曇り
●今日届いた某結社誌で、添削料について知らせていた。10句単位のようで、10句までは2000円ということでした。これが相場というものらしい。なるほど。
●今日の夕食差し入れは、一品でよいというので、煮込みハンバーグ。しめじと新玉ねぎを入れたソースにしたが、しめじではなく、マッシュルームにすべきだったと思った。
すき焼き用の鉄鍋はもう50年以上のものだが、最近は年に1,2回の登場となった。もったいないので、普段の料理に使うことにした。早く、思いつけばよかった。正月のローストビーフもこれで焼けばよかったのだ。
今日のハンバーグもこの鉄鍋で焼いた。ふっくらしている。
●ゆうまくんに林檎を持って行く。句美子は、「ゆうまくんは林檎は知っているよ」、と言う。わかっていない。赤ん坊が知っているのではいけない。今日はりんごを頬にあてて、「つめたい」感触を教えると、笑って
足や手にもりんごの冷たさを当ててくれと言う。しばらく遊んだので、「ないないね。」とナイロン袋に仕舞うと、納得して、自分でないないといいながら、バウンサーに載せていた。私の買って持って行った絵本もミニカーもおしゃぶりも、よく見たり、遊んだりしているのだ。よその母親が自分の買った本は見ないと言う話をよくしていたが、わが家の子どもは私の買った本を好んでよく読んでいた。その時期、その時期、子どもに最適な本やおもちゃがあるのがわかっていない。
晴れ
春の夜の空へと灯り人住む灯 正子
春空の青さに尾翼のロゴ見えて 正子
みどり児に春や春なり白Tシャツ 正子
●小鰺のマリネを作る。まるごとマリネにするつもりが、考えるうち、三枚おろしとなった。骨はもったいないので、骨煎餅に。塩をぱらぱらふって出来上がり。新玉ねぎは、スライスすると、粘りがある。これは何だろう。
句美子が生協の野菜セットにヤーコンが入っていて、食べ方がわからないというので、もらって帰った。見かけは、細いさつまいもの感じ。細い千切りにして酢水に晒し、人参、胡瓜、ゆで卵、トマトと一緒に辛子マヨネーズにしょう油少々で和える。初めての食材で、どんなものかと食べると、何処か食べたことのあるような気がする。セロリーでもないし、なんだろう、と思うっていて、あっ独活だと思いつく。独活の味に似ている。きんぴらもよいらしいので、これはまさしく独活の親類と思えた。
調べるとヤーコンはアンデスの食べ物とのこと。日本へは40年ぐらい枚にスペインから朝鮮半島を経て入ってきたとのこと。キク科とのこと。どうりで。シャキシャキしている。
曇りのち晴れ
まっすぐな家路の空の春満月 正子
春満月風の冷たさなおもあり 正子
みどり児の手に残りたる苺の香 正子
●『詩を読む人のために』の伊良子清白のただ一つの詩集『孔雀船』からの詩、「漂白」を読む。白秋の次に清白を採り上げて、構成としては一呼吸入れられている。「わびさびしら」が感じられる詩と三好は言っているが、これも象徴詩のひとつだけれど、泣菫、有明、白秋の手の込んだ象徴詩に比べると素朴さにほっとするようなところがある。
学校教育で、白秋はことによく習ったが、イメージがはっきりして、わかりやすいので、教えやすいというりゆうからだろうが、今になって、学校教育に騙されていた気がした。ノーベル賞の受賞者が、教科書には嘘が多いということを、時に言っているが、本当に国語の教科書に関してはそうだ。教科書を金科玉条のように言われていた学校時代を思い出す。
