晴れ。
薔薇冷えるかたちあるもの皆冷えて 正子
夏来たり雲のなかより朝の空 正子
階段を昇りて数歩若葉冷ゆ 正子
夏雲と富士の雪嶺とあい耀き 正子
学校がなくて若葉に子等の声 正子
夏来たり丘に座れば空を統べ 正子
5丁目の端の丘へ。富士山の頂上が見える。春の間は霞んで見えなかったが、よく見えた。夏が来た証拠。
晴れ。
薔薇冷えるかたちあるもの皆冷えて 正子
夏来たり雲のなかより朝の空 正子
階段を昇りて数歩若葉冷ゆ 正子
夏雲と富士の雪嶺とあい耀き 正子
学校がなくて若葉に子等の声 正子
夏来たり丘に座れば空を統べ 正子
5丁目の端の丘へ。富士山の頂上が見える。春の間は霞んで見えなかったが、よく見えた。夏が来た証拠。
曇り。雨ばらつく。雷。
古き良きおがたまの花香る 正子
雷の走る夜空を胸に寝る 正子
開け放す本堂固めあやめ草 正子
●林誠司さんから『紅の挽歌』(中村猛虎著)が送られた。中村猛虎さんは、60歳。先月だったか、『踝』(近澤有孝著)が著者より送られてきたが、その近澤有孝さんも60歳か61歳ぐらい。この世代の俳人に共通する表現の仕方、表現の癖。
句集の編集からは、作品の読み方が規定される。
ずっと以前は評論的な読み方が流行った。昭和40年代半ばからは、評論的読み方を基礎におきながらも、作品中心の読み方となった。今は、作品だけの読みとなった。作品だけで読ませる句集は、めったにないかもしれない。
●句美子が母の日の花にばらの鉢をくれる。ホワイトピーチオベーション。その付録に花の種、メランポディウムがあったので、播いた。
晴れ。
白く咲いて野茨らしい月の下 正子
●早暁より起こされる。信之先生は、バナナスコーンとコーヒー、オレンジで朝ご飯。私は、夕べのおにぎりとインスタントみそ汁。
●向かいの家にえごの花が咲いている。白雲木も咲いているのではと思い、買い物の帰り、金蔵寺に寄る。白雲木も見ごろ。金蔵寺の講堂が開けられて、ご住職が掃除機をかけていた。金蔵寺の講堂が開かれたのを初めて見たが、コロナの影響で、空気を入れ替えているのかも。金蔵寺はあやめも盛り。
●柏餅をコープに予約注文しているが、明日配達。ちょっとずれているが。柏餅が本当においしいのは、旧暦の5月5日ごろ。山帰来の葉が青々となるころ。少し汗ばむようになって、部屋を開け放ち風を入れて食べる。縁側でも食べる。粒あんではなく、こしあん。
雨のち曇り
四日はや夕べ菖蒲湯を立てり 正子
菖蒲の葉湯浴みのあとも青あおと 正子
風薫る見知らぬ花も良き香り 正子
●昨日の続きにバナナスコーン、チョコクッキーとサブレを焼く。電子レンジのオーブン機能で焼くが、どうもこの機能信用できない。つきっきりで焼く。子供の日のお菓子として宅急便で元希に送る。子供の日は、柏餅、粽と決まっているが、この季節傷んでもいけないし、手作りということで勘弁してもらう。
●近くのマンションの植栽にいい匂いの花がある。山茶花のような葉で、濃い紫の3センチぐらいの花びらが厚い花。名前がわからない。多分、おがたまの木。
晴れ。
太陽と風と憲法記念日と 正子
鯉幟泳がす風のみぎひだり 正子
晴れ。
●「俳壇」から原稿依頼。8月号に5句、「生活の句」とのこと。夏休み、ソーダ水などとある。締め切りは、6月10日。困ったことに、会心の作を一句挙げよと。そんな句は全くない。それができないので、いまだに句を作り続けているわけで。会心の作ができれば、ましな俳人と自負できようが。
●活けたからすのえんどうの茎の先が1センチほど若緑に。伸びている。
