西 宏
広く、青い草原を麦わら帽子を冠った母と子が行く。草原と母と子のみ。ことさらに何もない世界がいい。(高橋正子)
○沙羅(しゃら)の花(夏椿)

[沙羅/横浜日吉本町]
★沙羅の花捨身の落花惜しみなし/石田波郷
★咲くよりも落花の多し夏椿/松崎鉄之介
★夏椿思へばそんなやうなひと/行方克巳
★亡き母のものに着替へん沙羅の花/斉藤志野
夏椿(ナツツバキ、学名:Stewartia pseudocamellia)は、ツバキ科ナツツバキ属の落葉高木。別名はシャラノキ
(娑羅樹)。仏教の聖樹、フタバガキ科の娑羅双樹(さらそうじゅ)に擬せられ、この名がついたといわれる。原産地は日本から朝鮮半島南部にかけてであり、日本では宮城県以西の本州、四国、九州に自生し、よく栽培もされる。樹高は10m程度になる。樹皮は帯紅色でツルツルしており「サルスベリ」の別名もある(石川県など)。葉は楕円形で、長さ10cm程度。ツバキのように肉厚の光沢のある葉ではなく、秋には落葉する。花期は6月~7月初旬である。花の大きさは直径5cm程度で、花びらは5枚で白く雄しべの花糸が黄色い。朝に開花し、夕方には落花する一日花である。ナツツバキより花の小さいヒメシャラ(Stewartia monadelpha)も山地に自生し、栽培もされる。 ナツツバキ属(Stewartia)は東アジアと北アメリカに8種ほど分布する。
これが夏椿だと最初に意識して見たのは、愛媛県の砥部動物園へ通じる道に植樹されたものであった。砥部動物園は初代園長の奇抜なアイデアが盛り込まれて、動物たちにも楽しむ我々にものびのびとした動物園であった。小高い山を切り開いて県立総合運動公園に隣接して造られているので、自然の地形や樹木が残されたところが多く、一日をゆっくり楽しめた。自宅からは15分ぐらい歩いての距離だったので、子どもたちも小さいときからよく連れて行った。その道すがら、汗ばんだ顔で見上げると、夏椿が咲いて、その出会いが大変嬉しかった。このとき、連れて行った句美子が「すいとうがおもいなあせをかいちゃった」というので、私の俳句ノートに書き留めた記憶がある。緑濃い葉に、白い小ぶりの花は、つつましく、奥深い花に思えた。
今住んでいる日吉本町では、姫しゃらや夏椿を庭に植えている家が多い。都会風な家にも緑の葉と小ぶりの白い花が良く似合っている。
植物とは全く違う話だが、まだ夏椿の花を見たことがないとき、かぎ針編みの模様に「夏椿」というのがあって、自分に似合うと思ったのだろう、この模様で製図までしてベストを編んでしばらく着た。
★夏椿葉かげ葉かげの白い花/高橋正子
◇生活する花たち「紫陽花」(北鎌倉・東慶寺)
★緑陰に水湧きこぼる音尽きず 正子
○今日の俳句
青芒ひかり合いつつ野を充たす/小川和子
野一面の青芒を「ひかり合いつつ」「野を充たす」と、動きをもって、いきいきと詠んだ。積極的な視線がいい。(高橋正子)
○昼咲月見草

[昼咲月見草/横浜日吉本町]
★眠られず眠たし昼咲き月見草/佳世子★
ヒルザキツキミソウ(昼咲月見草、学名:Oenothera speciosa)は、アカバナ科マツヨイグサ属の多年生植物。観賞用として栽培されている。草丈は30-60cmくらい。葉は披針形で互生する。5-7月頃に、4-5cmくらいの大きさの、白または薄いピンク色の花を付ける。花弁の数は4枚で、8本の雄蕊と、先端が十字型をした雌蕊がある。北米原産の帰化植物であり、観賞用として輸入・栽培されていたものが野生化している。名称の由来は、宵に咲くツキミソウと違って、昼間にも開花していることによる。
◇生活する花たち「花菖蒲・立葵・錦糸梅」(横浜・四季の森公園)
★石楠花のうすくれないも昼下がり 正子
○今日の俳句
新緑の重なる先に飛行雲/高橋秀之
新緑のつややかな緑と、空に真っ白に描かれた飛行機雲の色彩的な対比がみずみずしい。(高橋正子)
○紫陽花

