曇
谷戸口に樹齢いくばく栃の花 正子
花嫁が混じりておりぬ夏電車 正子
●昨日、港の見える丘公園へ行った。中華街駅を出て「やとさか」へ出ると、目の前のフランス山の登り口に栃の大樹に白い花が湧き立つように咲いていた。
きのう、自分でも栃の花の句を作ったが、今日ネットで栃の花を検索して、久女の句に出会った。久女の句は全く読んだこともなかったのだが、こういうこともあるのかと、あまり驚きもしなかった。久女の句に「ぞ」があるのは、彼女の芯の強さ。自分に無いところと気づいた。
仰ぎ見る樹齢いくばくぞ栃の花/杉田久女
●フランス山。きのう登った。登り口に栃の大樹が2本ある。円錐花序の白い花に、赤みがかった色が見える。フランス山の麓なので、マロニエかと思ってぶら下がっている樹木札を確かめたが、「栃の木」と書いてあった。マロニエ(西洋栃の木)の実には棘があるとのこと。マロニエではないかと、疑いを持つ。こんど秋に来て確かめよう。階段を上った。麓に梅花ウツギが咲いている。階段で結構人とすれ違った。頂上に着くと、例の風車が立っている。都忘れ、蔓桔梗、薄紫や紫のパンジーで、一面薄紫色がひろがっている。その中に石楠花がの白い花や赤い花が花びらを透かせて咲いている。かつて井戸水を組み上げた風車が一基。三色旗の色に羽が塗られているというが、オレンジ色っぽくて、よくわからない。今も水をくみ上げているらしい。フランス山からばら園へ出た。
ばら園は、コロナで2年は開園されなかったと思う。何年か前、この薔薇園の続きのポートヒルホテルで一泊して水煙大会をした。レストランのフルコースもよかったが、港の丘の場所がよかった。そのときより薔薇園が整備されている。アーチやパーゴラが作られたり、薔薇の手入れも行き届いている。
ばら園の端から港が見える。この日は、港は霧で真っ白だった。手前に氷川丸の煙突と黒い船尾、向こうの大桟橋に停泊している客船の煙突はくっきり見える。写真に撮ろうとしたが、スマホのカメラが動かない。(家に帰って再起動したら動いたが。)せっかくの景色も、薔薇も噴水も撮ることができなかった。しなしながら、残念という気持ちもそれほど湧かなくて、目に映ったものだけ、記憶して、ばら園を出た。すぐ近くの近代文学館では吉田謙一展が開かれていた。ポスターに吉田謙一のフランスの文学者っぽい風貌の半身写真があった。寄り道をするには時間がなく、文学館には寄らないで帰った。
港の見える丘に来るとき、中華街駅を出ようとしたら、白い花束をもった男性が改札へ向かって階段を急いだ。間もなく、白いドレスの裾を摘んで、花嫁が現れた。電車に乗る花嫁。みんなどんな視線を送ったのだろうか、それとも無関心だったのだろうか。ともかくも、花嫁が電車に乗るくらい、いい季節なのだ。
曇、ときどき晴れ。
谷戸口に樹齢いくばく栃の花 正子
●午後すぐ、用事で横浜ゲートタワーに行く。みなとみらい線の新高島下車.
このビルは去年できたばかりで3階がシェアオフィスになって、ここに用事。新高島駅の出口1をまっすぐまっすぐ上り、まっすぐ歩きビルに着く。出口を間違えれば、迷うことになる。
受付らしいものはないが、英語の看板のあるどこかの会社らしいカウンターに女性が二人。ここで聞くしかないと思い、「お尋ねしてもよろしいでしょうか。」と自分では普段言わない日本語を話してしまった。「誰べえです。」というと「うかがっております。」と言ってGUESTと書いた首から掛ける名札をくれた。ここは受付なのかもしれない。しばらくロビーで待って事務所の人と会った。
さっき、「お尋ねしますけど、」と言おうとしたのだが、ちょっと躊躇したとたん、テレビで聞く妙な日本語「お尋ねしてもよろしいでしょうか。」と言ってしまった。まるで英語のCan I ask you ,,,? の直訳のような言い回し。聞いていいかどうか尋ねて物を聞く。どうしてそこまで気を遣う、ゆきすぎ。
信之先生によく聞き返される。耳が遠いせいもあるのだが、譲らない相手に対して、こちらとしては、言い方がまずかったかと言いなおす。たびたびなので、自分の話した日本語が通じているかどうか、非常に気になる。それに、毎日のように自分の俳句を推敲していて、だれかの俳句も添削していて、だれかの言葉に深く入り込んで、それらは普段話す言葉ばかりではないから、普段話す日本語がおかしくなっているのではと、ひょっと思う。
