1月22日(火)

★水仙の枯れし終わりを折りて捨つ  正子
いい香りを放ってくれた水仙、その水仙の枯れた姿をいとおしまれ、丁重に折って捨てられました。花を愛し、大切に育てられ、生き生きとした姿を楽しまれ、最後は感謝の気持ちを込められました。人に接するように、水仙に向き合われ、優しさが溢れています。(藤田裕子)

○今日の俳句
寒念仏ひととき街が浄土なる/藤田裕子
寒の三十日の間、僧侶が修行のために、鉦や太鼓を叩き、念仏を唱えながら市中を巡る。僧たちの念仏が相重なり街に響きわたると、街がひととき、浄土となったような気持ちとなる。寒念仏を自分の生活に引きつけてよく捉えた。(高橋正子)

○水菜
★水菜洗う長い時間を水流し/高橋正子

水菜は、くじらといっしょにはりはり鍋にするのが関西風だろうが、さっぱりと食べたい菜ものだ。鍋にいれたり、漬物にしたり、油揚げとお総菜にたいたり。高橋家では代々、正月のお雑煮に水菜を入れる。水菜、里芋、人参、かまぼこ、ささみで東京風の味つけ。最近の水菜は生のままサラダに使われる。水耕栽培のようで、根元に土が噛んでいるいるよなことはない。畑に育った水菜は株も大きく根元に土があって、これを落とすのに結構丁寧に冷たい水で洗わなければならなかった。上掲の句はその頃の句。

○毬栗

[実の落ちた栗の毬/横浜四季の森公園(2012年1月26日)]_[青栗の毬/横浜市緑区北八朔(2011年8月7日)]

★誰も手に触れざる栗の毬置かれ 稲畑汀子
★毬栗を蹴つて日暮れの村となる/小澤克己
★毬栗や祖母に優しく叱られし/大串章
★毬栗に袋かぶせてありにけり/高橋将夫
★栗の毬そだちはじめし小ささよ/阿部ひろし
★毬栗の落ちてすとんと暗くなる/杉浦典子
★栗の毬心の毬と踏みしだく/中尾廣美
★峡の子の足もてさがす栗の毬/江頭信子
★栗の毬掌に水平にのせにけり/大東由美子
★毬栗を剥くに大事や鎌と足/田中英子

 クリの雌花の集まりは雄花の穂の基部につきます。雌花は普通3個集まって鱗片のある総ほうに包まれています。受精が済むと総ほうが発達し雌花全体を包み込んだ、いわゆる「いが」になります。実が熟する頃になると四裂し実が現れます。“いがより栗”“いがも中から割れる”といった「いが」に関したことわざもあります。前者は“痛い「いが」より中のおいしい栗が良い”ということから、ガミガミ怒る人よりもご馳走してくれる人(甘いことを言う人)の方が良い、という意に、後者は実を固く包んでいる棘のある「いが」も秋になると自然に割れることから、人も年頃になると自然に色気が出て熟れることを意味しています。以前は栗の「いが」を天井に播いてネズミ除けにしていましたが、現在は「いが」に含まれるタンニンを利用した草木染めに使われるだけになりました。 

◇生活する花たち「獅子頭(寒椿)・素心蝋梅・老鴉柿(ロウヤガキ)」(東京・小石川植物園)


コメント

  1. 藤田裕子
    2013年1月17日 16:10

    お礼
    正子先生、今日の俳句に「寒念仏」の句をお取り上げいただきまして有難うございます。

    ★水仙の枯れし終わりを折りて捨つ 
     いい香りを放ってくれた水仙、その水仙の枯れた姿をいとおしまれ、丁重に折って捨てられました。花を愛し、大切に育てられ、生き生きとした姿を楽しまれ、最後は感謝の気持ちを込められました。人に接するように、水仙に向き合われ、優しさが溢れています。