12月21日(金)/冬至


★柚子の香に頬のほのかに温まる  正子
お風呂でぽかぽかと、身の回りに柚子を浮かしては手に取り、香りを楽しんでおられます。(祝恵子)

○今日の俳句
一しきり霰の音を硝子戸に/藤田洋子
急な冷え込みに、霰が一しきり降り、硝子戸を叩く。家居の静かさを驚かす天気の荒れに、冬の緊張がある。「一しきり」が詩情を生んだ。(高橋正子)

○柚子湯
★柚子湯して妻とあそべるおもひかな/石川桂郎
冬至には、かぼちゃを食べて柚子湯(柚子風呂)に入る、とういうのが決まった冬至の過ごし方だが、子どものころは、かぼちゃは夏に収穫したものを冬至用にとっておいたのを煮て食べさせられたので、おいしいはずもなかった。柚子風呂は、子どものころの記憶にないが、冬のあいだは、食べた蜜柑の皮を布の袋に入れてお湯に浮かしていた。これでもよい香りがしていた。結婚してからは、柚子を買ってきて柚子風呂をたてている。子どもたちはぷかぷか浮く柚子をボールのようにして面白がったが、私も浮いている柚子をあっちへやったり、こっちへ寄せたりして楽しんでいる。そうすれば、一句浮かぶか、という算段でもある。

○蒲の穂絮

[蒲の穂絮/東京白金台・自然教育園]   [空を飛ぶ蒲の穂絮/東京白金台・自然教育園]

★天をとび樋の水をゆく蒲の絮/飯田蛇笏
★浄水の放流蒲の絮も翔(か)く/品川鈴子
★蒲の絮飛び立つ風のありにけり/石平周蛙

★蒲の穂絮ひっきりなしに吹かれ飛ぶ/高橋正子

20日、良い天気。白金台の国立自然教育園へ信之先生と出掛けた。この時期は、花はほとんどなく、実物と呼ばれるものが多かった。冬紅葉も四季の森、綱島市民の森とまた違った趣があった。ハリギリ、イヌクワ、こなら、あぶらちゃん、ごんずい、いろはもみじ、おおもみじなどが黄葉していた。実は、浦島草、むさしあぶみのサトイモ科の珍しい実も見つけた。多いのは、万両、千両、藪柑子。からたちばなの実は、ようやく一つついていた。きちじょうそうという藪蘭に似た植物も、薄紫の藪蘭のような小花と南天ほどの赤い実がついていた。きちじょうそうは、葉を触ると、やわらかく、しなやかだ。水生植物園では、蒲の穂絮が蒲の穂を離れ、ひっきりなしに飛んでいた。水に落ちたものは、水に浮いている。蒲や葦のなかに小鳥が良く鳴いていたが、名前がわからない。水生植物園の出口では、サルトリイバラの実も見つけた。また、さね葛も随分大きな赤く熟れた実を付けていた。水生植物園を出て、武蔵野植物園へ回ると、藤袴、おとこえしなどは、名札のみが立って、葉や茎など見分けがつかなかった。ただ、竜胆は、蕾のまま立枯れて、わずかに薄紫が残っていた。この植物園は、こならが多いのかもしれない。どんぐりがおびただしく落ちて、踏まれてか、土にめり込んでいた。結構いろいろな植物を見た年末であった。

 ガマ(蒲、香蒲、学名:Typha latifolia L.)は、ガマ科ガマ属の多年草の抽水植物である。円柱状の穂は蒲の穂と呼ばれる。北半球の温暖な地域やオーストラリアと日本の北海道から九州の広範囲に分布する。池や沼などの水辺に生える。葉は高さ1-2 mで、水中の泥の中に地下茎をのばす。夏に茎を伸ばし、円柱形の穂をつける。穂の下部は赤褐色で太く、雌花の集まりでありソーセージに似た形状である。穂の上半分は細く、雄花が集まり、開花時には黄色い葯が一面に出る。風媒花である。雄花も雌花も花びらなどはなく、ごく単純な構造になっている。雌花は結実後は、綿クズのような冠毛を持つ微小な果実になる。
 蒲の穂絮は、ガマの果穂のことで、多数の小さい果実の集まりである。長い白い毛をもった実が風に乗って舞うようになる。この果実は風によって飛散し、水面に落ちると速やかに種子が実から放出されて水底に沈み、そこで発芽する。 また、強い衝撃によって、種が飛び散ることもある。

◇生活する花たち「実葛の実・池に浮く蒲の穂絮・千両」(東京白金台・国立自然教育園)