[紫陽花/横浜日吉本町]_小紫陽花(コアジサイ)/東京白金台・自然教育園]
★紫陽花や藪を小庭の別座敷/松尾芭蕉
★紫陽花の末一色となりにけり/小林一茶
★紫陽花の花に日を経る湯治かな/高浜虚子
★紫陽花や水辺の夕餉早きかな/水原秋櫻子
★紫陽花や白よりいでし浅みどり/渡辺水巴
★紫陽花の醸せる暗さよりの雨/桂信子
★大輪の紫陽花に葉の大きさよ/稲畑汀子
★里山の結界なせる濃紫陽花/宮津昭彦
★あじさゐや生き残るもの喪に服し/鈴木真砂女
★誓子旧居紺あぢさゐに迎へられ/品川鈴子
★紫陽花の花あるうちを刈られけり/島谷征良
★あぢさゐに触れて鋏のくもりけり/高田正子
紫陽花(アジサイ、学名: Hydrangea、アジサイ科アジサイ属の植物の総称である。学名は「水の容器」という意味で、そのまま「ヒドランジア」あるいは「ハイドランジア」ということもある。また、英語では「ハイドレインジア」と呼ぶ。開花時期は、 6月から7月15日頃。ちょうど梅雨時期と重なる。日本原産。色がついているのは「萼(がく)」で、花はその中の小さな点のような部分。しかしやはり萼が目立つ。紫、ピンク、青、白などいろいろあり。花の色は土が酸性かアルカリ性かによっても。また、花の色は、土によるのではなく遺伝的に決まっている、という説もある。
★妻の浴衣あじさい白く染め抜かれ/高橋信之
★あじさいに七曜またも巡りくる/高橋正子
◇生活する花たち「あさざ・山紫陽花・コアジサイ」(東京白金台・自然教育園)

★明易し畳に二つ旅かばん 正子
○今日の俳句
噴水のしぶき花にも吾らにも/祝恵子
噴水のしぶきが辺りに散るほど吹き上がり、そばに花が咲き、吾らがいる。楽しげで、涼しげな光景に気持ちが和む。(高橋正子)
○立葵

