8月19日(水)


曇。

つくつくほうし面白がらせてふいに止む 正子
つくつく法師つくつく鳴けりかき氷   正子
朝顔の花に花の影があり        正子

●つくつくほうしがよく鳴く。ひょうきんな。
●夕べは、1度か2度ぐらい気温が下がり、眠りやすくなった。
●暑中お見舞い、残暑お見舞いの葉書を出さなくなった。にもかかわらず、これらの葉書をいただく。ここのところ、ぽつぽつと残暑見舞いの葉書がとどく。どのはがきもやさしい文面。そういう人柄の人こその葉書と思う。はっきり日付に「秋」と書いてあるのもある。

●インタバルな歩き方をラジオで指南していた。3分速歩き、3分ゆっくり歩くを1度に5回繰り返す。これを一日3回行う。5か月続ければ、10%の体力が増強。つまり、体力がほぼ10歳若くなる。一日1回ならやれそう。それでも毎日は難しいかも。人間は下半身の筋肉が大部分なので、歩くのが良いらしい。

8月18日(火)


曇り。きのうは浜松で41.1度。

すすきの穂若きみどりのみずみずし  正子
葛の花山に向かえば匂いたち     正子
まんぜんとしていてつくつくほうし哉 正子

●うばゆりがよく咲いている。昨日のほうが多かったかも。今朝は、散った花もある。うばゆりは、目に涼しい。帰省の道すがら、松山から尾道大橋へいくまでに法面にたくさん咲いていた記憶がある。海が近いから海風に揺れている。山のうばゆりもいい。前に富士登山をしたとき、河口湖の周辺の松林だったと思うが、うばゆりがまばらに咲いて揺れていた。うばゆりはびっしり群生しないで、あちこちにちらほらと、しかも広く咲く。

●今朝、5丁目の丘へ。昨日とは別の家に、茄子の牛、きゅうりの馬を見た。いつしまうのだろう。胴に白い紙を括り付けている。お金を包んでいる感じだ。三途の川の渡し賃かも。

8月17日(月)


曇。今日も朝から31℃

●目が覚めたのは5時27分。この時間なら日差しを避けて散歩に行けると思い、5丁目の丘へ出かける。2か月ぶりの5丁目。道端に茄子と胡瓜の牛と馬が残っている。2件そんなところがあった。坂にさしかかると花のいい匂いがする。なんだろうかなあと歩き進むと、鯛ケ崎公園のはずれに木にからんで葛の花が見えた。たくさん咲いている。花を一つとってお土産にした。もうひとつと思って手繰り寄せると、花がちってしまった。

貸農園に行くと、野菜は青息、吐息。ミニトマトがすがるように生っている。この貸農園、茂っていたことがない。自然農法とはいえ、手入れをしているんだか。ただ、さつまいもだけが元気。小さい青いあさがおが、案内板に巻き付いて咲いていた。

暑くて、霞んで、みなとみらいも、富士山も全く見えなかった。そんなに歩かなかったとおもったが、40分ほど歩いていた。

●5丁目の丘でつくつく法師を今年初めて聞く。家の近くで鉦叩は数日前から。燕は帰ったらしい。

●午後井田病院へ。信之先生の半年に一回の検診日。

8月16日(日)


晴れ。

●朝から暑さが厳しい。昨夜はあまり暑いので眠れず、夜中に起きて残り湯のお風呂に入る。2時半というのにまだ十分温かかった。朝顔、朝9時を過ぎたのに咲かずにまだ蕾。

●俳句年鑑の結社動向の原稿を書き始める。

8月15日(土)


晴れ。

●朝顔が咲いているのを見るのが楽しみ。一日で終わる花は、翌朝には、きのうよりもたくさん花をつけている。猛暑つづきだが、朝顔の風情は秋。日陰に置いたら昼過ぎもしっかり咲いている。

●角川俳句年鑑2021年度の原稿依頼を受ける。これが、夏の一行事。年鑑の仕事は、①俳人住所録の確認(8月31日締切),②結社動向(9月8日締切)、③信之自選5句。(未着)④広告(9月25日締切)となっている。

●年鑑の原稿依頼に混じってもう一通原稿依頼がある。これも年鑑関係と思い、封を切らずにいたが、冷蔵庫にぶら下げた封筒、何か違う感じと思って封を切った。髙橋正子宛で、「今日の俳人」に7句の原稿依頼。晴天の霹靂。海野さんが編集長の時代は松山の自宅までお越しいただいたが、その後は全然縁がないのに。ましてや私など。

●生クリームをもらった。どうしようかとして思いついたのが、アイスクリームにすること。
牛乳と混ぜて1500mlくらい作って、プリンの空き瓶10個ばかりに詰めて冷凍庫にストック。まろやかで味しいです。