12月20日(木)

★木賊生う地より突き立つ濃き緑  正子
木賊という植物の名と実物とは、私の中で一致してはいなかったのですが、濃い緑でまさに地より「突き立つ」さまのこの植物には確かに見覚えがあります。茎はぎざぎざしていて、竹のように節があって、子どもの頃それで遊んだようにも記憶しています。「木賊」だったのですね。 (小川和子)

○今日の俳句
冬椿蕾結べりきっぱりと/小川和子
冬椿の蕾の固さが凛とした空気に「きっぱりと」した姿を特に印象付けている。(高橋正子)

○枇杷の花

[枇杷の花/横浜日吉本町]

★枇杷の花咲くや揚屋の蔵の前 太祇
★枇杷の花鳥もすさめず日くれたり 蕪村
★輪番にさびしき僧やびはの花 召波
★職業の分らぬ家や枇杷の花/正岡子規
★人住んで売屋敷なり枇杷の花/高浜虚子
★枇杷の花しくしく氷雨下りけり/臼楕亞浪
★枇杷咲いて長き留守なる館かな/松本たかし
★誰か来さうな空が曇つている枇杷の花/種田山頭火
★忘れゐし花よ真白き枇杷五瓣/橋本多佳子
★枇杷が咲く金の指輪の指細り/三橋鷹女
★人影のあとの供華清し枇杷の花/中村汀女
★かたまれることは倖せ枇杷の花/神蔵器
★ほころびてあたたかさうな枇杷の花/片山由美子

 ビワ(枇杷、学名: Eriobotrya japonica)は、バラ科の常緑高木およびその果実。冬、枝先に帯黄白色の五弁の小花をつける。目立たない花ではあるが芳香があり、この季節に咲く花としては趣がある。
 中国南西部原産。英語の「loquat」は広東語「蘆橘」(ロウクワッ)に由来する。日本には古代に持ち込まれたと考えられている。またインドなどにも広がり、ビワを用いた様々な療法が生まれた。中国系移民がハワイに持ち込んだ他、日本からイスラエルやブラジルに広まった。トルコ、レバノン、ギリシャ、イタリア南部、スペイン、フランス南部、アフリカ北部などでも栽培される。
 葉は互生し、葉柄は短い。葉の形は20cm前後の長楕円形で厚くて堅く、表面が葉脈ごとに波打つ。縁には波状の鋸歯がある。枝葉は春・夏・秋と年に3度伸長する。花芽は主に春枝の先端に着く。花芽は純正花芽。花期は11~2月、白い地味な花をつける。花弁は5枚。葯には毛が密に生えている。自家受粉が可能で、初夏に卵形をした黄橙色の実をつける。果実は花たくが肥厚した偽果で、全体が薄い産毛に覆われている。

◇生活する花たち「冬椿・山茶花・帰り花(つつじ)」(横浜・綱島)

12月19日(水)

  藤沢
★栴檀の実に藤沢の白き雲  正子
旧東海道五十三次を歩かれた折、藤沢宿にての御句と存じます。葉の落ちた栴檀の木に、黄熟した実が残っています。しかしその実は高木に生り、冬空を仰がなければ、なかなか視界に入りません。栴檀の実が心にとまる折、景色は決まって空と一緒。「藤沢の白き雲」には、少し遠出をなさり、歴史に想いを馳せるまなざしが窺われ、広々とした心地になります。 (川名ますみ)

○今日の俳句
冬晴れて登ることなき山のぞむ/川名ますみ
冬晴れに高い山が望める。その山に自分は決して登ることはできないが、その山の姿のすばらしさに、登ることはかなわないが、せめて心だけでも登ってみたい思いや憧れがある。(高橋正子)

○冬椿

[冬椿/横浜西綱島]