雨
粒立ちて白く光れる雛の雨 正子
並み走る電車別るる春の宵 正子
起きてよりすぐにかかりぬ雛の寿司 正子
●朝から雨。雪の予報も出ているが、そのせいか、雨粒が光って霙のように見える。
●ゆうまくん、今日も苺をほおばる。ミルクをあまり飲まなくなって、哺乳瓶をすぐに払いのける。苺の味を覚えたようだ。
ウェットティッシュを面白がって引き出すので、一枚だけにして、それで遊ぶ。足の裏にあてて、「つめたい」感触を教えると、喜んで笑う。なんども、やってくれと足を差し出す。足だけでなく、手や頬にもあてる。
ゆうまくんは、私の膝にいつもおとなしく座っている。冷たいティッシュあても膝に座っていたので、振り向いていちいち私の表情をたしかめる。
私の着ているmont bellの服のロゴが気になるのか、押してみる。わざと
力に押されたように後ろに倒れると、やる気満々で押してくる。これ、1歳にならない子がすることかと。
曇り
●ゆうまくんに、ミニカー「はじめてトミカ」救急車をもっていく。窓の外で救急車のサイレンが聞こえると外の方を指さすので、買って持って行った。なにか一人でしゃべっている。私が、意味がなく、アブダミダミダミニャムニャムニャムなどいうと、大笑いをする。私に自分が飲んでいるミルクを飲ませようとしたり、口元をガーゼで拭こうとする。4月から保育園に1歳コースで入園するので、準備にいそがしいようだ。
苺が美味しくなっていそうなので、持って行った。切ってもらって、手に握ってたべるようになった。一個食べ終わり、器を片付けると泣くので、もう一個追加。おいしいようだ。
●有明、白秋、と書いて筆が止まった。集中力が途切れた。有明は内側へ沈み、白秋は外側へ解放される象徴の方法が真逆なので、多分疲れた。そのあとにつづくのは、誰の詩かといえば、伊良子清白の『孔雀船』からの詩。ふたりとは全く違う詩風。こう詩風が変わっては読む側も心持がアップダウンする。二日、三日は何もしないで過ごす。
晴れ
●スーパーの買い物帰り、荷物が少ないので、そのまま鯛ヶ崎公園へ。親子が集まり、火を焚いて食事を作っているようだった。一番上までのぼり休憩。竹林の隙間を透けて空や街が見える。鳥の声も、花もなかったが、風が暖かかった。尾根を伝って帰った。
●『詩を読むひとのために』の白秋について書く。泣菫、有明の詩から白秋に移ると、詩の読み方を変えないと、詩がおもしろくない。詩の人気度から言えば、人気なのは圧倒的に白秋だ。この現象は俳壇、詩壇の制度のなかではいつも起こる事とは思いながら、実は嫌になってくる。学校では、白秋の扱いが大きかったのを思いだす。詩の扱いについて、フランスやドイツの学校でも、日本よりさらにひどいらしい。難しい詩は避けられ、やさしい詩が教えられていると言う。それもそうだが、大事なところを抜いて教えるのは、どうだろう。教科書から小説が省かれた話、省けば省いたで、載せれば載せたで、問題がある。
●もう一度、杉本秀太郎のあとがきを読み直す。
晴れ
竹林のまばらを抜けて春の風 正子
spring breeze
passing through
the bamboo grove, sparse.
春泥というほどでなく脱ぎし靴 正子
not quite enough
to call it spring mud —
my shoes taken off.
