花冠No.374(1月号/2026年)の原稿依頼
『俳句の杜2025』の藤田洋子さんの100句の特集をいたします。100句のなかから、好きな句を7句えらび、そのうち2句に感想を、下のコメント欄にお書きください。よろしくお願いいたします。
●好きな句7句
●好きな句7句のうち、2句にコメントを書いてください。
●締め切りは、11月15日です。
以上よろしくお願いいたします。
2025年10月17日
花冠代表 髙橋正子
花冠No.374(1月号/2026年)の原稿依頼
『俳句の杜2025』の藤田洋子さんの100句の特集をいたします。100句のなかから、好きな句を7句えらび、そのうち2句に感想を、下のコメント欄にお書きください。よろしくお願いいたします。
●好きな句7句
●好きな句7句のうち、2句にコメントを書いてください。
●締め切りは、11月15日です。
以上よろしくお願いいたします。
2025年10月17日
花冠代表 髙橋正子
コメント
・遠ざかる風船はいま空のもの
・一山の花明かりして暮れにけり
・若竹の風光透く兄の忌に
・透き通る子らの歌声秋立てり
・冬晴れて視線を遠く天守へと
・<高橋信之先生を悼む>
梅雨に入る深き祈りの一と日より
俳句に誘っていただいた恩師の在りし日の姿を思い、冥福を祈られている様が浮かびます。「梅雨に入る」という季語が思いの深さに寄り添っています。
・<夫、追想>
寒の朝永久の別れの手を握る
ご主人が亡くなられたのは寒中だったのでしょうか。御句を拝読してぱっと浮かんだのは一茶の「露の世は露の世ながらさりながら」でした。また、宮沢賢治の「永訣の朝」も浮かんできました。抑えた表現の中に静かな悲しみが湛えられていて胸を打ちます。
好きな句
梅ひらく白のはじめを青空に
登校の吾子おはようとチューリップに
蝶生まる空どこまでも青々と
遠ざかる風船はいま空のもの
小さき手の紙の切り絵に雛生まる
棟上げの朝新米の封を切る
風邪の子と古きアルバムめくりおり
コメント
梅ひらく白のはじめを青空に
梅の花の白が青空に浮かび上がってとてもきれいです。「梅ひらく」も「白のはじめを」も生命感にあふれ詩的で余韻があり、「青空に」で締まっていて美しい句だと思いました。特に、「白のはじめを」という表現がとても素敵です。このような句が詠めるようになりたいと思いました。
風邪の子と古きアルバムめくりおり
日常生活の一コマをそのまま詠んだものと思いますが、直接「心配」や「懐しさ」を言わずに、「風邪の子」という状況と「アルバムをめくる」という動作で表現することにより、子どもとの静かな時間や過去と現在を繋ぐ優しい情景が、自然に想像できる上品な句ができているということなのかなと思いました。大変勉強になりました。
好きな句
遠ざかる風船はいま空のもの
水際の色となりつつ柳の芽
沖見えるまで花の坂上りゆく
もてなしの砥部の大皿初鰹
夕月夜赤子抱く娘の傍らに
夫、追想
寒の朝永久の別れの手を握る
白椿土に汚れず喪の日々に
コメント
*夕月夜赤子抱く娘の傍らに
母となり、生まれたばかりの赤子を抱く娘に寄り添い、親子三世代で迎える夕月
夜。美しくも喜びにも満ちた至福のひとときです。温もりの中、来し方に思いを馳せつつ、赤子の成長と娘の安寧を願う母としての祈りが静かな夕月の空にひろがっていくようです。
*白椿土に汚れず喪の日々に
夫と共に手入れし眺めた庭の白椿。今夫の喪に服す日々に、落花した椿は汚れもせず土に純白の姿を留めている。喪失の悲しみに耐える日々に、純白の花びらが
生々しく夫在りし日を追想させ、切ない。淡々とした詠みの中に、亡夫への鎮魂と愛惜の思いがせつせつと伝わってきて、胸打たれます。
愛惜の
正子先生、「俳句の杜2025」の刊行に際しましては、ご多忙の折お世話になり、あらためてお礼申し上げます。また、花冠(1月号/2026年)に句集を取り上げていただき、重ねて感謝申し上げます。花冠の皆様にこうして句集を読んでいただけますこと、この上ない喜びを感じております。皆様には、ご多用の中恐縮ではありますが、どうぞよろしくお願いいたします。
多田有花様
土橋みよ様
柳原美知子様
句集を早々に読んでいただき、好きな句の選、2句へのコメントを寄せていただきありがとうございます。お礼が遅くなり失礼いたしました。
皆様からの選句、ご丁寧なコメント一つ一つ、心に沁みて読ませていただいております。感謝の気持ちでいっぱいです。正子先生、花冠の皆様のおかげで発刊できました。今後ともよろしくお願いいたします。
好きな句
枇杷熟るる枝を揺らして昔日へ
日焼け子が海の香させて寝息たて
秋彼岸遺影いつしか灯になじむ
芽水仙日の廻り来る庭の隅
葉牡丹の照り翳りつつ色深む
葦原の枯れ尽くしても水の上
冬日差し窓に向け置く夫の椅子
コメント
〇 日焼け子が海の香させて寝息たて
夏休みの帰省時、子供たちが海で泳ぎつかれ、御座や畳の上で眠っている風景が懐かしく思い出されます。そこには、かつての自分もいたと気がつきます。田舎の風景はますます遠ざかりつつありますが、思い返すと、いまも懐かしく温かい気持ちになります。
〇 葉牡丹の照り翳りつつ色深む
葉牡丹の照り翳りはまるで人生のよう。陽を受ける順調な時も、翳って苦しい時も、そのありのままを受け止め、個性的な色をそれぞれ深めていく。自身を顧みるとき、さて、そのような深みがあるのかないのか、ーー ふと自問する。
藤田洋子さん七句観賞
吉田晃
芽ぐむもの全てに愛の光けり
観賞した洋子さんの百句の全てに、挙句に込められた思いを強く感じることができる。「芽ぐむもの」とは、生きとし生けるものだけでなく去りゆくものをも指していて、それらが持っている、あるいは持っていた命への限りない愛だと思う。逝去されたご両親や、兄上、最愛の御主人、そして俳句の師への深い感謝の念でもあるのだろう。百句の中それらを挙げるのは避けるが、逝きし人たちへの思いは、
彼岸来て笑顔ばかりの蘇る
からはっきりと感じ取ることがてきる。彼岸に天国から戻って来た愛しい人たちと居間で御馳走を囲み、楽し気に歓談している姿が想像される。久しぶりに会った人たちは、姿こそ見えないが皆満面の笑みであり、作者の大切な思い出として胸に蘇る。
夕月夜赤子抱く娘の傍らに
この句は母にしか詠めないいい句だと感じた。洋子さんの結婚間もない頃の句だと思うが、「湯の弾く乳房の張りよ星月夜」、がある。この句は今自分の隣で「赤子を抱いている娘」が生まれたばかりの頃の句であろう。自分の隣で赤子を抱いている娘の姿は、まさに二十数年前の自分の姿なのである。この「湯の弾く」の句を見た時、初めて親になった初々しさと女性の素晴らしさを感じ、忘れられない句でもある。
刻ゆるやかに七草の粥の煮ゆるなり
香のこぼる水仙を抱き風の坂
梅ひらく白のはじめを青空に
手のひらの塩あおあおと胡瓜もむ