晴れ。
朝顔、昨日一花、今日三花。百合の蕾が色づく。
晴れ。
朝顔、昨日一花、今日三花。百合の蕾が色づく。
晴れ。
●昨夜一雨降ったもよう。ベランダの朝顔が咲く。赤紫。久しぶりに晴れたので、マット類を洗濯。
●2丁目を歩く。まだ右脚に少し痛み。金蔵寺の西側の谷ではじめて蜩をきく。2丁目のお屋敷に青栗。
●8月月例ネット句会の案内をアップ。
●お中元を送ったついでに天一書房で『フィッジェラルド短編集』(新潮社)を買ってくる。黄色
一色の装丁。関西の店は、お中元配送の無料期間が月遅れのお盆にあわせている。柿安の佃煮と坂角のえびせん。
曇。
蓮巻葉みどりさやけく一葉のみ 正子
今朝ラジオで尾瀬のたよりを聞く
はんごん草鳩待峠へ黄を乱し 正子
●西日本は梅雨が明けた。こちは8月梅雨明けとなりそう。昨日につづき、2丁目を歩く。西量寺は少し小高いところ。門から蓮の葉が見えたので石段を上る。藍色の火鉢数個を利用して蓮を植えていた。蓮の実と蕾があった。火鉢は檀家が集まったときなど使われていたものだろう。
●コロナで疲れたという手紙をもらう。疲れないようにするには、コロナが日常と思わなければいけない。マスクと手洗いの励行、これしか予防手段を持たない。N95のマスクがわが家に少々お守りのようにあるが、まだ出番ではなさそう。
曇。
ふうせんかずら茂るを分けて百合蕾 正子
百合蕾いまだ青きが空見上げ 正子
南風吹けば洗いぬ旅鞄 正子
●西光院から西量寺を通って2丁目の外周を歩く。40分ほどかかる。多分3000歩弱。西量寺の崖下に毎年おしろい花がたくさん咲いていたのに、今年は一本もない。どう気が変わられたのか。すぐ傍の空き地の柵に葛が絡ん蕾がついていると早合点、違う花。期待すればそのように見える。
●ベランダの朝顔に蕾がたくさんついた。少し色が見える。雪の下と間違えたベゴニアが白い花を咲かせる。日本には白を段階的に表す言葉がほんとにないので、とりあえずピュア・ホワイトと呼んでおく。
●高知を旅する二人づれの英語の会話に「Niyodo blue」という語が聞き取れた。仁淀川のみどりの深いブルーを指しているのか。今治タオルのストールに「瀬戸内ブルー」の色がある。実際見ないとその色は口では表現しがたい。歌枕のように地名を織り込んだ色の名前に旅情を誘われる。
曇り。
日吉本町駅
駅前にふうせんかずらは吹かるるよ 正子
ふうせんかずら花は米粒ほど真白 正子
●ふうせんかずらの花がよく咲く。種を垣根からもらってきて蒔いたのがよく育っている。
●外科のリハビリに行く。今日は2回目。「リハビリはいつごろ終わりますか」と理学療法士の先生に聞こうとしたら、「治療計画書は、月一回書きますから。」と言われ、思わず言葉を呑んだ。当分続きそう。
●俳壇8月号が足りなくなったので、5冊追加注文したのが、昨日届いた。
●「くじら」8月号を恵贈される。小西昭夫さんの正岡子規だよりに永野孫柳の特集。松高の機関紙「星丘」の座談会「呉評越評」についてのいきさつがある。「石楠」と「雲母」の違いがあきらか。それを見ると今の俳壇の句は、肩がはっている。軟派なようでもリズムは硬派の印象を持たざるを得ない。
晴れのちくもり
●ようやく晴れて、午前中は気持ちよい風が吹いた。正午ごろから、また曇ってしまった。でも梅雨明けは近いらしい。
●俳壇8月号に掲載された正子5句について、花冠同人の皆さんから温かい応援と思えるようなコメントを頂いた。感謝につきる。
今回は「生活詠」のお題を俳壇からいただいた。8月号ということも考えて、「夏休み」の句を作った。思い出の句というよりも、作っていなかった句という手触り。昨日の出来事として事実がはっきりとしてきた感じだった。始めて作った句から一か月以上の間違う句になったり、表現がずいぶん変容して来て、最終的に今回の5句になった。詠みたいように詠めたことにほっとした。
「夏休み」 高橋正子
夏休み窓を横切る船の音