★火のけなき家つんとして冬椿/小林一茶
★海の日に少し焦げたる冬椿/高浜虚子
★鶴とほく翔けて返らず冬椿/水原秋桜子
★まだ明日の逢はむ日のこる冬椿/中村汀女

★冬椿蕾ゆるきは肥後らしき/高橋正子
★誰からも見えぬ方向き冬椿/高橋正子
★冬椿鉄条網を隠しあり/高橋正子
★冬椿小さき白には青空を/高橋正子

 冬に咲く早咲きのツバキ。寒椿(かんつばき)。[季]冬。
 椿は、花が美しく利用価値も高いので万葉集の頃からよく知られたが、特に近世に茶花として好まれ多くの園芸品種が作られた。美術や音楽の作品にもしばしば取り上げられている。18世紀にイエズス会の助修士で植物学に造詣の深かったゲオルク・ジョセフ・カメルはフィリピンでこの花の種を入手してヨーロッパに紹介した。その後有名なカール・フォン・リンネがこのカメルにちなんで、椿にカメルという名前をつけた。19世紀には園芸植物として流行し、『椿姫』(アレクサンドル・デュマ・フィスの小説、またそれを原作とするジュゼッペ・ヴェルディのオペラ)にも主人公の好きな花として登場する。和名の「つばき」は、厚葉樹(あつばき)、または艶葉樹(つやばき)が訛った物とされている。「椿」の字の音読みは「チン」で、椿山荘などの固有名詞に使われたりする。なお「椿」はツバキとは無関係のセンダン科の植物チャンチン(香椿)の意味で使われることもある。
 ツバキの花は花弁が個々に散るのではなく、多くは花弁が基部でつながっていて萼を残して丸ごと落ちる。それが首が落ちる様子を連想させるために入院している人間などのお見舞いに持っていくことはタブーとされている。この様は古来より落椿とも表現され、俳句においては春の季語である。なお「五色八重散椿」のように、ヤブツバキ系でありながら花弁がばらばらに散る園芸品種もある。

◇生活する花たち「山茶花・柊・桜黄葉」(横浜日吉本町)

12月18日(火)

★青空の光りを弾き辛夷花芽/高橋正子
辛夷花芽は和毛の様なものに覆われて何時も天を指しています。春に咲く準備を整え、青空の光りを弾く力強い辛夷花芽が見えてまいります。辛夷には青空が一番良く似合っています。(佃 康水)

○今日の俳句
出漁や妻に焚き火の温み置き/佃 康水
出漁まで夫婦で焚火をして体を温めていたのだが、体も温もって、妻を残して船音もかるく漁に出て行った。漁師夫婦の情愛が焚火をとおして温かく詠まれている。(高橋正子)

○侘助

[侘助/横浜日吉本町]

★侘助の莟の先きに止まる雪/松本たかし
★侘助や波郷破顔の大写真/水原春郎
★侘助や茶釜に湯気の立っており/多田有花

★侘助へ寺の障子の真白かり/高橋正子
★日表も葉影も侘助うす紅/高橋正子

 横浜日吉に移って来る前は、愛媛に住んでいたが、松山郊外の砥部の自宅は百坪を少し超えていたので、いろいろ好のみの庭木や草花を植えていた。特に椿は三十本以上もあっただろうか。冬の初めに初嵐が咲き、それから赤い侘助が咲いて、名の知らないものから、肥後や乙女なども順次咲いた。裏の谷川に添って藪椿が茂り、年末からほちほち花を咲かせた。不意に来客があるときは、この枝を一本もらうこともあった。それなりの恰好がついたのである。

 ワビスケ(侘助)   中国産種に由来すると推測される「太郎冠者(たろうかじゃ)」という品種から派生したもの。「太郎冠者」(およびワビスケの複数の品種)では子房に毛があり、これは中国産種から受け継いだ形質と推測される。一般のツバキに比べて花は小型で、猪口咲きになるものが多い。葯が退化変形して花粉を生ぜず、また結実しにくい。なおヤブツバキの系統にも葯が退化変形して花粉を付けないものがあるが、これらは侘芯(わびしん)ツバキとしてワビスケとは区別される。 花色は紅色~濃桃色~淡桃色(およびそれらにウイルス性の白斑が入ったもの)が主であり、ほかの日本のツバキには見られないやや紫がかった色調を呈するものも多い。少数ながら白花や絞り、紅地に白覆輪の品種(湊晨侘助)などもある。 名前の由来としては諸説あり、豊臣秀吉朝鮮出兵の折、持ち帰ってきた人物の名であるとした説。茶人・千利休の下僕で、この花を育てた人の名とする説。「侘数奇(わびすき)」に由来するという説。茶人・笠原侘助が好んだことに由来する説などがある。

◇生活する花たち「柊・茶の花・錦木紅葉」(横浜日吉本町)

12月17日(月)

★南天に日はうららかに暮れにけり  正子
南天の実は赤く、冬ざれの景の中ではよく目につきます。
難(なん)を転(てん)ずる願いを込めて庭などにもよく植えられます。南天に夕陽が射しその赤色を一層鮮やかにします。穏やかに一日が終わった安堵感を感じます。(古田敬二)

○今日の俳句
初霜の大地へざくりと杭を打つ/古田敬二
初霜に強張った大地に杭を打ち込む。「ざくり」が人間の力強さ、また迫力をよく表わしている。(高橋正子)