●ゲートタワーでの用事が終わって、帰ろうとすると、帰り道を案内してくれた。「ありがとうございます。いえいえ、来た方の電車に乗りますから。」「えっ。」「港の見える丘公園に薔薇を見にいきますので。家には帰りは5時と言ってありますから。」事務所の人はにっこり。ここまで来て、薔薇を見のがすことはないので、来た方の下り電車で終点、元町中華街まで乗った。
晴
玄関に立夏のアロマよく匂い 正子
薔薇活けてざっくりと敷く白リネン 正子
更地の畑きぬさや豌豆すずなりに 正子
●今年はアブラムシが全然いない。こんなに全然いない年は経験したことがない。逆に、大丈夫かなとも思う。薄暑といいながらも、空気がひんやりしている。わが家のミニミニ薔薇がよく咲くのはいいけれど。
●You Tubeに『バカの壁』の養老孟司先生の「生活の知恵」と言う講演を切り取ったような話が出現したので、数話聞いた。禅問答のような話もあるが、つい聞いてしまう。口癖は、「そうでしょ」。これで同意し、納得させられているのかも。それに落ちとして「虫」が出て来る。
●髪が落ち着かないので、カットしてもらう。前のカットからちょうど1か月。正直な髪の伸び具合。出かけたついでに、暑くなりそうなので、無印でTシャツを1枚買った。あまり似合っているとは言えないが、いいことにして。太番手の木綿の少しざっくりした生地。
晴れ
●日吉東急にあったヤマダ電機がなくなって、エディオンが新しく離れたところにできた。午後、ひとり、店の見物に出かけた。もっぱら2階のデジタル製品だけ2時間ほど見た。電子ピアノ、ステレオ、パソコン、カメラなど。
目新しいデジタル製品がある。電子メモ、クーピーのデジタルペン、リングライト、双眼鏡、面白いデジタルカメラ、ピントが自動で合う老眼鏡。いろいろ見ると、デジタル化に体が追いついていない、取り残されている感じがだんだん強まってきた。電子ピアノやキーボードが楽器店ではなく、電器店で売られている。ステレオがそうだから、それもそうかもしれないが。
電子ピアノに楽譜が置かれていたので、どんな音か弾いて見た。「エディオンマーチ」の楽譜だった。外に出ると広い駐車場、そしてすぐには高架を東横線が走っている。高架を潜り、徒歩でバス通りに沿って帰る。歩いているうち、デジタルの世界から少し解き放たれた感じになった。バス通りは家並みの若葉や花が輝いている。煉瓦造りのアパートが建設中。わが家のあたりはどの家も薔薇が満開。
●菖蒲を買ってきたので、今日菖蒲湯を立てる。
晴れ
薔薇咲いて改憲論の処々に湧き 正子
ばら剪りぬ真新しき軍手はめ 正子
薔薇咲いてとろとろ煮えるカレー鍋 正子
●まだ「ウィーン」が頭に残っていて、なんとなくgoogleのヨーロッパの地図を開いた。ウィーンは私が思うよりいつも東にある。ウィーンの位置がなかなかインプットされない。ドナウ河が流れ、東欧はすぐ。
●松野苑子第3句集『遠い船』を読み、礼状を認めた。苑子さんは1947年山口生まれ。
「身体感覚が詩的に浄化され一句となっているのが目立つ。自分のある一線を崩さず詠みっきっているのは素晴らしい。母を亡くしたり、乳がんの手術を受けたりと、沈みこんだ時を時の経過とともに尊さが増してきている。」
『遠き船』より好きな句(15句)
小鳥屋の百の扉や冬日中
摘草のときどき横の姉を見て
夜は星吹き出してゐる葱畑
夏蒲団と私の体との隙間
海底に沈みゆくごと髪洗ふ
春の日や歩きて遠き船を抜く
風鈴や山に山影ぶつかりて
指入れて指長くなる泉かな
草笛に草の味してまだ鳴らず
見舞ふたび命減りゆく母や春
息せねば母は骸や夏の月
父母亡くてこの世よく晴れ蒲団干す
桜ふぶき人のかたちを消してゆく
礼状に桃描く桃の香の中に
菜の花の大地の起伏光りあふ
曇、ときどき晴れ
かしわ葉のやや朽ち色に柏餅 正子
透きとおるまでわらび餅火を入れて 正子
花あけびいつも斜め上にあり 正子
●ネット短信No.379を発信。
5月月例ネット句会の案内、花冠7月号の投句依頼。
●奥の細道むすびの地記念館『共鳴』4月号(星野勝選出)より
落葉掻く匂いを立たせ園丁ら 髙橋正子
雲雀鳴く空広く町つつましき 小川軽舟(鷹)
天窓に日の射し来る七日粥 名村早智子(玉梓)
人来るたび榾を足しゐる除夜焚火 伊藤政美(菜の花)
春渚一歩に波の転げきて 和田順子(繪硝子)
