8月30日
葡萄房剪りて重みを手に移す   霧野萬地郎(きりの まんじろう)
 みずみずしい葡萄を剪り取って、その重みを、そっくりそのまま手にしたときの感動が、素直に詠まれている。
 
『現代俳句一日一句鑑賞』(髙橋正子著/水煙ネット/2005年発行)より
         
        
        
        
           
                  
        
                       
          
        
        
        
        
        
            8月29日
石ころも露けきものの一つかな   高浜虚子(たかはま きょし)
 早朝の静かさのなか、眼にするものにみな露が降りている。転がっている無生物の石ころさえも、露けきものとなっている。何一つのこることなく露けきものとなる澄明な朝がひんやりと伝わってくる。
 
『現代俳句一日一句鑑賞』(髙橋正子著/水煙ネット/2005年発行)より
         
        
        
        
           
                  
        
                       
          
        
        
        
        
        
            8月28日
ふるさとは山路がかりに秋の暮   臼田 亞浪(うすだ あろう)
 亞浪もふるさとは、信州小諸である。山路がかる道を行けば、秋の暮がせまっている。そうでなくても早い秋の暮に山路がかりの秋の暮は早い。ふるさとの地を踏んだ懐かしさが、思いを深いものにしている。
 
『現代俳句一日一句鑑賞』(髙橋正子著/水煙ネット/2005年発行)より
         
        
        
        
           
                  
        
                       
          
        
        
        
        
        
            8月27日
夜更けて米とぐ音やきりぎりす   正岡 子規(まさおか しき)
 その日の仕事をしまい終えた家人が夜更けに、明日朝炊く米をカシャカシャと問でいる。その音に交じってきりぎりすの声が間を置いて聞こえる。秋の夜更けの静かさと質素な生活が偲べる。
 
『現代俳句一日一句鑑賞』(髙橋正子著/水煙ネット/2005年発行)より
         
        
        
        
           
                  
        
                       
          
        
        
        
        
        
            8月26日
稲の花一両列車の速度増す   野仁志 水音(のにし みお)
 旅を続け、一両列車の加速を体によく感じるほどになっている。列車から見える稲の花が、目に生き生きと新鮮に映っている。秋口の田園風景がのどか。
 
『現代俳句一日一句鑑賞』(髙橋正子著/水煙ネット/2005年発行)より
         
        
        
        
           
                  
        
                       
          
        
        
        
        
        
            8月25日
赤蜻蛉筑波に雲もなかりけり   正岡 子規(まさおか しき)
  
 筑波山の向こうから、東北が始まると言ってもいいだろう。池袋のサンシャインシティホテルから関東平野を見渡すとそう思える。関東平野の端まで来ると、筑波の嶺には、一片の雲もなく晴れて、明るい空をすいすいと赤蜻蛉が飛んでいる。澄んだ空気を感じさせて、鄙びた明るさのある句である。
『現代俳句一日一句鑑賞』(髙橋正子著/水煙ネット/2005年発行)より
         
        
        
        
           
                  
        
                       
          
        
        
        
        
        
            8月24日
はたはたのゆくてのくらくなるばかり   谷野 予志(たにの よし)
 はたはたが飛び過ぎて行ったが、その行く手は日暮れではっきりと掴めない。飛んで行ったのは草むらか。夕暮れの早さと、日暮れとともに深まる静寂を「くらくなるばかり」と、空間を凝視して捉えた。
『現代俳句一日一句鑑賞』(髙橋正子著/水煙ネット/2005年発行)より
         
        
        
        
           
                  
        
                       
          
        
        
        
        
        
            8月23日
新涼や重ねし絹に鋏音  河 ひろこ(かわ ひろこ)
 新涼のさわやかさの中で、布を断つよろこび。しなやかな絹を断つ鋏の音は、また絹の音とも感じられる。重ねた絹に鋏を入れるには、よほど布に慣れた人でないと勇気がいるものだが、それを自然にこなす腕のすばらしさも伺える。
『現代俳句一日一句鑑賞』(髙橋正子著/水煙ネット/2005年発行)より
         
        
        
        
           
                  
        
                       
          
        
        
        
        
        
            8月22日
葡萄園影にまみれて幹並ぶ  谷野 予志(たにの よし)
 葡萄園に秋の日が差して、ちらちらと影と日向の班ら模様が出来ている。しかし、幹は影の部分となって立ち並んでいる。「影にまみれて」は葡萄棚の茂りを確固とした幹に着目し、葡萄園に生まれる影の美しさを余すところなく伝えている。
『現代俳句一日一句鑑賞』(髙橋正子著/水煙ネット/2005年発行)より
         
        
        
        
           
                  
        
                       
          
        
        
        
        
        
            8月21日
さやけくて妻とも知らずすれ違う  西垣 脩(にしがき しゅう)
 詩人脩のことだから、心にさやけきことを思いめぐらし歩いたにちがいない。妻が通りすぎるのにも気づかずにいた、ということだ。妻と夫の距離がさわやかな空気のようである。
『現代俳句一日一句鑑賞』(髙橋正子著/水煙ネット/2005年発行)より