○梔子(くちなし)の実(山梔子/くちなし)

[梔子の実/横浜日吉本町]

★山梔子に提灯燃ゆる農奴葬/飯田蛇笏
★竜安寺道くちなしの実となりぬ/村上麓人
★山梔子の実のみ華やぐ坊の垣/貞弘 衛
★くちなしの実のつんつんと風の中/安斉君子
★くちなしの実の日に映えて黙しけり/かるがも

 クチナシ(梔子、巵子、支子、学名:Gardenia jasminoides)は、アカネ科クチナシ属の常緑低木である。野生では森林の低木として自生するが、むしろ園芸用として栽培されることが多い。果実が漢方薬の原料(山梔子)となることをはじめ、様々な利用がある。樹高1-3 mほどの低木。葉は対生で、時に三輪生となり、長楕円形、時にやや倒卵形を帯び、長さ5-12 cm、表面に強いつやがある。筒状の托葉をもつ。花期は6-7月で、葉腋から短い柄を出し、一個ずつ花を咲かせる。花弁は基部が筒状で先は大きく6弁に分かれ、開花当初は白色だが、徐々に黄色に変わっていく。花には強い芳香があり、学名の種名「jasminoides」は「ジャスミンのような」という意味がある。10-11月ごろに赤黄色の果実をつける。果実の先端に萼片のなごりが6本、針状についていることが特徴である。また側面にははっきりした稜が突き出る。
 東アジア(中国、台湾、インドシナ半島等)に広く分布し、日本では本州の静岡県以西、四国、九州、南西諸島の森林に自生する。八潮市、湖西市および橿原市の市の花である。果実が熟しても割れないため、「口無し」という和名の由来となっている説もある。他にはクチナワナシ(クチナワ=ヘビ、ナシ=果実のなる木、つまりヘビくらいしか食べない果実をつける木という意味)からクチナシに変化したという説もある。(ウィキペディア)

◇生活する花たち「アリストロメリア・サンタンカ・ユリオプスデージー」(横浜・綱島)

12月16日(日)

 石鎚山
★雪嶺の座りし空のまだ余る  正子
雪をかぶったすばらい嶺々、それでもまだまだ空は広々とある。快晴で青空を思い浮かべました。(祝恵子)

○今日の俳句
水仙の目線にあれば香りくる/祝恵子
目線の位置から、すっと真っ直ぐ水仙のいい香りが届く。香りがたゆたわず、すっと真っ直ぐ届くところが、水仙の花らしい。(高橋正子)

○横浜・綱島台公園
16日衆議院選挙の投票に信之先生と出掛けた。選挙場は日吉台中学校で、投票を済ませたその足で、綱島台の住宅地を通り、綱島台公園まで行った。初めは、その辺りの花でもあれば撮るつもりだったが、丘に上る道があり、大変に美しい雑木紅葉の森が目に入った。自然に足が向いて上ってゆくと、雑木の黄葉紅葉が美しい。桜と銀杏は冬芽となり、櫟、いろはもみじなどは、燃え立つように黄葉している。快晴の空を透かして、大木の枝が黒く交差し、紅葉、黄葉を引き立てている。帰りは上ってきた道と反対に降り、綱島台を一周した恰好になった。三時間ほど歩いただろう。今日撮った花は、冬椿、山茶花、柊、冬薔薇、サンタンカ、アリストロメリア、シャコバサボテンなど。十二月というのに、はやも椿が咲き始めていた。大変小さい白い椿は、人目には付かないが、葉影にカメラを入れて勘を頼りに撮ったが映っていて安心。

○檀(まゆみ)の実

[檀(まゆみ)の実/横浜日吉本町]

★檀の実こぼさじと折る力ゆるめ/加倉井秋を
★檀の実朝は真近に穂高澄み/望月たかし
★泣きべそのままの笑顔よ檀の実/浜田正把
★また風を呼ぶたわわなる檀の実/山元重男

 マユミ(檀、真弓、檀弓、学名:Euonymus hamiltonianus)とは、ニシキギ科ニシキギ属の木本。別名ヤマニシキギとも呼ばれる。日本と中国の林に自生する。秋に果実と種子、紅葉を楽しむ庭木として親しまれ、盆栽に仕立てられることもある。秋の果実の色は品種により白、薄紅、濃紅と異なるが、どれも熟すと果皮が4つに割れ、鮮烈な赤い種子が4つ現れる。