[立葵/横浜日吉本町]_[銭葵/横浜日吉本町]
★日の道や葵傾くさ月あめ 芭蕉
★鶏の塀にのぼりし葵哉 子規
★鴨の子を盥(たらい)に飼ふや銭葵 子規
★ひとり咲いて朝日に匂ふ葵哉 漱石
★鵜の宿の庭ひろびろと葵かな 虚子
★白葵大雨に咲きそめにけり 普羅
★花葵貧しくすみて青簾吊る 蛇笏
★立葵咲き上りたる櫺子かな 風生
★つき上げし日覆の下や鉢葵 みどり女
★蝶低し葵の花の低ければ 風生
★またけふも隣は留守や立葵 万太郎
★うらかなし葵が天へ咲きのぼる 鷹女
★葵とその周りの空間葵が占む 耕衣
★三方に蝶のわかれし立葵 汀女
★立葵夜を紅白に町に坂 汀女
★立葵憚るのみに人の門 汀女
★花葵仔犬の小屋をここに置く 立子
★花あふい子を負へる子はみな男 立子
★立葵空へ空へと咲きのぼる/高橋信之
★丘に咲き風吹く中の立葵/高橋信之
立葵は、フリルのような花が女の子向きかもしれない。梅雨のころから咲き始め、真夏の青空は背に咲き上る。一番好きな立葵の景色は、ぽっかりと白い雲を浮かべた青空に立ち上って咲いているところだ。踏切が開くのを待っている間、いつこぼれた種から育ったのか、咲いているのを眺めることがある。かんかんかんかんとなる踏切の音と、やわらかな立葵の花は、昭和時代への郷愁を誘う。
ゼニアオイというのがある。立葵に比べると、地味だが、眺めていると歴史をさかのぼっているような味わいがある。こう、言ってもよくわからないだろうが、京都の簾、江戸風鈴、枕草子など、取り留めもなく思いが湧いてくる。庭や畑の隅に、咲くのが当たり前のように、夏になると咲いた花だ。
アオイ科(Malvaceae)は双子葉植物の科のひとつで、従来の分類では約75属、1500種からなる。美しい花をつけるものが多く、観賞用のハイビスカス、ムクゲ、フヨウ、タチアオイなどのほか、食用のオクラ、またワタやケナフなど繊維として利用されるものもある。草本または木本。花は両性花で、5枚の花弁と雄蕊が基部で合生し、雄蕊どうし合着して筒状になる。熱帯地方に多く、日本の本土に本来自生するものは数種(三浦半島以南の海岸に生えるハマボウのほか、南西諸島にさらに数種)で、そのほか帰化植物が数種ある。アオイ(葵)という名は、元はフユアオイなどを指し、「仰(あおぐ)日(ひ)」の意味で、葉に向日性があるためという。家紋に使われる葵(徳川家の「三つ葉葵」、下鴨神社の「双葉葵」など)は別科であるウマノスズクサ科のフタバアオイの葉をデザインしたものである。
立葵(タチアオイ、学名:Althaea rosea、シノニム:Alcea rosea)は、アオイ科の多年草。以前、中国原産と考えられていたが、現在はビロードアオイ属(Althaea)のトルコ原産種と東ヨーロッパ原産種との雑種(Althaea setosa ×Althaea pallida)とする説が有力である。日本には、古くから薬用として渡来したといわれている。花がきれいなので、園芸用に様々な品種改良がなされた。草丈は1~3mで茎は直立する。 花期は、6~8月。花は一重や八重のもあり、色は赤、ピンク、白、紫、黄色など多彩である。花の直径は品種によるが大きなものでは10cmくらいである。本来は宿根性の多年草であるが、品種によっては一年草でもある。
ゼニアオイは地中海沿岸原産の帰化植物。河川敷や線路脇の空き地、高架橋の下などの荒地に生育する強健な越年性の2年生草本。劣悪な環境にも生育ができるのは地中海気候にも適応した種であることも関係あろう。草丈は1.5mほどになり、株元から分かれて直立する。葉は円形から浅く5裂あるいは7裂する。花は6月から10月にかけて次々と咲き、直径3cmほど。花弁は淡紫紅色で濃色の筋がある。基本種のウスベニアオイは茎に開出毛がある点と葉が中~深裂する点が異なる。
◇生活する花たち「紫陽花」(北鎌倉・東慶寺)
★夜空あり虚々実々の心太 正子
ぷるんとした半透明のところてんを見つめて作者は夜空を想起されたのでしょうしょうか。黒いお椀なのか、ところてんに掛けた黒い蜜なのか、そしてまた黄色のからしが夜空の星或いは夏の月として見立てて居られるのか?と、想像が拡がります。ところてんは海藻を煮詰め固めたものを突き出して素材を活かしたもの。将に虚々実々のところてんです。読み手の方でどの様にでも想像出来て意表を突いた楽しいポエムを感じます。改めてところてんに明るい夜空を想像いたしました。(佃 康水)
○今日の俳句
草叢の木苺朝の陽を返す/佃 康水
草叢の木に小さな実をつける木苺。つぶつぶの実が朝日をはね返すと、宝石のように輝く。小さく、フレッシュなものの可愛いさ。(高橋正子)
○枇杷