田溝のぞく子らに吾子いて夏休み
三つ編みも腕も日焼け宿題す
笊にあげ緑さしたる冷そうめん
遠花火草に座りて子供らと
好きな句と感想
〇小口泰與
私の好きな句は「遠花火草に座りて子供らと」です。
お子様たちがまだ小さい時の素敵な思い出が詠まれていて、とても素敵な句ですね。
夜空にまさに花と開く鮮やかさと、一瞬のうちに消えてしまう花火を川岸の草の上からご家族そろって見ているほほえましい光景が目に浮かびます。心が洗われる素敵な句ですね。有難う御座いました。
〇古田敬二
夏休み窓を横切る船の音
夏休みが始まって学校へ行く準備を急ぐこともなく子供たちの朝の騒がしさもなく静かである。そんな時、港から船の音が聞こえる。この音を合図に夏休みの朝が始まる。
〇高橋秀之
どの句も素敵な句ですが、普段の生活になじみが深いこの句を選ばせていただきます。
夏休み窓を横切る船の音
船の音はきっとエンジンのリズミカルな音なのでしょう。夏休みで在宅している窓の外をリズミカルな音が横切っていく風情がのどかです。
〇多田有花
俳壇プレミアシートに掲載された五句、いずれもお子様が小学生時代の夏休みの一コマを詠まれています。「良い俳句は良い生活から」の花冠のモットーが示された秀句と思います。
笊にあげ緑さしたる冷そうめん
夏休みのお昼に冷そうめんはぴったりです。そうめんだけでなく、窓から入る風、蝉の声、庇の作る影、戸外の日差しなど夏休みを形作るさまざまなものが目に浮かんできます。自分自身の小学生の頃の夏休みの日々も思い出されました。
〇桑本栄太郎
どの御句も誰にでもある自身の夏休みの想い出、あるいは子供が小さな頃の夏休みの想い出が凝縮され、懐かしくも微笑ましい御句ばかりです。その中でも特に下記の句に惹かれました。
田溝のぞく子らに吾子いて夏休み
夏休みともなれば、近所の子供たちはそれぞれ手網(たも)を持ち、近所の田の溝川へ小魚掬いです。その中に、吾子もいて夏休みを楽しんでいます。
笊にあげ緑さしたる冷そうめん
一瞬戸外の緑蔭のもとでの、そうめん流しを想起しました。流れて来る白いそうめんも緑に映えています。子供らも嬉々として楽しみ、良い夏休みの想い出です。
〇廣田洋一
どの句も、夏休みの楽しい思い出を呼び起こす素敵な句ですが、特に下記の句に惹かれました。
笊にあげ緑さしたる冷そうめん
夏は、よく昼食に冷そうめんを食べるが、「緑さしたる」とあるので、屋外で流しそうめんをしてると思いました。緑に囲まれた庭で、子供らが歓声を上げながらそうめんを掬ってる景色が見えてきて、夏休みらしい楽しい句だと思います。
〇藤田洋子
夏休みならではのお子様とのお暮らしから生まれた5句、どれもとても好きです。とりわけ
「遠花火草に座りて子供らと」
〝草に座りて〟に、夜空の花火との遠近感とともに、初秋の夜気の静けさを確かに感じとれます。お子様と寄り添いながら眺める遠花火の、叙情豊かなひとときです。
〇川名ますみ
誰もが想い出す景色を、誰にも思いつかない意外な視点で詠まれていて、はっといたしました。「音」が横切る窓、「子ら」の中の吾子、「三つ編み」の日焼け、優しくも鋭敏なまなざしを感じます。
遠花火草に座りて子供らと
高台の原っぱでしょうか。花火大会を見られる近所の穴場にいらした、ご家族が浮かびます。喧噪から距離を置き、夏草のエネルギーにふれながら、花火を楽しまれたのでしょう。遠くに望む打上花火と、草に座る感触、家族の笑み、遠近に渡る五官が優しくつながります。
〇吉田晃
素晴らしい五句、何度も読みかえしております。特に「遠花火」のくは大好きな一句でして、私もこのような句が詠めるようになりたいと思っているところです。正子先生の新しい作風をみたような気がしてうれしく思っております。
〇柳原美知子
家庭のあたたかさ、親子で自然と触れ合いながらゆったりと過ごす夏休みの豊かさが感じられる「夏休み」の5句です。懐かしい気持ちで読ませていただきました。