 2012年10月14日 天気 曇のち小雨
 今日、ネットのお友達のブログに、みごとな真紅の檀の実の写真が載っていた。ご自宅の庭の木だという。彼女は静岡県の西部にお住まいなので、この前の台風の風害がひどくて、庭の木々の葉っぱや檀の実など、かなり落ちてしまう被害に遭ったそうだ。実は、上の檀の実の写真は、台風前の先月20日にいつもの都立公園で撮ったもの。元々まだ丈の低い木だが、今年は猛暑のせいか木の元気がなく、実が少なくて寂しかった。で、昨日はそろそろ実が弾けるころかな、と思い寄ってみたら・・なんと、2本ある木の1本が実を付けたまま丸ごと枯れていた。(ブログ「KUMIの句日記」より)

◇生活する花たち「冬椿・山茶花・冬黄葉」(横浜・綱島)

12月15日(土)

★落葉踏み階踏みてわが家の燈  正子
秋冬の日暮れが早く寒さもつのってくるころは、我が家の明かり、家路にほっとするものを覚えられることでしょう。落葉を踏み、ご自宅への階段を上って家に帰る、その心持が感じられます。 (多田有花)

○今日の俳句
石蕗の花はや日輪の傾きぬ/多田有花
句の姿が整っている。暮れ急ぐ日にしずかに灯る石蕗の黄色い花が印象に残る。(高橋正子)

○銀杏黄葉(いちょうもみじ)

[銀杏黄葉/横浜日吉本町]         [銀杏黄葉/東海道53次藤沢宿・遊行寺大銀杏]

★赤を掃き黄を掃き桜もみぢ掃く/後藤比奈夫
★黄葉は今年最後の祭りかな/kudou
★空青し銀杏黄葉を輝かす/高橋信之

 対象とする植物を全体として眺めたときに、その葉の色が大部分紅(黄)色系統の色に変わり、緑色系統の色がほとんど認められなくなった最初の日を、その植物の紅(黄)葉日とする。
 カエデの紅葉やイチョウの黄葉は、秋になって気温がある値を下回ると色づきはじめ、一定期間ののち全体が紅(黄)葉する。したがって、気温が高ければ色づきが遅れ、低ければ早くなる。
 イチョウは中国が原産地といわれる落葉高木で、社寺の境内や街路に多く植えられ、食用のぎんなんが実ることからもよく知られた植物である。雌雄異株で春に新葉が出るとともに、雄株は 2 cm 内外の房状の雄花を下垂してつけるが、雌株の花は目立たない。
 気象庁が観測・統計を開始した 1953 年以降の気温とイチョウ黄葉との関係を見る。50 年間に約 11 日イチョウの黄葉が遅くなったことを示した。なお、カエデの紅葉についても同様に50 年間に約 16 日遅くなっている。(国立天文台が編纂する「理科年表オフィシャルサイト」より)

○東海道五十三次を歩く(戸塚宿~藤沢宿)
 昨年の12月15日は、戸塚から藤沢宿まで約10キロほどの東海道を信之先生のお伴で歩いた。靴は、踵から着地できるよう設計されたウォーキングシューズ。この靴が頼りとなる。手袋と帽子、自分で編んだモヘアの小さいマフラー、いつものポーターの革リュックという出で立ち。朝8時過ぎに家を出て、グリーンライン・ブルーラインを乗り継いで、戸塚まで。結構乗っている時間がながいので、「東海道492キロ」という歩き方の本を読む。
 戸塚の駅に降り立って、吉田茂を怒らせた「開かずの踏切」を渡る。わかりにくいのだが、右手にいって、家康の側室のお万の方が建てた清源院長林寺へ。奥のほうに芭蕉の句碑があったので、写真にとる。万両は、人の背丈ほどありそうなのがある。黄色い千両と赤い千両も。水仙は、冠のようなところも白い水仙があった。純白の水仙である。
 観るほどのものはなく、15分ほどいて東海道となる道を行く。写真に収められる花があれば撮るつもりである。道端に、案内標識が出ていて、澤辺本陣跡とか、上方見附跡、お軽勘平の碑、松並木跡などがあった。
 藤沢宿に近づくと、遊行寺がある。遊行寺は通称で、清浄光寺(しょうじょうこうじ)といい、時宗総本山の寺院。境内には、樹齢660年、樹高31メートルの大銀杏があった。一遍上人の念仏する姿の像もある。
 遊行寺を過ぎて、藤沢宿の本陣跡あたりを見て、藤沢宿の町並みを見る。紙問屋らしい古い造りの家が残っていたり、老舗の豊島屋という「松露羊羹」で知られる店もある。お茶屋には、古い茶壷などもあった。昔ながらの商いの店がこじんまりと並んでいる通りである。
 この通りが藤沢本町通りで、その端にある小田急の藤沢本町近くの喫茶店で、遅い昼食をとり、きょうの東海道の歩き旅の終わりとした。(昨年の俳句日記より)