●将棋の藤井聡太棋聖がおやつに食べたという八雲の八丁みそまんじゅうを買ってきた。豊橋でつくられている。白あんに八丁みそが練り込んで、皮は黒糖。みそまんじゅうだけあって、塩味がきいて、夏場にはいいかもしれない。藤井棋聖は高校生ながら、和菓子、和食がお好きなようだ。

●下の妹がお茶漬けを送って来た。お茶漬けとは言うものの、たらこだの、鯛、鰯、穴子、河豚、などの魚が焼いたり味付けした薄い一切れが入っていてびっくり。主には鞆の浦の魚だが、工場も工夫が肝心と見える。海鮮出汁の尾道ラーメンを開発した珍味の会社。

8月14日(金)


晴れ。

●脚の痛みがほとんどなくなった。痛いと年寄りそのものだった。治るのに5か月かかるといわれていたのに、これは、どうした? 痛みがなくなったら、自然に体が動く。拭き掃除に、ついでに調子に乗って窓掃除。汗、汗、汗。

●会社がきょうは休みだと言って句美子がマカロンを持ってのぞいてくれた。お盆にみんなが集まらないので、梨やシャーベットなど美味しそうなものを持たせる。ごちそうはないので、炊き立てご飯のおにぎりと卵焼きを急いで作って持たせた。

8月13日(木)


晴れ。

●朝からネットが繋がりにくく、夕方になり少しネットができる。

●暑さで、薔薇が弱っている。北側の玄関側に置くと、少し元気になる。ベゴニアも同じ。日焼けたようになっている。これも北側へ。

8月12日(水)


晴れ。

●朝いちばんに涼しさを誘うのは、朝顔。ルドベキアの少し弱りかけた黄色い花を覆うかのようなトレニアの紫、風船蔓の白いたくさんの花。朝起きると温度計は30度。

●朝いちばんの仕事に残暑お見舞いを数枚書く。夏休みがどうなっているのかわからないが、孫にもカードを送る。

●このところ、世の中に漱石はずいぶん登場しているが、鴎外は話題になってないような気がする。今朝の朝日の広告で独文学者の小塩節先生の『随想 森 ?外』が青娥書房から出版されている。

●朝食は、だれも起きてこないので、昨日作って置いたコーヒーゼリー。ホイップしてある明治のクリームを少しかける。いつも水分不足を指摘されるので、自分で作っている水出し緑茶。7粒の錠剤。

8月11日(火)


晴れ。朝6時の室温30℃。下弦の月は明日。

初秋の朝の下弦の月の白    正子
朝顔の揺れてひらくと紅澄みぬ 正子

●神宮歴を見る。旧盆は9月2日。十五夜は10月1日。十三夜は10月29日。二百十日は8月31日。二百十日が8月で、ちょっと勘が狂う。

●ふうせんかずら、蔓がどんどん伸びるが、いっこうに実がならない。花は五弁で、3個ずつ。

●山本健吉著『ことばの歳時記』の「夜の秋」のところを読む。
<「夜の秋は、明治以来の季語だと書いたら、大野林火氏から、それは何に拠るのか、明治時代の主な句集に見当たらない言って、大正八年の
 尿(いばり)やるまもねむる児や夜の秋 飯田蛇笏
以下の句をあげ、大正以来とすべきかと言った。私は、明治以降の近代俳人が言い出した季語だという意味で、かならずしも明治に始まったと言ったつもりではなかったが、こう開き直られると、も少し古い用例はないか、という気持ちになった。
 楠本憲吉君が探し出してくれた古い例句は、
 粥すゝる杣が胃の腑や夜の秋 石鼎
という、大正二年の例である。明治にもう一歩である。楠本君はいろいろ博くさがしたらしく、これを初出とすべきか、と言っている。>

「明治以降の近代俳人が言い出した季語」の「明治以降」というのは、林火でなくても、私でもちょっと乱暴と思う。俳句の近代化のなかの大正という時代もあるでしょうし。

8月10日(月)


曇。山の日。

●8月月例ネット句会の入賞発表。いつもは、当日の夜、入賞発表するが、今回は、予定の正午発表の少し前の発表になった。昨日の夜に発表をするには思考回路停止状態で、
疲れ過ぎていた。

●ネット句会に「炎昼の街に日章旗立ててあり」の句があった。炎昼に日章旗を立てるのは、なんの国民の祝日かと考え込んでしまった。炎昼の祝日は、7月20日の海の日、8月10日の山の日なのだが、広島や、長崎の原爆の日にも立てる人がいるのかと、疑問に思った。「日章旗と言えば戦争」の図式だけでいいのか。前に国連の企画で山の日の山頂リーディングを富士山で行ったとき、海外駐在が長い花冠同人が日の丸を持ってきてくれた。私は思いつかなかったが、それは、「日本」をアピールする、日本の目印だった。平和的だと思う。