好きな句は「遠花火草に座りて子供らと」「三つ編みも腕も日焼け宿題す」です。
「遠花火」の句は闇の中に静かに開く遠花火を水の匂い、草の匂いに囲まれて、無言で見つめる親子の息が聞こえてきそうです。自然の中で、ゆったりとした気もちになって親子で過ごす至福のひとときですね。
「日焼け」の句は幼い頃の句美子さんの姿が彷彿とされます。元気に日焼けし、少し逞しくなった我が子の成長を見守る優しい母の視線が感じられます。
〇祝 恵子
高橋信之先生、正子先生、いつもお世話になりありがとうございます。20日俳壇8月号いただきました。正子先生の句の掲載、おめでとうございます。ハガキもありがとうございます。
両先生どうぞご自愛くださいませ。
午前中晴れ。昼過ぎから本降りになったり、止んだり。
●朝晴れたので、信之先生を床屋に行くよう促す。昼をすぎてやっと腰があがる。雨が降り出したが、決行しついて行く。行くには行ったが、行きつけの床屋は、しばらく休みとある。ここはずいぶん前から休んでいる。数軒先の床屋へ。ここも休み。引き戻り近くの喫茶店へ。コーヒーとマドレーヌを頼んで雨宿り。多分、コロナのせいで床屋は休業なのだ。
降ったり止んだり。時に大雨。
●句美子さんと友宏さんが昼過ぎ来る。4人で昼食後、3時半投句締め切りで句会。友宏さんはオフ句会は初めて。お盆に「玉蜀黍、新さつまいも、オクラ、茗荷の子、トマト」を載せて嘱目吟。
●句美子たちが、麩まんじゅう、若鮎の上用、杏子のしずくをお土産に持参。
●昼食は、コープの鰻で鰻丼。コープの鰻が絶えないように、鰻養殖の研究費用にと1000円募金をしたことがある。
3点句
もろこしの粒光けり朝の風 友宏
とうもろこし鞘の緑の幾枚も 正子
2点句
朝涼し高野豆腐が水の中 信之
まん丸いトマトに水滴こまやかに 正子
袋いっぱい買い物帰りにセミの声 友宏
ひまわりの背は低くくもり空 句美子
卓上の茗荷の子にも朝が来る 信之
卓上にどっしりと載る唐黍は 信之
1点句
茗荷の子ころんと机に転がされ 正子
食卓にごろんと並ぶさつまいも 友宏
お茶注ぐ氷の音が響く昼 友宏
とうもろこしそろった粒のつやめく黄 句美子
新甘藷ようやく太り紅色に 正子
その他
青梅の香り漂う昼休み 句美子
青梅の茶化し持ちて夫喜ぶ 句美子
せみの声大きく響く昼下がり
トマトの皮まだ緑色そっと置く
唐黍のどの一粒も輝きを
ぎっしりと鞘に包まれ唐黍は
西山があれば西よりみんみん蝉
雨。
西山があればみんみん西に鳴く 正子
みんみんの鳴きはじめより力あり 正子
玉蜀黍皮の緑の幾層にも 正子
●みんみん蝉がよく鳴く。
●明日、友宏さん、句美子が来るので句会。俳句は作ってこないでよいと伝える。来てから作り方を教えて、それから句会にするからと。
雨。夕立かと思ったら本降り。
●「自由な投句箱」のアクセス数が倍以上に急上昇。理由は不明。「自由な投句箱」の閲覧人数は限られていると思えるが、今日のアクセス数はおどろき。
●整形外科のリハビリを受ける。10分ほどで終わった。療法士の先生が歩き方を見て、右脚を動かすよう脳に刺激を与えるストレッチのようなことだった。リハビリは、気合を入れて根性でやる必要はないからとアドバイスをくれた。家での運動を教えるから、思いついたときにやるようにと。
●石楠の亜浪が言っている「俳句即人間道」。この「人間道」って、どういうことかと改めて思う。先日買った「菜根譚」は、処世訓の書として知られているが、内容には、俳句に通じることが多くある。人間道とは、人間らしく生きることなんだろうなあと。じゃ、「処世訓」とは、なにか。「菜根譚」の中心となる思想は、「中くらい」。俗のことを知りすぎるのもよくないとある。「処世」というと、俗の世を上手くわたる方法と思うが、方法というより、かかわり方なのだろう。宇宙観のようにも思える。「よい生活から良い俳句を」「細く長く」の花冠のモットーも、「平明な言葉を使う」はすべて「菜根譚」にある。