[戸塚]
 清源院長林寺
水仙のまだ咲かぬ花芭蕉句碑

[大坂・原宿]
冬晴れの長き坂なり上りけり
栴檀の実に藤沢の白き雲
徒歩旅にはやも椿の赤い花
富士山はあちらかここに枯すすき

[遊行寺]
遊行寺坂落葉たまるも切りもなし
遊行寺坂日に透けいたる冬黄葉

[藤沢宿]
 境川
本陣跡と札のみありて十二月
旧き家開かずの窓に冬日照り
山茶花の一樹咲き添う古き壁
ひとすじの門前町の十二月

12月14日(金)

★大根の純白手中に面取りす  正子
寒くなって風呂吹き大根やおでんの季節がやってきました。真っ白な大根を手にとって角を削り、いわゆる面取りをしておられるところを詠まれた御句ですが、「純白手中に」の措辞が大変視覚的で臨場感感があり、湯気の立つ美味しい料理の出来栄えまでが読み手に伝わってくるようです。(河野啓一)

○今日の俳句
枯れ芙蓉枯れつくしたるを剪られけり/河野啓一‏
芙蓉の花が終わると、実が付く。その実がからからと枯れ、葉もほとんどが落ち、枯れ切ってしまうと、剪るにためらうことはない。さっぱりとした清潔感がある。(高橋正子)

○櫟黄葉(くぬぎもみじ)

[櫟黄葉/横浜・四季の森公園] 

★冬紅葉長門の国に船着きぬ 誓子
★冬紅葉美しといひ旅めきぬ 立子
★強飯の粘ることかな冬紅葉 波郷
★楢櫟つひに黄葉をいそぎそむ/竹下しづの
★墓四五基櫟黄葉の下にあり/穴井研石
★櫟黄葉舞いて虚空の広さかな 格山
★露天湯や椚黄葉を傘として 光晴
★風と舞い谷をくだるや冬黄葉 陽溜
★鈍色の空にきはだつ冬黄葉 一葉

 クヌギ(櫟)は、ブナ科コナラ属の落葉樹のひとつ。新緑・紅葉がきれい。クヌギの語源は国木(くにき)からという説がある[要出典]。古名はつるばみ。漢字では櫟、椚、橡などと表記する。学名はQuercus acutissima。樹高は15-20mになる。 樹皮は暗い灰褐色で厚いコルク状で縦に割れ目ができる。葉は互生、長楕円形で周囲には鋭い鋸歯がならぶ。葉は薄いが硬く、表面にはつやがある。落葉樹であり葉は秋に紅葉する。紅葉後に完全な枯葉になっても離層が形成されないため枝からなかなか落ちず、2月くらいまで枝についていることがある。花は雌雄別の風媒花で4-5月頃に咲く。雄花は黄色い10cmほどの房状に小さな花をつける。雌花は葉の付根に非常に小さい赤っぽい花をつける。雌花は受粉すると実を付け翌年の秋に成熟する。実は他のブナ科の樹木の実とともにドングリとよばれる。ドングリの中では直径が約2cmと大きく、ほぼ球形で、半分は椀型の殻斗につつまれている。殻斗のまわりにはたくさんの鱗片がつく。この鱗片が細く尖って反り返った棘状になっているのがこの種の特徴でもある。実は渋味が強いため、そのままでは食用にならない。
 クヌギは幹の一部から樹液がしみ出ていることがある。カブトムシやクワガタなどの甲虫類やチョウ、オオスズメバチなどの昆虫が樹液を求めて集まる。樹液は以前はシロスジカミキリが産卵のために傷つけたところから沁み出すことが多いとされ、現在もほとんどの一般向け書籍でそう書かれていることが多いが、近年の研究で主としてボクトウガの幼虫が材に穿孔した孔の出入り口周辺を常に加工し続けることで永続的に樹液を浸出させ、集まるアブやガの様な軟弱な昆虫、ダニなどを捕食していることが明らかになった。いずれにせよ、樹液に集まる昆虫が多い木として有名であり、またそれを狙って甲虫類を捕獲するために人為的に傷つけられることもある。ウラナミアカシジミという蝶の幼虫はクヌギの若葉を食べて成長する。またクヌギは、ヤママユガ、クスサン、オオミズアオのような、ヤママユガ科の幼虫の食樹のひとつである。そのため昆虫採集家はこの木を見ると立ち止まってうろうろする。
 クヌギは成長が早く植林から10年ほどで木材として利用できるようになる。伐採しても切り株から萌芽更新が発生し、再び数年後には樹勢を回復する。持続的な利用が可能な里山の樹木のひとつで、農村に住む人々に利用されてきた。里山は下草刈りや枝打ち、定期的な伐採など人の手が入ることによって維持されていたが、近代化とともに農業や生活様式が変化し放置されることも多くなった。(ブログ「菜花亭日乗」より)