[枇杷の実/横浜日吉本町]
★高僧も爺でおはしぬ枇杷を食す 虚子
★青峡の中に一樹の枇杷の鈴 風生
★飼猿を熱愛す枇杷のあるじかな 蛇笏
★枇杷の実の上白みして熟れにけり 石鼎
★降り歇まぬ雨雲低し枇杷熟れる 久女
★枇杷を吸ふをとめまぶしき顔をする 多佳子
★枇杷買ひて夜の深さに枇杷匂ふ 汀女
★枇杷の種赤く吐き出す基地の階 不死男
枇杷(ビワ、学名: Eriobotrya japonica)は、バラ科の常緑高木およびその果実。中国南西部原産。英語の「loquat」は広東語「蘆橘」(ロウクワッ)に由来する。日本には古代に持ち込まれたと考えられている。またインドなどにも広がり、ビワを用いた様々な療法が生まれた。中国系移民がハワイに持ち込んだ他、日本からイスラエルやブラジルに広まった。トルコ、レバノン、ギリシャ、イタリア南部、スペイン、フランス南部、アフリカ北部などでも栽培される。葉は互生し、葉柄は短い。葉の形は20cm前後の長楕円形で厚くて堅く、表面が葉脈ごとに波打つ。縁には波状の鋸歯がある。花期は11~2月、白い地味な花をつける。花弁は5枚。葯には毛が密に生えている。自家受粉が可能で、初夏に卵形をした黄橙色の実をつける。果実は花たくが肥厚した偽果で、全体が薄い産毛に覆われている。長崎県、千葉県、鹿児島県などの温暖な地域での栽培が多いものの若干の耐寒性を持ち、寒冷地でも冬期の最低気温-10℃程度であれば生育・結実可能である。露地成熟は5月~6月。
枇杷の実で思い出すことはいろいろある。昔は田舎には、どの家にもというほどではなかったにしろあちこちに枇杷の木があった。雨がちな季節に灯をともすような明るさを添えていた。晩秋、枇杷の花が匂い、小さな青い実をいつの間にかつけて、この実が熟れるのを待っていた。枇杷が熟れると籠いっぱい葉ごともぎ取っていた。おやつのない時代、子どもは枇杷が大好きで沢山食べたがったが、大人から制裁がかかった。衛生のよくない時代、赤痢や疫痢を恐れてのことであった。サザエさんの漫画にもそんな話がある。枇杷を買ってきて、子どもに内緒で夜、大人だけこっそり食べる話。ところが寝ぼけた子どもが起きてきて、急いで食卓の下に枇杷を隠したものの、結んだ口から枇杷の種がポロリとこぼれ、露見するという話。
もうひとつ、童謡に「枇杷の実が熟れるよ、ねんねこ、ねんねこ、ねんねこよ」「枇杷の木がゆれるよ、ねんねこ、ねんねこ、ねんねこよ」という歌詞があった。灯ともすような枇杷の実の色は、幼子をやすらかな眠りに誘うような色だ。
今は、茂木枇杷など、立派で高価な枇杷が果物屋に宝物のように箱に詰められて並んでいる。
★枇杷の実の熟れいろ雨に滲みたり/高橋正子
◇生活する花たち「紫陽花・カルミア・卯の花」(横浜日吉本町)

★山あじさい辿れる道をふさぎ咲く 正子
○今日の俳句
早苗積み軽トラックゆく真昼かな/多田有花
田に早苗を運んでゆくのだが、「真昼」の出来事として、しらしらと、うすうすと、光に満ちたさわやかな印象を受ける。(高橋正子)
○植田