みちのくや雪に寝る夜の雪の夢 名和未知男(草の花)
くもり
若葉冷ゆラジオにリート流れいて 正子
ベランダにミニばら溢るを幸として 正子
薔薇を食う青虫小さし憎まれず 正子
●青葉が冷えている。今朝のラジオの音楽の泉は、シューマンの「詩人の恋」。今日から5月ということで、シューマンの歌曲が選ばれたのかなとも思った。夕べから、ネットサーフィンで曲を付けられた詩をいろいろ見ていた。偶然とは言え、5月はそんな月なのか。ロマン派の詩に舞い上がっては俳句ができない気がして、ほどほどでサーフィンは中断。根本的に違うんだ。
晴。
鯉のぼり夜は平らかに垂れさがり 正子
菖蒲あおあお四年生へ送る荷に 正子
薔薇挿して水のかがやくガラス瓶 正子
●気温は15度ぐらい。ミニミニバラがあふれるように咲いた。棘があるのが難点。ベランダにはこのミニミニ薔薇で十分と思うほど満足させてくれる。今年はアブラムシが来ないので大助かり。アブラムシが来ないのは初めてのことではないか。小さい青虫を2匹取っただけ。
●明日は稲荷ずしと巻きずしを作ることにして粗方準備した。巻きずしはごぼうを入れて田舎巻きにしようと思う。そら豆のシーズンなのでそら豆をなにかに。
●シューマンの「献呈」は、詩人リュッケルトの詩に曲を付けたものと知った。にわかにリュッケルトに興味を持って、ネットにWidmung(献呈)の歌詞があったので、日本語訳を頼りに読んで、そのあと訳を外して読んで見ると、そのドイツ語、私にも理解できる。韻もたしかに踏んでいる。
●"Widmung"
Du meine Seele, du mein Herz,
du meine Wonn', o du mein Schmerz,
du meine Welt, in der ich lebe,
mein Himmel du, darein ich schwebe,
o du mein Grab, in das hinab
ich ewig meinen Kummer gab!
Du bist die Ruh, du bist der Frieden,
du bist vom Himmel mir beschieden.
Daß du mich liebst, macht mich mir wert,
dein Blick hat mich vor mir verklärt,
Du hebst mich liebend über mich,
mein guter Geist, mein bess'res Ich!
曇、ときどき小雨
●久しぶりに「俳句添削教室」に投句があった。長らく投句がないので、「Timber Room (元俳句添削教室)」と名前を変えて、正子用に使おうとしていたところだった。夕方、投句者から電話があって、いろいろ説明した。
くもり、ときどき晴れ。
●松野苑子さんから第3句集『遠き船』(角川書店2022年4月発行)が送られて来る。角川賞受賞作者の句集。370句。
●『ウィーン愛憎』を、読み終わる。この本は読んだことがあると、思い出した。筆者の妻が病気で、2階に住むアメリカ人家族が騒がしいので注意に行った。わかりましたと言ったものの、いっこう騒ぎを止めない。翌日玄関前に、花束とお詫びの手紙があったと言う話を覚えていた。実は息子の誕生日だったのでということだった。
『ウィーン愛憎』は筆者がウィーン大学に留学していたときに遭遇した出来事を文明批評的に書いている。すでに、半世近く前の話で2度も3度も読む話ではない。なのに、「ウィーン」に魅かれて手にした自分をどう見ればいいのだろう。
この本が書かれたころの出来事を思い出した。
ウィーン大学から若いヴィレ先生が東大に来ておられ、愛媛大学に集中講義に来られた。ちょうどそのおり市民会館でコンサートがあり、ヴィレ先生と、信之先生と、私でコンサートに行った。コンサートが終わり、外に出た私はさっさと二人より先を歩いた。ヴィレ先生が慌てて追っかけて来て、私にコートを着せてくれた。そのあとを、信之先生が、オーッと言いながら、慌てて来た。ウィーンでは、夫は妻にコートを着せるのが、今も礼儀と見える。ヴィレ先生はウィーン流を守ったのか、それとも、ウィーンの礼儀や習慣をドイツ語教師の信之先生に教えてくれたのか。帰宅して、信之先生は、「そんなことできるか」と嘯いていた。今も、落ち着かない感覚が肩のあたりに残っている。