◇生活する花たち「木瓜・いそぎく・千両」(横浜日吉本町)

12月13日(木)

★孟宗の冬竹林に日がまわり  正子
太く逞しい孟宗竹、冬なればこそ、より猛々しい竹林の景観です。日照時間の短い冬の日差しに刻々と変化する竹林のありさまが、「孟宗の冬」をことさら強く感じさせてくれます。(藤田洋子)

○今日の俳句
音立てて山の日差しの落葉踏む/藤田洋子
「山の日差しの落葉」がいい。山の落葉にあかるく日があたり、そこを歩くとほっこりとした落葉の音がする。(高橋正子)

○夏椿(沙羅/しゃら)の冬芽

[夏椿の冬芽(2012年12月12日)/横浜日吉本町]_[夏椿の花(2011年6月20日)/横浜日吉本町]

★爪ほどの冬芽なれども天を指す/能村登四郎
★六百の冬芽に力漲りぬ/稲畑汀子
★雲移り桜の冬芽しかとあり/宮津昭彦
★大いなる冬芽何ぞやああ辛夷/林翔
★全山の冬芽のちから落暉前/能村研三

★沙羅の花捨身の落花惜しみなし/石田波郷
★夏椿葉かげ葉かげの白い花/高橋正子
★青天に冬芽の尖り痛きほど/高橋正子

冬芽(ふゆめ、とうが)は、晩夏から秋に形成され、休眠・越冬して、春に伸びて葉や花になる芽。寒さを防ぐため鱗片(りんぺん)でおおわれている。(デジタル大辞泉の解説)

すっかり葉を落とした冬の木々。あゝ、こんなに美しい枝ぶりだったのか…と改めて見つめてしまうことがあります。 ちょっと立ち止まって枝についている冬芽を見つけてみましょう。冬芽の形も木によって個性がありますね。更に葉痕が面白いのです。虫めがねでもないと肉眼ではなかなか分かりませんが、デジカメで撮影してパソコンに取り込んでみましょう。こんな所に妖精が住んでいたとは! 全く驚きです。花の少ない冬の時期、散策の楽しみが一つ増えました。(「鎌倉発“旬の花”」より)

これが夏椿だと最初に意識して見たのは、愛媛県の砥部動物園へ通じる道に植樹されたものであった。砥部動物園は初代園長の奇抜なアイデアが盛り込まれて、動物たちにも楽しむ我々にものびのびとした動物園であった。小高い山を切り開いて県立総合運動公園に隣接して造られているので、自然の地形や樹木が残されたところが多く、一日をゆっくり楽しめた。自宅からは15分ぐらい歩いての距離だったので、子どもたちも小さいときからよく連れて行った。その道すがら、汗ばんだ顔で見上げると、夏椿が咲いて、その出会いが大変嬉しかった。このとき、連れて行った句美子が「すいとうがおもいなあせをかいちゃった」というので、私の俳句ノートに書き留めた記憶がある。緑濃い葉に、白い小ぶりの花は、つつましく、奥深い花に思えた。
今住んでいる日吉本町では、姫しゃらや夏椿を庭に植えている家が多い。都会風な家にも緑の葉と小ぶりの白い花が良く似合っている。

◇生活する花たち「十両(やぶこうじ)・万両・白文字(しろもじ)」(東京白金台・国立自然教育園)

12月12日(水)

★木蓮の冬芽みどりにみな空へ  正子
木蓮の芽は春に向けて小さな鳥のくちばしのような青い芽をみな空へむけて育んでいますね。春が待ちどおしいです。。(小口泰與)

○今日の俳句
山風の陽を奪いけり冬の蝶/小口泰與
山から吹いて来る風は陽に輝いているのだが、その陽を奪って、何よりも輝いていきいきしているのは冬の蝶。蝶の翅の力強さがよい。(高橋正子)

○桜紅葉

[桜紅葉/横浜日吉本町] 