[植田/横浜緑区北八朔町(2012年5月30日)]_[植田/横浜緑区北八朔町(2013年5月24日)]
★いとけなく植田となりてなびきをり/橋本多佳子
★鶏鳴のあとのしづけさ植田村/鷹羽狩行
★夕明りして千枚の植田寒/岡本眸
★たつぷりと水面の光る植田かな/辺見狐音
★裏は植田前は大きな日本海/坂上香菜
★通勤の今日より植田道となり/村田文一
★合鴨の入りし植田の賑へり/松元末則
★お札所の森の浮べる植田かな/上崎暮潮
植田は、田植えを終わって間もない田で、苗が整列し、水田に影を映している。やがて苗が伸びて青田となる。
天皇陛下は5月30日、皇居内の生物学研究所脇にある水田で恒例の田植えをされた。開襟シャツにズボン、長靴姿で水田に入り、もち米のマンゲツモチとうるち米のニホンマサリの苗を、しゃがみながら1本ずつ植えた。苗は皇居内で昨年収穫された種もみから育てた。この日は計100株を植え、31日以降にさらに100株植える。田植えは昭和天皇が農業奨励のために始め、陛下が引き継いだ初夏の行事。秋には稲刈りをし、収穫した米は皇室の神事などに使われる。
昨年、4月29日に母の見舞いに新横浜から山陽道の福山まで新幹線に乗った。そのときは、<代田見せ列島下る新幹線/正子>という句を作った。5月22日に母が亡くなったのでまた下りの新幹線を福山まで乗った。東海から近江あたりまでは、田圃はすっかり植田に代わっていた。雨の少ない瀬戸内は雨を待って田植えが始まるのがほとんどだろうから植田は、ぼつぼつという感じであった。日本から水田の風景が消えたら、もう日本ではなくなる。車窓から見ても、直に見ても、折々の水田風景は美しいものだ。飛行機に乗って上空から眺めると、日本中が水浸しになったように植田が広がっている。いとけない苗の緑や、青い空や白い雲まで映る植田。雷雨でもきそうになれば、植田の水はくらくかき曇る。
子どもの頃の田植は、手で植えていたから、15センチか20センチに伸びた苗を、苗代から一本一本抜き取り一握りになったら藁で束ね、田水に浮かせ置く。一定の間隔を取った駒や布の印をつけた綱を田に張り、その印のところに苗を挿す。根元をいためないように、指で苗を包むように添えて、泥に挿す要領で植えていく。このようにして苗が植わった田圃は、きれいに整列した苗と水の比例が美しい。植田を吹きわたる風がさざ波を起こす。植田こそが水田の風景のなかでもっとも美しいと思える。
★近江には近江の植田水ひかり/高橋正子
★植田となりし遥か向こうに田植せり/高橋正子
★山影の植田は山の影映す/高橋正子
★植田道子が落ちないように連れ通る/高橋正子
◇生活する花たち「蛍袋・時計草・紫陽花」(横浜日吉本町)

★葛飾は薔薇咲き風の吹くところ 正子
映画の舞台になったこともある隅田川の東部一帯の住宅地、葛飾。街には門ごとに薔薇や草花が植えられていて良い風も通り抜けているのでしょう。読者をして自然に、軽やかで愉快な気分に導いて下さる御句です。 (河野啓一)
○今日の俳句
夏潮の青く広きや船の旅/河野啓一
「夏潮」は青さを特徴とするものであるが、「広き」が加わり、船旅の開放感を詠み手にも味あわせてくれる。(高橋正子)
○南瓜の花

[南瓜の花と実/横浜緑区北八朔町(2012年5月30日)]_[南瓜の花/横浜緑区北八朔町(2013年5月24日)]
★南瓜咲く室戸の雨は湯のごとし/大峯あきら
★貧乏な日本が佳し花南瓜/池田澄子
★黄の濃さよ日の出前なる花南瓜/両角竹舟郎
★朝早き車窓に南瓜の花を見き/高橋正子
南瓜は、ウリ科カボチャ属(学名 Cucurbita)の総称である。特にその果実をいう。原産は南北アメリカ大陸。主要生産地は中国、インド、ウクライナ、アフリカ。果実を食用とし、カロテン、ビタミン類を多く含む緑黄色野菜。 日本における呼称類はこの果菜が、国外から渡来したことに関連するものが多い。一般にはポルトガル語由来であるとされ、通説として「カンボジア」を意味する Camboja (カンボジャ)の転訛であるとされる[3]。 方言では「ぼうぶら」「ボーボラ」などの名を用いる地方もあり、これはやはりポルトガル語で、「カボチャ」や「ウリ類」を意味する abóbora (アボボラ)に由来するとされる。 ほかに「唐茄子(とうなす)」「南京(なんきん)」などの名もある。 漢字表記「南瓜」は中国語: 南瓜 (ナングァ; nánguā)によるもの。英名は pumpkin (パンプキン)であると理解されている場合が少なくないが、実際には、少なくとも北米では、果皮がオレンジ色の種類のみが pumpkin であり、その他のカボチャ類は全て squash (スクウォッシュ)と総称される[4]。 したがって日本のカボチャは、kabocha squash (カボチャ・スクウォッシュ)などと呼ばれている。属名Cucurbita はラテン語で、一般的には「ウリ」と訳される語を転用したもの。
◇生活する花たち「未央柳(びようやなぎ)・釣鐘草・卯の花」(横浜日吉本町)

