自由な投句箱に投句が難しい方は、以下の場所にご投句ください。
http://www.21style.jp/bbs/kakan02/
※当季雑詠3句(夏の句・秋の句)を<コメント欄>にお書き込みください。
※投句は、一日1回3句に限ります。
※登録のない俳号やペンネームでの投句は、削除いたします。(例:唐辛子など)
※★印の基準について。
「心が動いている」句を良い句として、★印を付けています。
※注意 次の場合はエラーがでて投稿できません。
①1~2分以内に同じものを投稿したとき。→5分以上あけて再度投稿する。
②投稿に時間がかかりエラーになる。→投稿する内容をメモ帳などで書き、それをコピーして貼り付ける、などの工夫をする。やたらにマウスを動かさない。マウスを不安定に動かさない。
③画像認証(ひらがな4文字)ができない場合(reCAPTCHA verification failed.の英語がでる) → 平仮名を打ち間違えていなか再確認する。
④文字数が6文字以下のとき。→7文字以上を書き込む。
以上の原因でエラーがでるのは、WordPress のブログの標準仕様のためです。
※画面を拡大(大きく)して、見えやすくして入力すると間違えにくくなります。
9月3日(2句)
★何もかもくつきり見ゆや涼新た/桑本栄太郎
「何もかも」と目に見えるものすべてが、涼新たになり、世界が一新され感じがしているのがいい。(髙橋正子)
★籾殻を払いし林檎香り濃し/廣田洋一
籾殻に埋められた林檎の籾殻を落とすと、濃く林檎の匂いがした。
皮自体にも微細な芳香成分が含まていて、取り出されたばかりの林檎の濃い匂いが新鮮さを保証している。(髙橋正子)
9月2日(2句)
★月光のきらめく流れ墨田川/廣田洋一
「墨田川」には江戸の情緒が今に残るところ。光にきらめき流れる墨田川はまた特別感がある。(髙橋正子)
★つくばいに風の径有り秋の涼//上島祥子
つくばいがあるところは、風が通る径になっている。秋の涼を一番に感じるところとなっている。(髙橋正子)
9月1日(1句)
★八月の最後の花火打ちあがる/多田有花
夏の間あちこちで花火が打ち上げられ、楽しんだ。だが、打ち上げられた花火もいよいよ八月最後の花火となり、夏の終わりの一抹の寂しさも湧いた。(髙橋正子)
9月3日(3名)
多田有花
露草の色を愛でたる朝の散歩★★★
朝日さす鎮守の森の法師蝉★★★
わらわらと屋根へ逃げたる稲雀★★★
桑本栄太郎
何もかもくつきり見ゆや涼新た★★★★
誰知らず採りて少なし花梨の実★★★★
いつまでもつくづく惜しむ法師蝉★★★
廣田洋一
お土産はココヤシケーキ秋の旅★★★
籾殻を払いし林檎香り濃し★★★★
ゆったりと白桃すする一人の夜★★★
9月2日(4名)
多田有花
昇りくる朝日に向かい芙蓉咲く★★★★
鉢植えの桔梗生き生き朝の水★★★
食べ終えし西瓜の皮を漬物に★★★
桑本栄太郎
暁闇に目覚め聞き居り虫の声★★★★
草萩の咲いて風来ぬごみだし場★★★
所在なくベランダに来る秋の蝶★★★★
廣田洋一
月光のきらめく流れ墨田川★★★★
湘南の光をあつめ黒葡萄★★★
英字紙の袋連なる梨畑★★★
上島祥子
植え替えの秋桜脇芽伸び始め★★★
つくばいに風の径有り秋の涼(原句)
つくばいと「風の径」の関係がよくわからないですが、風の通り道につくばいがある意味でしょうか。(髙橋正子)
風の径につくばい在りて秋の涼(正子添削)
標識を支えに朝顔伸び盛り★★★
9月1日(4名)
土橋みよ
蜂向かう小手毬の奥斑の巣★★★
舞うアゲハ幼虫蜂の餌となり★★★
とりどりのアゲハ舞う庭夢のあと★★★
廣田洋一
新しき友と出会いし秋の旅★★★
忌日近し欠けゆく月を仰ぎたり★★★★
秋うらら土産を配る旅の果て★★★
★印に関係なく、どの句もそれぞれに味わいがあります。(髙橋正子)
桑本栄太郎
鳴き声の虚ろとなりぬ秋の蝉★★★
ついと前ついとまえへと赤とんぼ★★★
新しき風に乗りたや九月来る★★★★
多田有花
八月の最後の花火打ちあがる★★★★
子の頃の西瓜は種の多かりし★★★
八月尽風入る部屋で昼寝する
「八月尽」は、俳句では使いません。気を付けないといけないのは、ただ漫然とどの月にでも「・・尽」を使わないということです。
古くから「三月尽」と「九月尽」は並べて使われてきましたが、これは春と秋には心に沁む景物が多く、それらを惜しむ気持ちの現れとされています。「弥生尽、四月尽」も春を惜しむ気持ちで使われます。
また「六月尽」は陽暦では梅雨の時期にあたり、黒南風と言われる湿気を含んだ風が吹き込み、日本列島の南から梅雨入りの知らせがしだいに届いてくる。一方、6月21日ごろには夏至を迎え、昼間が最も長くなる。こういう月の特徴から六月の終わる感慨をこめて「六月尽」といいます。
多田有花 への返信。
有花さん、八月尽について、ありがとうございました。有花さんが使っておられる「新日本歳時記」(1999/講談社)は私の手元にあります。いまそこを開けますと、今井杏太郎氏の解説で、
「八月三十一日、すなわち八月の終わる日のこと。陰暦の「三月尽」や「九月尽」のような季節の移り変わりを惜しむ季感はないでれども、夏休みや避暑期の終わりころの気持ちをいう、新しい季語である。」となり、例句は、
八月の赤い夕日と白い月 中村草田男
クッキーのチッ素噛みあて葉月尽 鷹羽狩行
の二句が載っています。
「八月尽」を使った例句のめずらしさは言えると思いますが、私の個人的な感想からは、畏れおおくも著名な方々の句ですが、決して否定するものではありませんが、採り上げた例句に若干の問題を感じます。
『第日本歳時記』(1999/講談社)は陰暦「水無月尽」に替えてその時期にあたる「七月尽」として使い季語としていますので、注意する必要があります。
近年、歳時記に新しい季語が加えられる傾向が強まり、詠み手の自由な発想が歓迎される風潮もありますが、それが『なんでもあり』の方向に流れてしまう危惧もあります。
新しい季語を使うときは、自由に使っていいのですが、一度立ち止まって、よく吟味することが必要です。有花さんの句が、そうした新しい季語の可能性を開く一歩になることを願っています。
正子先生
「八月尽風入る部屋で昼寝する」にご指導をいただきありがとうございます。
八月尽について、私が普段使っている「新日本大歳時記」(1999/講談社)には
八月尽が季語として載っております。
「八月尽の赤い夕日と白い月/中村草田男」が掲載されています。