●ブリオの店があるというので、木のおもちゃを買いにセンター北へ。ところが、そんな店はない。ベビー用品の店にあった初めてトミカの救急車を買った。これが一つあっただけ。搬送用の扉が指であけられるようになっている。タイヤも車体に入って、はずれそうにないので、安全だと思う。
●『詩を読む人のために』の「邪宗門秘曲」の筆が進まず。これは白秋が24歳の時の詩集。白秋はなぜこのテーマで書こうしたのか、そこをどうにかしないといけないのだろうと、気づく。
曇り
●今日の「自由な投句箱」の秀句のコメントで、言葉の象徴性について入れた。会員のコメントへ言葉の象徴性について書いたのは初めて。わかってもわからなくても、臥風ー信之の精神を言うには、ここは避けてとおれない。
●『詩よ読む人のために』――その詩論的考察の有明について書くのに、またも時間がかかってしまった。昨日。句美子の家から帰り、夕食後に取り掛かったが、書き終えたのは今朝の5時近く。それでも、今朝起きて、もう少し書き足さなければと思った。それは「霊の日の蝕」の「生(いのち)に局(とぼそ)」の「生(いのち)」の意味。これを書き忘れている。
なぜ、有明論に時間がかかるのか。私の詩論的考察は、自分の俳句の裏づけのための考察であることから、有明の象徴構造については最も吟味して書かなければ、それは自分に還ってくることになるからだ。2週間ぐらいで書きあげれそうだったが、1か月はかかりそうだ。目測の誤りに気付く。したがって出来上がるのは3月20日ごろ。
●原稿を書きながら、モーツァルトを書けた。その気分ではない感じだったので、ベートーベンにした。キーシンの2019年のヴェルビエ音楽祭のベートーベンリサイタルと、何度目かになるが聞いた。キーシンのクリアな重量感が今の心境にぴったりの気がする。
2026年2月27日 04:08
晴れ
●三好達治『詩を読む人のために』――その詩論的考察 をブログ「エッセイと論文」にアップする。蒲原有明まで。日本の詩の象徴主義の初めだが、象徴主義は知性が加わる余地がある分、疲労が大きい。ここで一区切り。「邪宗門秘曲」を読むと、ずっと楽な感じがする。
●句美子がおいしいバターロールをくれる。家で手作りしていた時の味と似ている。このベーカリーは、クロワッサンはあまり上手ではないという。バターロールは特別という。クロワッサンとコーヒーは好みだけからいえば、理想の朝食。このごろおいしいクロワッサンに出会わない。
2026年2月26日 00:37
雨
白和えのお菜に春の遠からじ 正子
●美知子さんから有花さんの句集の選句が届く。選の控えをとって、そのまま有花さんに郵送。
●ハロウィン以来の雨らしいが、かなり強く降った。朝は病院、夕方はゆうまくんの子守り。差し入れは、筍飯、白和え、卵焼き、豚汁。電車は雨のせいか、混んでいた。帰りはいつも立っている。座ろうなんて思わない方がいい。しかし、車両の奥に乗るか、手前に乗るかを降りるときのために考えるようになった。ほとんど乗れそうもない車内へ乗るコツを覚えた。入口が混んで、中は比較的空いている。その電車に乗るか、次にするかは、入線した電車の中ほどの空き具合を見て決める。かなり、電車の乗り方の達人になったのでは。
達人になったのは、多分今日からであろう。『詩を読む人のために』の有明について、書こうとして2日間何も書かないでいる。考えが巡っている。日本人は、現実容認の思想があるので、写生や自然主義は分かるし、好きだろうと思う。象徴主義のような抽象的なものは、嫌いだし、苦手だし、解ろうとしないと思う。有明は死後にのみ評価がある。これがちょっとかわいそうにもなって来たのだ。私と似ているのではないかと思いもした。そんな個人的な思いが現れて、筆が進まないのだ。有明はもっと評価される人だ。しかし、わからないだろうなあ、と思ってしまう。この時代に、存在論が見える。偶然に違いないが、リルケと同じ年。
そんなことをギュウギュウの満員電車のなかで考えている。文章をどう書こうかと思っている。われながら、電車に乗るのに慣れたと思う。
●gooメールのサービスが今日で終了。大事なメールは保存したり、転送して保存した。去年の夏から、gooブログのサービス終了でWPのブログの立ち上げと引越。今回のgooメールのサービス終了。20年以上使ったと思う。インターネットを花冠が使い始めて、ちょうど30年になる。水この前の気がする。40代だった。愛媛新聞の「奥様ジャーナル」に、
「みなさん、インターネットを始めましょう」というようなことを書いたのも、そのころ。インターネット事始めの、あるある、を思い出せば、電線に荷物を括りつけて送ろうとした時代の人と大して変わらなかったと思う。