港の見える丘公園
★薔薇を見しその目に遠き氷川丸 正子
○今日の俳句
かしましき程の田道や揚ひばり/桑本栄太郎
田道は しずかに明るく、雲雀を邪魔するものもない。雲雀が野の明るさを謳歌している。(高橋正子)
○茄子の花

[茄子の花/横浜日吉本町(2010年6月3日)]_[茄子の花/横浜市都筑区川和町(2013年5月21日)]
★この辺でかみ合ふ話茄子の花/稲畑汀子
★ふだん着の俳句大好き茄子の花/上田五千石
★雨あとの土息づくや茄子の花/松本一枝
★茄子の花茄子に映つてをりにけり/木暮陶句郎
茄子(なす)は、ナス科ナス属の植物。また、その果実のこと。原産地はインドの東部が有力である。その後、ビルマを経由して中国へ渡ったと考えられている。中国では広く栽培され、日本でも1000年以上に渡り栽培されている。温帯では一年生植物であるが、熱帯では多年生植物となる。日本には奈良時代に、奈須比(なすび)として伝わった。土地によっては現在もそう呼ばれることがある。女房言葉により茄子となった。以降日本人にとってなじみのある庶民的な野菜となった。葉とヘタには棘があり、葉には毛が生えている。世界の各地で独自の品種が育てられている。加賀茄子などの一部例外もあるが日本においては南方ほど長実または大長実で、北方ほど小実品種となる。本州の中間地では中間的な中長品種が栽培されてきた。これは寒い地域では栽培期間が短く大きな実を収穫する事が難しい上に、冬季の保存食として小さい実のほうが漬物に加工しやすいからである。しかし食文化の均一化などにより野菜炒めや焼き茄子など、さまざまな料理に利用しやすい中長品種が全国的に流通している。日本で栽培される栽培品種のほとんどは果皮が紫色又は黒紫色である。しかしヨーロッパやアメリカ等では白・黄緑色・明るい紫、さらに縞模様の品種も広く栽培される。果肉は密度が低くスポンジ状である。ヘタの部分には鋭いトゲが生えている場合がある。新鮮な物ほど鋭く、鮮度を見分ける方法の一つとなるが、触った際にトゲが刺さり怪我をすることがある。収穫の作業性向上や実に傷がつくという理由から棘の無い品種も開発されている。品種によってさまざまな食べ方がある。小実品種は漬物、長実品種は焼き茄子、米茄子はソテー。栄養的にはさほど見るべきものはないが、東洋医学では体温を下げる効果があるとされている。また皮の色素ナスニンは抗酸化作用があるアントシアニンの一種である。なかには、「赤ナス」のような観賞用として生け花などにも利用されているもの(熊本県などで「赤ナス」の商品名で栽培されている食用の品種とは別物)もある。赤ナスは食用のナスの台木としても用いられる(観賞用の赤ナスは味などにおいて食用には適さないとされる)。
茄子の花は野菜の花のなかでも、句に詠まれることが多い。茄子は、濃い紫の茎、紫の色を残した緑の葉、うす紫の花、そして紫の実とその色合いが少しずつ違って一本となっている。その中で茄子の花の芯は一つ黄色で、そのおかげで花が生きている。夕方、野菜畑に水をやるときには、もっとも涼しそうな花である。
★茄子の花葉かげもっとも涼しかり/高橋正子
★茄子の木にもっとも淡し茄子の花/高橋正子
●8月号投句10句
夏来る空に
高橋正子
夏来る空に湧く雲流るる雲
薔薇垣と薔薇のアーチに人の住む
青嵐ふっと真昼の陰りたる
疲れ寝て覚めしところに風薫る
東京白金台・自然教育園五句
浮葉抜け森の一花のあさざの黄
山あじさい辿れる道をふさぎ咲く
杜若残れる花の草に浮く
飯桐の落花あまたよ道濡れて
木にひたとこげら飛び来て森五月
茄子の木にもっとも淡し茄子の花
◇生活する花たち「紫陽花・カルミア・卯の花」(横浜日吉本町)