★濃紅葉に涙せきくる如何にせん/高浜虚子
★柿紅葉マリア燈籠苔寂びぬ/水原秋櫻子
★障子しめて四方の紅葉を感じをり/星野立子
★黄葉はげし乏しき銭を費ひをり/石田波郷
★芸亭の桜紅葉のはじまりぬ/岩淵喜代子
★桜紅葉これが最後のパスポート/山口紹子
★水飲めば桜紅葉の母国あり/久保田慶子
★ことごとく桜紅葉の散りぬれど/桐一葉
★よい物の果てもさくらの紅葉かな/塵 生

 紅葉というと、イロハモミジが人気を集めていて、紅葉で有名な観光地の多くはこの樹種の紅葉だ。これはこれで見事な紅葉で、そのすばらしさを賞賛するのに全く異存はない。しかし、桜の紅葉も、もう少し話題になっても良いように思う。桜の紅葉には、話題になるだけの美しさがあると思っている。ただし、この話はソメイヨシノのことだ。

 どうも桜の紅葉は、今ひとつ人気がない。それは、あまりきれいな紅葉ではないと思われているからだろう。イロハモミジの紅葉と比べると、地味な感じがすると思われているようだ。ただ、そのような評価の原因の一つは、桜の紅葉を見る時に、太陽の光を透かして見ることが多いからではないだろうか。桜の紅葉は、逆光で見ると色が褪せて、地味に見える。イロハモミジなどは、逆光だとこの世のものとは思えないような赤い輝きを見せることがある。ところが、桜だと薄い、褪せた褐色に見えて、どうにも冴えない。桜の葉は、やや厚手の葉だ。だから表と裏では紅葉の色が違う。表は鮮やかな赤や黄に紅葉していても、裏はどの葉も皆薄い地味な黄色をしている。そのため、陽光に透かすと、表と裏の色が混じって、色が冴えなくなる。この辺りに、人気のない原因があるような気がする。

 これは、桜の紅葉の鑑賞の仕方が間違っているのだ。桜の場合は散って地面に散り敷いている葉を見るのがよい。それも散ったばかりの、せいぜいが一日ぐらいの、まだ水分が残っていてしんなりしているものがよい。少し乾くとすぐに地味な褐色に変色してしまうからだ。苔の上など暗い地面の上だと、表と裏の色が混じることなく、表の鮮やかな赤や黄色がはっきり見える。条件が整った場所に落ちている桜の紅葉を見ると、木についている時に比べて、比較にならないほど赤みや黄みが増して、実にしっとり美しく見える。桜は、散ってから一段と紅葉が進むかと思うぐらいに鮮やかだ。拾って手に触れるとひんやり感じて心地よい。

 もう一つ、イロハモミジの紅葉は、集団の葉の見事さを愛でるわけだが、桜は違う。桜は、紅葉の時期になると、葉がぽつぽつと紅葉して、紅葉が極まったものからはらはらと落葉していく。一斉に紅葉するわけではない。なので、何となく1本の木の色がそろわない。また、全体の印象がすけすけした感じになる。この点も、桜の紅葉が人気がない理由の一つだろう。桜の葉の紅葉は、一枚が大きいために、一枚だけでも迫力があり、味わいがある。赤やら褐色やら黄色やら、さざまざまな色の葉がある。同じ一枚の葉の中に、それらの色が塗り分けられているものも少なくない。ただ、木の枝についている時は、葉がまばらなために集団としての美しさは感じられない。その代わり、一枚の葉の紅葉に存在感がある。つまり、桜の葉の紅葉は、一つ一つの葉の紅葉を楽しむものであり、集団としてのまとまりを楽しむものではない。一つ一つの葉を手にとって、その鮮やかさ、しっとりとした美しさ、そして個々の美しさの違いを楽しむものだ。時には、虫食いの跡までもが、造形のポイントとして楽しめる。つまるところ、地面に落ちている鮮やかに紅葉した葉を拾って、手にとって虫食いの穴までも鑑賞するのが、桜の紅葉を愛でる作法だろう。

 一度桜の紅葉を手に取って見てもらいたい。桜の木の根本に、散ったばかりの桜の葉が散り敷いていたら、眺めて欲しい。できれば小春日和の正午がよい。きっとその美しさに驚くだろう。イロハモミジの紅葉とは違った、上品でしっとりした美しさが味わえるはずだ。結局、桜は、花も紅葉も第一級の樹木なのだ。(ウェブ「自然のフォトエッセイ」より)

◇生活する花たち「柊・茶の花・錦木紅葉」(横浜日吉本町)