晴れ。
●小さい鯉幟が見つかったので、ベランダの物干しに括り付けて泳がせた。今年は、まだ鯉幟を見ないが、前のマンションの子供たちが気付いてくれるだろうか。鯉幟の生産は生まれた県のとなり、岡山県が日本一という。知らなかった。願わくば、紙の鯉幟がいい。風にがさごそと鳴り、夕方降ろして畳むときは、小さい子は鯉幟のお腹に入って異界を楽しむ。そんな昔があった。
●「俳壇」から原稿依頼。8月号に5句、「生活の句」とのこと。夏休み、ソーダ水などとある。締め切りは、6月10日。困ったことに、会心の作を一句挙げよと。そんな句は全くない。それができないので、いまだに句を作り続けているわけで。俳壇の皆々様のようには、作句にテンションがあがらない。
晴れ。
春筍きょうのお菜はそればかり 正子
姫皮のぞうげ色幾重春筍 正子
じゅじゅじゅじゅと雀の声の薫風裡 正子
揚げ雲雀雲に隠れて声ばかり 正子
●今日で4月が終わり。
冷蔵庫の野菜室の掃除をする。ボックスを風呂場で洗う。
冷蔵庫に残り物が増えがち。買っておこうかと思うものは、家族の二人分ではなく、一人分買うようにしているが、増える。テーブルに食べ物は置きたくないが、何かしらある。ないと何かないかと思う。子供たちや人にやたらあげるわけにもいかないし。食べ物に神経を使う。
晴れ。昭和の日。
たんぽぽはまこと日の花は夜は閉じて 正子
からすのえんどう小瓶の水に真すぐ活け 正子
●今は昔、けふはみどりの日、古きは天皇誕生日と言ひき。いろいろ呼び名が変わるなあ。
●仕事に出かける前、家の近くで、からすのえんどうとたんぽぽを一茎ずつ摘んで、瓶に活けた。たんぽぽを低く、からすのえんどうを立てた。からすのえんどうは、透き通ったガラスに似合う。
夜仕事から帰ってみると、たんぽぽは、閉じて眠り、からすのえんどうの赤紫の花はしぼみ、私のいない数時間に野の花は一日をすっかり終えていた。
●有花さんが、26日の投句に磯鵯の句を投句していた。磯鵯、聞いたことがないので、YouTubeで調べる。鵯の名がつくが、ヒタキ科の美しい鳥。青い鳥とも呼ばれているらしい。声は聞きなしできないが、かわいい澄んだ声。磯の岩に居たものらしいが、今では市街地にもいるらしい。こんな小鳥が増えるのは歓迎だ。
晴れ。
●角川「俳句」5月号届く。花冠の広告を掲載しているため、送られてくる。今月号の特別座談会「俳句とは何か」が読めた。読めたというのは、読んで面白かったということ。これまでよく言われていることの話、新しいところは特にないのだが、各人のお考えがその方の俳人格のようで、面白かった。有馬朗人、大輪靖宏、高野ムツオ、西村和子(司会)の座談会。
俳句の選をするとき、いつも「俳句とは何か」が念頭にある。これを外して俳句の選はできない。俳句の添削も結局は、「俳句とは何か」に沿ってされる。永遠の課題であろう。
●きのう「くぢら」にお礼の手紙と花冠30周年記念号を送らせてもらった。
改めて花冠30周年記念号を読み返すと、30年で信之先生がされようとしたことは、完成されていると思った。花冠(水煙)叢書として全50巻がある。十分である。
記念号に私の「尾瀬初秋」と「イギリスの旅」の文がある。若いころは自分の文章を読み返すのは、ぞっとするので嫌であったがこのごろは、愛着がある。愛着は文章にではなく、今となっては、二度と行くことはないであろう旅の記録。「尾瀬初秋」も「イギリスの旅」も一応まとめてはいるが、書きかけなのだ。つまり未完。あとを書くべきかどうか。