★朴の花わが身清めて芳しき 正子
朴の花の大きさ、高貴さは見る者の心を震わせて大なるものがあります。その白さ、澄明さには将に「わが身清めて芳しき」の措辞がぴったりです。(小西 宏)
○今日の俳句
段なして植田それぞれ空を持つ/小西 宏
田ごとに空が映つる植田は、目にも涼やかで美しい。早苗の緑と、空の映る田水が段をなしている棚田の風景は、日本の残したい風景。(高橋正子)
○胡瓜の花

[胡瓜の花/横浜市緑区中山町(2012年5月26日)]_[胡瓜の花/横浜市都筑区川和町(2013年5月21日)]
★蝶を追ふ虻の力や瓜の花/正岡子規
★夕鰺を妻が値ぎりて瓜の花/高浜虚子
★生き得たる四十九年や胡瓜咲く/日野草城
★雲ひくし風呂の窓より瓜の花/芥川龍之介
★土蔵もて史蹟としたり瓜の花/富安風生
★瓜咲くや一つになつて村の音/永田耕衣
★肌合いの届くところに胡瓜咲く/成宮颯
胡瓜は、(キュウリ、Cucumis sativus L.)とはウリ科キュウリ属のつる性一年草、およびその果実のことである。かつては熟した実を食用とした事もあったが、甘みが薄いためにあまり好まれず、現在では未熟な実を食用とするようになった。インド北部、ヒマラヤ山麓原産。日本では平安時代から栽培される。胡瓜の「胡」という字は、シルクロードを渡って来たことを意味している。「キュウリ」の呼称は、漢字で「木瓜」または「黄瓜」(きうり)と書いていたことに由来する。上記の通り現代では未熟な実を食べる事からあまり知られていないが、熟した実は黄色くなる。尚、現代では「木瓜」はボケの花を指す。温暖な気候を好むつる性植物。栽培されているキュウリのうち、3分の2は生で食することができる。種子は暗発芽種子である。雌雄異花ではあるが、単為結果を行うため雄花が咲かなくとも結実する。主に黄色く甘い香りのする花を咲かせるが、生育ステージや品種、温度条件により雄花と雌花の比率が異なる。概ね、雄花と雌花がそれぞれ対になる形で花を咲かせてゆく。葉は鋸歯状で大きく、果実を直射日光から防御する日よけとしての役割を持つ。長い円形の果実は生長が非常に早く、50cmにまで達する事もある。熟すと苦味が出るため、その前に収穫して食べる。日本では収穫作業が一日に2~3回行われる(これには、日本市場のキュウリの規格が小果であることも一因である)。夏は露地栽培、秋から初春にかけては、ハウスでの栽培がメインとなり、気温によっては暖房を入れて栽培することもある。しかし、2003年から2008年の原油価格の価格高騰により、暖房をかけてまでの栽培を見送る農家も少なくない。果実色は濃緑が一般的だが、淡緑や白のものもある。根の酸素要求量が大きく、過湿により土壌の気相が小さい等、悪条件下では根が土壌上部に集中する。生産高は2004年、2005年は群馬県が第一位であったが、2006年からは宮崎県が第一位である。
◇生活する花たち「あさざ・山紫陽花・コアジサイ」(東京白金台・自然教育園)
